触れたのは甘いあなた

牡丹雪がしんしんと音もなく降り積もり、いたずらのように辺りを白くしていた。冷たく粒立った空気は、爽やかな陽光を孕んで冴え返っている。来る今日、12月24日は云わずとしれたクリスマスイブだが、こんな一年に一度の聖なる日にナマエがしていることといったら、酒をあおりカーペットにひっくり返っていることだった。まさに暖房いらずのアルコール。そんなものに頼らずとも、彼女の体はむしろ暑すぎるくらいだ。脚の短いガラステーブルには、立ち上げられてこそいるものの活動を始める気配の感じられないノートパソコンと、渇いた喉を刺激する黄金色のパッケージの缶ビール、の空になったものが一つ、二つ、バランスを崩して横たわっている。そして肴には、さきいかとミックスナッツ。太陽が天頂を経過したばかりのこの時間からへべれけになっている年頃の女も、全国探したってそういないだろう。一見して完全なるダメ人間である。

「あ〜わたしもリア充したかった」

彼氏持ちのナマエにとって、今日は決してありがたい休日とはならなかった。自分は平日休みが多く、恋人はカレンダー通り動く人。なおかつプチ遠距離となれば、逢いたくても易々とは逢えない。一歩でも外へ出ようものなら、カップルや家族の幸せ全開オーラに呑み込まれることは間違いなく。そんな中買い物したところで、とても楽しめるわけがない。となれば、彼女にはこうして自室で飲んだくれるという選択肢しか残されていなかった。

日頃の疲れが解消されていないこともあってか、寝転がった途端に睡魔がのしかかってくる。先程まで退屈しのぎに観ていたラブストーリーの映画はエンドロールが流れる最後の最後まで凡庸すぎて、ナマエの心に一切の響きももたらさなかった。ふうう、喘ぐように酒臭い息をつき、瞼は眠たげに眼球を覆う。大体にして日本人の多くは仏教徒なんだから、クリスマスなんてキリスト教の行事関係ありません!そう悪態をつきたくもなる、なんと寂しいイブだろう。

「(仕事中だよね……)」

映画の再生を止めたテレビからは音が消え、室内は妙に静かだった。時計の針が進む音でさえ、ナマエの耳には届かない。窓枠に四角く切り取られた空は徐々に曇り始め、暖房のついていない部屋にもまた、寒さが走る。 ストーブを点けるのも億劫になっていたナマエは、そのままお腹を波のようにうねらせ、眠りに落ちていった。孝支、愛しい恋人の名を呟いて。

▽▲▽

ナマエ、ナマエ。誰かが、名前を呼んでいる。遠い意識の向こうで、ナマエはちいさく揺さぶられていた。優しくて、あったかくて、胸を締め付けるその声。聞き慣れた、彼の声。逢いたいという欲求が溜まりすぎて、夢にまで見てしまっているらしい。あーあ、この幻が現実だったらいいのに。瞼の裏側で、ナマエはぼんやりと想いを馳せていた。逢いたいよ。今すぐ孝支に逢って、ぎゅーってしてほしい。何もいらない、ただ一緒にいられればそれでいいのに。ナマエ、ナマエ、ナマエ!揺さぶりは、どんどん強くなっていく。ナマエは無意識のうちに顔をしかめた。

「こら、ナマエ!」

激しい揺さぶりに引き戻される意識。重たい瞼を押し上げ、ナマエの瞳に映し出されたのはいるはずのない恋人の姿だった。しかも少々、ご立腹のようだ。ナマエは上体を起こし、菅原のつり上がった眉に視線を飛ばす。ストーブが点けられた為だろう、彼女の肌は先程までとは違う暖を感じ取っていた。窓越しの、日没が早い冬の空は、慌ただしく夜の準備に入っている。まったく、せっかちな夕暮れだ。

「またそんなかっこで寝て!風邪引いたらどうするんだよ」
「え……ていうかなんで孝支がいるの?」
「仕事終わって飛ばしてきた。今日はクリスマスだろ?」
「え。うん、そうだけど」

そうだ。今日はクリスマスだ。けれど、寝ぼけているせいか、はたまたアルコールのせいなのか、状況がいまひとつ把握できない。サプライズで自分に逢いに来てくれた、それだけのことを。
菅原が着ていたと思われるコート、マフラー、それからスーツのジャケットは丁寧にハンガーにかけられ、二人を見下ろしていた。確かに、格好からも仕事帰りだということは窺い知れる。テーブルの上に散らかっていた缶ビールはいつの間にか片付けられており、部屋中に食欲を誘ういい匂いが立ち込めていた。ワイシャツの袖を捲り上げる菅原のその背後に、独り暮らしサイズの小さな鍋がぐつぐつと煮え立っているのが見える。考えてみれば今日、肴くらいしかまともに食べていない。ナマエが思うよりも早く、きゅるるる、と腹の虫は聞いたこともないような鳴き声を上げた。赤面する彼女に、菅原の身体中が笑いで溢れる。

「ほら、ちゃんとご飯食べないから」
「う…ごめんなさい」
「待ってて、いまご飯作って」
「孝支〜!」

ナマエが無遠慮に抱きつけば、その勢いに負けた菅原はカーペットに押し倒されてしまう。背中に走る、鈍い痛み。けれど、そんなの関係ないとばかりにナマエはしがみつき、まるでだっこから下ろされるのを厭がる甘えたな子どものような姿で、菅原の温もりを吸収し続けた。そんな彼女の頭を、菅原は優しく撫でてやる。きかない子どもをあやすような、そんな手つきで。多少酒臭いのは、目を瞑ることにしよう。

「逢いたかったよ〜寂しかったぁ……」
「なしたの、今日はやけに素直じゃん」
「素直なわたしじゃだめ?」
「だめじゃないよ。だめじゃないけど、なんか照れる」

ストレートな感情表現に弱いのか、頬に含羞の色を浮かべる菅原。彼もまた、ナマエの温もりを体いっぱいに吸い込むように、頭を撫でるその手を彼女の背中に回した。愛しい人はここにいる、それをしっかりと確かめるかのような姿だった。

「ナマエ、メリークリスマス」
「メリークリスマス、孝支」

今にもふき溢れそうな鍋は、早く火を止めてとしつこく叫んでいる。男の自分には、見た目も綺麗で手の込んだ、クリスマスの食卓を豪華に飾るご馳走なんて作れないが。数時間後、自分の仕込んだ演出にナマエはどんな顔をして喜んでくれるだろう。冷蔵庫の中で眠っている安物のシャンパンとクリスマスケーキ、そしてポップでカラフルなマカロンたち。その中のひとつが、マカロン型のリングケースだということに気付いたとき。ナマエの恵比寿顔を想像し、菅原は口元を緩ませた。

「孝支、明日は?」
「伝家の宝刀、有給休暇」
「え、ほんとに?」
「ほんとほんと。ナマエは明日も休みだったよな。明後日からきっついけど、まあなんとかなるべ」
「やったーじゃあ明日も一緒にいられるね」


20141230 過ぎちゃったけど!

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