キッチンの陰で私の姿が見えていなかったのだろう。
こちらまでやってきた隆平さんが私に目を留めて、「ん」と声を上げた。
袖がかぶる手の甲でこする目はとろんとしていて、彼のユルい口調はいつにも増してのんびりしている。
昨日は遅くまで起きていたのだろうか、そう気遣う前に隆平さんが安心させるみたくへらっと笑った。

「あらら、早起きさんだね〜。えらいえらい」
「そうでもないですよ。健介さんの方がもっと早かったみたいですから」
「ま、立ち話することもないっしょ。こっちにおいで?」

子供相手にするように私の手を引いて、リビングスペースのソファーへ先に座った隆平さんが隣をポンポンとやるので、促されるままにそこへ腰掛けた。
そこで健介さんが朝食当番を代わった経緯を話していると、隆平さんの視線がじっと私に注がれるのを感じた。
その眼差しは優しいものであったので不安には思わなかったけれど、話を続けながら自分が何かしたっけと疑問が残る。
すると話し終えた途端、堪えきれずといった風に隆平さんが楽しそうに笑い出した。

「ど、どうしたんですか?」
「ふふ、だってさ〜。さっき正面から見たときは気付かなかったけど、横から見たら後ろ髪めちゃくちゃはねてるんだもん」
「えっ!」
「まったく、お間抜けさんなんだから」

思わず後頭部へぱっと手をやると、確かにはねた髪が指先に当たる。
そんな私をおかしそうに見ている隆平さんはともかくとして、ついキッチンに向かって大きな声を上げてしまった。
そう、さっき並んで話していたのだから健介さんだって絶対気付いたはずなのに。

「健介さん、言ってくださいよ!」
「あー、悪い。なんかタイミング逃しちまって」

のんびりと返ってくる彼の声はまったく悪気なく聞こえる。
ここから姿は見えないけれど、どこかにんまりと笑った表情が簡単に予想できてしまって、面白がっている様子の健介さんをちょっと恨めしく思った。
気恥ずかしさで口を開けたり閉じたりしていると、背後から隆平さんの言葉が重なった。

「福井ってばイジワル〜」
「だぁってさ、そいつ可愛いんだもんよ」
「わかるけどさー」
「な、直してきます!」

勢いよくソファーを立ち上がって、そのまま洗面所へ逃げ出そうとした私を引き止める手のひらがひとつ。
私の手首をやんわり掴んだ隆平さんが「まあまあ、落ち着きんしゃい」と笑う。
これは彼の口癖のようなもので、いつもだったら穏やかな表情もあいまって私を言葉通り落ち着かせてくれるのだけれど、今日ばかりは状況が悪い。
困ったときや不安なときには本当に有り難く感じるのになぁ。
この笑顔には逆らえない、と黙り込んでうつむくしかなかった。
うつむくと余計に寝癖が目立つと思い当たって、すぐに片手で押さえる。
そんな姿を見かねてか、頭上から優しい声が落ちてくる。

「ちょい待っとき〜。お兄さんが直してあげるから」
「隆平さんが?…いいんですか?」
「オレがそういうの上手いのは知ってるでしょ?今日一日その髪で過ごすんなら話は別だけど〜」
「…よろしくお願いします」
「そうそう、遠慮しない」

ひょいと自分の部屋へ向かった隆平さんは、整髪料やブラシなどの一式を手にすぐ戻ってきた。
隆平さんはとてもオシャレで、何度か入ったことのある部屋もファッション関連のもので溢れていたことを覚えている。
私を膝の間に座らせて、ふんふんと鼻歌混じりにワックスを手のひらに伸ばしている姿は、もう慣れっこという感じだ。

「ついでだから髪型もいじっちゃおうかな。いい?」
「もちろん」
「よしよし。可愛くしたげるよ〜」

わしゃわしゃと髪にワックスをもみ込まれながら、初めてされることではないので私はゆったりとくつろいでいた。
どうしてそんなに数が充実しているのか、たくさんのバレッタやヘアピンも並べて隆平さんは機嫌良さそうにしている。
所在なく視線をリビングの家具のあちらこちらにやっていると、不意に隆平さんが言った。

「寝癖ひとつであんなうろたえるなんて、やっぱり女の子だね〜」
「む…今のはちょっとカチンときました」
「はは、うそうそ。機嫌なおしてー?」

髪をいじっていた手が会話の合間に止まり、なだめるように頭を撫でていく。
こうしていると美容師さん相手に話しているような気分になる。

「隆平さんは美容系のお仕事に興味はないんですか?」
「ん、どうして?」
「手先も器用だし、センスがいいからすごいなぁと思って」
「ありがと。ま、一応選択肢には入れとこっかな〜」

そういえば、私は彼らの進路についてきちんと聞いた試しがない。
ずっと大学生というわけでもないのだし、それぞれが考えていることはあるんだろうけれど。
そこまで立ち入った話ができるのはもう少し先かな、と思うとちょっとだけ寂しく感じた。

「おーい、お前らそろそろ手伝ってくれよ」
「ほいほい〜、ナイスタイミング。終わったよ」
「あ、ありがとうございます」
「細く取った髪をねじって編み込んで〜、大きめお花バレッタで留めたゆるく、かつキレイめスタイルでーす」
「春日ー、それ後でいいから。早く箸並べて」
「んじゃ、宮地起こしてきてね〜」

忙しなく押しやられた先には、一つの扉。
二人の賑やかな声を背に、私は意を決してドアノブをひねった。

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