思えば俺が女っつー生物を厄介で面倒臭いもんだと認識するようになったのは、東京に住んでいる年下の従姉妹が原因だった。そいつ、名字名前は幼少の頃から何かと俺に対して喧嘩を売ってくる男勝りな奴で、昔は俺よりも背が高かったから「チビ」だの「ワカメ」だのと、とにかくぼろくそに云われた記憶しかぶっちゃけない。その存在を知った初めこそなんであんなに貶されなきゃいけねーんだと考えはしたものの、次第にこいつなんかの為に思考を働かせることが馬鹿らしく感じたから止めた。つまり名前は男に対して過度に競争心や敵対心を抱いていて、加えて俺が嫌いなんだろうと。そう結論付けたのだ。けど俺らがこんな関係でも親同士は頗る仲が良く、例えば夕飯時を一緒に過ごす機会も多い。顔を合わせる度に喧嘩をしてる俺と名前に、俺の親も向こうの親もただ笑っているだけ。あのー、そろそろお宅の男女をなんとかしてくれないっすかね。

そんな名前は今年青学に入学し、立海に通う一つ上の俺は二年生になった。身長は形勢逆転、俺の方が遥かにでかくなった。まあこいつも女の割りには無駄に大きいけど。つーか青学の制服結構好きだったのにな。名前が着たら台無しじゃん。

「お前、青学の制服マジで似合わねえな」
「うるさいバカメ」

カッチーン。今なんつったこいつ。バカメって云ったよな。バカ+ワカメでバカメって云ったよな。あああほんっと腹立つ女だ、つーかこんなん女じゃねえし。更に名前は俺の怒気を煽るように、切原バカメとゆっくり云い直しやがる。こいつが女じゃなかったら今すぐ胸倉掴んでたぜ。まあ辛うじて女だしな、俺もそこは弁えてるわけだ。(ただし男だったら絶対容赦しねえ)

飯の準備が整うと、「不本意だけど」と呟きながら俺の隣に腰を下ろした名前は、丁寧に手を合わせてから来客用の箸を取る。と、鈍間なこいつは掴んだはずのそれをするりと落とし、箸はテーブルの下、丁度俺の足の間に不時着した。鈍臭え奴、なんて悪態をつきながらも手を伸ばして拾ってやると、こいつから返って来たのは謝辞なんかじゃなく。

「誰も拾ってなんて云ってないし」

おいおいカッチーンなんてレベルじゃねえぞこれ。別に感謝されたかった訳じゃねえけど、ありがとうくらい云うだろ普通。気が短い俺はいよいよ胸倉を掴んでしまいそうになるのを堪えていると、その時初めて、名前の顔が強張っていることに気が付いた。心做しか顔色も悪い。おい、どうしたんだよ。多少ぶっきら棒な物言いで理由を訊ねれば、なんでもないと外方を向かれる始末。それまで談笑を続けていたはずの親父たちも、名前の様子に表情を曇らせてんだけど。なんつーか、大人たちは何かを知っていて、でもガキの俺だけは何も知らない、一人蚊帳の外みたいな?だから気分わりーな、なんて思ったりもした。


あれから数週間が経った頃。その日もいつも通り練習後に幸村部長を見舞って、仁王先輩、それから丸井先輩と帰りを共にしていた。そんで途中で「ゲーセン行きません?」なんて俺が提案すると「いいじゃんプリクラ撮ろうぜぃ」とかなんとか丸井先輩が返して、仁王先輩からは「女子か」っつーツッコミが入って。真田副部長に見付かればやべーけど、まあいっか。満場一致で寄り道決定、俺たちは右折した先にあるゲーセンまで歩みを進める。そうしてあと数メートルって所でナンパ中のだせえ二人組を発見し、何気なく視線を動かしたその瞬間、俺は目を見張った。なんでここにお前がいんの?ナンパされてたのが、名前だったからだ。

「なんじゃ、青学に彼女おったんか」
「いやいやいや、そんな訳ないじゃないっすか。こいつはただの従姉妹で」
「へー、結構可愛いじゃん!」

邪魔な二人組はあっさり退散。すると今度は丸井先輩が軟派モードに。―名前は?俺は丸井ブン太っつって赤也の先輩。シクヨロ!ちなみにこいつは仁王、俺らと同じテニス部の人間な。しかし先輩が何を云っても名前からの反応は一切無し。ただならぬ様子のこいつに、お前、と口を開いた丁度その時。ヴヴヴ、と制服のポケットの中で震動する携帯。サブディスプレイに表示されているおふくろの名前を確認すると、俺は通話ボタンを押す。と同時に、やたらと慌て上擦った声が飛び込んできた。

『もしもし、あんた今どこにいるの!?』
「は?どこって」
『名前ちゃんがいなくなっちゃったのよ!』

おふくろから告げられた事実に、俺は無言で名前を見る。視線で察したらしい名前は、険しい表情で半ば睨みつけるように見返してきた。一方電話口の向こうでは、こいつの居場所を知らないかとおふくろが切羽詰まった声色で訊ねてくる、けど。こいつの目は訴えていたのだ。云わないで、と強く。

「俺もわかんねえから、とりあえず電話してみるわ」白々しく嘘を伝えると、じゃあ何か分かったら連絡ちょうだい、おふくろのそのメッセージを最後に電話を切った。
あー、先輩すんません。俺、こいつとデートの約束してたんすよ。うっかり忘れちゃって。ここでも白々しさ満点の嘘を口にすれば、少なくとも丸井先輩は微塵も納得していない様子で、でも仁王先輩は空気を読んでくれたのか、「楽しんできんしゃい」「セーフセックスじゃよ」と俺たち二人をあっさり解放してくれた。最後の一言は、すっげー余計だったけどな。


「で、お前何したわけ?」家とは反対方向にある小さな公園。時間が時間なだけに空は大分薄暗くなり、こんな遅くに子供がいるはずもねーから公園内は寂寞としている。名前は錆びたブランコに腰を下ろすと、キイと耳障りな音を時折鳴らしながらそれを揺らした。返答はない。数秒経っても、数分経っても。はあ、マジでなんなわけこいつ。一先ずこの喉の乾きを潤そうと、公園の入り口側にあった自販機でコーラを購入。……あいつにもなんか買ってやるか。何が好きで何が嫌いかなんて知らねえ俺は、当たり障りのない緑茶を選んだ。缶を手にブランコまで戻り、ほらよ、と名前に緑茶を軽く投げて渡す。名前は受け取らなかった。こいつの手は、受け取ろうともしなかった。いい加減にしろよ、お前何がそんなに気に食わねえの?苛立ちのあまり声を荒らげれば、漸く名前は口を開いた。

「動かないの」
「はあ?」
「手も、足も、変に痺れて動かないの」

足元に落ちた缶を拾おうと手を伸ばす名前。だけどその右手は確かに、上手く掴めないのか悪戦苦闘しているようだった。特別大きくも重くもない、たかだか缶一つだってのに。やっとの思いでそれを持ち上げ砂を払うと、つい今し方までとは打って変わって、名前の指はいとも簡単に蓋を開ける。なんか、合点がいかねえ。

「普通にしていられる時もあるの、今みたいに」
「病院には」
「行ったよ!……でも、お父さんもお母さんも何でもないって、疲れが溜まってるだけだからって、」

自分の体に何かが起きていることは間違いないのに、誰も本当のことを教えてくれない。名前が吐き出したその言葉で、数週間前のあれはそういうことだったのかと納得がいった。あの時おふくろや親父たちが妙に心配そうな顔をしてたのは、つまりはそういう訳なんだよな。だとすると、こいつの体は今どうなってんだ?本人に聞いたってどうしようもない疑問に思考を巡らせていると、名前は急に立ち上がり「ごめん」と呟いた。

「帰るわ。あんたの世話になったなんてわたしもどうかしてる」
「お前喧嘩売ってんの?」
「…できるならね」

俺に背を向けた名前は、情けねえ声で漏らしたんだ。できるなら、何度でも喧嘩を売ってやりたいのに。なんてさ、らしくもねえ弱音を。

帰宅するや否や名前の無事を報された俺は、うっかり呟きそうになった「だろうな」の四文字をぐっと飲み込んだ。そりゃ、さっきまで俺と一緒にいたんだからな。―なあ、おふくろ。怪しまれるのを覚悟で、俺は名前の体のことを聞いてみた。あいつ、どっか悪いの?

「どこも悪くなんかないわよ。名前ちゃんね、ちょっと疲れてるだけだから」

おふくろはごまかすだけだった。名前の親が云ったのと同じような台詞で、真実から俺を遠ざけて。何度聞いても、言葉を変えて窺ってみても、事実なんか教えちゃくれねえ。それどころか段々と俺の言葉を遮ったり無視するようになって、遂には追及するのを諦めるほかなかった。何も変わるはずがないなんて、根拠のない確信を抱いていたんだ。喧嘩を売られれば買って、ブスだのワカメだの云い合って。そんなガキくせえ争いを続けていけるんだって。俺たちは、この先もずっと。


数ヶ月が経った。名前はどうなったんだろうか。あの日以降会うことは一切無かった。家へ飯を食べに来ることも無くなった。おふくろは相変わらず何も教えちゃくれねえし、向こうの親も、正に右に倣えってやつ。おまけに当の名前に電話やメールをしても、それすら返ってこねえから。まさかとは思うけど、死んでねえよな?暫くは珍しく気が気じゃねえっつーか、とにかく気になって一方的に連絡しまくってたけど、夏本番を迎える頃にはそれも確実に落ち着いていった。だって部長が退院してーの全国大会だろ、でもって全国大会が終われば俺が部長の新体制で練習がスタートする。名前のことに関心が薄れたんじゃなく、そればかりに意識を向けてらんなくなったってこと。

やがて夏も過ぎ、草木が色づき始めたとある日曜日に俺の携帯を鳴らしたのは名前だった。ゆ、幽霊?不謹慎だとは思いつつも、恐る恐る電話口に耳を近付ける。『さっさと出なさいよバカメ』……んだよ、声だけ聞けばピンピンしてんじゃねーか。反射的に云い返そうとすれば、今すぐあの公園に来て、その一言で通話は強制終了。病気のこととみた俺は、自転車をかっ飛ばして公園へ急いだ。実際のところ、飛ばしに飛ばしたおかげで五分も掛からなかったと思う。日曜日の公園は人口密度もぼちぼちで、だけど名前を捜す必要はなかった。ベンチに腰掛けてるひょろ長い女、あいつだ。

「お前、人の連絡シカトしてんじゃねえよ」

なんて云って登場すれば良いのか分からなかったから、とりあえず文句を垂れてやった。指ダコになるんじゃねえかってくらいメールしたんだからな、俺。顔を上げた名前はゆっくりと視線を地面へ落とし、当たり前に謝罪なんか無いまま早速本題に入ろうとする。俺は隣に腰掛けた。明るく賑やかな場所に俺たち二人は、完璧場違いだった。

「このまま、赤也には何も云わないで行こうと思ってたんだけど」
「行くってどこに?」
「、アメリカ」

ふーん、アメリカねえ……アメリカぁ!?思わず二度見ならぬ二度聞き。ふと周囲の視線を感じた俺は、謝罪する代わりっつったらあれだけど、申し訳なさそうに頭をぽりぽりと掻いた。

「アメリカって、アメリカ県アメリカ市じゃねえよな?」
「バカメ、そこまで頭イカれてたの?」
「…うるせえな」
「嬉しくはないけど、あんたわたしのこと好きだしね。だからやっぱ云った方がいいかと思って」
「ばか云ってんなよ。イカれてんのはお前じゃねーか」

溜め息をひとつ、吐き出した名前は尚も視線を地に向けたまま、小さな笑みを浮かべた。その微笑が意味するものは何なんだろう。恐怖か、諦めか、絶望か。俺には推し量ることしかできねえ。

「神経の病気なんだって、わたし」

全然聞いたこともないようななっがい名前の病気でさ。日本じゃ効果的な治療法がまだ無いから、アメリカでの手術を薦められたの。まさか、そんなに酷いことになってるなんて予想もしてなかったよ。そんな難病を患ってるなんて、思いたくもなかった。大体手術や治療をしたところで、子供の生存率は50パーセントにも満たないんだって。大人でさえ亡くなってしまう人間が圧倒的なのに、わたしみたいな一介の子供が助かったら奇跡じゃない?ねえ、赤也。

「正直怖いよ。わたし、死ぬのかな」
俺は名前の顔を、視界の片隅に映す程度に留めた。震えた声を聞いた瞬間、泣いてるんだと分かってしまったからだ。初めて目の当たりにした、こいつの泣いている姿。俺だってこえーよ。もしかしたら死んじゃうんじゃねえかって、んなこと考えたくはねえけど。

「……らしくねえこと云ってんなよ、」
「え?」
「ゴキブリ並に図太い神経してるお前が、病気の一つや二つで簡単にくたばるわけねえだろ」

あーあ、つまんねえの。俺は頭の後ろで手を組んで云う。お前が日本にいたら、そのブッサイクな面を毎日でも拝みに行ってやれたのによ。それに今みたく情けねえ声出してたら、笑い飛ばしてやったのに。アメリカなんて遠すぎて簡単に行けねーじゃん。マジつまんねえ。

ひょっとしたら、俺だってブッサイクな面してたかもしれねえ。震えた、情けない声を出していたかもしれねえ。だけどそんなん知らん顔して、云い返してこいよ。いつもみてーに。

「男って、ちょっと重たい物が持てたりちょっと足が速いからって、女を馬鹿にしたり虐めたりしてくるから大嫌い」

でも、

「あんたのことは、嫌いじゃなかったよ」

拍子抜け。やり返してくると思ってたのに、何云い出すんだこいつ。それにあんだけ人のことワカメだのなんだの馬鹿にしやがった癖に、嫌いじゃなかったとかウケるっつーの。お前が俺を嫌いじゃなくても俺は……

俺は?

改めて考えてみるのとか、多分今が初めてだ。何しろこいつなんかの為に、頭を働かせないようにしてきたんだもんな。確かに名前は会えば常套句を並べて人を貶してくるし、いっつもいっつも不機嫌そうな顔しやがるし、甦るのはムカついた記憶ばっか。寧ろそれしかないんじゃね?的な。じゃあ俺は名前が嫌いだったのかって云えば、違う。俺だって、なんだかんだ云いながら、

「…俺も、別にお前のことは嫌いじゃねえよ」

だってお前以外の女にされたら腹立つことも、お前だったらなんか許せるし。お前だから、つまんねえ喧嘩も買ってやってるんだし。お前じゃなかったら、こんな関係にはなってなかった。本心じゃ居心地が良いなんて思えるような、そんな関係には。

「早ければ来年の夏には帰って来れるんだって。だからそれまでに、その不快なモジャモジャ頭なんとかしといてよね」
「あ?不快ってなんだよ。そっちこそ、そのキモい面も一緒に整形してきた方がいいんじゃね?」

めんどくせーけど、こいつが帰国する時は迎えに行ってやるか。ただ、「おかえり」なんて真面目くさった顔で出迎えるのは柄じゃねえから、第一声で思いっきり腐してやろうと思う。よお名前、相変わらず酷い顔してんな。整形してこなかったのか?みてーにさ。

月の庭でダンスを
(待っててやるよ、お前が帰ってくるまで)
title:うきわ様

20111001

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テーマ「人外ファンタジー」
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