週明けの、ちょっとだるさが残る月曜日。いつもより少し早めに部活を終えて帰路に着き、ルンルン気分で冷蔵庫を開けたわたしは驚愕した。

「なん……やと……」

あとでゆっくりじっくり味わおうと思って奥の方にしまっておいた、美味しい美味しいふらの牛乳プリンが忽然と姿をくらましていたのだ。だ、誰や!人のプリンを盗み食いしたアホンダラはー!怒り心頭。腸が煮えくり返るとはこういうことを云うのか。絶望に崩れ落ちるのは後にして、わたしはドタドタ足音を立てて階段をかけ上がると、ある一室のドアを豪快に開けた。こんな愚行、こいつ以外に考えられない。

「光、あんたわたしの牛乳プリン勝手に食べたやろ!」

パソコンをいじくっていた光の背中にそう叫ぶ。なんで盗み食いすんねん!あんた自分の分食べたやろ!このアホ!外道!オタク!罵詈雑言を並べ立てるわたしに、すると光は首だけを動かしてこっちを見、やかましいっちゅーの、とさも非難したげな面構えで口を開いた。

「いつまでも残しとく方が悪いやろ。大体食べられたくないんやったら名前でも書いとけや」

人を合法的に殺せる方法、誰か教えてください。プリーズ。

・・・・
その差、一年。だけど、わたしの方が先にこの世に生を受け、弟の光よりは、一年分長く生きてきた。学習量も、対人関係における対処法も、その他諸々、まあこいつよりは知識という知識に富んでいると思っている。が、わたしと光で決定的に違うのは、顔立ちの良さと、運動能力の高さ。普通は、先に産まれた方に付随するもののはず。なのに、いいところは全部光に持っていかれてしまった。おかげでわたしは顔面偏差値50未満、運動神経も人並み以下。光は小生意気なイケメンに育ち、運動神経も抜群。校内では毎日黄色い声で騒がれ、さしずめ芸能人扱いだ。学力に関しては、どっちもそこそこだけど。とにもかくにも光は、あまりにも端正な顔立ちに生まれ、幼少の頃からもてはやされて育ってきたため、それはそれは傲慢野郎として青春の日々を謳歌している。おまえ、その顔を武器に何しても許されると思うなよ!おまえなんか、おまえなんか!

「ブスって大変やな。まあイケメンの俺にはよう分からんけど」
「うっさいわブロガー気取りめ。自分の幼女趣味ばらすぞコラ」
「そんなんブスの僻みや云われるだけやで。あーカワイソカワイソ」
「(キィィィィ!)」

姉の威厳とか、尊厳とか。そんなもの、こいつには一切通用しない。自分が王様、自分が世界の中心。激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム級に腹が立つ弟である。


「そういうのも可愛えやん。うちは光クンみたいな弟ほしかったわ〜」
「どこが!あいつのどこが可愛えのかさっぱり分からんわ。人の裸見てつるぺたや鼻で笑うし!」
「けど事実やん」
「うーんせやなあ……ってコラ」

頬杖をつきながら、うっとりとした表情で瞳を閉じる友人。ビューラーでくるんとカールしたボリュームのある睫毛は、いつ見ても可愛らしさを演出している。そんな彼女にも同様に弟がいて、その弟というのが二つ下の一年生なんだけど、ぶっちゃけた話わたしからしたら彼女の方がよっぽど羨ましい。確かセパタクロー部の弟クンは、見た目は光みたいなクールっぽい感じのイケメン、だけどいっつもニコニコしていて、誰に対しても人懐っこくて、毎日自慢して歩きたくなるくらい可愛いのだ。光とはえっらい大違い。むしろ比べるのも失礼。光なんかうんこだからね。

「ナマエも毎日光クンの裸体見放題やろ?あーズルイーうちも光クンの割れてるお腹見たいー」
「見たないわあんなん」
「あんなんで悪かったな」
「ぎょっ」

ぎょってなんだぎょって。つい奇声を発してしまった。いやだって、まさか光がいるとは思わなかったんだもん。わたしの真後ろに立ってるの知らなかったんだもん。背後霊か。ていうか何しに来たの。みんなも来てたなら教えてくれたっていいじゃない。超至近距離に光を見た友人は、興奮してだか感激してだか、片手で口元を押さえ軽く目を見開いている。本物のアイドルを前にしているぐらいのテンションだ。

「どないしよ、光クンにお下品な話聞かれてもうた〜」
「90分三千円で触り放題見放題なんでいつでもどうぞ」
「飲み放か」
「ほんま〜?ならお姉さん諭吉出す出す〜!」
「出すなっちゅーに……」

この友人なら本気で出しかねないので恐ろしい。そんなことより、あんた人の休み時間邪魔して用件はなんなん?見上げる形でそう問えば、光はさらりと答えた。

「金貸せ」

おまえはチンピラか。

「なんでや。財布忘れたん?」
「あるけど飲み物買うだけやから千円札崩したないし。ええやん、どうせ細かいのしかないやろ」
「人を貧乏人みたいに云うな」
「貧乏くさい面しとるからそうかと思ったわ」
「うっさい!」

ほらみろ友人よ。こんな弟のどこがいいって?こんな、姉を姉とも思ってなさそうな脳みそ腐った調子こき野郎のどこが可愛いのか、わたしは聞きたい。百パー幻滅したに決まってる、そう確信し友人をちらと見やれば、彼女の口から発せられた言葉は、“むっちゃ可愛え”。力が抜けたわたしは、するすると机に突っ伏した。そんなにいいか、こいつが。それならどうぞどうぞ、いつでも持って帰ってください。

小銭を要求する光に渋々財布を取り出すと、廊下を賑わす声にわたしは光の速さで上体を起こした。後ろの引き戸の向こうを通りすぎたのは、バスケ部の吉田くん。わたしの、初恋の人である。彼に気付いた友人も、吉田やん、と名前を紡ぐ。吉田って、ずるい。そんな、呼び捨てするなんてさ。ふたりは同小らしいから、しょうがないけど。でも、いいなあ。わたしも、吉田って呼んでみたい。恥ずかしくて、目が合うだけで緊張して、まだ一度も話をしたことがないから、早く話せるような間柄になりたい。他の男の子とはフツーなのに、やっぱりわたしも、立派に恋する乙女なんだなぁ。あー、今日もカッコイイよー。

「どうでもええからはよ金貸せや」
「あぁ……せやった。はいどうぞ」

吉田くんが見れて、ほんのちょっとハッピーな気分になったから、金貸せ金貸せうるさいこいつのことなんかもう気にならない。お金を受け取った光は、当たり前のようにお礼のひとつも云わないまま、教室を去って行った。いいんだいいんだ、傍若無人でもなんでも。十一で返してもらうから。

「なぁ、ナマエいつ吉田に告るん?」
「はっ?ななな何云うてんの!まだ話したこともあらへんのやで!」
「けどイケるんちゃう。吉田ってナマエみたいな頭弱そうなの好きそうやし」
「頭弱そうは余計や。でも……そうやったらええなぁ」

吉田くんのいなくなった廊下に、再び視線を投げ掛ける。明るくて、爽やかで、笑顔が眩しくて、いつもみんなの中心にいる、下級生にも人気の吉田くん。もしも仲良くなれたとして、そんで勇気を出して告白なんかしちゃって、間違いでも“俺もナマエちゃんが好き”なんて云われたらさぁ……キャー!ナマエちゃんだってどうしよ!幸せすぎてわたし死んじゃう!

・・・・
「はぁ……」
三日後。部活をサボって帰ってきたわたしは、リビングのソファの、背の方を向いて深く沈んでいた。文字通り身も、そして心も。

なんで。なんでこうなるのかなぁ。わたしの恋は、無惨な形で散ってしまった。それは今日、昼休みのことだった。吉田くんに呼び出され、なんの用事だろう、もしかして、もしかして、と密かに淡い期待を抱きながら、連れてこられた人気のない場所で、彼は云ったのだ。

「自分、いっつも俺のこと睨んでくるけど、なんか云いたいことでもあるん?」

予想の遥か斜め上をいく一言に、わたしは言葉を、むしろ声という大事な伝達機能を失ってしまったかのようだった。喉の奥でひゅうひゅうと音がするだけで、違うの、睨んでるんじゃないんだよ、って否定することができない。吉田くんの顔付きは見たこともないくらい険しくて、真面目に聞いてきていることは一目瞭然。この時点ですでに、半分べそかいていた。結局何も云わない、云えないわたしに吉田くんは、少しだけ悲しそうな顔をして去って行く。最後の最後まで、ちがう、の一言すら伝えられなかった。

じんわりと浮かんだ涙が、一粒、頬を滑っていく。恨めしい。父親譲りのこの目付きの悪さが、恨めしくてしかたがない。それは唯一、わたしと光の両者に与えられたものだった。好きな人にあんな誤解をされて、あんな顔をされて、どうしてこんな、なんの役にも立たないものしかわたしは贈られなかったのだろう。明日からは、乙女心に彼を盗み見ることすらできない。初恋は実らないっていうのは定説だけど、いくらなんでもこんな終わり方、あんまりすぎる。再び生まれた涙が、ほとほとと音もなく、頬から顎を濡らしていく。そうしていると、玄関のドアが開く音がした。

「ただいま……ってなにしとん」

光だ。あれ、部活はどうしたの。いつもより、帰ってくるの早くない。なんて、意識の向こうでぼんやりと考えながら、わたしは別に、と突き放すように返した。

「どうせあのヨシダだかに振られたんやろ」
「……」
「なんや、図星なん」
「うっさいなぁ!ほっといてや!」

クッションを、光の方を見ずに、ただ声を頼りに投げつけた。音もなくカーペットの上に落下した、あるいはキャッチされたであろうそれが、光に命中したかは分からない。ムカつく。ムカつくムカつくムカつく!無遠慮な、無神経な物言いに、いつもとは比にならないほどの苛立ちがふつふつと沸き起こるのを感じ、わたしは耳を塞いだ。光の憎たらしい声を聞かずに済むように、塞いでやった。そんでそのまま光のことなんか無視して、ただ強く目を瞑っていたら、いつの間にか眠ってしまったようだった。

「あれ……もうこんな時間や」

漂ういい匂いに目を覚ます。多少寝ぼけてはいるものの、トントントン、と包丁がまな板をたたく音で、母親が帰宅していたことを理解した。わたしのむにゃむにゃ言葉には反応などくれず、まあ単に聞こえなかっただけかもしれないけど、母親は黙々と夕飯の支度を進めている。喉、渇いたなぁ。麦茶、まだあったかな。のそりのそりと台所に向かい、冷蔵庫を開けると、開けてすぐの目に付きやすい場所にデザートらしきものが置いてあった。手に取ってみるとそれは、某メーカーの牛乳プリンだった。

「これ、お母さん買うてきたん?」
「ちゃうよ。あんたが起きたらやれ云うとったで」
「だれが」
「だれがって、光しかおらんやろ」
「光が?」

どういう風の吹き回しだ。わたしは眉をひそめ、それから、ああ、と妙に納得してしまった。胸の中がこそばゆい。なんだよ、もう。らしくないことすんじゃん、光も。
ソファに戻り、ご飯前なんて気にもせず、プリンの蓋をくいっと開ける。デザート用の小さいスプーンで一口、口に運べばほんのりちょうどいい甘さに、さっきまでの荒んでいた心が少しだけまあるくなった感じがした。正直云うと、わたしそんなに牛乳プリンが好きなわけじゃないんだよね。たまたまあそこの牛乳プリンが大好きなだけで、実際それ自体は好きでも嫌いでもないの。

「……おおきに」
でも、これはこれで中々悪くないと思った。うん。美味しい。……ま、しょうがないから、貸した小銭はこれでチャラにしてやるか。


ネイキッド・ワールド

後日、光が吉田くんを呼び出して「ブス泣かすな」と胸ぐらを掴んだりしたらしいけど、ブス(わたし)がそれを知るのはもう少し先の話。

20130425
メイさまリクエスト(改)のお話

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