この寒い時期にすることと云えば勿論、長風呂である。湯船に浸かりながら、ババンババンバンバン〜ア〜ビバノンノンなんて鉄板ソングを口ずさんだり、小顔になるべくポリバケツ運動に精を出したり(真上を向いてポ〜リ〜バ〜ケ〜ツ〜って口を動かすやつ)、直接云えないから母親への愚痴を溢したり。寒いときはあっついお風呂が一番!宿題よりも大事な日課!とそこへお風呂が壊れてしまったからさあ大変!でもわたしには心強い味方がいるから大丈夫なのだ。家から数百メートル先にある、破風造りの立派な昔ながらの銭湯。今はウメばあちゃんと、ヒフミじいちゃんが二人でやってるんだっけ。入浴料は今でこそ300円に統一されたけど、昔はシャンプーするなら400円とか、値段が多少違ったらしい。わたしが物心ついた頃にはもう、300円だった気がする。まあ細かいことは置いといて。九時から見たいドラマがあるから、それまでには戻って来よう。

「わたし先にお風呂行ってくるわ」
「湯冷めせんようにはよ帰ってくるんやで」
「うぃ〜」

バスタオルと、ちっちゃいタオル、それからシャンプーはSALAを持って。北川景子ちゃんみたくなりたいから、SALA以外は絶対使わないのである。サラッサラのツヤッツヤ。ただし景子ちゃんが実生活でSALAを使ってるのかは知らない。あ、財布財布。
お風呂道具一式をトートバッグに詰め込み、ユニクロのウルトラライトダウンのジッパーを極限までしっかり上げ、万全の体勢で外に出る。足元はスエードにフラワーグラフィックがプリントされた、素敵な素敵なスニーカー。暦の上じゃあ春らしく、確かにいくらか暖かくなったのかなーとは思うものの。時折ピュウと吹く風はまだまだ冬のそれ。おお寒い寒い。外灯はそろそろ寿命なのか、点いたり消えたり危うい感じだ。慣れた道を歩く分には怖くなんてないけど、わたしって一応花も恥じらう乙女だし。防犯ブザーとか持ってた方いいかな。とかなんとかあれこれ考えているうちに、目的地の銭湯へ到着。いつもなら三毛猫のゴンタがやる気なさそうにお出迎えしてくれるんだけど、今日は出迎える気すらないのか姿が見当たらなかった。

「ばあちゃんこんばんは。ヒフミじいちゃんとはラブラブしとるん?」
「おお、ナマエちゃんか。今は喧嘩して口きいとらんの。浮気しとったさかい」
「浮気?あはは、じいちゃんも元気やなー。はよ仲直りできるとええね」

はい、と百円玉を三枚カウンターに置く。脱衣場のガラス戸の向こうにはブロックの壁があって、番台だった頃の名残だと前にウメばあちゃんが教えてくれた。昔はそこが出入口で、すぐ横が番台だったんだって。おしゃべりなばあちゃんの口がフル稼働する前に雑談を切り上げ、脱衣場で手早く寝巻きを脱ぎ捨てる。それを雑に畳んでカゴにしまい、いざお風呂場へ。入ってすぐ目につく正面の壁には大層立派な富士のペンキ絵が描かれていて、今時こんな銭湯はそう入れたもんじゃないだろう、と一人ご満悦。視線をぐるりと動かせばおばちゃんおばあちゃんが数人いる程度で、若者はどうやらわたしだけのようだった。空いた風呂イスに腰を下ろし、シャワーでササッと汗を流す。それからシャンプーたちはそのままに、ゆっくりと片足から湯船に沈めていく。お湯はすこーし熱めの43度。でも、冬場にはちょうどいい。ババンババンバンバン〜と暢気に唄い出したいところだが、さすがに一人っきりではないので我慢我慢。あ〜しかしいい湯加減だなあ。極楽じゃ〜。

......
のぼせるくらい長風呂を満喫し、着替え終わったわたしは自販機へ。牛乳とコーヒー牛乳、どちらにしようか悩みに悩んで後者を選択。ビンのコーヒー牛乳ってところがまた乙でいいね。さてさて、銭湯に来て風呂上がりにやることと云ったらひとつ。わたしはグッと片手を腰に当て、ビンを少し上に構えた、そのとき。

「鉄板やろ、そのポーズ」

知った声が、風呂上がりの一杯に水を差す。同様に飲み物を手にした財前が、おもろないわ〜、とでも云いたげな冷ややかな目付きでわたしを見ていた。クラスメイトの財前は同じ町内に住んでいて、と云っても幼馴染みではないし幼馴染みと呼べるほどこいつのことをよく知ってるわけじゃないけど、口が悪い者同士気楽に話せてイイ。

「財前は何飲んでるん」
「フルーツ牛乳」
「うっわ出たでフルーツ牛乳!絶対狙ってるやろそれ〜クールな顔してフルーツ牛乳大好きです的な〜マジないわ〜」
「やかましいわコーヒー牛乳みたいな色しよって」
「そこまで黒ないっちゅーねん」

しかしこんなところでばったり出くわすとは。財前の家も風呂壊れたん?そう問えばお前んちの五右衛門風呂と一緒にすんななんて抜かしやがった。 いやうち五右衛門風呂じゃねーし!イマドキなオシャンティーな風呂だし!聞けば財前の甥っ子くんが大きいお風呂に入りたいと駄々を捏ねてきかなかったらしく、それで甥っ子くん&財前兄についてきたそうな。一度散歩してるところ?見掛けたけどチョー可愛かった。財前みたいな性格ひん曲がり男には育ってほしくない。

ていうか、こいつと漫才やってる場合じゃないや。気を取り直して右手を再び腰に持っていき、今度こそいただきます。ゴクッゴクッゴクッ、と冷たいコーヒー牛乳が砂漠さながらに渇いた喉を潤し、火照った体を冷ましてくれる。やっぱりお風呂上がりの一杯はこれにかぎるな!元々喉が渇いていたのもあり、ビンはあっという間に空っぽになった。ハイペースで飲み干したわたしはふう、と一息ついてから、ゴミ箱に空きビンをポイ。ああ美味しかった。よし、もうじきドラマ始まるし帰ろう。

「ちょお待てや」

ほなまた明日、そう声を掛けてバッグを手にしたところで財前に呼び止められた。と思いきや何も云ってくる気配がないので空耳かと訝しみながらも歩き出すと、なぜか黙ってついてくる。いや何か云えよ。ドラクエの仲間ごっこでもしてるつもりか。どうせなら殺して棺桶状態にするぞ。電話中のウメばあちゃんにもおやすみなさいの挨拶をし、素敵スニーカーを履いて外に出れば、頬を掠める外気が心地好くてさっきまでの寒さはどこへやらという感じだ。

「アホかお前。怪しいおっさんの話忘れたんか」

不意に肩を掴まれ、振り返ればえらく呆れ顔の財前。ええっと、そうでしたっけ。わたしはホームルームのときのことを思い出す。記憶を辿って、記憶を辿って……。あ、そういえば。黒塗りの車に乗ったフルチン男がどうとか注意してたな。あれ、ここら辺の話だったんだ。今更ドン引き。ほんまは兄貴たち戻ってからの方がええと思ったけど、とかなんとかブツクサ云いながらアイフォンをいじくる財前はそれから勝手に歩き出したが、そこで頭にはてなマークが浮上する。わたしの家はこっち、財前の家はあっち。

「ま、まさか財前」
「なんや」
「お前が不審者なん…?」
「いてこますぞコラ」

はいはい。財前さまはお優しゅうございますなあ。わたしは早足の財前に慌ててついていく。くたびれた様子の外灯は相変わらず点滅を繰り返していて、不審者の話を聞いたせいか、さっきは何とも思わずに通ってきたほの暗い熟路が少しだけ気味悪く感じた。お風呂にいたおばちゃんたちは大丈夫だろうか。まあ、おばちゃんたちの場合は逆にフルチン男が大変な目に遭うかもしれない。なんにせよ、早く捕まればいいんだけど。一人じゃないことに安堵しつつただ黙々と足を動かしていたら。ミョウジ、一つ目の外灯を通り過ぎた辺りで、財前がぷつりと沈黙を破った。

「バレンタイン、」
「バレンタイン?あ、財前いくつもろたん?」
「…39やけど」

ひえー、39個だと!?他のメンズはもらってもせいぜい五個とかそこらなのに39って……。こんな性格をしていても、財前がいかにモテるかということを改めて認識させられた。こんな性格をしていても。財前で39個なら四天宝寺のバイブルこと白石さんはもっともらっているんだろう。それこそ50とか、いやもっとかな。わたしを見てと必死にアピールしていただろう女の子たちの姿が目に浮かぶ。そこまでくればバレンタインというより戦争だ。

「ミョウジは作ったん?」
「え?あー一応。女子にしかあげてへんけどな」
「もらったやつドンマイ〜」
「うるちゃい!」

なにせお菓子作りなんてイベントのときでさえろくすっぽしたことがなかったから、上手に作れる自信が自分にあるはずもなく。今年は母親が手伝ってくれたから、それなりに食べられる状態には仕上がったけど。ショコラボンボン?ボンボンショコラ?聞いたことない種類のチョコレート。自分一人でまともに作れた試しがないのに、人と違うのに挑戦したいなんて意気込んでしまったのである。

財前にも、本当は用意していた。

チョコの数は二個、みんなより多く。最初は渡すつもりでいた。でも、よくよく考えたら他の男子にあげる予定がないのに財前にだけ渡したら、自分の気持ちがバレてしまう気がして。適当に表情作ってさりげなーくくれてやるとか、そんな芝居じみた真似はできないし苦手だし。だから結局、渡せなかった。そのために必要な『ユウキ』をわたしは持っていなかったのだ。出番を失った財前用のチョコレートは今、冷蔵庫の中で眠っている。誰かに美味しく食べてもらえるときを、今か今かと待ちわびながら。

「ミョウジ、どうせ週末暇やろ」
「どうせってなんやねんコラ」
「……もう一回作ってほしいんやけど。あと一個で40やからなんかむっちゃ悔しいねん39って」
「なんそれ。わたしのチョコレート欲しかったんなら初めから素直に云うたらええやん」
「ミョウジの手作りなんか食うなら五円チョコの方がよっぽどええわボケ」

なんだとー!そんな云うならいくらわたしが暇人バンザイでも作ってやんないからな!カッカしたところで家の前に到着。送ってくれたことにお礼を云ってくるり背中を向ければ、今度は左手首を掴まれ制止される。まだなんか文句あるん?そう紡ごうとした唇は、振り返り財前の顔を見た瞬間に、働くことを止めてしまった。

「月曜日、待っとるから」

やけに真剣な声色に、う、うん、と無意識のうちに頷いている自分がいて。掴まれた手首は、銭湯のお湯に浸かっているみたいにあっつかった。


ボンボンショコラ

20130306
今更バレンタインネタ

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テーマ「人外ファンタジー」
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