カランコロンと氷たちの踊る音がする。狭い店内は、パンパンに膨らんだレモンの粒が弾けたように賑やかで、そんな些細な音に一々耳を傾けているのなんて、きっとわたしだけ。むしろうるさいくらいだけど、ここは居酒屋だし、みんな結構出来上がっちゃってるし、まあしょうがない。
持ち上げた細長のグラスの中でカナリア色の海が大きく波打つと、その向こう側に、せわしなくお喋りを続けるサーモンピンクの唇がぼんやり映った。

「ナマエちゃん、すごい綺麗になったね!」
「うんうん。なんか大人っぽくなったっていうかさー」

成人式から早数年。クラス会という名目でクラスメイトのみんなに会うのは随分と久しぶりだ。開催場所の居酒屋にはほぼ全員が集まっていて、それに比例するようにワイワイガヤガヤ、どのテーブルよりも活気に溢れている気がする。当時はそれなりに親しかった友人アキの言葉に、雑談に混ざっていた他の友人たちも口を揃えて頷いて。わたしはグラスを口に運び、返答をごまかした。「(大人っぽいっていうか、いい大人だしね)」喉を流れていくアルコールが、体を芯から熱くするのが分かる。誉められれば、それは単純にうれしいけど。今のわたしには、そう切り込まれたくない理由があった。そんな風に云われれば、二の句なんて簡単に予想できるからだ。

「で、先輩とはうまくいってるの?」
「付き合ってどれくらいだっけ?結構長いよね」
「え、じゃあそろそろ結婚とか考えてる!?」

矢継ぎ早に繰り出される言葉の勢いに尻込みしてしまう。自分も女だけど、女っていくつ歳を重ねても恋の話が好きなんだなぁ。アキたちなら、きっとこれでご飯三杯は軽くいけると思う。星の光を吸い込んだかのように瞳をきらんと輝かせる友人たちに、まあ、うん。どうかな。そんな歯切れの悪い言葉しか紡げない。確かに、年齢的には結婚のピークを迎える頃だし、わたしと彼は付き合いも長いし、先輩を好き好き云ってたあの頃の恋に恋する自分をみんな知っているから、この話題に触れられることは想定できたはずなのに。たぶん心のどこかで、みんなアルコールで気分が高揚して、遠い遠い意識の彼方にこの話題を置き忘れてくれることを期待していたんだ。事実みんなもかなり酔ってはいるようだけど、わたしの淡い期待は一瞬にして打ち砕かれてしまった。やっぱり、来ない方がよかったかなぁ。心の中に飼っている気が滅入る虫が突然動き始めて、地面に心臓が落っこちたみたいな、そんな感じ。アルコールを水の如く流し込み、わたしは強引に話題をすり替えた。アキたちの顔には不満の色がはっきりと浮かんでいたけど、標的が変わればほらまた、瞳は輝き、口元をほころばせるもの。

・・・・・・・・・

「ミョウジさん」

宴もたけなわ、クラス会はお開きになり時間を確認すれば、ここから駅まで約十分、まだまだ終電には間に合いそうだ。火照った頬に触れる夜風が心地好い。酔い醒ましをしながらゆっくり向かうつもりで居酒屋を出たわたしは、直後自分の名を呼ぶ声にくるりと向き直った。

「赤葦くん。どうしたの?」
「送っていくよ。俺飲んでないし」
「え?でも悪いよ。赤葦くん帰り遅くなっちゃうし」
「いいから」

突然そんなことを申し出たのは赤葦くんだった。赤葦くんとは昔も今も特別親しいわけじゃなくて、だから送ってもらう義理も理由もない。唐突すぎる出来事に、えらく素頓狂な声が口から飛び出てしまった。大体飲み会の間、赤葦くんとは一言も喋っていないし、それどころかわたしは赤葦くんがいつ来たのかも、スタートからいたのかどうかもうろ覚えだというのに。チャリ、と彼の手の中で車の鍵は存在を主張する。すぐそこに停めてるから、一方的にそう告げて歩き出した赤葦くんのその有無を云わさぬ雰囲気に、わたしも後を追うほかなかった。

・・・・・・・・・・・
赤葦くんの活躍は、テレビでも度々拝見していた。彼の努力と才能がいかに開花しているかは、バレーボール日本代表という誇らしい肩書きだけで十分窺い知れる。いま、こうして隣にいる彼が、堂々と世界を相手に戦っている。あの頃は、なんとも思わなかった。わたしにとって赤葦くんは、ただバレーボールが得意なだけのクラスメイトだった。それが今では、こんなにも雲の上の、日の丸を背負う人間になっていたなんて。
ゆるやかに動き出した赤葦くんの車。車内に漂う爽やかな香りが、彼らしいというか、スポーツマンであることを感じさせる。ぐんぐんと音もなく夜道を駆けて行っては、フロントガラス越しに連なる光の河の眩しさに、わたしはうっすらと目を細めた。このペースなら、思っていたよりも早く着きそうだ。そうして着実に家までの距離が縮まっていく最中、赤葦くんの車は真っ暗闇のショッピングセンターの駐車場へと進入し、無言で止まってしまった。

「ごめん。久しぶりだから、少し話したいと思って。時間大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」

一瞬、視線と視線がぶつかって、だけど赤葦くんはすぐに、前を向き直る。こうして見ると、やっぱりこの人ってカッコイイんだなって実感した。学生時代からさぞかしモテただろうけど、今とでは比べものにもならないかもしれない。それこそ女の人なんて選び放題じゃないかなって。頭も良い、顔立ちも良い、そしてバレーに長けている。二物も三物も与えられた赤葦くんは、羨ましいくらい恵まれた人間だ。

「赤葦くんは独り暮らし?」
「うん。多分ミョウジさんの会社の近く。ミョウジさんは?」
「いい歳して実家暮らし。お恥ずかしい」
「なんで?いいじゃん、実家にいられるの。俺もたまに家事が面倒臭くて実家に戻りたいときあるよ」
「そう。実家って楽だよね。でも赤葦くんは偉いなぁ」
「そんなこと……あるよ」
「はは、あるんだ」

前を向いたまま、赤葦くんは楽しそうに口元を歪める。その横顔に、ほんの少しだけドキッとしてしまった。エンジンを切った車内は、わたしたち二人の声がなければほぼ無音だ。あとは、シートが軋む微かな音くらいしかなくて、さっきまでのあの賑やかな雰囲気はどこにいってしまったのか。沈黙が気まずくて色々と思い浮かんだ言葉を口にしようとするんだけど、どうしてか声に出せずにいた。話の種ならいくらでもあるのに。不思議なシチュエーションに、結構緊張しているのかもしれない。

「さっき話してるの聞こえたんだけど」
「さっき?ああ、アキたちとの話かな」
「うん。ミョウジさんの、彼氏のこと」

わたしが聞き返したとき、なんとなく、赤葦くんも云いにくそうに唇を動かしていたから。その時点で、察しはついていた。多分、それが知りたかったんだろうな、ってこと。わたしは赤葦くんの方を見ずに、ふいに向けた視線の先にある街路灯を凝視した。この広い駐車場じゃ、いささか頼りなさげに照らしているようにも見える。

「別れたよ」

先輩とは五年付き合った。その五年は短いようで長くて、長いようで短くて、数え切れないくらいの想い出がつまってる。記念日も、イベントも、そうでない日も。そろそろかなって、結婚も意識していた。親や友人に報告できる瞬間を、呆れるくらい待ち望んでいた。それでも、それなのに、別れのときは一瞬だった。空を游ぐしゃぼん玉が弾けて消えるみたいに。一瞬で、積み重ねてきたものが崩れていった。泣く余裕なんて、どこにもなかった。

「今までの五年間、なんだったんだろ」

あーあ。馬鹿みたい。笑っちゃうよね。そう吐き出して、心を締め上げる。後は追わなかった。嫌だよ、とか行かないで、って泣いて縋りもしなかった。ただ、自尊心やつまらない意地のために、自分の感情をかなぐり捨てたの。これでいいんだ、って。わたしと先輩の関係なんて所詮その程度、いつかはこうなる運命だったんだ、って。物分かりのいい振りをして、傷口から目を逸らしてるだけ。もう恋なんてしたくない、そう思うくらい辛くて、本当は離れたくなんてなかったのに。

「あのさ、」
「うん」
「俺のこと利用したらいいんじゃない」
「え」
「って云ったら困る?」
「何云って……困るよそんなの」
「もし俺の気持ちがあの頃から変わらない、って云ったら?」

赤葦くんの気持ちに、実は薄々気付いていた。告白されたわけじゃないけれど、赤葦くんのその眼を見たらわかる。その眼の奥に浮かぶ、微笑みに似た柔らかな光。わたしの先輩を見つめる眼もきっと、同じだったから。でもあの頃のわたしには、彼の気持ちなんてどうだってよかったのだ。わたしには、先輩だけがすべてだった。だから赤葦くんはただのクラスメイトで、それ以上の興味なんてあるはずもなかった。そんなわたしの態度に、赤葦くんだってきっと気付いていたはずだ。それでもわたしにそう云ってくれるのは、赤葦くんの優しさが為せる術なんだろう。

「綺麗になった、ってみんなに云われたのね。ほら、女って恋をすれば綺麗になるってよく聞くけど、それだけじゃないんだって思ったの」

確かに、恋には人をより美しく、内側から輝かせる不思議な力が秘められている。けれど、恋に破れ痛みを知り、傷付いた分だけイイ女になる。そういう見方だってできると思うのだ。というよりも本当は、そう思いたくて自分の心に何度も云い聞かせていた。だってそうでもしないと、この哀しみの行き場が見当たらないじゃない。

「自分が辛い時くらい悪女になったっていいんじゃない?」
「わたしが悪女?ないない。だってなれると思う?」
「思えないね。でもミョウジさんが悪女なら転がされてもいいよ」
「あはは、何それ」
「俺は本気だけど」

赤葦くんの眼に、捕らえられる。獰猛な獣のように力強い眼差し。本気だけど、彼のその言葉が脳内で反芻して、ぐらりと目眩を起こしそうになった。赤葦くんのやさしさは、わたしを惑わす。そのやさしさに惑わされて、つい彼に甘えてしまいそうになる。そろそろと赤葦くんの顔が近付いてきて、わたしは反射的に彼の肩を押し返した。けれど今はただそうすることが精一杯で、だめ、と言葉で制止することができない。その視線から逃れる術を知っていれば、言葉で伝えることができたのに。今度は肩を掴んでいたわたしの手があっさり捕らえられ、赤葦くんはそのまま指を絡めてくる。本物の恋人のように温かいその手に油断して、泣きそうになってしまった。なんでそんなにやさしくできるのか、わたしには理解できないよ。こんなこと、だめなのに。

「あのさ、よく考えてみて」
「今、俺と二人きりの状況で、ミョウジさんに逃げ場なんてあると思う?」

再び、赤葦くんの顔が視界を奪うように迫ってきて。意地悪く笑う彼のその問いかけに、ないみたいだね、そう返したわたしの唇は、すぐに塞がれてしまう。

20141220

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