◎死ネタ

彼女と出会ったのは高校の頃だった。府内屈指のテニス強豪校として名高い某高校へ入学した俺は、そこでミョウジナマエさんという少女の存在を知った。一年次隣のクラスだった彼女は入学式で俺の右横に並んでいて、つまり出会いというか初対面そのものは運命的にはおよそ程遠い平々凡々なものだったが彼女が植え付けた存在感は計り知れないものだった。
同学年にその名を知らない人間なんていないのではと思える程常に悪目立ちしていたナマエさん。そう仕向けたのはどうやら彼女と同中だった一部の人間らしく、少なくとも彼女に好意的でないことだけは間違いなかった。というより間違いようもなかったのだ。ナマエさんに対してあんな侮蔑の眼差しを注ぐ少女たちを見ていたら。売春をしているだの万引きで補導されたことがあるだのと彼女に関するあまりにも低俗な噂はそれ故にか校内を賑わせた。高校生にもなってと一度は呆れ返るも逆に高校生だからかと考え直してしまう自分がそこにはいた。高校生なんて子供でもなければ大人でもない。背伸びをしたってそう。俺たちは中途半端で不安定な生き物なんだ。生徒の心のケアに回るべき教師は事実か否かを追求するばかりで彼女の心情など理解しようともしない。幾年にも渡って築き上げた名だたる進学校としてのステータスを守ることしか念頭にないようだった。根も葉も無い風説がナマエさんを取り巻く。その全てが事実無根だとばかり思っていた俺は、彼女の口から語られた真実に愕然とした。私は人を本気で愛さない。いつか目撃してしまった告白の返事として彼女はそう述べたのだった。その一言が淀みなく発せられたのはそれが疾うの昔に用意された言葉だからだと思う。愛さないのか愛せないのかは定かではないし、俺の知るところではなかった。ナマエさんの心はまるで有刺鉄線が張り巡らされているようで、他者の侵入を許さなかったのだ。

ただクラスが隣同士なだけの俺とナマエさん。そんな関係が展開を見せたのは入学から一年後。クラスこそ一緒になりはしなかったが保健委員の一員として俺たちはあの日顔を合わせたのだった。話し掛けても初めは無視を貫かれたが段々と言葉を返してくれるようになったナマエさん。ぎこちないながらも微笑んでくれるようにもなった。だけど彼女から声を掛けてくることは一度だってなかったし、廊下ですれ違ってもあれ程至近距離にいるにも拘わらず俺の存在に気付いていない様子が多く見受けられた。俺は自惚れていたのだ。この事を謙也に話したらどんまいやなと笑われてしまった。本心を悟られないよう軽いノリで話したからだろう。謙也を筆頭にテニス部の連中とは進学先が悉くばらばらになってしまったが大会で当たり前のように再会するからか寂しさは微塵も感じなかった。そういえば千歳はどうしたのか。謙也に訊ねてみるとあいつの予想は相変わらずどっか放浪してるんとちゃうかというものだった。まあ千歳のことをよく知る人間ならその大半がそう答えていたに違いない。俺はせやなあと笑った。

高校生になっても基本に忠実なテニスは変わらない。さすがにバイブルだ何だと呼ばれることはなくなったものの自意識過剰ではなく俺は確かにあの頃以上に注目を浴びるようになった。それに比例して告白を受ける頻度も高くなり、だけどいつも褒められるのは上辺ばかりで好い加減辟易としていた。努力している姿を認めてくれとは云わない。ただせめて少しは内面も見てほしいのだ。もし俺を好きだという人間に本音をぶちまけたらどんな反応をするのだろうか。本当は人が云う完璧な人間なんかではなく不器用で不安定で脆弱な奴なんだと打ち明けたとしたら。考えてみたところでそんな事は出来る筈もなかった。俺が作り上げてしまった表向きの“白石蔵ノ介”があまりにも真の姿と掛け離れているせいで、本性を見せた時に拒絶されたらと思うと怖かった。それに常に気を張っていないと自分を保てなくなりそうな気もした。謙也のように素の自分を曝け出して受け入れられている人間が羨ましい。謙也のように、財前のように、金ちゃんのように。無い物ねだりだと知っているのに止められない自分に苛立ってしまう。もっと素直に生きられたら。
だけど彼女は、ナマエさんは云った。素直に生きたって傷付くばかりだと。苦しくても人知れず努力して、誰に対しても優しく明るく振る舞えてる白石くんはすごいよと。ナマエさんの言葉に気が緩んで泣きそうになってしまった。泣けばいいのに。彼女はそうも云った。それでも涙は見せなかった。ナマエさんにだけは見せたくなかった。そんな俺に、ナマエさんはふわりと笑った。

たとえ自惚れでもナマエさんといる時間は俺にとっては有意義なものだった。三年にもなれば大学受験で慌ただしくなり彼女と過ごす時間は思うようには取れなかったが受験さえ済んでしまえばと俺はそれを頼りに机に向かった。彼女は府内の大学に進学するらしい。曖昧なのは本人から聞いたわけではなくナマエさんの親友が教えてくれたからだ。俺も第一志望は府内の大学やから高校卒業後も会うてくれたらええなとここでも本心を悟られないよう軽いノリで彼女の親友に云ってみると、親友は何故か泣きっ面をかきながらそうだねと頷いたのだった。俺は知らなかった。知る訳がなかった。府内の大学に進学するらしいというあの言葉にナマエさんが生きていたらというメッセージが隠されていたなんて。彼女が死んだのは移ろう季節がはっきりと冬の顔を見せ始めた頃だった。学校の屋上から飛び降り、きちんと揃えられた上履きの横には遺書も用意されている。疑うまでもなく自殺だった。泣きじゃくるナマエさんの親友は俺に何かを差し出す、丁寧に折り畳まれたそれは俺に宛てられた遺書だった。

『素直に生きなくてよかったでしょ?だって、その結果がこうだもの』

ナマエさんは中学時代虐めに遭っていた。靴を隠されたりジャージを燃やされたりなんて数え上げたらキリがない。誰も救いの手を差し延べる人間はいなかった。見て見ぬ振りをされる日々。実の両親に相談しても不仲から離婚の事しか頭に無かった二人はまともに取り合ってくれなかった。虐めも離婚も珍しいことではないかもしれない。だけど誰だって自分の身に起きてほしくなんかない筈だ。学校にも家にも居場所を無くした彼女に残されたのは孤独だけ。孤独だけがいつも彼女の傍に寄り添っていた。素直に生きてきたからこそ今日の自殺に繋がったのだと。仮面を被っていたならきっと好かれはしなくても隣人に紛れて生きられたに違いないと。ナマエさんが遺したそのメッセージに頷くことは出来なかった。だって俺がもし素直に生きていたら彼女を救えていたかもしれないからだ。俺は自分自身を取り繕うその一方で虚飾のないありのままの姿を誰にも露呈出来ない現実に苦しんできた。彼女はもしかすると本当の俺に気付きその上で受け入れようとしてくれていたのかもしれないのに。俺はどれくらいナマエさんを理解し受け入れようとしただろうか。どれくらい彼女の呟きに耳を傾けてきただろうか。遺書にはこうも書かれていた。

『私が人を本気で愛さなくなったのは、裏切られるのが怖いから。だから人を愛さない代わりに自分だけを愛して生きてきた。でも、私は自分のことを愛せなくなった。本気で愛さないと誓った筈の自分を裏切り、白石くんを愛してしまったから』

緩くなった涙腺は涙を分泌しようとする。だけどやっぱり泣きたくなかったし泣くわけにはいかなかった。今ここに彼女がいなくてもすぐ傍で見ているような気がしたから。白石くんは、ナマエさんの親友が不意に口を開いた。白石くんは本当に愛されてたんだね。羨ましい。親友は俺宛ての遺書を見たわけではない。恐らくナマエさんから俺の話を聞いていたからこその台詞で。ナマエさんは俺を愛していた。ならば彼女は知っているだろうか。俺はそれ以上にナマエさんを想っていたことを。上っ面しか見ていなかった癖にと君は思うかもしれないが。俺は確かに彼女を愛していた。そしてそれは多分、初恋だったのだ。

魂のファンファーレ

20110314

title:少年チラリズム


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