まだ梅雨入りしてないって石原良純さんが云うから、傘は持たないで登校したのに。部活が始まるちょっと前だったかな、日中までの晴天とは打って変わって雲行きが怪しくなり、どうか降りませんようになんてわたしの祈りも虚しく、練習終わりのミーティングの最中に到頭雨は降り出してしまったのだ。
あーあ、どうしよ。
小雨を優に通り越したこのスーパー土砂降りの中、傘無しで帰宅するのは流石にきつい。かと云って今日はまたタイミングの悪いことに両親の帰りが遅いから、迎えを頼むこともできない。参ったなあ。バケツをひっくり返したようなってよく云うけどさ、これはあれ、バケツじゃなくて100人分くらいの味噌汁とか作れるようなでっかい鍋って感じじゃない?いやまあそんなことはどうだっていいんだけどね。

「以上でミーティングを終わる。行ってよし!」
雨足にばかり気を取られていたわたしは、監督の決まり文句で漸く我に返る。最後の方全然聞いてなかったから後で忍足にでもメールしてみよ。跡部に云うと煩いからさ、ちゃんと聞きやがれとかなんとかって。一斉に着替え出したレギュラーの皆を見遣り、傘二つ持ってきてる人いないかなあなんて淡い願望を抱きつつも、腰を上げ制服片手にいそいそとトイレへ向かう。恐らくは跡部と榊監督両人の趣味なのだろう、薔薇の芳香剤だったり薔薇の花だったりが飾られていたりとやたら薔薇薔薇しいトイレで早々に着替えを済ませ部室のドアを開けてみるも、残念ながら止む気配はない。ぱたりとドアを閉めれば、足を組んでソファに腰掛けている跡部が開口した。

「お前傘持ってきてねえのか?」
「うん。降らないだろうと思ったから」
「なら送ってやってもいいぜ?」
「ほな俺も頼むわ景ちゃん」
「アン?テメーは傘あんだろが忍足」
「はいはい。相変わらず男には厳しいやっちゃなあ」

しかし、これぞ正に小さな親切大きなお世話とか云うやつだった。大目玉を食うのは明白だからまかり間違っても口にはしないが。だって考えてみてほしい、もしも跡部に送ってもらったりなどすれば、翌日にはファンクラブの皆様が黙っちゃいないだろう。いくら同じ部の仲間とは云え、氷帝学園の頂点に君臨するキング様ともなれば、彼のファンもまたある意味で別格なのだとわたしは認識している。それに、何よりも誤解されたくないのだ。わたしが跡部に気がある、或いはその逆で跡部がわたしに気があるのでは、と。彼には、宍戸だけには絶対に。
わたしが宍戸に想いを寄せていることは、パートナーである長太郎しか知らない。ふとしたきっかけで打ち明けてからはいつもいつも恋のキューピッドを演じてくれて、本当にできた後輩だと思う。わたしは大丈夫とやんわり断れば、跡部は特に追求することもなくそうかと頷いた。さて断ったはいいが真面目にどうやって帰ろう。見たところ皆傘は一本しか持ってないみたいだし。
「ミョウジ、」宍戸が五里霧中の最中にいるわたしを呼んだのは、何か雨を凌げる物はないかと室内を見回していた時だった。

「俺の傘使えよ」

白いビニール傘を突き出してくる宍戸。え、宍戸傘二本持ってるの?わたしがそう訊ねると、彼は言葉を濁した。いや、傘は一本しかねえけど俺は適当に帰るから別に。彼が云い切ったのと長太郎が「駄目ですよ!」と叫ぶように発したのは、ほぼ同時だった。
「宍戸さん、この雨ですよ?濡れて帰ったら絶対に風邪引いちゃいます」
宍戸を窘める彼は、するとわたしの方をチラ見して様がましく手を叩く。そういえばお二人とも方向同じなんですよね?それなら一緒に帰ったらどうですか?願ってもないチャンスに大きく弾む心臓。ミョウジが平気なら構わねえけど、と諾意を示した宍戸に、わたしはこっそりとアイコンタクトで長太郎に感謝を伝えた。
そうして残っている皆に別れを告げ、宍戸と二人部室を出る。改めて見れば、刺されると痛みを伴いそうな程の豪雨だった。ばん、と雨粒を弾いて広げられた傘は、二人余裕を持って入る分には些か小さくて。否が応でも触れ合う肩に、馬鹿みたいに意識してしまう。こうして密着していると、宍戸の体温までもが伝わってきそうな気がした。

「そっち、濡れてねえか?」
「うん。大丈夫だよ」

二人きりになるのは決して今日が初めてじゃないけれど、変に緊張してしまって上手く言葉が紡げない。会話が途絶え、雨音だけがわたしたちの聴覚を支配する。
「(な、何話せばいいんだろ……)」
部活のこと、授業のこと、家族のこと。挙げようと思えば話題なんて幾らでもあるはずなのに、喉元までやってきたそれは何故か引っ込んでしまう。そうしている間にも、わたしたちの足だけはしっかりと、そして着実に家路を辿る。せっかく一緒に帰れたのに、沈黙のままだと宍戸もきっと気まずいよね。
あ、あのさ。とりあえずの勢いで口を開きぶつかった彼の視線に、わたしの心臓は再びどくんと跳ねた。一々意識してたら身が持たないでしょわたしってば!

「ミ、ミーティングの最後の方ぼーっとしてたから聞いてなくてさ。監督なんて云ってた?」

咄嗟に出たのがそれだった。まあ忍足にメールする手間も省けたし丁度良いか、なんて思ったり。すると宍戸から返ってきた謝辞に、わたしは小首を傾げ二の句を待つ。

「俺も聞いてねえんだ。ちょっと考え事してたからよ」
「考え事?珍しい」
「……悪かったな」

不貞腐れる宍戸についつい吹き出してしまうと、彼の表情は余計に拗ねたようなそれになる。宍戸のそういう可愛い一面も引っくるめて好きなんだよなぁ。ほんの些細なやり取りでこんなにも笑えるなんて、恋って偉大。さっきまでの微妙な空気から一転、ほっこりした気分で一足先に帰路に着いたわたし。彼の家はもう少し先だから、相合い傘もここでお終いだ。

「ありがとね、宍戸」
「おう、じゃあな」

宍戸が背を向けた瞬間に気が付いた、濡れた彼の左肩。ま、待って今タオル持って来るから!慌てて引き留めようとしたけれど、彼は早足で去って行ってしまう。遠退いていくその背中に、わたしはもう一度ありがとう、と呟くのだった。

あの日が梅雨の始まりだったらしい。連日連夜雨が降り頻り、天候に比例して憂鬱な気分が続いていた。本日もまた早朝からかなりの土砂降りで、しかも今日は暴風もセットというダブルコンボに一入陰鬱な気持ちで登校の足を進める。風の悪戯で右へ左へと動き回る傘を進行方向に向けようとしたら、何かが折れる不吉な音が耳を掠めた。
ま、まさか。恐る恐る右斜め上を見上げれば、傘の骨が数本この暴風に負けてぽっきりとやられてしまったようだった。え、嘘でしょ。重傷を負った水色のビニール傘は、もはや傘として機能せず。泣く泣くそれを閉じると、わたしは駆け足で校舎へと向かった。

そうしてテンションだだ下がりのまま迎えた放課後。いつもより早く練習を切り上げると、わたしは着替えもせずに部室の机に突っ伏した。はあ、と溜息も一緒に。置き傘をしている友人はいないかと回ってみたが全員ダメ。たまたま持って帰った、既に人に貸してしまった、自分のも壊れてしまったからそれを使おうと思っていた、というのが彼女たちの回答だった。両親には暫く帰りが遅くなることを知らされていたから、初めから頼れるはずもなく。いっその事濡れて帰ろうかなあ。全速力で走れば大丈夫だよね、多分。

「あれ、ミョウジ先輩傘はどうしたんですか?」

助け船を出してくれたのは長太郎だった。帰り支度を整えていた彼は、いつまでもぐだぐだ時間を潰しているわたしにそう問い掛ける。傘壊れちゃってと力無く返すと、彼の目線は少し離れた宍戸の方へ。会話こそ聞いていなかったものの視線に気付いたらしい宍戸は、なんだよと云いたげに長太郎を見返した。

「ミョウジ先輩、傘が壊れてしまったらしいんです」

その一言で悟ったのか、宍戸は少々間を置いてから相合い傘を受け入れてくれたけれど。その“間”がなんなのか、心に引っ掛かって仕方がない。嫌、なのかな。ぎこちない笑みを携え、部室を後にするわたしたち。着替えるのが億劫だったのでわたしはジャージ姿のままだ。
ぽつり、ぽつり。激しい雨とはまるで対照的な、寂しい言葉のキャッチボール。今日は最後の最後まで、ほっこりした気分にはなれなかった。今の心境を例えるなら、しゅんとした感じ。

傘を盗まれるというわたしにとっての惨事が起きたのは、翌日のこと。
昨日は骨が折れてそれで新しい傘を買ったかと思えば今度は盗まれるだなんて、踏んだり蹴ったりもいいところだ。こんちくしょう。
あの、ミョウジさん。放課後になり練習へ向かおうと教室を出たところで誰かに呼び止められ、わたしはくるりと振り返る。名前は知らないけれど、相手は同学年の女の子だった。

「あの、わたしに何か、」
「ミョウジさん、宍戸くんと付き合ってるの?」

単刀直入にそんなことを聞かれるとは。宍戸という単語に過剰反応してしまうわたしの左脳。彼女はどうやらわたしと彼が一緒に下校している場面を目撃してしまったようで、どうしても真相を確かめたかったんだとか。
付き合ってないよ。わたしと宍戸は。
事実を告げれば、忽ちのうちに綻ぶ彼女の表情。その時になって漸く、わたしは自分の愚かさを実感したのだった。彼だって、宍戸だって好きな人がいて、そんなことは想像したくもないけど、その好きな人にわたしとの仲を誤解されたら嫌な気持ちになるよね。こんな簡単なことにどうして気付けなかったんだろう。昨日のあの“間”は、宍戸が躊躇ったのはこれだったんだ。
罪悪感とか、気まずさとか、胸苦しさとか。そんなものが一気に押し寄せてきて、宍戸と顔を合わせるのがとても辛かった。もう、頼れない。宍戸の優しさに、甘えられない。頭では分かっているのに、

「先輩、本当にツイてないですね」

同情を寄せる長太郎は、でもまあ、と続けた。「宍戸さんに送ってもらえるきっかけになったんですし、良いんじゃないですか?」昇降口で搗ち合ったわたしたちは、ひそひそと小声で言葉を交わしながら部室へと歩みを進める。良くないよ、宍戸だって、好きな人いるかもしれないし。消え入りそうな声で長太郎の一言を打ち消せば、彼は目元に柔らかみを湛えて教えてくれた。

「朝練の時に見たんですけど、宍戸さん、今日違う傘を持って来てたんです」
「……え?」
「いつもより大きめなやつで、壊れたんですか?って聞いたらそうじゃないって」

それって、どういうことだか分かりますよね?

微笑む長太郎。一方のわたしは自分自身にストップを掛けた。分かるよ、分かるけど、だって自惚れたくない。わたしの為だなんて勝手に舞い上がって、もしそうじゃなかったら。

結局この日も長太郎の仲介によって宍戸と帰路を共にすることになり(断ろうとしたけど彼の勢いに負けたっていうのはやっぱり言い訳に過ぎないよね)、留紺の傘の下で身を寄せるわたしたち。傘を変えたのは、本当にそういうことなの?それとも、ただの勘違い?気になるのに、怖くて聞けないよ。

「…なあ、」
校門を数歩通過したところで、宍戸は遠慮がちに云った。お前、平気なのか?長太郎に、誤解されても。

「え、長太郎?なん、で」
「お前、その、長太郎のこと好きなんだろ?」

とんだ勘違いをされたもんだと、わたしは慌てて否定した。違うよ、確かに長太郎とは仲良いけどお互い恋愛感情はないし!って。それに、それに、

「わたしは……宍戸が、好き、だから。だから寧ろ、宍戸の迷惑になってるんじゃないかって」

蚊の鳴くような弱々しいわたしの告白は、それでも隣に並ぶ宍戸にしっかりと届いてくれた。え、あ、と言葉を詰まらせている彼を見上げれば、真っ赤な顔に期待したくなってしまう。

「構わねえよ」
「……え?」
「傘がねえなら、俺が入れてやっから」

好きかそうでないかで答えてくれないなんて、シャイで不器用な宍戸らしい。だけどそう云ってくれるってことは、宍戸もわたしのことが好きだって、そう解釈しても良いんだよね?自意識過剰なんかじゃない、よね?俺も、と小さく返す彼を見て思ったのです。このまま雨の日が続くのも悪くはないかな、なんて。

ひらり舞う僕らの純情
(宍戸さんが傘を変えたのは、ミョウジ先輩の為なんですよ)

うた様に捧ぐ!しかし梅雨終わっとるがな。

title:誰そ彼様
20110711

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