「清志さん、明日お買い物に行きませんか?」 お風呂上がりの彼にそう提案すると、ちょうどグラスに水を注いでいたところで、彼はしばらく不意をつかれたように黙り込んでしまった。 びっくりすると大きな目がさらに大きく見える清志さんは可愛い。 そう思ったのは言わないでおいて彼の返答を待っていると、水が溢れる寸前で手を戻したからほっとした。 清志さんの方が半ば強引に私を連れまわすことはあっても、私から言い出したのは初めてだから驚いているのだろう。 「なに。お前、オレと行きたいの?」 「暇だったら、ですけど」 じっと私を見返した清志さんはだんだんと戸惑いをなくしていったようで、いつもみたく意地の悪い顔をしてみせた。 楽しそうだなぁ、なんて他人事みたいに思う。 「なんで?いつも春日と行くのが多いじゃん」 「えーと…に、」 「荷物持ちとか言ったら殺すぞ。」 「……」 「うん。ぜってー行かねーわ」 「ごめんなさい、冗談です。出来心なので許してください」 彼が怒った時のお決まりとなった冷ややかな笑顔をされたので、早々に謝ることにした。 わかりゃあいいんだよ、と肩をぺしんと叩かれる。 清志さんをからかうのは、私にとって難易度が高い。 たまにはいつもの仕返しをしてみようと調子に乗ってしまったのを反省する。 「そんで?どこに行くんだよ」 「あれ、来てくれるんですね」 「仕方ないから一人寂しいお前に付き合ってやるんだ。感謝しろよ」 乱暴に髪をかき混ぜてきた割に、清志さんはどことなく楽しみと言いたげに笑っている。 話したいこともあったし、断られなくてよかった。 それから学校の帰りに落ち合うことを約束して、翌日の午後。 駅の改札口を抜けていくと、目印であるオブジェのそばに清志さんが立っていた。 待ち合わせの定番の場所を指定したために他にも人は大勢いたのだけれど、あの身長と外見なので目立って仕方ない。 まっすぐ向かっていくと、あちらも人混みにまぎれる私を見つけたようで手を上げた。 「おーし、五分前。お前にしては上出来じゃん」 「清志さんこそ、いつも遅刻するのに」 「時間余ってたからな」 周りの、特に女性からの視線を感じるので、歩きながら話すことにした。 私の提案へ素直に応じて、あくびをしている清志さんは自分が人にどう見られているのか、気にしたことはなさそうだ。 待ち合わせのたびに感じていたことを口に出してみる。 「清志さんは見つけやすくて助かります」 「はっはー、身長あるからって待ち合わせの目印じゃねーからな?便利扱いしたら轢くぞ」 「いえ、そういう意味じゃなくて…私はすぐ埋もれてしまうので。むしろよく見つかりましたね?」 私が清志さんをすぐ見つけるのはわかる。 あらゆる意味で人目を引く彼を探し当てるのは容易い。 だからこそ、さっき声をかける前に彼の視線がぴたりとこちらに迷いなく定まって、私の居場所を早々と見つけたのが不思議に思えたのだった。 「ったりめーだ。お前がどこにいたってすぐに見つけてやるっつの」 ふんと鼻で笑った清志さんが、外だというのに私の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。 ドラマでも聞かないような台詞だ。 自分で恥ずかしいと思っていない言葉は平気で言えるのだから、清志さんは変わっている。 乱れた髪を直しながら、私は妙な感心を覚えていた。 と、ここまでが回想。 現在、私は途方に暮れていた。 買い物の最後に本屋に寄りたいと言うと、清志さんは付き合うと言ってくれた。 先ほどまでは近くで適当にバスケ雑誌か何かを見ていたのに、いつの間にか彼の姿がなかったのだ。 まさか置いてけぼりにされて清志さんは先に帰ってしまったかと思いかけて、その考えを自ら否定する。 彼はそこまで無情な人ではない…はず。そう信じたい。 探しにいこうか決めあぐねていると、携帯が震えたので、開く。 届いていたメールの不可解な内容に、思わず二回ほど文面を読み返してしまった。 「しばらくオレんとこ来るな。間違えても探しにきたり待ってたりするなよ。先帰ってろ」 簡潔だけれど焦ったような言葉の並びに急用かな、と返信はせず言う通りにすることにした。 待ってくれる人もいなくなってしまったので、好きなだけ本を見てから帰ろう。 そう思い直して、文庫本の新刊コーナーまで歩いていく。 そばの一冊を手に取ろうとしたら、私より一瞬早く隣の人が本をひょいと取り上げた。 「失礼」 「いえ、…」 涼やかな声とともに、包帯によく似たものを丁寧に巻いてある指先が目の前をよぎっていった。 スポーツ選手がしている、テーピングというやつだろうか。 その手のひらをなんとなく目で追って、私は予想以上に顔を持ち上げることになった。 相手が思ったよりもずっと高い身長をしていたからだ。 すっと背筋を伸ばした物静かそうな男の人は、神経質さを感じさせる手つきでページを繰っている。 清志さんに向ける目線と同じくらいなので、この人もなかなか背が大きい。 身近な彼を連想したせいか、やけに親近感が湧いてきて、思いきって小さく声をかけてみた。 「その作家の書く話、面白いですよ」 「…そうか、それはいいことを聞いた。買うかどうか決めかねていたところなのだよ」 なのだよ、と特徴的な語尾をつい心の中で繰り返してしまった。 見ず知らずの私を相手にしながらも控えめに言葉を返してくれたあたり、いい人そうだ。 その予感に嬉しくなって店頭でぽつりぽつり彼と言葉を交わしていると、不意に私たちの後ろでよく通る声がした。 「おっ、いたいた真ちゃん!さっきそこで宮地サン見つけたから連れてきた!…って、その女の子はどちら様?」 「テメー高尾引っ張んな……は?」 声をかけられた眼鏡の彼とはずいぶんと性格に差がありそうな、笑顔が明るい黒髪の男の子がこちらに歩み寄ってくる。 その彼に強引に連れてこられた人を見て、思わず口を開けてしまった。 私と目が合った清志さんも言葉を失う。 眼鏡の彼は黒髪の彼と知り合いで、さらに清志さんとも顔見知りという雰囲気だ。 一気に与えられた情報に困惑していると、まっすぐ私に歩み寄ってきた清志さんが言った。 「お前って奴はあああ…、オレがわざわざ高尾を引き離して会わせないようにしたってのに、なんでよりによって緑間と楽しくおしゃべりしてんの?バカか?」 「ご、ご、ごめんなさい」 高尾という人にしても緑間という人にしても、その名前に聞き覚えはなかったけれど、素直に謝ったら声が勝手に震えた。 にっこりと笑った清志さんに頭をつかまれぐらぐらと揺らされて、呼吸がままならない。 「宮地サン、その子目回してるっすよ〜」 黒髪の彼が引き気味ながらも言ってくれて、舌打ちを残して清志さんは私を解放した。 そこまで清志さんが嫌がるほど、私に会わせたくない人たちだったのだろうか。 その割に、黒髪の子の方はずいぶんと好意的な態度に見えるのだけれど。 頭をさすり、ひとまず清志さんの理不尽な仕打ちに抗議する。 「そんなに怒るくらいなら、他人のフリすればよかったじゃないですか」 「お前バカだからどうせオレの名前呼んだり顔に出たりするだろーが」 「ちょ、なんで喧嘩してるんっすか!まずは自己紹介からしましょうよ」 ね、と私と清志さんの間に割って入った男の子が穏やかに言う。 その瞳が好奇心に満ちていて、眼鏡の彼が後ろでため息を吐くのが見えた。 |