「では、ムアンギ校長より一言」

―去年の夏休みは何をしてた?そうだなあ。確か宿題は前半で一通り片付けて、友達や東京の従姉妹と連日連夜遊び呆けてたっけ。あ、連夜って云っても深夜徘徊したわけじゃなくてね。ほぼ一晩中Wiiのマリオカートをやって爆笑するあまり、今何時だと思ってるのもうちょっと静かにしなさいなんてお母さんに怒られちゃったり。あとはそう、スイカ割りもやったな。お祭りにもたっくさん足を運んだんだよ。
だけど今年はわたしも受験生だし遊んでいられる余裕なんてこれっぽっちもないから、間違いなくお家に缶詰状態になるんだろうな。ああ憂鬱。長い長い休みを満喫できないことも勿論そう、そうなんだけどそれ以上に大好きな謙也くんに暫く会えなくなっちゃうんだって考えたら受験勉強を頑張れる気がしないよ。
はああ。誰の耳にも留まらないくらい静かに溜息をつくと、謙也くんをちらと盗み見る。器用にも立ったまま眠っている謙也くんがすごくすごく可愛くて、自然と緩む口元を手でそっと隠した。もし謙也くんがテニス部を引退していなければ、息抜きも兼ねて練習風景を見に行くことだってできたと思う。なんせ自宅から学校まで自転車で10分も掛からないからね。うん。7、8分とかそのくらい、かな?
あーあ。謙也くんとお友達だったらなあ。隣のクラスのミョウジナマエなんて云っても知らないよね、きっと。そりゃあ名前くらいは聞き覚えあるかもしれないけど、精々ああそんな子もいたっけ程度にしか記憶にないだろうし。ところで謙也くんはどこの高校に進学するんだろう。やっぱりテニスが強くて有名な○×高校かな。あそこは女子の制服も可愛くて評判が良いんだよね。まあわたしが着たって絶対似合わないだろうけどさ。それにしてもあっついよ体育館!わたしは首筋に滲む汗をハンカチで拭う。ムアンギ校長はだらだらと挨拶を続けていて、そろそろかなーとタイミングを察知したそのおよそ20秒後には体育館がぐらりと揺れた。全校生徒がコケにコケたからだ。眠っていた謙也くんはその揺れによってはっと目を醒ますと周囲を見回し、他の皆よりツーテンポくらい遅れて同じ動作を取る。その慌てふためくような表情に、思わず飛び出そうになった声をぐっと押し戻した。
それから終業式は閉式を迎え、3年生から順に退場していく。

「てか超暑なかった?汗びゃー出て死ぬかと思ったわ」
「わたしもだよー。ハンカチ持って来ててよかった」
「ナマエはやっぱ女の子やね。うちも見習わな」

ゆっくりとした足並みで体育館を出て行き、階段を上ろうとしたところでふわふわの金髪頭、則ち謙也くんを群れの中に見つけ、心臓がどくんと跳ねた。白石くんやマネージャーさんと談笑している謙也くん。わたしにとって彼の笑顔は太陽よりもずっとずっと眩しいのです。だからその笑顔が独り占めされてしまったら、すごく辛いし胸が苦しい。
謙也くんとマネージャーさんが付き合っているという噂を小耳に挟んだのは、今から確か一週間くらい前だったと思う。本当のところどうなのか、真相は明確にされていない。端から見ればカップルだと錯覚してもおかしくはないくらい仲が良いし、本人たちもはっきりとは否定していないって聞いたから。だから悪い気はしてなくて、寧ろ両想いなんじゃないかなって。認めたくはないよ。だけど「そんなはずない」って真っ向から否定してしまったら、その噂が事実だった時のショックも計り知れないだろうし。
好きなのに。ううん、好きだからこそ、肯定も否定もしないの。すべては自分を傷付けない為。守る為。弱虫だよね、わたし。

今学期最後のHRを終え、放課となった途端に騒々しさを覚えた廊下。一緒に帰ろうと誘ってくれた友達にごめんちょっと用事があってとやんわり断りを入れ、わたしは職員室へ向かう。進路指導の先生はいるだろうか。この前みたいに喫煙ルームで煙草を吸ってたら嫌だなあと懸念の意を抱き歩みを進めれば、今まさに進路指導室の中へ入ろうとしている先生の姿を視界に捉えぱたぱたと追い掛けた。
それから指導室で相談に乗ってもらって何分くらい経ったのかな、20分?30分?ともかく廊下に出ると先程までの賑やかな様子はすっかり消え去りやけに閑散としていて、わたしもとっとと帰ろうと教室までの足取りを速める。どしん!その瞬間生じた音を形容するならそんな感じ。廊下を曲がったところで誰かとぶつかってしまい、わたしは派手に尻餅を付いた。いたた。打ち付けたお尻を摩りながら立ち上がりごめんなさいと詫びればあらびっくり、ぶつかった相手は謙也くんだったのです。

「か、堪忍な!怪我してへん?」
「あ、う、ううん全然大丈夫!」

どうしよう、これってチャンスだよね?こんな機会滅多にないよね?なんとかお友達になれないかな。メールアドレスも聞きたいよ。でも、でも、なんて切り出せばいいんだろう。わたしは俯き加減に声を詰まらせた。このままだと謙也くんが行っちゃうって分かってるのに、自然な云い回しが見付からないなんて。
えっと、わたし、謙也くんと仲良くなりたくて。だから、お友達になってください。ど、どう?おかしくない?ちょっと強引すぎると思う?そんな風にいつまでも言葉を紡げずにしどろもどろしていると、謙也くんがわたしの名を呼んだ。ナマエちゃん、って。わたしは知らなかった。好きな人に呼ばれるだけで、自分の名前がこんなにも特別に感じられることを。こんなにも、心の奥深いところに響くことを。

「俺、前からナマエちゃんと仲良うなりたい思っててん」

え、うそ。思わず素っ頓狂な声を上げてしまったわたしは自分の口を慌てて塞いだ。あ、ちゅうかナマエちゃんって呼んだらあかん?次いで謙也くんが発したその一言に、今度は首を慌てて横に振る。
「ぜ、全然いいよ。それにわたしも、謙也くんと仲良くなりたいって思ってたから、」
声色は激しく上擦っていたけれど、どうにかこうにか伝えることができた。ああ大変、恥ずかしくて顔から火が出てしまいそう。
すると具合でも悪いのか、それともさっきの衝突でどこか痛むのかと首を傾げ心配そうに顔を覗き込んでくる謙也くん。ぱちと目が合い大火事寸前のわたしの顔から火が燃え移ってしまったらしく、謙也くんも頬を赤色に染めた。

「す、すまん」
「あ、だ、大丈夫だよ」

視線の先の謙也くんは照れ臭そうにぽりぽりと頭を掻いていて、改めて実感する彼の格好良さに心臓が爆発してしまいそうな気がした。だめ、こんなんじゃだめだよ。だってもじもじしてたってアドレスなんか分かりっこないでしょう?勇気を出さなきゃ。頑張れ、頑張れわたし!

「あの、もし良かったらアドレシュ教えてください!」

さいあく、噛んじゃったよ。アドレシュってなんなのアドレシュって。またしても羞恥から赤面するわたしは思えば少し前から顔を赤くしっぱなしだ。ううう、穴があったら今すぐ入りたい。寧ろ自分で穴を作って閉じ籠もりたい。ってそれよりも断られちゃったらどうしよう。やっぱりアドレスはいきなりすぎたかな。せっかく仲良くなりたいって云ってくれたのに、気まずくなったりしないかな。
稍あって、そんな不安は杞憂に終わる。アドレシュならぬアドレスを知りたいというわたしに謙也くんはスルースキルが高いのか、吹き出したりせずに承諾してくれたのだ。ごそごそと、わたしたち二人は制服のポケットから携帯を取り出す。あ、謙也くんのスマートフォン最新のやつだ。いいなあ。

「えっと、じゃあわたしが先に送るね」
「おん。ほな俺は送信したらええんやな」
「え、違う違う謙也くんは受信するんだよ」
「あ、そか何云うてんねやろ俺アホすぎやん」

ふ、と笑みを漏らし、互いの携帯を近付ける。わたしのアドレスが謙也くんの電話帳に登録され、謙也くんのアドレスもまた、わたしの電話帳に登録されるんだ。ずっと望んでいたことが実現する瞬間。たったの一日、それも数分でこんなに進展してもいいのかと、わたしは些か信じられないでいた。夢見心地って、こういう気分のことを指すんだろうな。まさかほっぺを抓ったら夢でした、なんてオチになったりしないよね?
送信が完了すると一旦携帯を離し、謙也くんはちょお待ってなと云って電話帳の確認に取り掛かる。そうして再び携帯を近付け通信を開始すれば、謙也くんのアドレスは無事飛び込んできてくれた。フルネームで入っとるから。彼の一言に、わたしは〈グループなし〉から忍足謙也くんを探す。あれ、見付からない。何度スクロールしても、彼の名前は見当たらない。その代わり、忍足謙也くんが見付からないその代わりに、へたれスターという覚えのない名前が電話帳から顔を覗かせていた。

「もしかして、謙也くんのアドレスってこれ?」
「おん、せやで。ってちょ、へたれスターってどういうこ……財前の仕業か!」

どうも後輩さんに所有者情報をいじくられてしまったようで、ぐぬぬと怒気をあらわにしている姿もまた可愛らしくてぷっと吹き出すと、謙也くんもそんなわたしに釣られるように笑った。笑ってくれた。あの太陽よりも眩しい笑顔が、今は手の届く距離にある。本当に、夢みたいだよ。でも、夢なんかじゃないんだ。きっとわたし、一生分の幸せを使い果たしちゃったかもしれないね。

「ほな、テニス部のやつら待たせてもうてるから行くな」
「あ、う、うん。またね」
慌ただしく走って行く謙也くんにぎこちないながらも手を振る、と何メートルか先で彼は急に振り返った。あ、あんな、その、さ。余程云い出しにくいのか、目を頻りに泳がせる謙也くんにわたしは小首を傾げる。
「や、やっぱええわ後でメールするな!ほな!」
結局内容には触れられぬまま、今度こそ彼とお別れになった。足の速い謙也くんは、あっという間に見えなくなる。視界から消えてしまっても、わたしはこの幸せすぎる数分間の余韻に浸るかの如くその場に立ち尽くしていた。
嬉しいな、アドレス聞けちゃった。初メールはなんて送ろう。可愛いデコメ絵文字、またいっぱい取らなきゃ!人気のない廊下にチャイムが鳴り響き、教室までの道のりを駆け足で急ぐ。戻って来たところで丁度手に持っていた携帯が震動し、サブディスプレイを見ればへたれスター、謙也くんからのメールだった。

11/XX/XX 13:48
へたれスター
 謙也やで!
--------------------
休み中、もし良かったら遊びに行ったりせえへん?
-END-


わたしは到頭頬っぺたを抓るという所業に至った。だ、だだだだって信じられないんだもん。念願のアドレス交換が出来ただけじゃなく、遊びにも誘ってもらえただなんてそんなこと。返信に手間取っていると、画面がパッと着信中のそれに切り替わる。け、謙也くんから電話だ!深呼吸をひとつしてから通話ボタンを押せば、誰かのでっかい声を押し退けるように謙也くんのもしもしが聞こえてきた。

『いきなり変なメール送ってもうてごめんな。あれ、無理やったら遠慮せんと云うてくれてええから!』
「わ、わたしは全然平気だよ!でも、謙也くんの方こそ大丈夫なの?マネージャーさんと付き合ってるって聞いたから、」
『渋谷と?それはないない!やってあいつ白石と付き合うてる……あ、す、すまん白石そない怒らんといてや!いたっ、ちょ』

ぷつり。そこで通話は途切れてしまった。最後に謙也くんの断末魔の叫びが聞こえたような気がしたけれど、わたしの頭は噂が噂でしかなかったという事実への安堵感で埋め尽くされていたので正直それどころじゃなかった。そうなんだ。マネージャーさん、謙也くんじゃなくて白石くんと付き合ってるんだ。「……良かったぁ」ホッと胸を撫で下ろしていると、再び謙也くんから着信が。(ところで皆がいる場所で電話なんかしても大丈夫なのかな?)

アドレスを聞ける勇気があったんだ。だから今度はわたしから誘ってみようかな。来週のお祭に一緒に行きませんか?って。もしOKしてもらえたらね、そしたらわたし、受験勉強をすごく頑張れそうな気がするの。吸って、吐いて。もう一度深呼吸をすると、わたしは意を決して通話ボタンを押した。

「あのね、謙也くん」

中学生生活最後の夏休みが、今始まる。


ストリキニーネと青い空
未海ちゃんに捧ぐ!

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