あそこにみえるのは、おおいぬ座のシリウス?じゃあ、あっちのおほしさまはなんていうの?

小学校低学年まで住んでいた家は学校のすぐ近くに位置していて、グラウンドにそびえる小高い丘に登り、燦々と輝く星を眺めたことを今でも覚えている。それは母親とだったり、私一人でだったり。中でも私は冬の星空が好きで、肌を突き刺すような寒さに身を震わせながらも見上げた冬のダイヤモンドは、本当に美しかった。嬉しい時も、悲しい時も、星空のカーテンがいつも私を包み込んでくれて、星をもっと知りたいと思うようになったのはそれからだ。それから数年の歳月を経て、私は府内の某大学に進学した。そこを選んだ一番の決め手は、恥ずかしい話学部云々ではなく、府内でも有数の星座同好会があったから。数あるサークルの中でも星座同好会の活動の幅が一際広いのは、創設者がかなりの天文マニアでそれはそれは精力的に活動を行っていたから、らしい。詳しいことはよく分からないけれど、そういう事情があったおかげ(?)で私たち同好会のメンバーは伸び伸びと活動を行うことができている。

「おはようさん、ミョウジさん」
「あ、おはよう、忍足くん」

そこで私は、忍足くんと知り合った。中高と女子校に通い男の子とのコミュニケーションが滅法苦手な私でも、忍足くんにだけは不思議と苦手意識を抱くことがなく。彼が初めて話し掛けてくれた時から、自然に話せているような気がするのだ。大学以前から彼を知っているわけではないけれど、持ち前の明るさやまっすぐな性格がそうさせているのかな、って思う。

「日曜日の観測会、中々盛況やったな!」
「そうだね。木星も綺麗に見えたし」

私の前の席に腰を下ろし、がさごそと講義に使う一式を取り出す忍足くん。講堂はまだ人も少なくて席は沢山空いているのに、敢えて私の近くを選んでくれたことが嬉しかった。ああどうしよう、きっと今の私、すごく気持ち悪い顔してるんじゃないかしら。

学部も同じ、サークルも一緒、だけど私が忍足くんとサークル活動以外で話すことはほとんどない。勿論忍足くんは忍足くんでつるんでいる男の子の友達がいるというのもあるし、そもそもクラスが違うというのもある。

「これで後は写真展を」
「あ、謙也おはよー!隣座ってええ?」
「謙也くんやん!おはよ〜」

でも一番の理由は、忍足くんの傍には常に女の子がいるから。中学、高校時代はテニスが強いことでも有名だったそうで、それにこの性格や容姿ときたらモテない筈がなかった。仲が良い女の子は皆綺麗で、可愛くて、あとちょっと派手な感じの、要するに私とは正反対の人たち。巻き髪や紫のアイシャドウ、それからタイトなワンピースが似合うような。だから私は、傍に近寄ることができない。住む世界が違うのだと、いつも思い知らされるのだ。そうして忍足くんを挟んで座った女の子二人は、私に優越感を孕んだ一瞥を投げると忍足くんを独占し始めた。羨ましいでしょと云わんばかりに親しげな様子を見せつけられ、胸がきゅうと締め付けられる。居た堪れなくなった私は、様がましくも友達を見つけた振りをして最前列に移動した。だってこうすれば、女の子たちの楽しそうな声を聞かずに済むでしょう?




眠気を誘う心地好い揺れに身を任せながら、少し年老いた電車で一時間かけて向かったのはとある科学館。この辺りでは最も規模が大きいプラネタリウムを目当てに、足繁く通わせてもらっている。おかげで数名の館員さんにはすっかり顔を覚えられ、恥ずかしいやら気まずいやら。

「今日はリフレタリウムです。ごゆっくりお楽しみください」

ここでは様々なプログラムが催される。館員さんによる星空解説付きの投影や、BGMをバックにゆったりと星空散歩ができるリフレタリウム、星空を眺めながら音楽の生演奏を楽しめるミニライブ、エトセトラ。つまるところ、何度来たって飽きないのだ。はてさて、今日はどの季節の星空が見られるんだろう。沈着した昂揚感と共に扉を押し開ければ、この時間のお客さんはどうやら私が第一号のようだった。新品のようなひんやりとした空気を吸い込みながら、中央辺りの座席に腰を下ろす。それからぽつりぽつりと、主に子供連れのお父さんお母さんが来場し、開始時刻を迎えた室内はゆるやかに闇に包まれていく。扉が完全に締め切られ、後ろに誰もいないことを確認した私はそっとリクライニングを倒した。

ハープの優しげな音色が室内に響く。続いて丸天井に映し出されたのは、秋の星空だった。その証拠に、映写されて間もなく見つけたのは“秋の四辺形”と呼ばれる四辺形に並んだ星たち。ペガススにアンドロメダ、カシオペアにペルセウス。秋の星にはあまり燦然と輝くものがないと云うけれど、澄んだ空気の中で見る星空はとても綺麗で幻想的だと思う。そういえば、昔お母さんに神話を教えてもらったな。海の神ポセイドンを怒らせたが為に、化け鯨の生け贄にされた美しきアンドロメダ姫を救う勇士ペルセウスの、古代エチオピア王家にまつわる神話を。そのストーリーを聞いた時、ペルセウスはなんて格好良いんだろうって感動したんだ、私。この現代にも、そんな素敵な人がいればいいのにって。小さな頃、私も王子様やお姫様に憧れていた時期があったから。
その時、ふと思い浮かんだのは忍足くんの顔だった。それはなんの前触れもなく、唐突に。たとえば一緒にプラネタリウムを眺めたりして、それであの星はああであの星はこうでってお互い知らないことを教え合ったり、最後には今日は楽しかったねって笑い合う。もしも忍足くんとそうすることができたなら、どれだけ幸せなんだろう。それでなくても気になる人が同じ学校に通っていて、同じ趣味を持っていて、その趣味の話で語ることができるのは、すごく幸せなことなんだろうけれど。忍足くんも、プラネタリウムを観に行ったりするのかな。ここに来たことは、あるのかな。私、私ね。本当はもっともっと、忍足くんのことが知りたいよ。

10月、木犀の香りがほのかに漂い始める頃。私はサークル活動を行う部室で一人、写真展に飾る写真の選出に勤しんでいた。一枚と睨めっこをしては却下し、また一枚と睨めっこをしては却下する。どれもこれもが微妙な写真ばかりで決め倦ねていると、引き戸のスライドする音がした。

「あれ、忍足くん……忘れ物?」
「え、ああ。そんなとこやな。ミョウジさんは何してるん?」
「私は写真を選んでたの。でも、中々決められなくて……」

曖昧な返答を些か訝しく思いながらも眉尻を下げて笑んでみせると、テンポ良い足取りでやって来た忍足くんは写真をぴらと手に取り、「お〜」と感嘆にも似た声を漏らした。

「綺麗に撮れてるやん。写真撮るの上手やな、ミョウジさん」
「そ、そうかな」
「ほんまに。俺のなんか微妙すぎて星とスッポンやで」
「つ、月とスッポンだよ、忍足くん」

控えめにそう突っ込めば、わははと大きく口を開けて笑う忍足くん。それに釣られ私も口元を隠して微笑むと、忍足くんの私を見る眼差しがなんだかとても温かくて、途端に頬が紅潮するのを感じた。

結局写真はすべて忍足くんに選んでもらい、ごちゃ混ぜにならないよう分けてファイルにしまい込む。ところで忍足くん、忘れ物はどうしたんだろう。もう見付かったのかな。「えっと…忍足くん?」何かを探しているようには見受けられない彼の挙動に小首を傾げると、恐る恐るといった感じで忍足くんは云った。

「このあとなんやけど、なんか予定とか入っとる?」

忍足くんはジーンズのポケットに手を突っ込み、何かを引っ張り出す。それは、彼が取り出した薄群青色のチケットには、コスモシアターオープン記念観覧券、と記されていた。次いで彼は、以前から同好会メンバーの間で心待ちにされていた、最新型のプラネタリウムで投影を楽しめるシアターが遂に完成に至ったこと、そしてその関係者から特別に観覧券を貰ったこと、オープンから一週間は夜7時まで開館していることを説明してくれて。つまり忍足くんは誘ってくれているのだと、状況を呑み込んだところで私は音が鳴るんじゃないかってくらい大袈裟に首を縦に振った。

「よ、よろしくお願いします!」
「こちらこそ。ほな、俺の車で行こか」

忍足くんは至極嬉しそうにキーを指にかけて回し、さりげなく私の荷物を持ってくれる。そういうちょっとした気遣いにまでどきどきしていたら、きっとちっぽけな私の心臓はあっさり爆発してしまうに違いない。部室を出、エントランスを抜け、駐車場で彼の車にお目見え。疎い私には車種も名前もよく分からないけれど、一見してお洒落な忍足くんに似合いの車だなという印象を抱いた。大学からシアターへは15分くらいで行けるらしい。たかが15分、されど15分だ。その間、どきどきしすぎて会話が途切れたりしたらどうしようとか、そんな心配が脳裏を過ぎる。

「ミョウジさん、プラネタリウムはよう行くん?」
「え?あ、うん。私、×科学館によく行ってるの。この前も行ってきたばかりだし」
「そうなんや。ミョウジさんは、その、誰かっちゅーか彼氏とかと行ったりしてるん?」
「か、彼氏なんていないよ!わ、私男の人が苦手だから、」
「俺も苦手?」
「えっ、う、ううん。あの、忍足くんは大丈夫っていうか、その」

時折意地悪な言葉を紡ぎながらも、車中は忍足くんが会話をリードしてくれたおかげで沈黙にならずに済んだ。ホッと、一安心。そうしていよいよ目的地に到着し、一番近い駐車場に車を駐車すると、シアター周辺にはプラネタリウムを観に来たのであろう人たちの姿が多く見られた。女の子同士とか、カップルとか。傍目には、私と忍足くんもそう映っているのかな?だったらいいな、なんて。

中に入ると座席は着実に埋まりつつあり、隣り合って座れるよう後方の空席にいち早く腰掛ける。室内は女の子特有の声でざわついていて、ふと、今こうして忍足くんといることが今更ながら信じられない気持ちでいっぱいになった。夢心地って、こういうことを指すんだね。ふわふわした綿雲の上を歩いているみたいな、そんな気分。

館員さんの挨拶が流れ、室内から照明が消えていく。500万個の星と謳っていたけれど、確かに丸天井に映し出されたそれは、散りばめられた宝石のように目映い輝きを放っていた。これは、春の星空だ。ほら、あそこには北斗七星があるでしょう?それから北斗七星の柄杓の柄のカーブを南に進めば、オレンジ色をしたうしかい座のアークトゥルスが見えるし、更にその下方にはおとめ座のスピカがきらきらと存在を主張している。暖かな春の訪れを待ちわびていたのか、大きな星も小さな星も、明るい星も暗い星も、皆一様に踊っていた。

館員さんの神話伝誦が始まる。おおくま座のカリストは、月の女神アルテミスに仕える非常に美しい娘でした。日毎アルカディアの森で狩りをしていたカリストですが、ある日大神ゼウスが天上から彼女の姿を見、その美しさにすっかり目を奪われてしまいます。ゼウスに見初められたカリストはいつしか彼の子を身ごもりますが、ゼウスの妃であるヘーラがそれを許す筈などなかったのです。激怒した彼女はカリストを熊の姿に変えてしまい、変わり果てた自身の姿を恥ずかしく思ったカリストは、深い森の奥へ身を隠してしまいました――

姿勢を正した拍子に、忍足くんの肩とぶつかってしまう。それに気付いていないのか、彼の視線は星空に向いたまま。「ミョウジ、さん?」一粒、二粒。突如として私の双眸から溢れ落ちる涙。微かに震える肩が異変に気付かせたのだろうか。忍足くんは私の手をそっと掴むと、室外へと連れ出した。
どないしたん?忍足くんは、優しく訳を問うてくる。きっと、哀しみの縁に触れてしまったのだ。近付くことを許されなかったカリストに、自分自身を重ねてしまったから。気になる人が同じ学校に通っていて、同じ趣味を持っていて、その趣味の話で語ることができるのは、すごく幸せなこと。

でも、私と忍足くんとでは住む世界が違い過ぎるんだよ。どれだけ近くにいても、何万光年何奥光年と離れている星のように、手なんか届かない。忍足くんが王子様でも、勇士ペルセウスでも、私はお姫様にはなれない。アンドロメダにだってなれない。ずっとずっと遠いところに、彼はいるのだ。

「ごめ……っ、せっかく来たのに、」
「それはええ。それはええねんけど、頼むから泣かんといて。…俺、ナマエちゃんに泣かれたらどないしてええか分からへん」

忍足くんはばつが悪そうに頭を掻き、握っていた手をそっと離した。私は小さく鼻を啜り、ハンカチを目元に宛てて俯く。そうだよね。いきなり泣かれたら、普通は迷惑だよね。何してるんだろう、私。困らせたいわけじゃなかったのに。慌てて謝辞を口にすれば忍足くんは「ちゃうねん」と、2回同じ言葉を繰り返した。

「俺、ミョウジさんに嫌われとるんやと思ってた。せやから今日、誘いに乗ってくれて死ぬほど嬉しかったんや」
「え……?」
「俺な、もっともっとミョウジさんと仲良うなりたいねん。ミョウジさんのこと、知りたいねん」

私はお姫様にもアンドロメダにもなれない。けれど、ただの女の子のままでも忍足くんの目に留まるなら、忍足くんが私を見てくれるなら。私も、あなたと仲良くなりたい。あなたを知りたい。少しだけでいいから、あなたの心に触れてみたいのです。

遊星シアター

20120316

ひなた様リクで謙也くんのお話

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