社会人になって四年目、夏も盛りを過ぎたという頃、久々にテニス部の皆との再会を果たした。所謂同窓会というやつだ。思うに私たちは、他の部に負けず劣らず仲が良かった。だから中学を卒業し、各々の進むべき道の為に離れ離れになっても暇さえあれば遊んでいたし、成人すればお酒を飲みに行ったりもした。社会に出れば荒波に揉まれるばかりでその機会もめっぽう減ってしまったけれど、それでも召集を掛ければ今日のように全員参加してくれる。それが堪らなく嬉しかった。

およそ二年振りの再会は、私に様々な感情を抱かせた。まず驚くべきは、当時から奇抜な髪色をしていたブン太や仁王のそれが到頭真っ黒になったこと、真田の老化にそれ程磨きがかかっていなかったこと(云ったら怒られそうな気がしたから黙っておいた)、赤也の顔付きが最後に会った時からまた随分と、そして誰よりも大人びたように映ったこと。大人なんだから当たり前と云えば当たり前、けれど私たちを慕い尻尾を振っていた可愛らしい彼の姿しか知らない私からすれば、なんだか違う人間を見ているようでもあって。驚いたと云うよりも寂しかったかな。人って、二年でこんなにも変わってしまうんだって。反面、嬉しいことも確かにあった。皆がテニスを忘れないでいてくれた、そのことが何よりも。自動車の整備士、プログラマー、サラリーマンと肩書きは様々だし、今は仕事の合間合間にラケットを握るくらいらしく、現役で続けている人はもう、誰もいない。けれど口を開けば世界ランク上位の誰それがどうだとか、最近の立海はたるんどるだとか、どれもこれもテニスに絡んだ話題ばかりで。そっか。今でこそ別々の道を歩んではいるけれど、スタートラインは、原点は同じだったんだよね。純粋にテニスが好きで、勝利の為に一丸となって、そんな皆の力になりたかったから、私はマネージャーとして彼らの傍に居続けてきた。そう、実感できたのだ。

「待って、ナマエ」

楽しい一時は瞬く間に過ぎ、22時には宴もお開き。店を出た私たちはじゃあな、とかまた会おう、とか、思い思いに別れの言葉を述べると、一人、また一人と去って行く。そうして遂には精市と二人だけになってしまい、侘しさだけが残り、適当にタクシーでも拾って帰ろうかと雑談を切り上げた時だった。私は開いた携帯をそのままに、首だけを動かして精市を見遣る。スーツ姿の彼は穏やかな笑みを浮かべ、二人きりの二次会へと私を誘い出したのだった。

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「ここ、よく来るんだ」
「うん。精市好きそうだよね、こういうお店」

案内されたのは小さなバー。ボックス席が何席かとカウンターの静かで、シンプルで、それでいて気品のある、云ってみれば精市の嗜好を余すところ無く体現しているような、そんな落ち着いた店内に店主(俗に云うマスター)が一人。私のような人間が、と場違いな気さえして畏縮してしまいそう。導かれるままカウンターに腰を下ろした私はメニューを探すが、それらしきものは見当たらず。すると精市は聞き慣れない名前のカクテルと思しきお酒をオーダーし、もう一度繰り返した。スカーレット・ブーケ。多分、ナマエは気に入ると思うよ。複数のリキュールが入れられたシェイカーをシェイクすると、フルート型のシャンパングラスに注がれる。差し出されたグラスを彩るそのカクテルは、スカーレットと名のつくだけあって、鮮やかな赤色をしていた。緊張から震えそうになる情けない右手を伸ばし、グラスをゆっくりと口元へ近付ける。美味しい、私は呟くように発した。ボキャブラリーの乏しさに泣きたくなるのは、こういう時だろうか。自身の手元に差し出された私のそれとは違うカクテルを一口含むと、たおやかに微笑む精市。様になってるなぁ、なんて。

「綺麗になったね、ナマエ」
「精市だって……あの頃よりもずっと、格好よくなってる」

ありがとうと謝辞を述べると、そこに訪れたのは柔らかな沈黙。どうして?程無くして、先程の呟きよりも一段と小さな、消え入りそうな声で私は問い掛けた。精市なら、まだ現役で活躍できるのに。それなのに、テニスコーチって。随分見下げた物言いに聞こえてしまったかもしれないと、私は直後口を噤む。けれど、伝えた言葉は本心そのものだった。どこかを故障している訳でもないし、あれだけの実力や功績がありながら、彼は今年に入り現役を引退。正直、勿体ないとも思った。どうしてなの、精市。

「これで良いんだ」
「……え?」
「確かに、まだ続けられるだろうとは俺自身思うよ。でも良いんだ、これで。諦めでも妥協でもない。今はコーチングすることに、充実感を得ているから」

そう語る精市の瞳に、私はふとあの夏を見た。立海三連覇を果たすべく層一層練習に励み、団結力を固め、そして熱闘の末青学に敗北した、あの中学校生活最後の夏を。「私は、」時間を戻せるのなら、やり直したいよ。あの夏を、もう一度。そうしたら今度は、今度こそは勝てるかもしれないでしょう?皆、重ねきれないくらい努力してきたのにそれが報われないなんて、私は悔しい。今でも、すごく悔しいよ。間違いなく勝てた筈なのに、私たちは。精市だって、そう思うでしょう?

「俺は、時間を戻せたらとは思わないよ」

店内のBGMは止み、すぐに次の曲が流れ出す。その僅かな一瞬だったのだ。精市が、泣きそうな表情で云ったのは。俺たちは、負けたんだ。きっと今試合をしても、同じ結果にしかならなかったんじゃないかな。

「……どうして、そう、」
「悔しいよ。俺だって、本当に悔しいんだ。地団駄を踏みたいくらい、唇を噛み締めたいくらい、今でも凄く」

それに。皆は本当によくやってくれた。勿論あの大会の日だけに限ったことじゃなく、俺が病床に臥した頃からずっと、真田を中心によく頑張ってきてくれた。でも、俺たちのあの努力や実力、そして強い絆を上回る力を、青学は持っていたんだ。だから負けた。それだけのことなんだよ。泣き面で彼の一言一言を聞いていた私は、何度目かのどうしてを口にした。どうして云わなかったの?あの時、悔しいと。「同じだよ」「同じ?」「ナマエが何も云わないで、傍にいてくれたのと。同じ気持ちさ」

私は精市が好きだった。だった、では語弊が生じてしまうので云い直すとすれば、私は今でも、精市が好き。その想いを彼に伝えたことはないが、勘の鋭い彼のことだから気付いているだろう。私の気持ちも、告白に向かわなかった理由も。要は、妨げになりたくなかったのだ。私自身、恋愛に現を抜かしている場合ではないと分かっていたから。素直な気持ちを押し殺すことは、決して容易くはなかったけれど。

そして私は今、恋人がいる。精市とは違う、年上のパートナーが。それは諦めや妥協にも似ているかもしれない。自分勝手な女だと、蔑まれてしまうかもしれない。けれど、良いのだ。彼となら、私は幸せになれる。少し頼りないけれど私を想ってくれるところとか、嘘が下手な誠実なところとか、落ち込んでいる時に慰めるばかりでなく叱咤してくれるところとか、そのすべてが私を包み込んでくれる。だから彼が好きなのだ。好きになったのだ。そうでなければ、彼の申し出を受け入れたりはしない。

一時間と経たない内にバーを出る。付き合わせちゃったし送るよ。そう云って精市が呼んでくれたタクシーは、いの一番に私のアパートへと向かっていた。車内では言葉もなく、ただただ外のネオンを見詰め、時たま精市の横顔を盗み見る。ここからアパートまでは、実際そう掛からない。このペースなら、精々10分かそこらだろう。ただしこのドライバーは多少運転が荒いようだから、もう少し早く着くかもしれないが。私は頬に掌を押し当てる。生温くて、どこか気持ちが悪かった。タクシーを降りたのはそれから間もなくのこと。待たせるわけでもなく、精市も一緒に降りてしまった。良いのだろうか。ここから彼の家までは、結構距離があるというのに。「大丈夫、歩いて帰りたい気分だから」読心術でも使ったのか、私の心配をいともあっさりと払拭する精市。彼のそういうところも、相変わらずだと思った。

アパート一階、真ん中が私の部屋。当たり前だけど、明かりは点されていない。じゃあ、またね。闇夜に散る、別れの一言。「……秋が来たら」そしてぽつりと浮かぶ、彼の唐突な言葉。

「結婚するんだ」

なんとなく分かっていた。二人は付き合ってもう五年近くになるんだし、そろそろその時が来ても何も可笑しいことはないと。酔いで思考回路が正常に働かず、従ってこのタイミングで云われるとはあまり想像自体できなかったし、正直なところ、想像すらしたくなかったけれど。

それからね、ナマエ、


「あの夏は、本当に最高の夏だった。もう二度と、あんな夏はやって来ないと思う」

云いたいだけ云うと、彼は返事なんて聞かずに去って行ってしまう。私は咄嗟に叫んだ。精市!

「おめでとう!」

私は今でも精市が好き。けれどそれ以上に、恋人を愛している。だからだろう。厭味も妬みもなく、心から祝福できるのは。そうでなければ、素直におめでとうだなんて云うことは多分できなかった。つくづく最低な女だ。自分がそれなりに幸せであることが前提で、自己の幸せの上に他人のそれが成り立っているような、今の私はそんな醜汚に塗れた考え方をしているから。

部屋に入るや否や、そのままベッドに倒れ込む。電気も点けず、真っ暗な室内で繰り返すのは呼吸だけ。吸って、吐いて、吸って、また吐いて。暫く俯せの状態で目を閉じていた私はやがて上半身だけを起こすと、サイドテーブルの写真立てに手を伸ばした。真っ白なそれに飾られた写真はあの夏、引退と同時に撮ったもの。

皆、笑っていた。
私も、精市も。

私は泣いた。声を上げ、大声で泣哭した。もしここに誰かがいても、我慢なんてせずにそうしていた筈だ。精市が結婚することが悲しいのか、それとも違う何か、例えば大人になるということを履き違え、擦れて変わってしまった醜い自分自身を嘆いているのか。何に対しての涙なのかは、いまいち自分でもよく分からなかった。泣いて、泣いて、そうして一頻り泣いた後、今度は写真越しに過去を振り返る。精市の云う通り、あの夏は戻って来ない。あんなに輝ける夏は、二度と来ない。一生に一度経験できるかできないか、あの日々はそれくらい価値のある、素晴らしいものだったのだ。


ほんの少し前までなら窓を開けていないと蒸し暑くて敵わなかったのに、今は窓一つ、況してやドアだって開いているわけではないのにこんなにも涼しくて、纏わり付くような気色悪さもこれといって無い。するりと肌に優しく触れる空気から、私は感取した。もう、夏も終わりだと。


すり抜ける重さを知っていた昨日のパノラマ
(そして暑い夏が過ぎ去れば)
(この街にも、深い秋が訪れる)


title:誰花様

20110905

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