繊細な模様が施されたガラス製の小物入れ。角度を変えると、サンキャッチャーのように光を集めてキラキラと輝く。その中にたったひとつ、寂しそうに眠っているカーマイン色のピアス。持ち主の元へ還れるのを、待ちわびているかのように。この小物入れは数年前に天国へ旅立ってしまったおばあちゃんが、亡くなる前にくれた大切な宝物だ。そのくせ貰って以降ずっと空っぽのままだったのは、この小物入れに見合うだけの、価値のある物が見当たらなかったから。その中にいま、光が先輩から貰ったというピアスが転がっている。あの日ポケットに忍ばせた、大切なピアスが。

あれから光とは、あまり言葉を交わしていない。わたしが一方的に避けているだけで、光から挨拶されればちゃんと返すし、話しかけられて無視することもないけど、わたしから声をかけるのは本当に必要最低限。どうでもいい話はしない。まあ、元々校内ではやたらめったら親しげに話す方じゃなかったから、光もそんなに訝しんではいないと思う。あいつを避けるのは、何よりピアスの話題を持ち出されるのが怖いからだ。返さなきゃいけない、そんなことは云われなくても分かってる。分かってるけど、それができない。だって、どうやって返すの?面と向かって?ごめんって素直に謝罪して?そしたら光、どんな顔をするんだろう。なんて云うんだろう。ただ、とにかく怖かった。これを正直に返して、軽蔑されてしまうことが。ピアスを盗ってしまった罪悪感と、このモヤモヤしてよく分からない気持ちに対する戸惑いがぐるぐる頭の中を駆け巡って、昨日も今日も、嫌ってくらい光のことばかりを考えていた。

・・・・・・・・・・・・・

「ナマエ、最近ボケーっとしすぎ。どないしたん?」

歩く校則違反ことユリが、頬杖を突きながら真正面から凝視してくる。彼女は相変わらず説教部屋の常連で、おとなしくするどころか最近はより一層派手になっている。ハニーイエローの髪の毛とか、スモーキーベージュのぱっちり二重とか。おかげで並んで歩くとかなり目立つけど、ユリのその、自分の欲や意思に対して正直なところは嫌いじゃないし、ある意味尊敬していた。あの日から二週間。お弁当を食べ終え、レモンティーで一息ついていたわたしは眠いだけやし、と返答するものの、ユリからは疑いの眼差しで見つめられてしまう。そ、そんな顔せんといてや。上体を少しだけ後退させると、彼女はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて云った。ナマエ、恋しとるやろ?

「こ、恋!?冗談云わんといて!あんなやつに恋とか!」
「うち、まだ相手が誰とかなんも云うてへんで」
「……あ、」
「やっぱ図星か」

なるほどね、と一人納得している様子のユリ。光に抱いてるこの気持ちが恋だなんて、わたしには到底思えなかった。だって恋ってもっとこう、相手を想って胸が苦しくなったりとか、一緒にいてドキドキしたりするものじゃないの?悪いけど、光といたってドキドキの「ド」の字もないし、たとえば自分があいつと手を繋ぐとか、キスだのハグだのしている姿なんて想像もつかない。あまつさえ愛の言葉だとか囁かれたりしたら鳥肌立ちそうだし、そんなこと考えただけで気持ち悪いっていうか。

「ユリはさ、どういう時に恋しとるなーって感じる?」
「んー……せやなあ……相手のことばっか考えて一喜一憂したり、その人のことになると余裕なくなってまうねん。そないな時に、『あ、自分ってこんだけ相手のこと好きなんやな』って感じるな」

ユリには付き合って一年と数ヶ月の彼氏がいる。学年はひとつ上、確か一氏先輩のクラスメイトだったかな。本当に一途で全然余所見なんてしない二人だから、並んで歩く姿を目にする度に、お似合いだなっていつも思ってた。で?ユリは再び意地悪い笑顔で訊ねてくる。そんで、ナマエはいつから財前のこと好きなん?その言葉に反射的に机を叩いてしまったわたしは、直後周囲を見渡してから首を横に振って否定の意を示した。

「別にあいつのことなんか好きちゃうわ。大体あっちにはちゃんと好きな人おるみたいやし」
「それほんま?タメの子?」
「年上やって」

大切な先輩。わたしが知り得ている情報はそれだけで、結局その先輩の素性は分からないままだった。テニス部のマネージャーは先輩だけでも何人かいて、その中にいるのか、テニス部と関係ないただの先輩なのか、或いはやっぱり他校の人なのか。それがどうしようもなく気になって、胸がモヤモヤする。だけどただひとつ云えるのは、光はきっとその先輩に対して特別な感情を抱いているんだろうなってこと。そしてその先輩も多分、光が好き。これはあくまでわたしの直感だけど、強ち外れてはいないと思う。女の勘は侮れないからね。つまりわたしが光に好意を抱いていたとしても、所詮これは始まりと同時に終わりが見えている恋なのだ。無謀なだけの恋。そういえばあのときユリに借りた漫画も、主人公が幼馴染みを好きになってしまう、そんな話だった。結末はどうなんだか、分からないけど。

「でもな、ナマエ。恋に繋がるきっかけなんてのは、案外そこら辺に転がっとるもんなんやで」

ユリが顎をくいっと向けた先。引き戸の側で雑談していたのは、隣のクラスの鈴木くん。サッカー部の次期キャプテンと噂されている人で、結構人気があるらしい。小学校が一緒のユリが云うには、性格も裏表がなくて典型的な爽やかスポーツマンなんだとか。その鈴木くんがどうしたん?聞こえないよう声のボリュームを下げて問えば、ユリはわたしを小さく指差して最近、と口を開いた。

「あいつ、よう話し掛けてくるやろ?」
「え?……まあ、たまにやけど」
「ナマエのこと好きやから頑張ってアプローチかましとるねんて」

ええっ?!今度は素っ頓狂な声を上げてしまい、クラス中の注目を浴びてしまった。当然、鈴木くんもわたしを見ている。くりっとした瞳がなんだなんだと云わんばかりに視線を送っていて、わたしは思わず縮こまった。ていうかそれ、誰かと勘違いしとるんちゃうの?なんでわたし?今だって別の子と話してるし……。ああ、菜摘ちゃんサッカー部のマネージャーだっけか。いやいやでもでも、それはないでしょ!うん、ないない。自己解決させるわたしに、まあそう思うならそれでもええんちゃう、とおとなしく引き下がるユリ。
せやけど、彼女は続ける。

「愛する自分と愛される自分、どっちを選ぶかはナマエ次第やで」



放課後、昇降口に目立つ金髪頭を発見した。あれ、謙也先輩やん。いま帰りなんですか?そう声を掛けると制服姿の先輩は「病院行かなあかんから今日は練習休みやねん」と教えてくれ、なぜかポケットから飴をくれた。とりあえず、素直に受け取っておく。ありがとうございます、謙也先輩。

「せや、ミョウジちゃん。財前からなんか聞いてへん?」
「え?なんかって?」
「いや、あいつここ最近なんか探しとるっぽいねん。部室ん中とかもいっつも確認してるんやけど、財前のやつ聞いても無視しよるから」

謙也先輩の言葉を受けた瞬間、今までひしひしと感じていた罪悪感が大きくのし掛かってきて、その苦しみは心臓が握り潰されるんじゃないかってほどだった。
必死にピアスを探している光の姿が目に浮かぶ。その行為に、意味なんてこれっぽっちもないのに。ほんま、アホちゃう。どんだけ大切にしてんねんそのピアス。たかだか小物ひとつやっちゅーのに。ああもう、胸が痛くてたまらない。

その日の夜、タッパーを返しに財前宅を訪れると、玄関を開けてくれたのはお母さんではなく光だった。げ、なんであんたが出んの。わたしの心の声が伝わってしまったのか、おかんたちみんな出掛けとるから、と光は心底怠そうに話す。ふ、ふーん。まあええわ、はいこれ。ご馳走さまでしたって云うといて。早口に用件を述べ、踵を返したわたしはそれなのにまた向き直り、玄関を閉めようとしていた光を呼び止めた。

「なあ、わたし今むっちゃティラミス食べたい」
「買いに行ったらええやん」
「光は女の子に一人で夜道歩かせるんか」
「誰も近寄らんから心配せんでええって」
「どういう意味やそれ。あーあ、善哉おごったろかと思ったのに」
「先に云えや。はよ行くで」

なんて現金な男だ。そう思いつつ財布を取りに一度自宅へ戻り、公園を抜けた先にあるコンビニへと歩き出す。距離にしてみれば大したことはないのだが、この暗い公園を一人で通るのは実際怖いものがある。というか、本当はティラミスが食べたいなんてのはただの口実にすぎなかった。「ピアスくれた先輩って、どんな人?」本当はそれが、聞きたかっただけで。マネージャーやった。すると光は、簡潔にそう答えた。

「やった?」
「三年なるちょっと前に転校してん。北海道に」

そうなんや。わたしはそう返すだけに留まった。先輩は、転校することが決まったからピアスをくれたの?それともそれ以前に、やっぱり光のことが好きだからプレゼントしたの?光はいつから、先輩が好きなの?告白はしたの?大阪を去った今もまだ、しっかり通じ合ってるの?

  先輩は。
光は善哉が好きだってこと、特に商店街にあるお店の黒蜜白玉善哉が大好きなこと、そのお店に週一ペースで通ってること。先輩は、知ってますか?先輩には、自分だけが知っている光の姿がありますか?少なくともわたしは、沢山知ってます。わたししか知らない光の一面、数えきれないくらい見てきたから。――「その人のことになると余裕なくなってまうねん」なんでわたし、こんなに必死なんだろう。そう思ったとき、ふとユリの言葉が脳裏を過った。もしかして、これがそうなの?光に抱いてるこの気持ちは、恋?


この数日で、わたしは嫌というほど思い知らされた。嫌われるのが怖いと臆病になっていたのも、返さなきゃいけないのに返したくないという矛盾も、あのとき先輩が遠い場所にいると知って内心ホッとしたのも、だけどまだ繋がりがあるのか不安になったのも、すべて光に恋していたからだったんだ。そうして認めてしまえば、戸惑いはあっという間に消えてなくなって。ユリの云う通りだったわ。あいつに恋なんて絶対ありえないと思ってたのに。少女漫画みたいだなあ、ほんと。

でもわたしは、今日でこの恋にサヨナラをする。その為に、こうして朝早く登校してきたのだ。
わたしと光が付き合っている姿なんて、やっぱり想像できなかった。そりゃあいつに特別なパートナーができるのは嫌だし、辛いし、寂しい。だけどわたしたちは今まで幼馴染みとしてやってきて、そしてこれからも、そうであるべきなんだ。悪態をつかれたらつき返す、そのくらいが多分ちょうどいいんだろう。それに恋愛関係に発展したところで、わたしたちのことだ、終わりを迎える日はきっと訪れる。もう、幼馴染みにすら戻れなくなるかもしれない。それならわたしは、財前光の幼馴染みというわたしだけに与えられた、唯一無二の存在でありたい。たとえそこに、愛情で結ばれた未来がなくても。

「直接返せなくてごめん……」

昇降口、下駄箱の前。手にしているのは、シンプルな柄の封筒。その中身は、あのピアス。今頃テニス部は、朝練に勤しんでいるところだろう。だからその間に、封筒ごと返そうと思う。卑怯者でごめんな、光。だけどもう、二人の想いの邪魔はしないから。らしくもなく目頭が熱くなり、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。そうして少しシワの寄った封筒を、上履きの上にそっと乗せた。今はまだ云えないごめんねと、光への恋心も一緒に。

  瞳の奥の雷雨

昨日、学校帰りに立ち寄った本屋さんであの漫画の結末を知った。主人公も幼馴染みの男の子もそれぞれ別の相手と恋人になる、そんなエンディングだった。漫画でさえうまくいかない時があるのだ。現実はもっと、難しい。「愛する自分と愛される自分、どっちを選ぶかはナマエ次第やで」確かに愛される自分を選んだ方が幸せかもしれない。けれどわたしは、愛された分だけ愛したい。いつか出逢えるだろうか。白石先輩のような聖書じゃなくても、鈴木くんのような爽やかスポーツマンじゃなくても、ご近所の鶴川さんのようなお金持ちじゃなくてもいい。ただ、光以上にもっともっと想える、心の底から愛し抜けるそんな相手に、わたしもいつか。

20130211

いつき様リクエストで「いつかその意味に出逢うよ」の続編
title:ごめんねママ

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テーマ「人外ファンタジー」
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