「洗い物手伝ってくれてありがとね〜」
「いえいえ、作ったのは私ですから」

水が流れる音と食器がカチャカチャと重なる音の合間に、ぽつぽつと会話を挟んでいく。
流れている空気はとても緩やかで、それは隣にいる彼の存在が大きいと思う。
隆平さんといると自分まで鷹揚な人柄になれそう、なんて。
彼が洗ったお皿をまた一枚、丁寧に拭いては戸棚に戻していく。

「ケーキおいしかったよ。さっすが〜」
「あんなに喜んでもらえて良かったです」
「ね。特に子供二人が」

隆平さんが指差す先には、テレビの野球を見て何やら騒いでいる清志さんと健介さんがいる。
この前看病をしてもらったお礼も兼ねて、気合いを入れた特大のショートケーキをワンホール作って見せたとき、二人の反応は確かに子供みたいだったと思う。
なにせ「すげー」と「でかい」しか言えないくらい興奮していたのだから、微笑ましい気持ちにもなる。

「なんだか、つまらないことでケンカしてましたよね」
「そうそう。お前のケーキの方が大きいとかオレの方が小さいとかってさ、変わんないっての」

金色のフォークを拭いて、いつも仕舞っている場所に戻す。
こんな風に楽しかったことを思い返しながらするのならば、片付けだって苦ではない。
思い出した二人の姿がおかしくて、笑いを堪えていると不意に隆平さんと目が合った。
静かに微笑む彼に、少しだけどきりとした。

「名前ちゃんは、福井と宮地のこと好き?」
「好きですよ、すごく」
「そっか。そうだろうね」

最後のコップの水滴を布巾で拭う私より一足早く、タオルで手を拭き終えた隆平さんが頭を撫でてくれた。
もちろん隆平さんのことも好きですよ。
そう続けたかったのに何となく言葉を遮られた気分になった。
どうして彼は、彼自身のことを訊いてくれないのだろう。
見上げた先の横顔は、遠くの清志さんと健介さんを見つめていた。

「たまーにあいつらが羨ましくなるんだよね。笑えるくらい素直でさ」
「…隆平さんは、そうじゃないんですか?」
「ん?オレに限らず、きっと宮地だって福井だってお互いに羨ましいって思ってるよ。いろんな場面でね」

彼らはそれぞれの居場所に落ち着いていて、そこで満足して充実している、と。
当たり前のように信じきっていた私は、隆平さんの言葉に口をつぐむ。
私は年上で頼りがいのある三人に憧れるばかりで、そこまで思い至ったことがない。
私はここで一人だけの女だけれど、男の人が集まるとそういうものなのだろうか。
既に拭き終わったコップを未だ握りしめていると、困ったような隆平さんの声が落ちてくる。

「ねえ、オレのことをいい人だと思ってる?」
「はい。隆平さんは穏やかで人当たりが良くて、安心します」
「そうやってためらいもせずに即答しちゃうところがさー、…お兄さんは複雑だよ?」

嬉しそうなのに、どこか不本意そうに言われると、どうしていいか分からなくなる。
私の手からコップを受け取った隆平さんはそれを高い位置に仕舞い、「コーヒーでも淹れてあげよっか」ときれいに微笑んだ。
いつもなら隆平さんはミルクティーを淹れてくれるのが常なのだけれど、今日はコーヒーの気分なのだろうか。
その言葉にうなずき、キッチンを出たところの角で、健介さんとぶつかりそうになった。
どうやら飲み水を取りにきたところだったらしい。

「っと、わりー…なんだよ名前、変な顔して。あ、さては」

私の返事も聞かないで隆平さんに歩み寄った健介さんが彼の肩をぺしっと叩いた。
驚いてそれを見つめていると、いつもより力なく隆平さんがへらりと笑う。

「…なんで怒られたのか聞いてもいい?福井」
「お前って結構めんどくさい奴だからな。名前に言わなくてもいいこと言ったろ」
「たまに察し良すぎて、オレって福井のこと怖くなるんよ」
「なんだかんだ春日とは名前の次に長いこと一緒に暮らしてんだ。考えてることは多少分かって当たり前だろ」

言い終わるや否や、冷蔵庫から出したミネラルウォーターのボトルを手に、健介さんはさっさとリビングスペースへ戻ろうとする。
私とすれ違いざまにきちんと「気にすんなよ」と言い残していったあたり、彼らしいけれど。
呆気にとられていたのは束の間で、叩かれた肩に手を置いてじっと黙り込んでいる隆平さんに、そんなはずもないのに尋ねてしまっていた。

「…そんなに痛かったですか?」
「ふ、そう見える?あーあ、福井が優しくてやんなっちゃうよ。…癪だなぁ」

健介さんは、気遣いのできる人だ。
私が気付かないだけで、今も微妙な雰囲気の私たちをフォローしてくれたのかもしれない。
私にとっては安心することでも、男の人同士だとその気遣いを悔しいと感じることもあるのだろうか。
隆平さんの苦々しい表情を見ながらそんなことを考えた。
それにしたって、入居順を考えれば私だって隆平さんと長く過ごしているのに。
何も分かっていない自分の不甲斐なさにもやもやとする。
すぐそばの手のひらに軽く触れると、驚いたように隆平さんの瞳が丸くなる。
寂しいとは少し違う感情が押し寄せていた。

「どしたん?」
「…なんか、やだなって思って」
「不安にさせた?本当、ごめんって」

それは違う、と軽く首を振った。
優しく握り返してくる手のひらに思案する。
ここで言葉を間違ってはいけない気がして、あれこれと迷ってから小さくつぶやいた。

「嫉妬したんだと思います。私だって、隆平さんのことを理解していたいのに」

いつもみたいに、やんわりと気持ちを押し返されると思っていた。
隆平さんは、素直すぎる人の言葉を避けて受け取らない節があるから。
きっと今回も、と、すねたような心持ちで待っていたのだけれど、いつまで経っても返事が聞こえてこない。
そっと見上げると、いつにも増して優しげにまなじりを緩めた隆平さんと目が合った。

「ありがとう」

するりと頭を撫でていった手のひらは、普段より軽い手つきなのに心地良い重みを残していった。
感慨にふけるより早く、隆平さんは両手で私の髪がめちゃくちゃになるようにかき混ぜた。
こんな風にされたのは初めてなので、戸惑いが隠せない。

「嬉しいこと言ってくれちゃって〜」
「ちょ、ちょっと、隆平さん」
「あはは」

朗らかに笑う隆平さんはまるで子どものようだった。
ずいぶん幼く見える彼の表情は新鮮で、なんだか嬉しくなる。
リビングの席に着いてからも隆平さんのご機嫌は続いていて、鼻歌混じりにコーヒーを淹れていた。
大人っぽい彼を可愛いと感じる日が来るとは思っていなかった。

「はい、どーぞ」
「ありがとうございます」

熱くて苦いコーヒーを口に含む私の向かいで、ティーカップを片手に隆平さんがゆったりと息を吐いた。
テレビ前の健介さんと清志さんに彼が向ける視線は穏やかだった。

「福井も言ってたけどさ、ここで暮らし始めてからもう一年以上経つんだね」
「…はい」
「不思議だよねぇ、特に宮地は遅れて入ってきたけど一番早く馴染んだ気がするし」

その言葉を聞きながら、ゆっくりコーヒーを味わった。
ずっと四人でいたような気がしているけれど、私たちはそれぞれの理由で偶然ここに集まったに過ぎない。
隆平さんはいつも、大切なことに気付かせてくれる。

「今度また、昔話でもしよっか?」

うなずくと、隆平さんの笑みが深くなった。
それぞれ三人に出会った懐かしい日を、私は鮮明に覚えている。
そう遠くないうちに彼らと思い出話をしたい。そんなことを思った。

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