ジメジメした梅雨のイヤ〜な時期に突入するとともに、制服も冬の学ランから夏のワイシャツへ、所謂衣替えっちゅーやつが行われた。学ランもええけど、このワイシャツのラフ&爽やかさ加減も中々のもんやな、とたかだか纏うものひとつ変わっただけのことにテンションを上げつつ、なにせ俺は浪速のスピードスター、自慢の脚力をもってして学校へ向かっとった。ぐんぐんぐんぐん早送りのように生徒を追い抜いて、門前で昨日思い付いたネタを披露して、昇降口で上履きに履き替えて、ゴールはもう目の前や。他のやつにぶつかってまうから、一応少しは減速しとこ。まあ、ほんまはそない急がんでも時間ギリギリとちゃうねんけどな。むしろ余裕ありまくりっちゅー話で。理由があんねん、理由が。

「おはよう忍足くん」
「お、おはようさん」

窓の向こうには、てまり形の姫紫陽花がいくつも瑠璃色の綺麗な花弁を覗かせとって、どんよりした雨空と季節の花を背景に、ミョウジさんは目笑しながら挨拶をしてくれた。ミョウジさんとはこの間の席替えで初めて隣になって、今までは挨拶程度だったのが、隣の席の特権とでも云うんやろか、結構言葉を交わすようになったんや。同じクラスに所属しておきながら、あんま話したことがなかってん。話したくても挨拶以外の話題をうまく切り出せへんし、白石の「めっちゃ気がきくしええ子やで」っちゅー俺は彼女のことよう分かってます的な言葉に内心イラッとしたりして、とにかく駄々滑りの空回り。それが席替えをした今では“ミョウジさんはええ子や”って確実性をもって周りに教えられるくらいには、彼女を知ることができた……と思っとる。ええ子やし、彼女から漂うゆったりした、誰にも乱されへんマイペースな雰囲気は、スピード重視の俺にはかえって落ち着くねん。N極とS極がぴったりくっつくみたいな。俺がNならミョウジさんはS。それはそれは居心地がええ。

ガタンと音を立てて椅子を引き、少しくたびれた様子のカバンを机に寝かせる。ミョウジさん、何しとったんやろ。彼女の机の上には、黒地に白の水玉模様のカバーがかけられた、彼女のもみじ形の掌には大きすぎるスマホがひとつ。ちなみに、電話番号を聞くまでにはまだ至ってへん。そのあたりはスピードスターの風上にもおけへんな、と自分でも情けなく思う。思うけど、ナチュラルに聞き出せへんのや。その点白石はえらいスマートやけど、あいつの場合スマートすぎて逆にキモいねん。その年でそこまで手慣れとったら将来どこまでいくんか末恐ろしいわ。

「あれ、忍足くん?」

腰を下ろした俺の、胸元ら辺を一瞥すると、ミョウジさんは徐に顔を近付けてきた。え、ちょっ、なに!?案の定荒ぶり出した俺のことなどお構いなし、ミョウジさんの温顔は依然として至近距離にあるままで。せやけどそれをええことに、俺は盗み見っちゅー所業に及んだ。頭のてっぺんから、賢さを物語る広いおでこ、ちょっとだけ眠たそうな奥二重の瞳、透明感のある肌、わざとらしさを感じさせへんアヒル口。彼女が間近にいることへの緊張と、彼女を誰よりも間近で見つめられることへの優越感で頭の中が若干わちゃわちゃしとったら、やっぱり、ミョウジさんはそう呟いた。

「ボタン取れかかってるよ。ほら、ここ」

軽く摘ままれた第2ボタン。いつも外しっぱなしやったから全然気付かんかってんけど、確かにボタンがゆるゆるの取れかけ状態になっとった。すごい。ミョウジさんの観察力すごいわ。すると、またしてもミョウジさんは徐にカバンのチャックを開け、ガサゴソという擬音がしっくりくる手付きで何かを探し漁り、そんで目当てのものが見付かったんか、すぐにカバンの中から手を引っ込めた。机に置かれたんは、リラックマの顔の形をした小さな缶。飴ちゃんでも入っとるんかな、俺はミョウジさんの挙動を窺う。

「忍足くん、脱いで」
「は……ええええ!?」

なにその急展開!ぬ、脱ぐってここで!?人いてるのに!?投下された核爆弾級のとんでもない発言に俺は勢いよく立ち上がり、弾みで椅子がひっくり返ってもうた。

「ボタン直してあげるよ。あ、下にシャツとか着てるよね?着てなかったらいいけど…」
「あ……そういうことか」
「え?なにが?」

不思議そうに目を真ん丸くさせるミョウジさん。俺はなんでもあらへん、と羞恥のあまり蚊の鳴くような声で返すと、倒してもうた椅子を立ち上がらせ、彼女の好意に甘えるべく、シャツのボタンに手をかけた。まあ、普通に考えたらそうやんな。俺、どんだけアホやねん。リラックマさんの中身は携帯用ソーイングセットらしい。ミョウジさんの女子力の高さには驚きや。脱いだシャツを渡して再び着席すると、ミョウジさんはさっそくボタン直しに取り掛かる。その手際のよさにもただ感心するばかりの俺。すごいなぁ、ミョウジさん。将来ええ奥さんなるん間違いあらへんな。ええなぁ、こういう奥さん。欲しいなぁ。

「そんな見られたら恥ずかしくて手が震えちゃうよ」

無意識のうちにジイッとガン見しとったら、ミョウジさんはやさしい声音でそう溢した。俯き加減にはにかむその表情があまりにも可愛くて、その横顔にめっちゃドキドキして、吃るしかできひん。風に揺れる姫紫陽花は、そない俺を笑てるみたいやった。ちょ、こっち見んといて。なんか俺まで恥ずかしゅうなってきたわ。なんやのこの、付き合いたてのカップルみたいなくすぐったい雰囲気。……って思っとるんは俺だけやろうけど。そうこうしているうちに縫い付けは完了したのか、ミョウジさんはワイシャツを広げ、緩みがないかを確認し、よし、と頷いてみせた。

「はい、これで大丈夫」
「おおきに、ミョウジさん。慣れとるんやなぁ」
「そんなことないよ。ただ編み物とか好きだから、それでかなぁ」

ゆったりした口調で話しながら、広げたソーイングセットを缶の中に収めるミョウジさん。顔のパーツの全てで微笑む彼女から視線をシャツの一番下のボタンに向け、俺はそっと、気付かれへんように手で摘まんだ。触ったら分かるんやけど、これもちょっと緩くなってんねん。ミョウジさん、これも直してくれへんかな。おかんに直されるよりは、やっぱミョウジさんに直してもろた方がええし……。いっそのこともぎ取ってまおうかなぁ。そしたらまた、俺とミョウジさん二人だけの時間ができるやろ。うーん、どないしよ。摘まんで、軽く引っ張って。女子に話し掛けられ、席を立ったミョウジさんを横目に、俺はボタンの明日に頭を悩ませとった。

まだ未完成の青//icy
20130625

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