人の睡眠時間は七時間がベストだというが、毎日そうやって規則正しく寝ていられる人間は果たしてこの地球上にどれくらい存在するのだろう。ましてや社会人にもなればやれ残業だ会社の飲み会だなんだと色々発生するわけで。ここ一、二ヶ月の間、わたしの平均睡眠時間は良くて三時間とかそこらだった。ありがたいことに会社は繁忙期を迎えまして、寝たい遊びたいとみんな思い思いに文句を垂れながらも、なんとかピークを乗り越えることができ。

久しぶりの休みだ。久しぶりの、と云うか一日ゆっくり休めるのは、いつ振りだったか。今日は時間を有意義に使おうと密かに計画を練っていたのだけど、起きて時計を見たらあらびっくり、短い針は2を指していた。眠りに就いたのが夜中の一時過ぎで、目覚めたのは午後二時。一度も目を覚ますことなく、十三時間も爆睡していたのか。体はそれだけ正直ってことなんだな、わたしは手をうんと真上に伸ばし、ひんやりとしたフローリングに足を下ろす。

リビングのドアを開けると、雅治はお茶を啜りながら昼のワイドショーを見ているところだった。ガコンガコン、洗濯機を回している音がする。

「ごめん、寝過ぎた!家事手伝おうと思ったのに……」
「ええのええの。おはよう、ナマエちゃん」
「ん。おはよう」

ご飯チンするからちょっと待っててな。そう云うと雅治はいそいそと立ち上がり、冷蔵庫の一番上を開けた。よく見ると壁に掛けられたスーツは昨日着ていたもので、シワひとつない綺麗な状態でわたしを見下ろしている。そういえば昨晩パジャマに着替えたところまでは覚えてるんだけど、スーツをハンガーに掛けた記憶はない。多分、雅治がやってくれたのだ。本当に、甲斐甲斐しいというか。雅治がいなかったら、わたしの生活はとっくに破綻していたに違いない。
「わ、あんかけ焼きそばだ。おいしそー」
「これしかないけどナマエちゃん足りる?」
「うん。充分だよ」

いただきます。手を合わせて、箸を握ると、雅治は湯呑みを口に運びながらにこにこわたしを眺めていた。雅治ってセクシーなイケメンなのに、お茶とか湯呑みとか、日本的なものが妙に似合うのよね。真冬だったら、半纏とか。似合いすぎてて、ちょっと恐い。

アツアツの焼きそばは表面はパリッとしていて、でも中はふんわり優しくて、海老もプリプリで美味しいし、キクラゲは苦手だけど雅治が作ったものなら食べられる。美味しいなあ。雅治がいてくれるから、余計美味しく感じるなあ。基本的には働いてない雅治が主夫をしてくれるから、毎日何かしら彼の調理したものは口にしているはずで。だけど慌ただしい日々が続いたせいか、こうしてゆっくり味を楽しみながら咀嚼するのも、随分と久しぶりのように感じられた。

「もう二時かあ。せっかくの休みなのに」
「まだ忙しい時期は続くん?」
「ううん、もう落ち着いた。昨日がラスト!」

しばらくデートらしいこともしてないし、今日は話題の映画でも観て、そのあとはちょっとイイ雰囲気のレストラン……ではなくラーメンでも食べに行こうかなーとか考えていたものが、結局何ひとつ実行できずに終わりそうな気がした。何か、何かしたかったのだ。あまり遊ぶことを知らない雅治に、長いこと寂しい想いをさせてしまっていただろうし。その寂しさを今日一日で補えるだなんて微塵も思ってはいないけど、それでも彼が喜んでくれるような行為をしたくて、彼の笑顔が見たくて。
何か、今からできることはないだろうか。一緒に出してくれた麦茶を飲みながら、模索を始める。

するとワイドショーがちょうどCMに切り替わったところで、雅治は突然テレビを消した。

「食べ終わってからでええんじゃけど」
「うん」
「少し、お話せん?」
「おはなし?」

ああ、そっか。わたしたち、こうして向き合って話すことも最近は数える程度でしかなかったもんね。雅治は、映画よりもラーメンよりも、会話することを望んでいたんだ。わたしだって、勿論知りたい。昨日雅治が何をして、何を思って、嬉しかったこと、悲しかったこと。些細な内容でも、聞きたい。話してほしい。なんとなく、食べるスピードが速くなる。そんなとき、ピーピー、と廊下の方から洗濯機がわたしたちを呼んだ。あ、洗濯終わったんだ。ていうか洗濯機、回してたんだった。雅治も、すっかり忘れていたらしい。お話は洗濯物干してからじゃな、そう云い腰を上げる彼をわたしも手伝うよと見上げれば、雅治は嬉しそうに笑った。

「ナマエちゃん、洋服ちゃんと伸ばさんとシワシワになるぜよ。ほら、こうやって」
「は、はい…」

雅治、いい主夫になるわ。いや、もうなってるか。彼が細かいことは同棲を始めてからよーく知ったが、本当に手を抜かない。水回りはいつもピカピカだし、落ちてる髪の毛や埃はすぐにコロコロで綺麗にしてしまう。それだけマメで綺麗好きなのに、よくわたしみたいな堕落しきった人間と付き合えるなあ。あ、わたしみたいなダメ女が相手だから本領発揮できるのか。うわ、ちょっと恥ずかしい。
二人でやれば、洗濯物を干すのだってあっという間だ。カゴを置きに行って(定位置に戻さないとなんか云われそうだから)戻ってくると、雅治が空になったグラスに麦茶を淹れてくれた。ありがとう。腰を下ろし、じゃあ、と向き合って、お互いをまじまじ見つめる。なんかこう、改まると変に緊張してしまう。

「雅治の話、聞きたいな。最近あったこと、どんなことでもいいの。教えてください」

そうじゃのう、と考える素振りを見せてから、雅治は手始めに一週間ほど前の出来事を話し出した。
「夕方な、スーパーに買い物行ったんじゃ。したらたい焼き屋さんが来とったけえ、買い物終わって帰る前に寄ったんよ」
「うんうん」
「二個ください云うたら、今日はあと終わりじゃからっていっぱいおまけしてくれたん。あんこのやつと、カスタードのやつ」
「へー!よかったね。それ、一人で全部食べたの?」
「さすがにそんな入らんなり。ナマエちゃん用にカスタードの方残しとったんじゃけど、冷めたら美味しくないしと思って、お隣さんと大家さんにおすそわけした」

そっかそっか。プチ幸せだね。たい焼きと、幸せのおすそわけ。お隣さん、ちっちゃい子供二人いるからきっと喜んだだろうな。たい焼き、わたしも好きだよ。モチモチしてて、ふわふわで、ちょっと幸せな気分になる。でもこし餡推進派の自分としては、あんパンなんかもそうだけど、つぶ餡はちょっと得意じゃない。食べられないことはないんだけどね。だから雅治は、カスタードのたい焼きを残そうとしてくれたんだろう。それってやっぱり、優しさなんだなあ。嬉しくて、心がまあるくなっていく。

「そんで、スーパーの帰り道にいつも通る空き地で野良猫見かけたんじゃ。三毛猫の、可愛えやつ。飼ってやれんけど、やっぱなんかほっとけんくて、食パンあげたり、ネコ缶買って食べさせてたりしたんじゃ」
「あ、それで食パンの消費激しかったのか」

ネコ缶が捨ててあった訳も、これで納得だ。
じゃけど、話を続ける雅治は突如としてその顔に暗い影を落とす。

「一昨日いつもみたいに様子見に行ったらおらんくて、だれか飼い主が見付かったんかのう、なんて呑気に考えながら空き地を出たら」

死んでたんじゃ。数十メートル先で、たぶん、車に轢かれて。

雅治がズズ、と鼻を啜り、わたしは視線を麦茶の入ったグラスに落とした。

「ネコを可愛がっとるやつはいっぱいいたはずなのに、死んであんな醜い姿になったら、みんな目もくれないんじゃ」

みんな、みんなそうじゃ。ただ、何もなかったように、目の前を通り過ぎるだけで。

話を聞いていたら、わたしまで泣きそうになった。悲しいよね。辛いよね。わたしはそのネコを見たこともないし、遊び相手や話し相手になったこともない。でも、雅治の気持ちは、痛いほど分かるんだよ。だって雅治、飼ってはあげられなくても、たくさん可愛がってあげてたんだもんね。部屋にあった猫じゃらしとネズミのオモチャを見たら、そんなの充分すぎるくらいわかる。やっぱり雅治は優しい。優しくて、本当に本当に、心が綺麗だ。ネコが死んだだけなら、わたしはきっと、泣きそうにすらなっていなかったと思う。

「それで、ネコはどうしたの?」
「……頑張って空き地の奥に埋葬してきた。すぐに見付けてやれんでごめんなって、いっぱい謝って」
「じゃあさ、あとでお墓、作ってあげようよ。木の板でもなんでもいいから、名前があるならそこに名前書いて、ご飯も置いてさ。誰かにイタズラされたら、また作ればいいし」
「うん……そうするなり。あのネコ、喜んでくれるかな」
「喜ぶよ。きっと」

そこでようやく、雅治は笑ってくれた。わたしも自然と、優しい顔になる。じゃあ、今度はナマエちゃんの話が聞きたい。そうして、聞く態勢に入る雅治。え、でもわたしの話って云っても。仕事の話しかできないし……

「あ、いま思ったことでもいい?」
「うん。なんでもええよ」

雅治の話を聞いて、伝えたいと思ったことがある。どうしても、いますぐに、伝えたい。

「わたしって元々仕事人間だけど、いまこうやって打ち込めるのって、やっぱり雅治がいてくれるからだし、家に帰れば雅治がいるんだっていう安心感があるからなんだよね」
「ん」
「だから、ありがとう。雅治がいてくれて、本当によかった」

テーブルを挟んで、交わす一瞬の口付け。こっ恥ずかしいことをした自覚はある、けど。雅治が笑ってくれるなら、なんだっていい。

「大好きだよ、雅治」
「うん。俺も」
「よし、今日のお風呂掃除はわたしがやるね」
「あ、お風呂用洗剤買いに行かなきゃ」
「じゃあ一緒に行こ」
「うん」

君が幸せの条件//誰そ彼
20130323

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