「どうした名前。腹減ってねーのか?」
「え…」
「食欲ないんなら無理に食わなくてもいいんだぞ」

健介さんの言葉に私は顔を上げた。
この前の約束通り、炒飯とそれに合わせた中華料理が満載の献立に贅沢な気分で食卓についたのは事実だ。
しかし、いざ食べ始めてみると思うように箸が進まない。
目の前の料理はほとんど手つかずだ。
お腹は空いているのに、胃が受けつけない感じがする。
言葉に迷っていると、いい食べっぷりを見せている清志さんが言う。

「んだよ、間食でもしたのか?太るぞ」
「…宮地ってデリカシーないよな」
「食わねーんなら春巻きもらうわ」
「おい、数なら余ってんだから人のを取んなよ」

視界の端できつね色のおいしそうな春巻きをかっさらっていった箸と、言い合う二人の会話をぼんやりと他人事のように受け止める。
黙って私を見ていた隆平さんが箸を置いて、よく通る声で言った。

「二人とも、ちょっと静かにしてくんない?」
「ああ?なんでだよ」
「いいから。宮地」

隆平さんの真面目な顔つきと声音に、清志さんもぴたりと口を閉ざした。
微妙な空気に戸惑っていると、席を立った隆平さんが私の隣にやってきた。

「ほい、ちょっと失礼」

するりと前髪を分けて額に触れてきた手のひらが冷たく感じる。
それを素直に伝えれば苦い顔で、「いや、それはオレの手が冷たいんじゃなくってね…」と返された。
清志さんと健介さんもまさか、といった表情でこちらを見ている。

「おい春日、もしかして」
「うん、やっぱ熱い。少し触っただけでわかるくらいだから、良くないかも」
「…マジかよ。お前なぁ、体調悪いんならちょっとは表情とか言葉に出せよ!」
「はいはい、いじめない〜。宮地、病人には優しくしたってね?」

穏やかに清志さんを制する隆平さんを、思わず見つめてしまった。
自分でも気付かなかった不調を見抜かれてしまうなんて、と思ったけれど、それだけ判断力が鈍っていたのかもしれない。
むっとしたように口を閉ざした清志さんに睨まれて、申し訳ない気持ちになった。

「すみません、全然気付かなくて…」
「だから食欲なかったんだな。残していいぞ、名前」
「でも、せっかく健介さんがごちそうを作ってくれたのに」
「おいおい、食い気出してる場合か?心配すんな、お前の分はちゃんと取っといてやるよ。んで、さっさと良くなって明日に食えばいいだろ」

健介さんはなだめるように私へ笑いかけてくれた。
その優しさが不調の身に染みる。
それからの健介さんの行動は早く、席を立ってもう一度エプロンを身につけた。

「薬飲むにしても、何かちゃんと腹に入れた方がいいな。食いやすいもん作り直すから、春日と宮地でそいつ看てやって」
「そんな、大げさです。早めに寝れば治りますから」
「そう言わずにさ〜、福井の言うことは聞いといた方がタメんなるよ〜?」
「ほら宮地、いつまでもぶすくれてねーで働け」
「…うるせえ」

健介さんの言葉に見やると、清志さんが不機嫌を露わにした表情のまま席を立ち上がった。
おもむろに腕を引かれたかと思うと、突然襲った浮遊感と視界の高さに、思わず清志さんの肩にしがみつく。
彼が肩と脚に手を回してきて、軽々と私のことを抱き上げたのだ。

「…っわ!え、あのっ、清志さん?」
「暴れたら落とすぞ。いいから大人しくしてろ」
「宮地ってば、おっとこまえ〜」

茶化すように言いながら、隆平さんは清志さんについてくるようだ。
私の部屋に行く気満々の二人に何か言おうと思ったけれど、肩越しに目が合った健介さんが困ったように笑ったので、口を閉じた。
これ以上わがままを言って困らせてはいけない。
そんなことはお構いなしに大股で歩いていった清志さんが、私の部屋の前で立ち止まった。

「名前、勝手に入んぞ」
「男がぞろぞろと部屋に入っちゃってごめんね〜」
「…それはいいです、別に」

私だって彼らの部屋に入ったことがあるのだから、お互い様だ。
ベッドに下ろされた私に体温計を手渡して、隆平さんが言う。

「たぶん風邪だと思うけど、あまりひどかったら病院つれてくよ〜。頭痛とかある?」
「いえ、平気です。ちょっと意識がぼんやりして、暑いなってくらいで」
「熱上がってんのかな?とりあえず冷やすもの用意しよっか」

てきぱきと動き始める隆平さんに反して、清志さんは手持ち無沙汰な様子だった。
二人がかりで面倒を見てもらうほどではないと言いたかったけれど、体温計が示した数字に言葉を飲み込んだ。
確かにこれは、安静にしておいた方がいいかもしれない。

「宮地〜、突っ立ってないで何かしてくんない?」
「…春日、オレは何すりゃいいんだよ」

その言葉に私と隆平さんは顔を見合わせてから、清志さんをじっと見つめてしまった。
本当に何をすべきか対処に迷っているらしい彼は、こういう状況に不慣れなのだろう。
いや、むしろ看病が板についている健介さんと隆平さんの方がすごいのだ。
一瞬ぽかんとしていた隆平さんが、私のそばを離れて清志さんの肩をぽんと叩いた。

「じゃ、宮地は名前ちゃんのおでこ冷ます係ね〜」
「は?」
「タオルとか氷とか持ってくるから、その間よろしく」

至極楽しそうに、私が反論するよりも早く隆平さんは部屋を出ていった。
取り残された私たちの間に沈黙が訪れる。
ちらりと見やった清志さんの顔が至って真面目で、私は慌てた。

「あの、隆平さんの冗談ですからね?」
「…わかってっけどよ、他にすることねーんだよ」
「い、いいです遠慮します!」
「はっはー、なに本気で拒否ってんだ?大人しくしてねーと轢くぞ」

ベッドの隣に座り込んだ彼の視線に、私は言葉を詰まらせた。
脅すような物言いはしても、清志さんは確かに不安そうに気遣いの色を瞳に滲ませていたからだった。
少しためらったように大きな手のひらが伸びてきて、重さを感じさせない手つきでふわりと額に乗せられる。

「…こうか?」
「…たぶん」
「本当に熱いんだな。…大丈夫かよ」

ふと声を低める清志さんに、私は気恥ずかしくなった。
こんなに優しく触れられたことが今までにあっただろうか、なんてことを考えないと落ち着けない。
ひんやりとした手のひらに額を覆われるのは気持ちよくて、軽く目を閉じる。
そんな私を見て清志さんが小さく笑ったのがわかった。
同時に、遠くで扉の音がしたのも。

「ぷ、本当にやってるし…」
「…なんか言ったか、春日」
「いや、なーんも。続けて続けて」
「続けるかバカ。さっさと氷水よこせ」

戻ってきた隆平さんの手からタオルを引ったくって、清志さんが不器用な手つきでそれを氷水に浸した。
額にあった優しげな感触を少し名残惜しく思っていると、不意に隆平さんが距離を詰めてきた。

「ね、戸惑ってる戸惑ってる。あんまり見られないよ〜?こんな宮地は」

珍しいものでも見るように隆平さんはひそひそと囁くと、するりと私から離れていった。
そのまま清志さんの方へ近づいていって、何やら話している。

「もっとしっかり絞らないと〜。名前ちゃんを水浸しにするつもりなの?これじゃ風邪悪化するって〜」
「じゃあお前がやれよ」
「よこせっつったのは宮地じゃんかぁ」
「春日がチンタラしてっからだろ!」

二人の言い争いを止める気にもなれず、布団を少し引き上げた。
どんな状況でも変わらず賑やかな様子の彼らを見ると、元気が出るような気がしてくる。
この感謝の気持ちは元気になってから伝えようと決めて、隆平さんと清志さんを微笑ましい気持ちで眺める。
二人がお粥を運んできた健介さんに、「病人ほったらかしにしてんじゃねえ!」と怒られていたのが面白かったことは、内緒だ。

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