まるでフラッシュバックのように蘇ってきた、あの光景。煌々と明かりが灯る部屋の中、あの人たちを見下ろす私。罪を犯してしまった、あの瞬間。そうだ。私は、罪人なのだ。

リビングのレースのカーテンを開けると、刺すような強い日差しが東京の夏を感じさせた。私が住んでいたところよりも、多分ずっと暑い場所。実際、ここに立っているだけでも暑さが半端じゃない。汗がじわりと滲み、網戸だけの状態にして再びカーテンを閉める。

一足先に起床しシャワーを浴びにいっていたひかるくんは、上半身裸のままリビングに戻ってきた。細身なのに、筋肉がしっかりついたひかるくんの体。男の人の裸に見慣れておらず、顔がゆでダコのように真っ赤になるのを覚えた私は、慌てて視線を逸らす。

ひかるくんが私よりもずっと年下で、しかも学生だということは、先程本人の口から知らされた。(年食ってるようには見えなかったけど、まさかそこまで若いとは……。)
レジで会計をしながら、お店の外で待っているひかるくんにちらと目を向ける。着るものがない私の為に、彼は今日の講義をサボり買い物へ連れ出してくれたのだ。ほぼ無一文に近い状態だったので、支払いは当然ひかるくん持ちということになる。どうしてそこまで、素性も分からない見ず知らずの人間に親切にできるんだろう。私には全然分からない。

「あとは何か必要なもんある?」
「ん、と……特にはないかな」

ひかるくんがどういう人なのか、知りたくても正直聞くのは憚られた。私が聞けば、当然ひかるくんも聞いてくるだろう。優しい彼に嘘はつけない。つきたくない。でも、私が犯罪者だと知れば、彼がどんなにいい人でもここを追い出されるのは目に見えていた。だから私は追及を避け、私がそうしているからか、ひかるくんに聞かれることもなかった。寝室のギターも、写真立てに飾られた、金髪の男の子やバンダナをした男の子たちと並んで映っている写真のことも、何も分からないまま。

「あのさ、ひかるくん。ひかるくんは、どうして私を助けてくれたの?」

帰り道、耐えきれなくなった私は到頭訊ねてしまった。我慢の限界というか、聞いてしまったら後戻りできないことは承知の上、それだけでもはっきりさせておきたかったのだ。せめて、それだけでも。

ひかるくんから借りた帽子を目深に被り、照りつける太陽から身を守る。ジリジリと燃えるようなアスファルト。ぐったりしている犬や猫たち。今の気温は何度くらいなんだろう。暑くて倒れてしまいそうだ。それでも、私なんかは手ぶらだからまだいい。荷物はすべて、ひかるくんが持ってくれているから。彼はどこまでも優しかった。だからこそ、その優しさの訳を私は知りたいのだ。

「誰かに、おってほしかったから」

寂しそうな横顔のひかるくん。私を拾ってくれたときからずっと、彼はそんな目をしていた。その寂しさの正体は分からないけど、できることなら、私が孤独を埋めてあげたい。私に、もしもそれができるなら。

普段ほとんど自炊しないというひかるくんの為に、せめてものお礼として夜ご飯は私が作った。野菜炒めに、春雨、お味噌汁。どれも大したものではないけど、ひかるくんは一言「おいしい」と口にして、沢山食べてくれた。
それから今の今まで知らなかったのだが、今日はひかるくんの19回目の誕生日だそうだ。朝の段階で知っていれば、ケーキを買ってお祝いするくらいはできたのに。(多分、ケーキを2ピース買える程度のお金ならあるはず)

「おめでとうって、云うてくれるだけでええねん。こうして、隣におってくれるだけで」

声を震わせるひかるくん。そうだ。私は徐に冷蔵庫を開け、後で一緒に食べようね、と買ったカップのアイスを2つ取り出した。ひかるくんのチョコアイスと、私の抹茶アイス。

「ケーキの代わりにもならないかもしれないけど……ひかるくん、お誕生日おめでとう」

バースデーソングもないし、クラッカーもない。ご馳走もないし、ケーキもろうそくもない。一年に一度の大切な日なのに、何も用意することができなかった。でも、ひかるくんは嬉しそうに笑ってくれて。そのとき、彼の目から初めて寂しさの色が消えた気がした。

「ひかるくんの一口ちょうだい」
「ん。俺もナマエのやつ食いたい」
「じゃあ、今日はひかるくんの誕生日だから特別大サービスね」

こういう一瞬一瞬に感じるこの気持ちが、幸せなのかな。ふと、思った。





ひかるくんは大学へ行き、その間私は家事をする。お昼は大体一人だけど、夜は一緒。そんなのどかな日々を送っていたある日、朝見送った筈のひかるくんが数時間と経たないうちにアパートへ戻ってきた。走ってきたのか、肩で息をしているひかるくん。

「……警察が、ナマエを捜しとる」

どくん。心臓が大きく脈打つ。思いの外遅かったような気もしたけど、遂にここまで彼らの手が迫ってきたか。
隠しているものは、いつか明るみに出るときがくる。分かりきっていたことを、私は束の間の平穏と幸せに溺れて忘れてしまっていた。私にとってこの数日は、本当に幸せそのものだったのだ。
もう、おしまいだ。これ以上ひかるくんを頼れないし、巻き込んだらいけない。なあ、ナマエ。険しい顔付きで、ひかるくんは私の腕を掴んでくる。ナマエ、ちゃんと云うて、って。

「人を殺したの。私、自分の両親を、殺したの」

そこそこ富裕層の家庭に産まれた私は、進むべき道も、青春時代を共にする仲間も、未来の伴侶も、何もかも選択肢を与えられることなく育ってきた。始まりから終わりまで、両親によって敷かれたレールの上を歩かされる、そんな私の人生。
鳥籠の中から逃げ出したかった。自由になりたかった。その為に、最悪の結果として、私は両親を殺害したのだ。でも、後悔なんてしてない。だって私は、これでやっと両親から解放された。ずっと欲していた自由を得たのだ。だから、捕まるわけにはいかない。たとえ一瞬でも、私は今を生きたい。

「なんで、もっと早く教えてくれへんかったん」
「ごめんなさい……優しいあなたを巻き込みたくなかった。だけど、ひかるくんといる毎日が幸せで…その幸せを手放すのが怖かったの」
「…死体は」
「家で所有してる山に埋めてきた。包丁も。見付かったかは、分からない」

今なら、今ならきっと間に合うから。私はひかるくんの右手をそっとほどく。今すぐここを出て行けば、ひかるくんは赤の他人のままやり過ごせる。そんな人は知らないし、見てもないって、しらを切り通せる筈だから。

「……あほ。独りにするわけないやろ」ほどかれた右手で今度は私の体を引き寄せたひかるくんは、その腕の中に私をひしと閉じ込めて云った。

「俺の部屋にギター、あったやろ?高校生の頃、バンド組んでたんや」

とくん、とくん。ひかるくんの鼓動を頬に受けながら、彼の一言一句に耳を傾ける。

「いつか音楽だけでやっていきたいって、思っとった。簡単なこととちゃうって、分かっとった筈なのにな」
「高校を卒業してすぐに、バンドは解散した。結局みんな、安泰の為に夢を捨てたんや。勿論、俺も」
「テニスもバンドも失って、絶望しとった。目標もなく生きとる自分が、ただの脱け殻みたいで」

テニス。あの写真は、テニスをやっていたときのものなんだろうか。そういえば、『四天宝寺中学校テニス部』という文字を背景に見た気がする。だとすれば、一緒に映っていた人たちはきっと、部の仲間なのかもしれない。写真の中のひかるくんはムスッとした顔をしていたけど、どことなく楽しそうだった。

ひかるくんもまた、人生に苦悩していた一人だったんだ。夢や目標を失い、明日をどう生きたらいいのか、自分はどこへ向かえばいいのか分からずに、もがき苦しんでいたんだ。

「俺は、ナマエを守りたい」
「え……?」
「この先も、ナマエに傍におってほしいから。せやから、俺がナマエを守る」

私を腕の中から解放したひかるくんは、カーテンをそっと開けて外の様子を確認する。大丈夫、まだこの辺りには来ていない。次いで財布と携帯をウエストポーチに押し込むと、手を差しのべてくれた。行こう、そう云って微笑むひかるくんに、迷いなんてない。

真実はいつか暴かれるだろう。逃亡の道を選んだ私たちに、安全な場所なんてきっとどこにもないだろう。明日殺人犯として捕まるかも、ひかるくんを失うかも、二人で命を絶つかも分からない。それでも、私は幸せだ。漸く手にした自由の中に、心を寄せ合い、一緒に生きてくれる人がいるだけで。

人類最後の優しい君へ

20120720

見ろよこれ……生誕記念小説なんだぜ……?

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