※性的表現含、浮気ネタ


最初こそ慣れなかったものでも、彼のお気に入りなんだと思えばなんてことはなかった。たとえばこのハーブなんだかなんなんだか分からない芳香剤の匂いとか、彼が聴いているトランス系の音楽とか。
いつだって無駄なものが一切ない車に乗り込むと、ドアが閉められたのを確認した彼はまるで挨拶のように触れるだけのキスをし、目視をしてからゆっくりと車を発進させる。今この瞬間に、世界中でわたしたちと同じこと、つまり浮気相手である彼の車で、互いを求めあうための場所に向かおうとしている男女が、果たしてどれだけいるのだろうか。そんなくだらない上に途方もない疑問を脳裏に浮かべ、わたしってばなに考えてるんだろなー、と口元に微笑を湛えた。

「思い出し笑いする人はスケベさんなんやって」
「違うよ。ちょっとばか臭いこと考えちゃって」
「ばか臭い?」
「うん。今この瞬間に同じことをしてる人がどれくらいいるのかなーって」

せやなぁ。白石くんは笑って流す、かと思えば「23人くらいはいてるかもしれへんな」と案外真面目に返してくれた。(ちなみに23人だと奇数だから1人余っちゃうけどね)

県外から府内の大学に進学し、学内のテニスサークルでわたしは白石くんと光に出逢った。当初から人当たりも良く親切な白石くんはわたしの好みというか理想そのもので、なぜわたしは真っ先に白石くんを好きにならなかったのか、今でも不思議に思う。実際にわたしが好きになったのは、彼の後輩として紹介された光だったから。
とは云え、光の第一印象はとにかくもう最悪以外の何物でもなかった。無愛想だし悪態ばっかつくし、近くにいれば条件反射で避けてしまうくらい、知り合って間もない頃は苦手意識を抱いていた。苦手なだけで嫌いとまではいかないけれど、いずれにせよ友達にはなれないしなりたくないタイプであることは疑いようがなくて。

それが好きという気持ちにまで発展したのは、光からの隠れた猛アタックがあったからだ。表向き冷たい態度を取っていても、裏では妙に偶然を装ってわたしの前に現れたり(でもばればれ)、わたしが黒渕メガネが好きと云ったら翌日から掛けてくるようになったり、そういう行動を素直に可愛いなーと思っているうちに、いつの間にかわたしも光を好きになっていた。ちなみにこのことはネタにされたくないからと口止めされているので、白石くんや周りの人間はきっと知らない。

光に不満があるわけじゃない。光に何かが足りないわけでもない。なのにわたしが白石くんとこうして関係を持ってしまったのは、結局自分自身の流されやすい性格のせいでもあるし、悪い意味で絆されてしまったからだろう。くわえて普段はあんなに穏やかな白石くんがセックスの時は獣のように荒々しくわたしを求めてくるその姿に、体感したことのない興奮を覚えてしまったのだ。所詮は雄と雌、ということなのだろうか。

「ナマエちゃん、その髪色よう似合ってんで」
「そうかなー……初めてこんなに明るくしたから違和感ありまくりだよ」
「そんなことあらへんよ。めっちゃ可愛え」

わたしたちの行動は常に決まっている。ラブホテルに着いたらお湯を沸かして、一緒に入って、上がったら後はただただセックスに没頭するだけ。だからわたしはそれ以外の行動パターンを知らない。たまにコンビニへ寄ったりもするけれど、大体は車に乗ったらホテルへ直行。白石くんの家へは当然お邪魔したことなんてない。まあただの浮気相手でしかないわたしが家へ入れてもらおうなんて図々しい話だが。

泡風呂で後ろからわたしを抱きしめていた白石くんは、ふとうなじにねっとりと舌を這わせてくる。それから耳朶をかぷりと甘噛みし、そろそろと耳の中へ舌が捩じ込まれれば、敏感に反応してしまうわたしの体。スイッチが入った途端、彼の手は、目は、舌は、息遣いは、どこまでも淫猥にわたしを乱すのだ。

バスタブから出たわたしと白石くんは、縺れ込むようにシーツの波へと沈んだ。指と指を絡ませ、時おり焦らすように、乳房にそっと唇を落とす。くすぐったさに身を捩ると、突起を熱い舌で転がされ、体が弓なりに跳ねた。ふと、一面鏡張りの天井に組み敷かれた自分自身に目がいき、羞恥から強く目を閉じる。

わたしは最低な女だ。光といるときは彼を裏切っている罪悪感に苛まれるくせに、白石くんといるときは欲望のままに彼を求めてしまう。わたしは、こんなに性欲にまみれた汚い女なんかじゃなかったはずなのに。そんな簡単に、人を裏切るような人間じゃなかったはずなのに。

「は、ぁ、ナマエちゃん…っ」
「ん…っ、なぁに?」
「俺、ナマエちゃんのこと、」

そして白石くんは狡い男だ。彼はいつも思わせ振りなことを云う。“好き”と続きそうなところで寸止めして、わたしの心をばかみたいに翻弄する。考えるまでもないけれど、モテる白石くんなら彼女なんていつでも見付けられるのだから、わたしのような下半身のだらしない性欲の掃き溜めに特別な感情を抱くわけなどない。それでもあんな云い方をされれば、頭では解っていたって反応せずにはいられないのだ。それが、白石くんとの関係を断ち切れない理由。

繋がったわたしたち二人の体。腰を打ち付ける白石くんから波の合間を縫うように漏れ聞こえる艶のある声に、得も云われぬ快感がわたしを襲う。背中に爪を立て、淫らに腰を揺らす。そうして今日もまた、飽きるまで欲に溺れるの。


「え、デートだめになった……?」
「急用が入ってしもて。ごめんな、ナマエ」
「ううん。仕方ないよ」

いよいよ愛想を尽かされてしまったかな、と思った。明日のデートだって光から誘ってくれたのに、このところそんなんばっかだ。約束を取り付けてもドタキャンされるし、校外ではほとんど逢えなくなってしまった。理由はいつも「急用で、」とか変に暈かしたものばかり。
浮気してるのかな。そう考えたら、急に胸が苦しくなってきた。だけどわたしには光を責める権利なんてない。自分だってなに食わぬ顔して白石くんと逢ってるくせに、何が“胸が苦しい”だろう。先に光を傷付けたのはわたしじゃない。自分勝手なやつ。

どこまでも勝手なわたしは、この苦しさと寂しさを埋めたくて白石くんに電話を掛けた。白石くんに、逃げてしまった。すると白石くんはすぐに車で駆け付けてくれて、わたしは半ば強引に自分のアパートへと向かわせた。光以外の男の子は入ったことのない、わたしの部屋。光に対する当て付けのつもりなのだろうか。

「ナマエちゃん、ちょ、落ち着き」
「や、白石くん……っ、」

わたしは白石くんを押し倒し、馬乗りの体勢で唇を押し付ける。不安、寂寥、焦燥、色んな感情が渦巻いて、自分を止められない。とにかく今は、色欲に溺れていたかった。されるがままだった白石くんは逆にわたしを押し倒すと、愛撫をしながらももどかしそうに服を脱がせていく。唇や熱い吐息が性感帯を刺激すれば、わたしの口から一際大きな嬌声が漏れてしまった。

「白石、くん…っ、」
「……ナマエちゃん、俺だけのものになってや…」

え?一瞬現実へ引き戻されるも、彼が与える刺激によって思考を巡らすことは許されず。情事の後も普段と変わりない白石くんに、わたしはさっきの発言は思い違いなんだと自分自身に云い聞かせた。行為に夢中になるあまり気持ちが高ぶってしまったのだと、そう結論付けたのだ。
それでも、意味深なその一言が意識の内から離れることはなく。脳内で何度も何度も反芻されるうちに、記憶にしっかりと刻み込まれていった。

光と逢えない日々が続いて数週間が経った頃。再び彼からデートに誘われ、わたしは当日の、光がやって来るその瞬間まで、疑心暗鬼の時を過ごした。まただめになるんじゃないか、当日になってドタキャンされるんじゃないか、って。正直、期待はできなかった。
支度を済ませ、時間を確認する。待ち合わせ時間は正午、場所は光が迎えに来てくれるから、わたしの住むアパート前。あと、五分くらいか。付けっぱなしのテレビをぼんやりと眺めながら、陰鬱な気分のまま時間を潰していると、約束の時間ちょうどに聞き慣れないエンジン音がし、玄関を開ければバイクに跨がった光と思しき人物がこちらを見上げていた。

ヘルメット越しに見える双眸は間違いなく光だ。「今行く!」と叫んで一度部屋に引っ込み、ものの数秒で戻ってきたわたしは階段をかけ降りる。光、バイクの免許なんていつの間に取ったの?約束を守ってもらえたことはもちろん嬉しいし、それと光がバイクで来たことに対する驚きも同じくらい大きかった。

「独りにしてごめんな。ナマエのこと驚かそ思って内緒にしとったん」
「ばか……寂しかったよ」

渡されたヘルメットを被り、バイクに跨がる。乗るのは初めてだけど、そのうちにお尻もこの感覚に慣れるだろう。光の背中にぎゅうと抱き付けば、久しぶりの光の匂いが胸いっぱいに広がる。その瞬間、光だけが恋しいと思った。

「光、逢いたかったよ」
「俺も。ずっと逢いたかった」

久しぶりのデートなんてあっという間だった。気付けば日は暮れかかっていて、光は今日の夜実家に戻らなければいけないらしいから、もうばいばいだ。家の前まで送ってもらい、バイクを降りる。だけど。名残惜しくて、別れられないよ。

「ナマエ、これ」さっきまでは持っていなかったはずの、小さな白い袋を渡される。中を覗けば、薄桜色の細長い箱が入っていて。形状からなんとなく察しはつくけれど、これって。

「ネックレス?……あ、これ」
開けてみればそれは予想通りネックレスだった。しかもなんだか見覚えがあると思ったら、いつかわたしが「これ欲しいなー」とウィンドウ越しに呟いたものだったのだ。あんなの、軽い気持ちで云っただけなのに。これをプレゼントする為に、頑張ってバイトをしてくれてたんだ。教習所に通って、バイトをして。片手間でその二つをこなすのはどれだけ大変だっただろう。

わたしの一挙一動を、一言一句を光はいつも全神経を集中させて見ていてくれるし、聞いていてくれる。自分がどれだけ愛されているか。それを改めて実感したとき、わたしは喜びや幸せよりも居た堪れない気持ちと罪悪感でいっぱいになった。

「ナマエ、めっちゃ好き。ほんまに愛しとる」
「わたしも、わたしも光を愛してる」

これからどんな顔して光に逢えばいいの。今はそう思っていても、明日になればわたしはきっと白石くんに逢いに行ってしまうだろう。彼から着信があれば、逢いたいと云われれば、きっと拒めない。そしてあとはただ貪欲に、白石くんを求めるのだ。

ああどうか、この気持ちを誰か嘘だと云って。

揺らぎなど踏み砕けばいい

20120508

ゆきな様リクで財前くんのお話

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