!微エロ注意


トントン、と壁の向こうに階段を駆け上がる一人分の足音が聞こえる。お、帰ってきたな。口元を綻ばせると、今度はドアがすこし乱暴に開かれた。ガチャン、バタン!うあーさみぃ。確かに今日は冷える。彼と一緒になだれ込んできた寒風は、ドア一枚隔てたリビングの室温まで下げてしまうほど二月という季節を感じさせた。今日の堅治くんは、きちんと靴を揃えてきてくれるだろうか。そうだなあ。たぶん、この寒さに耐えきれなくて、きっと散らかしたままだろうな。おたまをくるくる回しながら、そんなことを考える。リビングのドアが開けられ、肩がぶるりと小さく震えた。

「ただいまー。あー腹減った」
「おかえり。ほら、手洗ってきて。ご飯もうすぐできるから」

ぐるぐる巻かれたマフラーを、堅治くんはせわしない手つきでほどいていく。わたしが去年、あげたやつ。ブランドものでもなんでもないごく普通のマフラーだけど、大事に使ってくれてるのがうれしくて見る度に顔がにやけてしまう。そんな気味の悪い表情を浮かべるわたしに堅治くんは「うおっBBAがニヤついてる」そんな不愉快極まりない言葉を投げつけて洗面所へと消えていった。BBAいうな!彼が消えた方向に怒声を飛ばし、まずは脱ぎ捨てられた上着とマフラーをハンガーにかけ、カバンを寄せ、それから玄関に向かう。リビングと温風の行き届かない廊下とでは温度差があまりにも激しくて、体内の熱を根こそぎ持っていかれそうだった。玄関には隅っこでお行儀よくしてる通勤用のパンプスと、お構いなしに散らかされた堅治くんのスニーカー。当たりだ。しょうがないなあ、そう独りごちて靴を揃えると、すぐにリビングへと踵を返した。さむいさむい。
成人して早ウン年のBBAと大学生の堅治くん、わたしたちがここで半同棲して何ヶ月が経つだろう。もともとこの部屋はわたしが社会人になると同時に移り住んだ場所で、そこへ彼氏の堅治くんが転がり込むようにやってきたのだ。一緒にいると、五歳の年の差を感じる機会はすごく多い。たとえば、こんな話を例に持ち出すのはいかがなものかと思いますが、若い堅治くんはどんなにバレーの練習で疲れていても、日に二回はセックスを求めてくる。とか。むしろ疲れていればいるほどセックスは激しくて、翌日のわたしの腰ときたら本当にBBAとしか云いようがない。事に及ぶのが厭というわけじゃないし、気持ちいいことは勿論いいんだけど、堅治くんにババアババアからかわれるのも非常に癪でして。けど、そうやって悪態をついても彼はわたしの傍にいてくれるから、彼がいなくなるなんて想像もつかない。

「ナマエー」
「なあに。甘えん坊堅治くん」

鍋を覗き込むわたしの腰に手を回し、背後からぴたっと抱きついてくる堅治くん。火使ってるから危ないよ。やんわりと注意しても、彼がそこから動く気配はない。そうして肩に顎を乗せられ、それが妙にくすぐったくてつい笑みが零れた。もう、しょうがないなぁ。微かに残る汗の匂いと制汗剤の爽やかな匂い。こんな風に密着されて実は興奮しちゃってますなんて悟られたくないから、ごまかすようにそう呟いた。

「そういえば今日スーパーで鎌先くんに会ったよ」
「マジで?鎌先さんひとり?」
「ううん。お母さんと一緒だったよ」

お母さんというわたしが発したワードに堅治くんはブフッとオーバーなくらい吹き出し、あの人まだ彼女いないんだーかっわいそーと憐れみというよりかは心底バカにしたような言葉を洩らす。たまたまお母さんと一緒だっただけかもしれないよ?鎌先くんカッコイイし、彼女いそうに見えるけどなぁ。菜箸で人参の固さを確かめていたらすこしの間を置いて、ふーん、なんてさっきは笑っていた彼のちょっと不機嫌そうな声が耳に伝わった。人参、まだちょっと固いな。もう少しか。

「ナマエ、鎌先さんのことカッコイイって思うんだ」
「え、うん。カッコ悪くはないと思うけど。あ、ひょっとしてヤキモチ?やだー照れちゃう」
「ちげーし。BBAの勘違い」
「また云った!もー堅治くん嫌い!」

BBAって言葉、冗談でも傷つくんだからね。反抗するようにふいと顔を背けたら、腰に回されていた堅治くんの手がわたしの肩をぐっと掴み、強制的に彼の方を向かせられる。目と目が合わさって、堅治くんは意地の悪い笑みを顔に張り付けた。吐息がかかって、恥ずかしさから目を瞑りたくなる。

「俺のこと、嫌いなの?」

堅治くんはずるい。わたしが本気で云ってないことくらいわかってるくせに、そうやってわたしから年上の余裕を取り上げて、いたずらに心をかき乱すのだから。ねえ。嫌いなの?俺のこと。堅治くんはもう一度、同じ問いを口にした。き、嫌いじゃないよ。じゃあなに?う、えっと……すき、です。すると今度は、大層満足したように恵比寿顔でわたしを抱きしめる。堅治くん、火、止めないと。火事になっちゃうよ、堅治くん。唇を塞がれて、言葉は紡げない。重なって、離れて、また重なる。堅治くんの舌はまるで別の生き物のようにわたしの口内で蠢いて、逃げるわたしのそれを容赦なく捕らえた。捕らえて、淫猥に絡み合う。初めてしたときも思ったけど、堅治くんってば年下なのにキスがうますぎて、きっと経験豊富なんだろうなとかしたくもない悲しい想像を膨らませるのだ。堅治くんはなんにも悪くない。ただ、わたしが自分勝手に妄想してるだけ。勝手に妄想して勝手に落ち込んで、救いようがない。

求めるだけ求めてふと唇を離した堅治くんは、おもむろに訊ねてきた。ナマエ、今日なんの日だかわかる?

「堅治くんの誕生日は11月でしょ?」

わたしの誕生日でもないし、話題の鎌先くんの誕生日……なんてそもそも知らない。なんだろう。記念日?堅治くんが頑張って親知らずを抜いた日?うんうん唸っていると、仕方なさげに溜息をつかれてしまった。

「今日はバレンタインだろ」

ほんと、ナマエはそういうの疎いんだから。堅治くんはいささか呆れ気味に肩を竦めた。バレンタイン。そうだよ。マジですか。マジです。卓上カレンダーに慌てて視線を飛ばすけど、今日が14日だということを知らないイコール昨日が何日かもわからないというわけで。今度はスマホのホーム画面で日付けを確かめる。2月14日。ほんとだ。バレンタインだ。

大人になって、家と会社の往復を繰り返すようになると、曜日感覚がなくなることはしばしばあったけど。考えてみれば、今月に入ってからのわたしの記憶はほとんどないかもしれない。いつの間にか二月になっていて、いつの間にかバレンタインになっていた。どうしよう。チョコレート、用意してないや。冷蔵庫の中には、特売で安かった鶏肉とか野菜しか入っていない。過去にも同様の誤ちを犯してしまった前科を持つわたしに、よもや期待なんてしていないとは思うけど。でも、イベント毎にはそれなりに乗っかりたかったな。せっかくこんな素敵な彼氏がいるんだもん。
すると堅治くんはコンロの火を止め、わたしをリビングに押し倒した。え、ちょっと待って。胸を押してその行為を制止しようという試みは、彼に両腕を拘束されたことで虚しく終わってしまう。頭の上で容易にまとめ上げられ、わたしを見下ろす熱を帯びたその眼に激情を避けられない。

「チョコレートなんて最初から期待してなかったから安心して」
「ぐっ……すいません」
「まあ、よくあるセリフかもしんないけど」

ナマエちゃんをいただきます。
堅治くんは口角をつり上げ笑うと、もう一度わたしの唇を塞いだ。堅治くんのその、意地悪で、やらしくて、カッコイイ笑い方がたまらなく好き。きっと堅治くんもわかっててそんな顔をするんだ。本当に、ずるい男の子。こうなると、いよいよわたしの中のスイッチも完全にオンへと切り替わってしまい、腕を解放してもらうと堅治くんの首の後ろに手を回した。

「俺、基本的に甘いモンそんな食わねーし。チョコレートよりもナマエを味わいたいってことで」

唇を離してそう云うと、わたしの返事なんて聞こうともせず、またキスの嵐を降らせた。やがてそろそろと耳の中に舌がねじ込まれ、部屋着の上から胸をやさしく愛撫される。そのすべてに素直に反応してしまうわたしに、カワイイと声を洩らす堅治くん。あとはただ、快楽の海に溺れるだけ。そうだよね、堅治くん。


20150209 BD企画二口ver

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