『5月病』それは新入生や新入社員といった人間が、周囲の環境に適応出来ずに陥ってしまう云わば鬱と同じ類の病。わたしは新入生でもなければ新入社員でもない。じゃあ何か生活環境が変わったのかといえば、今春進級した際にせいぜいクラス替えがあったくらいで、それでも仲の良かった子の大半とは今年も同じクラスになれたのだから、そこまで環境ががらりと変化したわけでもない。
にもかかわらず、だ。このところ、何故なのかどうにもやる気がおきない。それに気分の浮き沈みもやたらと激しく、ちょっとしたことで苛々してしまうのだ。皆で和気藹々としているのは好き。でも、誰かといるとこの苛立ちをぶつけてしまいそうになる。一人でいるのも好き。でも、そうしていると嫌が応でもあれこれ考えて余計に陰欝になってしまう。
ひょっとして、わたしも5月病患者になってしまったのだろうか。授業中の屋上で一人ぼんやりと、曇天を見上げては訳もなく零れてしまう溜息。きっと今の自分は、たとえ雨が降ったとしても立ち上がることすら面倒臭がるだろうと思った。

「さっきからなんやねん。お前の溜息がうっさくて眠れんわ」

あ。こいつの存在をすっかり忘れてた。わたしと数メートルの距離を開けて寝転んでいるのは財前光。なんてことはない、去年のクラスメートだ。目付きは悪いし無愛想だし毒舌家だけど、意外なことに結構話しやすかったりする。教室が離れた今はこうして遭遇することがあれば軽く会話をする程度だけど、最近はサボる時間がよく被るからか、その機会も少なくはない。

「しゃーないやん。わたしかて別につきたくてついとる訳やないねんから」
「せやったらなんで溜息ついてんねん」
「知らんわ」
「はあ?」

お前アホちゃう、と悪態をつかれても今は云い返す気になれない。とにかく怠い。あーもう、本当なんなんだ。この胸の中に引っ掛かった原因不明のもやもやが気になって仕方がない。苛々する。思わず財前に聞いてみようかと血迷った自分がいたが、とりあえず黙って寝ることにした。明日には、多少なりとも良くなっていることを祈って。

ところがどっこい、翌日はもっと最悪だったのである。

「……はあ、」
「今日はなんなん」
「喧嘩した」

誰と、そう聞かれたけど正直説明するのは怠かった。それに今は、辛口コメントなんかされたら尚更凹んでしまいそうだし。でも、財前がそれはそれは珍しく、たぶん四年に一度のオリンピックばりの割合で心配そうにこっちを見てくるもんだから、わたしの口は意に反してぽつぽつと話し始めていた。
はあ、こんな弱っちいところをこいつに見せてしまうなんて、5月病は実に厄介だ。

「同じクラスやった優子、覚えとる?」
「おん」
「今日な、彼氏と喧嘩したーって相談されたんやけど」

恋愛相談を受けたのはつい数時間前のこと。どうも男が浮気しているんじゃないか、という疑いから喧嘩に発展してしまったらしく、彼女はわたしにアドバイスを求めてきたのだが。
残念なことに、わたしは初恋すらまだ未経験な女。(それは彼女も知っているはず)だから彼氏もいたことがなければ、浮気だなんだという揉め事にも縁遠い存在で。ただ、悩んでいる友人の心を少しでも軽くしてあげたいと、未経験なりにアドバイスをしてあげただけなのに。

「『ナマエの云い方、無神経過ぎて腹立つわ』って云われてしもたんや」
「なんやねんそれ。自分から相談してきたくせに勝手すぎるんちゃう?」
「わたしもな、ついカッとなってそう云い返してもうたん。せやけど、ただでさえ彼氏と喧嘩して落ち込んどるのに、追い討ちかけてどないすんねん思てな」

なにも、彼女とあんな風に口論をしたかったわけじゃない。だけどあの時は、明らかにわたしが悪いのだと決め付けたような云い方が癪に触り、自分を止められなかったのだ。
わたしは気の強さに定評のある人間だ。一つ云われたら、二つ云い返して。三つ云われたら、四つ云い返して。そうして気付いたら、彼女を泣かせてしまっていた。あんなこと、口にするつもりは無かったのに。『後悔先に立たず』って、正にこういう事を云うんだね。

「(あかん……泣きそう)」なんて柄にもない。財前にこんな情けない表情を見られたくなくて、わたしは俯き顔を両手で覆った。きっと5月病を患ってさえいなければ、泣きそうになんかならずに済んだのに。数メートル向こうの奴が何も云ってくる気配はなく、瞬く間に沈黙に呑み込まれてしまう。
たん、と不意に耳に届いたのは微かな物音。相手をするのに嫌気がさして、教室へ戻ったんだろうか。そう思い添えていた両手を離すと、財前はわたしの隣に腰を下ろしていた。寄り添えるくらいの至近距離に、出かかった涙も思わず引っ込む。

「な、なに……?」

問い掛けには答えず、尚も無言の財前。するとやにわに頭を引き寄せられ、そのままの体勢で優しく撫でられた。ぽんぽん、とまるで幼子をあやすように。子供扱いすんなと云ってやりたかったけど、頭を撫でるその掌があまりにも温かくて、涙腺が緩んでいくのを感じるほかなかった。

「財前のアホ、財前の、ええと……」
「考えんなや。そこは天才とでも云うとけばええねん」
「アホ、それ褒め言葉やんか」

財前がわたしの目にこんなにも恰好良く映るのも、きっと5月病のせいだと思った。

君と僕のグレーゾーン//hmr

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