「おかえりぃ、会いたかった〜。もう二度と離してあげなーい」 「茶番やめろ」 帰ってくるなり隆平さんに飛びつかれた。 それを清志さんが言葉で制したのだが、どうやら聞いていないらしい。 ペットか何かにするみたいに私をめちゃくちゃに撫で回す彼はにへらと表情を崩していて、いつにも増して機嫌が良さそうだ。 出掛ける前はあんなに駄々をこねていたというのに、何かいいことでもあったんだろうか。 驚いたのはそればかりではなく、リビングスペースまで足を進めると私より早く健介さんが不思議そうな顔をした。 いい匂いが部屋一帯に充満している。 「もうメシできてんのか。当番はオレだったのに」 「あー、それはオレが作った」 「なんで」 「お前ら帰ってくんの遅いし、待ちぼうけだったオレと春日はずいぶんと腹減ってたし。まだまだ理由はあるけど、もっと言ってやろうか」 意地悪く笑ってみせる清志さんに、私と健介さんは黙り込むしかなかった。 確かに、案内をしてあげるはずの紫原くんに逆に連れ回されてそこそこ帰りが遅くなったことは認める。 とはいえ、夕食の時間帯に間に合わなかったわけではないし、健介さんはてっきり自分が作ると思っていたようで拍子抜けと言いたげな顔をしていた。 「まあ、作ってくれたんなら有り難いけどよ。歩き疲れて帰ってきたところだったしな」 「貸しを作るのもたまには悪くないよな。今度ピンチヒッターよろしく」 以前に当番を代わってもらったことを意識しているのか、楽しそうに返す清志さんに健介さんは苦い顔をしていた。 料理であれ洗濯であれ、何かしらの役目を代わってもらうと、その人から次に当番の交代を頼まれた時に問答無用で従わなくてはならない。 その約束事のせいか、「いいから、出来てんならもう夕飯にしようぜ」と、微妙な面持ちをしたままキッチンへ逃げるように向かう健介さんに、清志さんが笑って後について行った。 「あ、待って。オレも手伝うって〜」 私から離れた隆平さんが横を通り過ぎるときに、ふわっといい匂いがただよった。 「隆平さん」と呼び止めると振り返ってくれたので、その髪に指先を伸ばしてみた。 「なーに、撫でてくれるの?」 「いえ…シャワー浴びたんですか?こんな時間に」 「あらら、まだ髪濡れてる〜?」 「すこしだけ」 前髪をかき分けるように指先で梳くと、隆平さんは目を閉じて大人しくしていた。 その様子が懐いた猫に似ている彼からは、まだ少し冷たい髪の感触とシャンプーの香りがする。 「実は久しぶりにバスケしてきたんよー」 「わ、珍しい。どうでした?」 「大学入ってから結構ブランクあるのにさ、宮地が全然手加減してくれなくって〜。お兄さん明日筋肉痛になっちゃう」 「オレが手加減するような奴だと思ってんのか」 「次はオレも誘えよー」 「はいはい、福井ともまた今度〜」 サラダを運んで戻ってきた二人が、がやがやと会話に参加する。 バスケの話になると三人とも途端に活き活きしだすから、私はそういう様子を見ているのが好きだ。 そういえば、三人が揃ってバスケをしているところはまだ見たことがない。 いつか見られるといいな、と言葉にはせず思うだけにとどめていると、再びキッチンへ引っ込んだ清志さんが、「今日はカレーだぞー」と声を上げた。 「トッピングが生卵の奴、取りに来い」 「あ、オレオレ。よく混ぜて食べるとうまいんよね〜」 「次、ゆで卵の奴ー」 「おう、いま行く。よーし、ちゃんと固茹でだな」 「んで、チーズが…名前か」 「はい」 キッチンから受け渡されるお皿を順番に並んで取りに行く。 それぞれ好みが違うために、付け合わせはいつもバラバラだ。 最後にテーブルにやって来た清志さんのお皿には普通のカレーがあって、私たちは思わず首を傾げた。 普段はスクランブルエッグを乗せているのが彼好みのカレーである。 「清志さん、今日はそのまま食べるんですか?」 「あー、うん。なんとなく」 「え〜。なんか味気ないねぇ」 「卵三つを別々に調理すんのがめんどかった」 「調理って、春日のはただの生卵だろ。割って終わりじゃねーか」 「うるせーうるせー。カレー自体は作るの楽なのに、注文が多いんだよお前らは」 その代わりというべきか、清志さんは福神漬けとらっきょうの瓶を机に置いていた。 食に関しては意外と子供舌である清志さんにしては珍しく大人な付け合わせ、と思ったのは私だけではなかったようで。 「いただきます」の号令をかけた清志さん本人は私たちの、微笑ましいものを見る視線に気付いていないようだった。 ピザ用チーズが余熱で溶けているのを軽く混ぜてから、一口目を口に運んだ。 「それで?陽泉の奴らと会ってどうだったんだよ」 「楽しかったですよ!ね、健介さん」 「おー」 清志さんに話題を振られたので、素直な感想を述べた。 横柄にうなずく健介さんだって、久しぶりに後輩と会ったのだから相当嬉しかったのではないだろうか。相槌を打つ表情がどことなく柔らかい。 隆平さんも興味があるようで、あれこれと質問を投げかけてくる。 「どんなとこに行ったん〜?」 「紫原くんの希望も取り入れて、いろんな甘味どころを巡ってきました」 「紫原?ああ、キセキの」 「そうそう、そのキセキの世代の人です!」 「なんでお前がそんな食いつきいいんだよ」 訝しげにこちらを見てくる清志さんへ曖昧に笑みを返す。 健介さんには思惑がバレていたけれど、後輩である彼らから先輩たちの話を聞き出していることは、詮索をしているようでやはり言いにくい。 他の二人はともかく、清志さんはなんとなく怒りそうな気がするから特に。 「付き添いの氷室さんもいい人でした。男の人と甘いものを食べにいくのって、なかなか新鮮でしたよ」 「お前と違ってあいつらはああいうの慣れてるけどな」 私たちが取り留めなく話すのに健介さんが淡々と返し、清志さんと隆平さんはそのやり取りを言葉少なに聞いていた。 つまらない話を聞かせてしまっているかと顔色を窺うと、また一口カレーをスプーンにすくいながら清志さんがぼそりと言った。 「ま、楽しかったんなら良かったな」 何でもないように落とされた言葉だったけれど、無関心そうな表情とは裏腹に彼の優しさが感じられる一言だった。 隆平さんの方を振り返ると、やはり穏やかな表情で私のことを見ている。 子供を見守るような顔だ、と思ってちょっと照れくさくなった。 「宮地の言う通りだなぁ。名前ちゃんが楽しかったんだったら、ケーキのことも許してあげる〜」 「ケーキ?」 唐突に持ち出された単語を思わず復唱してしまう。 もしかして今日たくさん持って行ったことを言っているのかな、と思い当たったところで健介さんがスプーンを置いて口を開く。 「おい…まさかと思うけどお前ら…」 「あ、ごめん福井。残りのパウンドケーキ食べちゃった」 「はあ!?全部かよ!オレ一個も食ってねーんだぞ!」 「お前は名前連れて出かけたんだし、このくらい気にするなよ」 「…覚えてろよ、お前ら」 それきりスプーンをくわえて黙り込んでしまった健介さんは、また作るという約束をするまで機嫌を直してくれなかった。 隆平さんと入れ替わりのようにすねてしまった彼は紫原くんたちの前と違って、なんだか子供っぽく見えた。 |