その場しのぎでも構わないから

憧れの人がいた。同時に、その人のことがすごく好きだった。ひとつ上の先輩で、ナマエさんという人。女バレのマネさんだったから、俺は同じバレー部であることを利用してことあるごとに話しかけた。そうやってちょっかいを出す度に岩ちゃんが後頭部を狙ってきたけど、そのとき見せるナマエさんの心配そうな、だけど愉しそうな顔がなによりも好きだったから、その表情を独り占めできるならサーブをぶつけられたって痛くも痒くもない。ていうのはうそで、実際はもうめちゃくちゃ痛かったけど、ナマエさんの笑顔と引き替えならなんてことはなかった。芯が強くて、一生懸命で、男の俺らよりも逞しい一面を持ってたりもして、あと笑い顔は世界で一番かわいい。世界中どこ探したってこの人に勝てる女の人なんていない。ナマエさんはそんなたくさんの魅力を兼ね備えた人で、憧れてもいたし、とにかく好きだった。中高生に人気のラブソングにあるような、そんな気持ち悪いくらいピュアな恋愛だったと思う。

「なー及川」
「なに。あ、今着替えてるからこっち見ないでね」
「女子か、きもちわりーな。それよりお前がよく喋る女バレのマネさん、ウシワカと付き合ってるらしいぜ」

あの日、制服に着替えながら何の気なしに突きつけられた岩ちゃんからの一言に、俺はかなりの衝撃を受けた。たぶん、今まで生きてきた自分至上一位、二位を争うくらいの衝撃的事実。え、うそでしょ。平静を装ったつもりだけど、岩ちゃんは気づいていたかもしれない。え、まじかよ。俺としては、それなりにイイ感じだと思ってた。よく喋るし、目だって合うし、フィーリングでなんかイケるかもとか舞い上がってた。それが、よりによってあのウシワカだなんて。なんでだよ。目の前にこーんなイイ男がいるのにさ。ナマエさんはひどい人だよね、本当に。すう、と目の前が真っ暗闇になったあの感覚を、今でもよく覚えてる。

三年になってぼちぼち進路を意識し始めたとき、俺は迷わず青城を選んだ。それ以外の選択肢なんて頭になかった。もちろんバレーを続けるからっていうのが大前提にあるけど、ナマエさんがそこにいるから、そんな不純な動機がなかったと云えばうそになる。岩ちゃんの進む先も当たり前のように一緒で、そんなに俺のこと好きなんだねーって冗談云ったらその瞬間頭突きされた。痛いお嫁に行けなくなる!でも、岩ちゃんと一緒にまたバレーができると思うとそれも嬉しい。

「ナマエさん」

一年後の春、危なげなく青城に入学した俺は、すぐにナマエさんを発見した。凛としたオーラはより一層濃くなったようにも感じられて、それがどこか近寄りがたいような印象を抱かせる。でも、俺に気付いて笑うそのやさしい表情はあの頃となにも変わっていなくて、なんかちょっと一安心。

「及川くん、また大きくなった?」
「そりゃもー、育ち盛りですから」
「そうだよね。なんか式のとき友達が騒いでるからどんなイケメンが入って来たのかと思ったよ」

及川くんなら納得しちゃうな。嬉しいような、複雑なような、ナマエさんの間接的な褒め言葉。それでも俺はウシワカに負けたという現実を噛み締めれば、どうにも納得がいかなかった。俺はね。

「ナマエさん高校でもマネージャーやってるの?」
「ううん。いまは美化委員を頑張っております」
「はは、なにそれー」
「花壇の水やりしてるの見かけたらよろしく」

そんな風によろしくされれば行かないわけないのに。花が咲いたみたいなかわいい笑顔に柄にもなく胸が締め付けられて、自分でもきもちわるって思った。それからまだ好きなんだなーってのを厭というほど思い知らされたけど、ウシワカとは順調なのかとか、肝心なことにはちっとも触れられなかった。俺って根性なし。


「ナマエさんみっけ」
「及川くん」

憂鬱になることも多かったけど、週一の練習休みがナマエさんの水やり担当の日だって知ったときは、これはいよいよ運が向いてきたなって喜びのあまりガッツポーズをかました。ながっぴろい花壇の花、ひとつひとつに新鮮な水をやる。丁寧に、丁寧に。時々、きれいな虹がかかる。花の名前なんて知らないけど、 水を与えられて生き生きしてるのがわかった。あ、そっか。ナマエさんは突然口元を綻ばせ、俺は首を傾げる。花と向き合う姿勢はそのままに首だけをぐりんと動かし、俺を見上げた。

「今日は、及川くんに会える日なんだって思って」

まるで、俺が来てくれるのを待ってたみたいな、そんな云い方。そうやって嬉しそうな顔して、笑うから。くっそー、そういうのズルい。完全にもっていかれてしまって、うまく返事ができなかった。なんなら俺、いつだって飛んで行くよ。ヒーローみたいに、ナマエさんのピンチや辛いときには駆け付けるよ。ウシワカよりも、俺の方が。そう、口にできたらいいのに。

「花も幸せっスね。ナマエさんにこうやって水やりしてもらえて」
「そうかな。でも最近自分の担当日じゃない日も気になってね」
「ナマエさんまっじめー」
「それしか取り柄ないからなぁ」

今日はあいにくの曇りだった。予報だとこれから雨が降るらしい。花にとっては恵みの雨で、だから今日なんかこんなくそ真面目に水やりしなくたっていいのに。この人は、それしか取り柄がないからと云って、仕事を怠らない。それしかじゃないよ。それが取り柄だ、って自分で云い切れるのはいいことじゃんか。それに長所なら俺、たくさん挙げられるよ。ナマエさんの顔色は、あんまり良くなかった。具合悪い?って聞いたら、大丈夫、ちょっと頭痛いだけだから、だって。

「本当にそれだけ?なんか悩みとかないの?」
「どうしてそう思うの?」
「いつもナマエさんのこと見てるからね〜俺の目はごまかせないよ」
「こらこら。またそんな冗談云って」

ナマエさんはからからと笑った。笑ってはいるけど、きつそうでなにかを堪えているように見えるのは変わらない。冗談じゃないんですけどね。でも神妙な面持ちで喋れば困っちゃうデショ。たまには困らせてやりたいって思わなくもないけど、いまはそのタイミングじゃない気がするから。だから今日はしない。

「及川くんは嬉しい?もしわたしが、及川くんにお水をあげたら」

曇り空は翳りを増し、冷たい風がいたずらに顔に張り付く。たぶんちょっと、まぬけ面してたかも。だしぬけにそんなことを聞かれたもんだから、一瞬たじろいでしまった。

「当たり前じゃないっスか〜ナマエさんに水やりしてもらえたら育つ育つ」

どこまでも大きくなっちゃうよ〜なんて冗談ちっくに(気持ちは本気だよ)返したら、ナマエさんの反応はただ一言、ありがとう。結局ごまかされるから核心には全然触れられなくて、今日はそのまま終わった。終わりたくはなかったけど、終わった。

「こんにちは、及川くん」

日増しに元気がなくなっているように映った。いつもナマエさんの姿を追ってる俺の目に狂いなんてあるはずない。それでもナマエさんはいつもみたく笑うし、会話もしてくれるし、たぶんそうやって、この人はこの人で取り繕おうとしてる。無理してるなって、すぐわかった。 どうしたのって云ったって、どうせまたはぐらかされるだろうことも。そういや、ウシワカちゃんとはうまくいってんのかな。

「ねー及川くん」
「あの、さ」
「もし彼女がバレーとわたしどっちが大事なの?なんて云ったら……やっぱり困るよね」

翌日の朝練で、岩ちゃんはまた何の気なしに云った。

「ウシワカと別れたってよ。すげー喧嘩してたって」
「……ふーん」

あの人は聡明だ。そもそもバレーボールと恋人というジャンルの違う存在を天秤にかけるその考え方がおかしいことくらい、わかりきってるはずで。それでもあの人にそう思わせ、なおかつそう口走らせてしまうだけのすれ違いや埋められない溝が生じてしまったんだろう。それはきっと、ウシワカの不器用さが招いた結果でもある。第三者の俺には、知る由もないことだけど。

「……俺だったらもすこし器用にやれるのに」
「あ?なんか云ったか?」
「べっつにー」

素早く着替えて、コートに向かう。振り払っても振り払っても、頭はナマエさん以外のことを考えられない。

その日の昼休み、7組の女の子たちに捕まってようやく自分の教室へ戻ろうってときに、花壇に佇むナマエさんを見かけた。今日は担当の日じゃない、だけど二階の廊下から捉えたその姿は、間違いなくナマエさんのものだった。

「手伝いましょーか」
「え?なんだ、及川くんか」

いなくなっちゃわないように。花壇までの道のりをひた走ると、ナマエさんはびっくりした顔で俺を見上げた。アーモンド型のきれいなガラス玉がおおきく見開かれて、そこに俺が映り込む。

「……もし」
「え」
「俺がナマエさんに水をやったら、喜んでくれる?」

この前と逆の質問。ただ俺に救えたらってだけの話。振り回されても、別に構わない。

「ほしいって云ったら……くれますか?」

及川くん。ナマエさんは眉を下げ、泣き出しそうな顔で笑った。もちろん、よろこんで。俺は立ち上がったナマエさんの体を引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。

あなたのやさしさを享受していたい

20141231

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -