年下彼氏の財前光とは家がご近所だった。
という事実に気付いたのは、実はわたしたちが付き合い始めてからなのである。驚きという感情はあってしかるべき、なんだけど。いままで知らなかったことは、不思議という程でもなかった。だってまず光は部活動に属している関係で、登下校の時間帯からして帰宅部のわたしと違うわけだし、そもそも財前なんて苗字の人間は知り合い含めて何人もいるのだ。よって、佐藤さんのお隣の中村さんのそのまたお隣の(中略)池田さんのお向かいに住んでいる財前家の息子がまさか光だったなんて、それまでは知りもしなかった。

「ちゅーか髪染めるくらい自分でやったらええやん。相変わらず人使い荒すぎ」
「うっさいわタコ。ほなら断ればよかったやんか。男のくせして今更ぐちぐち云うなや」
「ちょお待てや、それが人にもの頼む人間の態度かコラ」
「あーはいはいすんませんでしたー。財前さまお手伝いよろしゅう頼んますー」
「うっわなんやのこのブス」

そのブスに数か月前、惚れてまうやろーからの告白してきたのはどこのどいつだこのハゲ。すかさずそう云い返してやろうと攻撃の姿勢に入ったけど、口よりまず先に手を動かしてもらわなきゃわざわざ家に呼んだ意味が無いじゃんかと、この不毛窮まりない云い争いにピリオドを打ったわたし。うん、さすが。おとなだ。

「大体染め直す必要あるんかこれ」
「あるんやってー。色落ち酷いの見たらわかるやろ?放置しまくりやったし、ええ加減まともな色にせな」
「いや、ようわからんわ。それに髪よりまず脳みそまともにした方ええと思うけど」
「なんやとこのタコ」
「おーやんのかブス」

光とは付き合う前からこんな感じだから、ぶっちゃけた話恋人になったという実感がどうにも沸いてこない。それに時々、愛されてるのか不安になることもあるし。って……もしやわたし、遊ばれてる?彼女とか云っておきながら、実はロープレでいう村人A的な?こいつの性格のオワタ具合はそれはもう尋常じゃないけど、顔だけは良いからそれ考えたら女なんて選ぼうと思えばいくらでも選べるもんね。
ああなんか嫌だなあ。もやもやする。鏡越しに光を盗み見ていたわたしはふいと目を逸らした。ヌーディーベージュとかいう名前だけはいい感じのこの色。実際、染める前と明暗がそんなに変わるわけでもない。まあ、気持ちの問題なんだよね。受験も控えてることだし、ここらで落ち着かせなきゃと思って。本当はシャレオツな美容室なんて行ってイケメンのお兄さんにでもしてほしかったけど、なんせ金欠ですから。あ、そうだ。
受験が終わったら、うんと明るくしてみようかな。某スピードスターの彼みたいな眩しすぎるパツキンはさすがに度胸がいるけど。

「大して明るさ変わらんのやったらいっそのこと黒にしたらええのに」
「くろー?」

ドラッグストアで染め粉を選んでいる最中、光の提案通り黒染めを考えはした。ただしその迷いは、ほんの一瞬で泡の如く弾けてなくなったけどね。単に真っ黒にするのが嫌だからじゃない。黒にだけはしたくない理由が、わたしにはあるんだ。

「黒になんか絶対せえへんわ。またどっかの誰かさんにきもい云われたないしなー」
「は?どっかの誰かさんて誰やねん」
「光に決まっとるやろボケ」

いつだったっけな。ちょっと前にも黒染めしようとしたことがあったんだよ。他の何を忘れても、あの時の発言だけは忘れたなんて云わせない。わたしだって、それなりに傷付いたんだから。“黒なんかにしたら、余計キモなって寄り付くもんも寄り付かんくなるやん”なんてさ。わたし、あんたの彼女じゃん。なのに、どうしてそんな云い方ばっかされなきゃいけないの?って。あのときは光の頭をぶっ叩いてそれで終わりだったけど、本当は情けないくらい泣きたい衝動に駆られたのをいまでも覚えてる。

「……俺、そんなつもりで云うたんちゃうけど」
「は?せやったらどないなつもりで云うたらきもいなんて言葉が出てくるんですかー」

ブロンズの彫像のように沈黙する光。そりゃそうだよね。だって“きもい”の言葉の意味なんて、今更辞書で引かなくたってわかることじゃん。そんなつもりで云ったんじゃないのなら、どんなつもりだったのかちゃんと説明してくれなきゃ理解できるはずないっつーの。ああなんかむかつく。明日、と。ちいさく、まるで箪笥の奥から忘れていた何かを取り出すかのようにそう呟いた光に、わたしは噛み付いた。なによ、明日って。

「小春先輩に聞いてみ。したらあんときの言葉の意味、わかるから」

は?小春ちゃん?なになになんで?余計意味がわからなくなり、頭の中で疑問符が乱舞を始めた。彼女(いや、彼か)とはクラスメートだしまあまあ仲は良いけど、どうしてここで小春ちゃんの名前が出てくるのかさっぱりだ。理解不能に陥ったわたしは、明日と云わずいまこの場で光本人に真意を問いただそうとしたけど、当の光が口を割ることはなかった。役目を果たして自宅へ戻って行く、最後の最後まで。

「なあなあ、小春ちゃん」翌日のSHR終了後、わたしは結局小春ちゃんに聞いてみることにした。なんというグッドタイミング、あのお邪魔虫(ユウジ)は先生に呼ばれていないみたいだし、聞くならきっと今しかない。あいつがいたら、俺の小春に何ちょっかいだしとんねん、とかいらない口挟んできて話進むものも進まないしね。

「あらナマエちゃん、浮かない顔してどないしたの?」
「あんなあー。昨日のことなんやけど……」

昨日のこと。光が云ったあの言葉の意味。わたしが詳細を口にしている間中ずっと、小春ちゃんは安心感を与えてくれるような、優しい表情でうんうんと頷いてくれた。彼女(いや、彼か)のこの雰囲気が、重く沈んだ気分を楽にしてくれる。まとまりに欠けはしたもののどうにか話し終えると、微笑む小春ちゃんから返ってきたのは予想だにしなかった言葉だった。

「ナマエちゃん、ほんまに愛されとるんやね」
「え?」
「彼はきっと、こういう意味で云うたんやないのかしら?」

“黒染めなんかしたら、ナマエがますます可愛くなって悪い虫が寄り付きそうで、それが怖い”

不安とか、心配とか。小春ちゃん曰く、光のあの言葉にはそういう意味が込められているんだと。え、わかりにくすぎじゃない?なんて心中でツッコミはしたものの、奥底から込み上げてくる嬉しさと恥ずかしさから顔が忽ち熱くなるのを感じた。えええ、なに、そういうことなの?わたしって、何気に愛されてる?どうしよ、ああなんかめっちゃ嬉しい。とここでユウジが戻って来たから、わたしは小春ちゃんにお礼を云って席に着いた。すべて、素直じゃない光の愛情表現なんだと。それが解ったところでわたしは「光だいすきー、ちゅっちゅっ」とメールを入れてみた。「うわキモ。病院行った方がええな」と返ってきたけど、いくらキモいと罵られても全然気にならなかった。愛情の裏返しかあ、そう思ったら自分でもキモいと実感するくらい、ニヤニヤが止まらなかった。


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