突然咲いた恋の蕾が実ったとして、どんなに盲目的に彼だけを愛していても、幸福と孤独のギャップの中で、自分がどれだけちっぽけで微々たる存在かなんて薄々気付いてた。

“放課後、逢いたいから逢いに来て”

本当なら授業を受けているはずの時間帯に届いた、他校に通う恋人からのライン。わたしも逢いたい。いつだって逢いたいよ。でも、昨日から風邪を引いて体がだるくて行かれないの。学校も欠席してるし。だから、今日だけでいいから、できるならあなたに逢いに来て欲しいな。震える心でそう伝えたところで、彼は逢いに来てなんかくれない。急に予定ができちゃって。今日はあんまり時間がなくて。ほら、また。そうやって、見え透いた嘘をつく。知ってるよ。あなたの逢いたいが、自分から出向くほどの気持ちじゃないってことくらい。まるで取って付けたような、「逢いたいから」という感情のないフレーズ。彼の逢いたいとわたしの逢いたいには大きな隔たりがあって、それがこんなにも痛い。

幸いなことに熱はない。それでも鼻水や咳が止まらないから苦しいことには変わりなくて。喉は唾も飲み込めないくらい痛いし、鼻だってかみすぎて赤くなっちゃうし。こんな状態だから移しちゃうかなって心配は勿論あったけど、ほんの一瞬だけでもいい、心も体も弱りきってるこんなときは、大切な人に傍にいてほしかった。やさしく手を握ってくれて、「大丈夫か?」って労ってもらえたら、それだけで風邪なんかどこかに吹っ飛ぶような気がしたから。

「ナマエ、入るぞ」
「……クロ?」

風邪特有の寒気に襲われ布団に潜り込んでいたわたしは、眠気とだるさで朦朧とする意識の中、誰もいないはずの自宅に人の声を捉えた。窓の外からは、木枯らしの吹き荒ぶ声が聞こえる。寒々しい気配に、体感温度もぐんと下がってしまいそうだ。

「なんで、いま授業中でしょ?」
「休みって聞いたから抜けてきた。お前が気にすることじゃねーよ」

彼らしい、少し乱暴なノック音の後に入ってきたのは、コンビニのビニール袋を引っ提げた幼馴染みのクロだった。急いで来てくれたのかな。髪の毛、ちょっと乱れてる。でも息があがってないあたりは、さすがスポーツマンだ。鼻をずびずび鳴らしながらスローモーションのように上体を起こせば、せっかく起き上がったのにいともあっさりと倒されてしまった。

「横になってろよ。辛いんだろ?」
「……うん。でも、」

「大丈夫なの?」主語も修飾語もない問い掛けに、わたしが本当に云わんとしていることを理解しているクロは、問題ねえよ、と素っ気なく反応を示す。問題ない?うそ、問題あるよ。ありまくりだよ。わたしとは幼馴染みってだけで、クロにも彼女がいるんだから。まだ付き合い始めて日も浅く、信頼関係の構築だって十分ではないかもしれない。それを、たかだか幼馴染みのために学校を抜けてきたなんて知られたら、一体どんな顔をすると思ってるの。隠せてると思っても敏感なんだからね、女の子は。わたしだって、もし彼女さんの立場だったら正直複雑だったと思う。その子のこと好きなんじゃないの?って、きっと誤解しちゃうかもしれないし。

「熱は?」
「ないよ」
「ちゃんと昼飯食べたか?」
「あんまり。食欲なくて」

クロがベッドの端の方に腰掛けると、木製のそれは二人分の体重にギシ、と小さな悲鳴を上げる。わたしにしてみればまだまだ大きくてゆとりのあるベッドでも、背の高いクロにはきっと窮屈すぎるんだろうな。足なんか絶対伸ばしきれないよね。クロの丸まってる姿、想像つかないや。わたしはうっすらと笑み、軽く咳き込む。喉の痛みと咳のせいで、じんわりと涙が滲んだ。うう、苦しい。

「腹減ったら食えよ」そう云ってクロは手にしていた袋を差し出してきた。ガサガサ、と音を立てて顔の横に置かれた袋の中身を、みっともないのを承知で横たわったまま確認すれば、わたしの口からは無意識のうちに「あ、」という一文字が飛び出した。

「ナマエ、それ好きだっただろ?昔からよく食ってたもんな」

小さな頃から好きなとあるメーカーのみかんゼリー。新しい友達ができたとき、お母さんと喧嘩をしたとき、高校受験のとき。いつもこれ、食べてたなぁ。なぜかこのみかんゼリーじゃなきゃだめで、他のメーカーのものだと物足りなくて。どこのものにしたって、味なんかそんなに変わらないはずなのにね。手に取り、変わらないパッケージを見つめていると、「ちゃんと覚えてるもんだな」と笑うクロが視界に映った。

「どうして、だろうね」
「ナマエ?」
「どうしていつもいつも……覚えていてくれるのはクロなんだろう」

再び、じんわりと滲む涙。熱はないはずなのに、体が芯からあっつくなっていく感じがした。

大好きな人のことは、なんでも把握していたい。だからわたし、あなたのことなら沢山沢山知ってるんだよ。好きな食べ物も、好きな景色も、好きなアイドルも、好きなテレビ番組も。ごめんごめんってあなたは聞き直すばかりで、わたしのことなんか何ひとつ覚えていてくれなかったけど。

どうしていつも、辛いときに駆け付けてくれるのは恋人じゃなくて幼馴染みなんだろう。どうしていつも、わたしのすべてを理解してくれるのは幼馴染みなんだろう。どうしていつも、優しくされたいときに優しくしてくれるのは幼馴染みなんだろう。どうしてそれでも、あなたを嫌いになれないんだろう。独りよがりで虚しい恋愛ごっこだったかもしれないけど、わたしの頑張りはどれだけあなたに届いたかな。あなたの心にできた隙間を、どれだけわたしの愛で埋めることができたかな。逢うのも手を繋ぐのも、キスをするのもエッチをするのも、いつだってあなたのタイミングで。そんな都合のいい女でも、あなたの心が満たされるならそれで良かった。そうしていつか、同じだけわたしを愛してくれたら、それ以上の幸せなんてない。

「……別れちまえよ、ナマエにそんな顔させるようなやつ」

“じゃあ別れたら、クロは責任取ってくれる?責任取って、わたしと付き合ってくれる?”

だめ。そんなこと、口にしたらいけない。喉元までせり上がってきた言葉たちを、声に出さないようぐっと押し戻した。クロが持っているような誠実さも、一途さも、優しさも。彼はたぶん、ろくに持ち合わせていないけど。それでもわたしは、好きなんだ。いま、この瞬間でさえ。

花は、咲いたその瞬間から枯れゆく運命にある。この恋も同じだ。遅かれ早かれ、いつか終わりを迎えるときが訪れるだろう。その時は、わたしから振ってあげる。精一杯笑って、欺いてあげるから。


苦しくて泣いた、それでもまだ闇は晴れない//夜途

20121103

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -