電車に揺られとる最中、随分前に白石とした会話をぼんやりと思い出した。
電車通学ってええよな〜。白石も憧れへん?ちょっと気になる女の子ができたりして、しかもその子と会うのはいつも同じ時間同じ車両で、そんでたとえばその子が他校生の不良っぽい奴に絡まれたりとか或いは痴漢に遭ってしもたところを俺が助け出したりとかしてな。「実は俺、きみのことが前から気になっとって」ってカミングアウトしたら、まさかのまさか「私もなんです」なんて返ってきて。そこから少しずつ愛が芽生えてやがて二人は……。
って云うたところで白石にはごっつ冷たい目で見られてもうたんやっけ。分からんやっちゃな、ほんま。

ただあの時は電車通学に対するロマンを熱く語っとっただけで、実際自分がそれをするとは思ってへんかった。まあ志望校への通学手段が電車しかあらへんっちゅー偶然が今に繋がった云うこっちゃ。ほんでその偶然が俺の想いに応えてくれたんか、俺は運命的な出逢いを果たした。ただし俺が一方的にデスティニー思っとるだけで、悲しいかな、相手は俺のことなんか知りもしないだろう。初めて彼女を見掛けたのは、高校入学から二週間くらいが過ぎた頃。なんせ通勤ラッシュのど真ん中やから、俺が最寄り駅から乗る時点で車内は満員や。超満員とまではいかへんのが幸いっちゅーかな、でかいラケバを持って乗り込むわけやし、もしぎゅうぎゅうやったら乗るのは憚られたと思うねん。
ほんで電通を始めた最初の数日は、同じ車両にいてるのなんかOLのお姉さんとかおばはんだけやってん。せやから、やっぱり俺が思い描いたような出逢いは所詮漫画の世界でしかあらへんのやなーとか諦めモードに入りかけとった時、俺は彼女と出逢ったっちゅー話や。

俺の目に映る彼女はいつも難しそうな本を読んどって、激しい揺れに襲われた時なんかはびっくりしてか目を真ん丸くしよる。多分電車に慣れてへんのやろな、と俺は勝手に解釈。ほんで彼女を、厳密に云えば彼女の制服を一目見て解ったのは、ここいらでもかなり評判のええお嬢様学校に通っとるっちゅーこと。
短めのブレザーにジャンバースカート、本の奥から顔を覗かせる上品な銀朱のリボン。可愛え子が多くて男子にも人気の学校や。実際彼女も可愛えもんやから、困ったことに中々視線を逸らせへん。逸らしたところで俺の双眸は、気になるあまりすぐに彼女へと戻ってまう。そやけどそれは俺だけとちゃうらしく、同校他校の野郎共もちらっちら彼女を見よる。なんか嫌やわ。もやもやすんねん。

「次はー○○、お出口は右側です」
菜の花色の栞を挟むと、白くて華奢な彼女の指は惜しむように本を閉じる。今日も彼女との距離を縮めることは敵わんかった。彼女が気になり出してからの俺は、どないすればナチュラルにお近づきになれるんかを模索する日々を送っていた。或いは彼女の気を引く為の手立てに思考を巡らすんやけど、俺のミジンコ脳からはろくなアイデアが浮かばへん。他の奴らも必死に存在をアピールしとって、たとえば△△高の男はたまに仲間と一緒の時があんねんけど、そういう場合は必ず彼女の通う学校名を口に出しよる。あそこの女の子と友達になりたいわ〜とかな。ほんまわざとらしい。

今日こそは、明日こそは。どうせ考えとることは全員同じで。ライバルの多さと自分自身の行動力の無さに心底辟易しつつ、彼女が去ってから二駅後に俺も電車を降りたった。

『で、その子の名前は分かったん?』
「それがまだやねん…」
『まだ?あんだけ浪速のスピードスターとか自称しとった癖に?』
「うぐ……」

電話越しに繰り出される白石の容赦ない突っ込みに、俺のライフはじわじわと削られていく。別々の高校に通い出しても、白石とはこうして電話なりスカイプなりでコンタクトをとっていた。最近の話題は専ら俺と彼女のことで、そやけどなんの発展もあらへんことに、白石は溜め息を一つ。
それでもこいつはまだ優しい方やねんけどな。これが財前やったら「死んだ方がええんとちゃいます?」とか云われとったに違いない。財前は相変わらず中二病してるんやろか。今度メールしてみよ。それから五分くらい白石に話を聞いてもろて、なんやえらい眠くなってきたから丁度ええタイミングや思って電話を切った。携帯をベッドに放り投げ、俺自身もぼふっとダイブする。あー宿題やらなあかんのに目が開かへん……。

「(名前、なんて云うんやろ)」
俺はまだ、彼女の名前も、声も、笑た顔も知らない。たとえばもし、俺がもっと積極的で頭の回転も良かったら、今頃は彼女と仲良うなれとったんやろか。彼女、彼女。なんやろな、愛子ちゃんとか?ナマエちゃん、結衣ちゃん、貴子ちゃ…って貴子はおかんの名前や。そんでもって笑た顔は、多分殺人級に可愛えんやろな。秒殺やで、秒殺。できるなら俺が笑かしたいねんけど、それこそ道程は万里の長城ばりに遠そうや。

「(明日こそは、彼女に近付けたらええな)」

そら眠い時に目を閉じていればそのまま寝てしまうもんで、次に目を開けたら丑三つ時を廻っていた。やっぱり宿題は明日学校に着いたらやることにしよう。こんな状態で机に向かうのは宿題さんに失礼やからな。万全のコンディションで臨んだ方が本望やろ。俺は布団に入り直し、再び彼女に思いを馳せながら、数分と経たないうちに眠りに引き込まれていった。


「あかん!寝坊した!」翌日は慌ただしさを連れてやってきた。文字通り寝坊してもうたんや。時計を見れば、発車時刻まであと10分ちょいっちゅーところ。テーブルに並べられたおかずたちに胃袋は空腹を知らせるんやけど、彼女と朝飯を天秤に掛ければ彼女の方に傾くのは当たり前。俺はラケバを背に、スピードスターの意地を見せるべく全速力で駆けたった。

「(浪速のスピードスターにかかればちょろいもんやで!)」

とまあ盛大にドヤったところで電車はタイミング良くやって来て、俺はいつもと同じ3番目の車両に乗り込む。彼女はドア横のシートに座っとって、しかもえらい運のええことに彼女の前にいてはったサラリーマンのおっちゃんが数人降りたもんやから、俺は自然にその空いたスペースに滑り込むことができた。つまり、すぐ目の前に彼女がおるっちゅー今までにない状態。

「(こない近くで見るの初めてやんなぁ……)」
睫毛は長いし、肌は白くて綺麗やし、近くで見れば見る程可愛えな〜。と、つくづく実感。彼女は今日も読書に耽っていて、俺の熱視線に気付いた様子はあらへん。そんな真剣な表情にすらキュンとしてまう俺は、結構重症やと思う。
「(ナマエちゃん、ありさちゃん、さくらちゃん……)」
窓越しの景色がのどかな街並みに切り替わったその時。不意に彼女が顔を上げ、俺を見た。ばちっと、目が合ってしもた。それから彼女は唇を薄く開き、頬を紅潮させると、気まずそうに視線を本へと戻してしまう。え、な、なんや?今、俺を見て顔赤なったん?まさか俺が格好良くてそうなったわけじゃあるまいし、なんでやろ。顔によだれの跡とかついとるんかな?俺は自分の顔面、主に口元辺りに触れてみた。そうしたところで、何も異変は感じられへんかったけど。

降りるまでの間、頻りに控えめな一瞥を投げ続けた彼女。ちら見される理由に皆目見当もつかへん俺は、動悸を抱え電車に揺られるだけ。電車を降りてほしくない筈なのに、今日はこの空気が、同じ空間におるのがなんや気まずいっちゅーか。
そうこうして彼女が降りる駅に到着すると、いつものように菜の花色の栞を本に挟み、忘れ物が無いか確認して席を立つ。彼女が俺の後ろを通り過ぎる、彼女の肩が背中を掠める、それだけでも心臓はばくばくもんや。

「…あ、」

降りていく彼女を見送るや否や、さっきまで座っとったスペースに横たわっている、アンティーク調の小さな黒い手鏡を発見した。立ち上がった拍子にスカートのポケットから滑り落ちた、そんなとこやろか。これはチャンスや!ここで動かな一生距離なんか縮められへんで、忍足謙也!俺はその手鏡を拾い上げると、慌てて降車し彼女を追った。
「ちょお待って!」改札を過ぎようとする彼女を呼び止める。振り返った彼女は、きょとんとした顔で足を止め、それから怖ず怖ずと言葉を発した。
「えっと……なんですか?」
漸く聞くことのできた彼女の声は、予想通り女の子らしくて可愛えもんやった。感動に浸りたいのを我慢して、俺は手鏡を差し出す。

「あっ、すいません…」
「気にせんといて。ほら、手鏡は大事やし!」
「は、はい。そうですよね」

手鏡大事って何云うてんねやろ俺。緊張して何喋ったらええかわかれへんわ。二の句が浮かばずもごもご吃っていると、彼女は再び恐る恐るっちゅー感じの面持ちで「あの、」と切り出した。

「わ、私、前からあなたが……その、気になっていて」
「えっ?」

随分素っ頓狂な声を上げてしまった俺に、彼女は丁寧に折り畳んだ白い紙切れを差し出してくる。もしかして、これ。がっついとる思われるのも嫌やってんけど、あまり気になるもんやからその場で開いてみると、そこには彼女の名前、メールアドレス、それから“お友達になってください”というメッセージが記されていて。急展開過ぎて心臓が飛び出るかと思った。

彼女の、ナマエちゃんの頬はほんのりと赤味を帯びている。どうやら俺は自惚れていたわけとちゃうかったらしい。うっわどないしよ白石に報告するん楽しみ過ぎるわ〜あいつ絶対電話の向こう側でひっくり返るやろ!と呑気に考えていたら、彼女は消え入りそうな声で云うた。

「あ、あと、ズボンのチャック……開いてます」

さすが謙也やなって笑い飛ばされそうな気がしたったから、それだけは黙っておこうと心に決めた。

この世界はソプラノで反響する

20120415
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テーマ「人外ファンタジー」
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