男性教師の抑揚のない声と、チョークがせわしなく黒板を走る音。午後イチバンの、現国の授業。前回の席替えで運良く窓側最後尾というベストポジションをゲットしたナマエは、ふと視界に映った眩しいほどの金髪に、シャーペンを動かす手を止めた。

「(謙也くん、寝てる……)」

机に突っ伏し、園児のようにたわいもなく眠っている謙也のその髪は、ほろほろとこぼれるような春の日差しの為であろう、一層キラキラと輝いており、集中力にいささか欠けたナマエの気を引くには十分だった。なにせいまは午後一番、睡魔もピークを迎える時間帯だ。なにせ隣は、意中の彼、忍足謙也。材料なんて、ふたつあればいい。ナマエは少し前屈みになり、謙也の寝顔を盗み見ようと試みるも、それはいとおしい彼自身の腕によってしっかりと、わずかな隙間もなく隠されていて、彼女のトライはものの数秒で諦めざるを得なかった。

少しだけ開放されたガラス窓。そこから入り込んでくる気持ちのいい四月の風が、日焼けのしていないクリーム色のカーテンをふっくらと揺らし、そうしてさらさらと首筋を撫でていく。周りを見渡せば、数人のクラスメートがこっくりこっくり舟を漕いでいて。あまりの気持ちよさに、自分の瞼もそろそろ負けてしまうんじゃないかしら。ナマエはちいさなあくびをひとつ、見つからないようこっそりと浮かべた。

(眠ってるときは、やっぱり静かだね……)
ナマエは謙也を見つめ、口元を綻ばせる。寝てもいれば静かなのは当たり前のことだが、この謙也の起きているときの喧しさといったら。四六時中あれだけ賑やかで、ムードメーカー的存在で、どこへいってもたくさんの人間を惹き付け、そして彼らに囲まれている太陽のような彼が、唯一静けさを保っていられる時間ではないだろうか。授業中に居眠りできるのが後ろの席の特権だとすれば、それをこうして観察できるのは、きっと隣の席の特権。ナマエは教師の動向を確認し、それからもう一度謙也に視線を向けた。
「(かわいいなあ……)」
好きな人のすることは、なんだってよく思えるもの。たとえ逆立ちだろうとフードファイトだろうと腹躍りだろうと、きっとこの謙也のすることなら、ナマエは喜び笑うだろう。ニヤついた口元を教科書で隠せば、ふぇっくしょん、今度は気の抜けるようなくしゃみが飛び出した。きっと風が運ぶ桜の匂いの仕業に違いない。ナマエはそう思いつつ、再び前を向くと、ポケットから取り出したティッシュで鼻をかむ。

もぞもぞ、と。
かすかに動いてみえた謙也の頭に、ナマエの視線はすぐさま彼の方へと戻される。けれども、下敷きにされたノートに押し付けられた寝顔は、やはり窺い見ることができない。一瞬でもいいから、こっち向いてくれないかなあ。寝顔、見たいなあ。なんて密に期待を抱いていると、日差しがいやましに降り注ぎ、謙也のその髪をより色鮮やかなものにした。

綺麗な金色に、ふわふわしたその頭。
さわりたい。そんな衝動に駆られ、ナマエは思わず手を伸ばした。彼の髪まで、あと、数センチ。


「――ミョウジさん?ちゃんと聞いとるか?」
「へっ?は、はい!」

迂闊だった。というか、まさかこのタイミングで注意を受けるなんて。まったく、間が悪いったらない。先生も、なにもいま名前を呼ばなくたって。す、すいません。ナマエは蚊の鳴くような声で謝辞を口にすると、縮こまり、黒板とノートを交互に見た。やばい、めちゃくちゃ進んでるし。教師の板書の早さに慌ててシャーペンを握ると、気のせいだろうか、隣から“ぷっ”だか“ぶっ”だか吹き出す声が。みれば謙也が、先程まであれだけ眠っていたはずの彼が、顔を伏せたままの状態で笑っていたのだ。え、謙也くん!?動揺のあまり、シャーペンはナマエの手から派手に抜け落ちる。その音で、教師の目が何事かと云わんばかりに再びこちらを向いたのに気付くと、ナマエは俯き加減にシャーペンを拾った。

「い、いつから起きてたの?」

ややして注意が逸れたのを確認してから訊ねると、“ナマエちゃんがくしゃみした辺りから”、謙也は顔を上げ、ニヤニヤと頬杖を突きながらそう答えた。あのときもぞもぞ動いたのは、目が覚めたからだったのか。
続けて彼は云う。

「ナマエちゃんが俺の髪触ろうとしたのも、ばっちり見えとったで」
「えっ、あ、それは、」
「ええよ」

云い訳を述べるより早く、ぐい、と突然腕を引かれる。その腕は、謙也の頭へ。その手は、真綿のようにふわふわした彼の髪に触れていた。まるでブリーチの傷みを知らないような、見た通りの柔らかな髪。そうさせているのは、他の誰でもない謙也なのだが。いま、自分の身に起きていることがナマエにはよく理解できない。しかしいま、教師の注意が再びこちらを向くかもしれないという、油断ならない状況だということはしっかりと把握していた。

「ナマエちゃんだったらええよ。好きなだけ触っても」

その言葉の意味と、射抜くような謙也の瞳、そしていままで呼ばれたことのなかった“ナマエちゃん”という呼び方。春という心躍る季節に、ナマエの心はむしろ甘酸っぱい痛みすら感じていた。


20140208 花畑心中
カッコイイ系謙也を目指したい

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