「いらっしゃいませ」

制服が可愛いことで評判のそのカフェは母校の近くに位置していることから放課後にもなると見慣れた学生服に身を包んだ主に少女たちでいっぱいになる。母校と云っても私が四天宝寺中を卒業したのはほんの二年前の話。あのワンピース型の制服を着て廊下を駆け抜けた日々がつい最近のように感じられるのは、きっと自分の中で二年の歳月が流れたという感覚がないからかもしれない。
とまあ、この話は置いといて。私がこのカフェで働き始めて早いもので四ヶ月、所謂学生アルバイターとかいうやつだ。ここがオープンしたての頃にケーキを食べに訪れたのがそもそものきっかけ。想像以上の美味しさに絶賛していた私をオーナーが直々にうちで働かないかと誘ってくれたのだ。スキンヘッドに強面のオーナーは一見すると完全にその筋の人だし、はじめて声を掛けられた時は思わず天国のおばあちゃんに救いを求めたっけ。このどう見てもヤーさんのオーナーが誰よりもスイーツを愛するオネエ系の人だと分かった瞬間の腰の抜け様ときたらもう、思い返す度に笑っちゃう。
一、二ヶ月頃まではミスの連発でバイトへ向かう足が重たく感じられたこともあったけど、今は顔を覚えてくれた常連さんとのちょっとした会話が楽しくて楽しくて。そうそう、常連さんと云えば最近気になるのが母校の男の子二人組。あ、気になるっていうのは別に恋愛的な意味じゃなくてね。ピアスをじゃらじゃら付けた黒髪の不良っぽい子と一応先輩らしい金髪のこれまた見た目だけは不良っぽい子。男の子同士で来るなんてケースは珍しいし、それに面白いのがオーダーも決まって同じものなんだよね。黒髪の子が白玉善哉で、金髪の子がジンジャーエール。オーナー凹んでたな。だって月に何度も来てくれるのにたったの一度もケーキのオーダーがないんだもん。しかも黒髪くんが善哉食べるのにあの金髪くんを付き合わせてるのかと思ったけど、はよ帰りましょうよって黒髪くんの方がよく云ってるからどうも逆らしいし。いったい何しに来てるのかな。

「あ、あの、ミョウジさん」

3月3日、木曜日。雛祭り用に考案したスイーツも売れ行きは好調。あの金髪くんに声を掛けられたのは、オーナーだけでなく発案に加わった私自身もまた頗る上機嫌な夕暮れ時のことだった。なんで金髪くん私の名前知ってるんだろ。あ、そっかネームプレート付けてたんだった。にやにや笑う黒髪くんとは対照的に金髪くんは何故か緊張している様子で、呼び止められた私と目が合うと矢庭に立ち上がるもんだから驚いて後ずさってしまった。
お、俺、思いの外大きな金髪くんの上擦った声にオーナーが何事かとひょっこり顔を覗かせている。何でもないと目配せをすれば、すぐに厨房へと引っ込んだ。

「四天宝寺中3年2組の忍足謙也です!」

突然の自己紹介に戸惑う私。リアクションに困って黒髪くんを見遣ると、その黒髪くんは俯いてぶくくと笑いを堪えていた。え、ちょっと待ってなんなのこれ。他のお客さんも注目してるし恥ずかしいんだけど。金髪くんは直立不動だし黒髪くん笑ってないでフォローしてよ。とりあえずここは私も名乗っておくべきかと思いミョウジナマエですと返してみると、金髪くんはすかさず言葉を繰り出してくる。ナマエさんって呼んだってええですか?え、あ、はい。状況が未だ把握出来ていない私を余所に嬉々とする金髪くん。引っ込んだ筈のオーナーまでもがこっそり笑っていたので私は再び目配せという手段を用いて訴えかけた。もう帰ってもいいですか?

この日を皮切りに金髪くんと私はちょっとずつ言葉を交わすようになった。金髪くん、基謙也くんはテニス部のレギュラーで浪速のスピードスター?なんだって。そういえば今のテニス部の目覚ましい活躍っぷりは小耳に挟んだことがある。それに部長がかなりのイケメンくんだっていつだったか友達が騒いでたな。だったら中学時代にチェックしておけばよかった。なんてね。
謙也くんとの会話は純粋に楽しかった。今が就業中だということをうっかり忘れさせるくらいに。黒髪くんならぬ財前くんに小馬鹿にされて一々ムキになっているところなんかはすごく中学生らしいなぁと思うし、一人っ子の私にもしも謙也くんのような弟がいたらきっとブラコンになっていた筈だ。それくらい謙也くんは可愛い。甘いものが苦手という謙也くんが私の作ったケーキを食べてくれた時は素直に嬉しかった。商品として出しているのではなく、ケーキをオーダーしてくれたお客さんに希望でおまけとして添えているものなんだけど。ミョウジさんが作ってはるんすかと訊ねてくる財前くんにそうだよと頷けば、謙也くんはほんまに美味いですと曾ての私同様絶賛してくれた。ちなみに財前くんのコメントはまあまあっすねというなんとも生意気なものだった。

むかつく。ああむかつく。その日私は初めて男を殴った。叩いたなんてレベルじゃない。グーで思いきりぶん殴ってやった。それというのも、彼氏に股をかけられていたのだ。しかもあっちの女の子が本命らしくて、つまるところ私はずっと遊ばれていたことになる。悔しい。なんで今の今まで気付けなかったのかな私。ていうかあんな最低な男のどこが好きだったんだろう。自分が酷く惨めに感じるのはそれが負け犬の遠吠えだって分かっているから。バイトはバイト、気持ちを切り替えなきゃと頭では意識していてもうまく表情が作れない。全然笑えない。不細工な顔しか出来ない私にオーナーは無理しなくていいのよと気遣ってくれる。それでも私が早退しようとしなかったのは、今ここで帰ってしまったら元彼に屈したことになる気がしたからだ。そんなつまらない意地を見せてる時点で接客業失格だってことも重々分かってる。だけど頑張りたかった。元彼のことなんか忘れてバイトに没頭していたかった。
謙也くんと財前くんは今日もやって来た。不細工な私を心配してくれているのか、どないしたんですかと優しく声を掛けてくれる。涙が頬を滑る。一粒、二粒。その後は仕事にならなくて、結局早退せざるを得なかった。好きだった。元彼のことが、本当に本当に好きだった。

「いらっしゃいま……」

17日、木曜日。失恋の痛手から多少はふっ切れたという時に招かれざる客はやって来た。元彼だ。それも、あの本命さんと一緒に。私がここでバイトしていることを誰かから聞いて来たの?それともただ本命さんが行きたいって云ったとか?後者だと信じたかった。だって前者だとしたらあまりにも意地悪だし、何よりこれ以上幻滅させないでほしい。本命さんが無反応ってことは、私が浮気相手だったって知らないんだね。私だって知りたくなかったよ。自分が浮気相手だったなんて。

ミョウジさん。ふと名前を呼ばれ慌てて表情を戻し振り返る私に、声の主である財前くんは云った。

「今日、謙也さんの誕生日なんすわ。なんで“おめでとう”って云ったってもらえません?」

見れば謙也くんは席を外していて、今電話してはりますと教えてくれた財前くんはすると席を立った。明らかに帰る気満々だ。あれ、謙也くんはいいの?私の視線に気付いた彼は気怠げに口を開く。後で変態っぽいイケメンが来ますんでそれまで謙也さんのこと頼んますわ。云うが早いかカフェを出て行く財前くんと入れ違いに戻って来た謙也くんは、なんで帰ってるんだと云わんばかりに財前くんが去った方向を見つめる。一緒に来たのに勝手に帰られたらそんな反応をするのも当たり前といえば当たり前。ただ会計を済ませていないのに追い掛けるわけにもいかないので、一旦テーブルに戻った謙也くんは困り顔で携帯を取り出した。先程の財前くんの言葉が甦る。そっか。今日が誕生日なんだ、謙也くん。

「謙也くん、お誕生日おめでとう」
「……え、どないして」
「財前くんが教えてくれたの。今日が誕生日だって」

一度奥へ引っ込んだ私が自作のオレンジケーキを手に戻って来ると謙也くんは目を真ん丸にしてフリーズしてしまった。急だったし、こんな粗末なものしか用意出来なくてごめんね。謝る私に再起動した謙也くんはもげてしまうんじゃないかってくらい首を何度も何度も横に振り、それから少しだけ恥ずかしそうに掌で口元を覆いながら云った。いや、ナマエさんに祝ってもらえるとか思ってへんかったから……それだけでほんまに幸せです。なんて、そんな風に云われたら私まで嬉しくなっちゃうよ。
謙也くんの反応に口許を綻ばせていた私は、直後自分の顔からすうっと笑みが消えていくのを感じた。元彼が、私を呼んでいる。本命さんはトイレにでも行っているのか、テーブルにはいなかった。

「ナマエ、ここでバイトしてたんだ」
「誰に聞いたの」
「聞いたっつーか品川たちが話してたから」

私たちの様子をちらちらと窺っている謙也くん。少しはふっ切れた筈なのに。話し掛けられただけで泣きそうになってしまうなんて、まだまだ立ち直れていない証拠じゃん。だけど泣くもんか。こいつの前で泣いたりするもんか。私は涙が零れ落ちないよう瞬きを繰り返す。つーかなに、元彼は謙也くんを無遠慮に指差して笑った。

「あいつお前の新しい男?あんな年下のガキと付き合うとか趣味わりーな」

なんで。私のことはともかく謙也くんを“あんな”呼ばわりするなんて。頭に血が上り、目の前に置かれたグラスに手を掛けたその時。後ろから伸びた手が元彼の胸倉を勢いよく掴み上げる。謙也くん。元彼の胸元を締め上げる謙也くんは怖いくらいに怒気を露わにしていて。私が睨まれているわけじゃないのにびくりと肩が震えた。

俺の女のこと悪く云うなや。

そう云い放つ謙也くんからはいつもの可愛らしさは感じられない。不謹慎だよね。こんな時なのに、格好良いと思ったの。機嫌を損ねた元彼が本命さんを連れてお店を出て行くと、私の口からは本日二度目の『ごめんね』。面前であんなことを云わせてしまったのだ。嫌でも周囲に誤解されてしまうし、謙也くんだって絶対に良い気はしないだろう。

「……全然ええです。ちゅうかその、逆に、」
「え?」
「俺、ナマエさんが好きやから寧ろほんまに付き合えたらええなって」

カラン。鈴の音が来客を告げる。一人入って来た美少年を見るや否や、謙也くんは脱兎の如く走り去ってしまった。白石あと頼むわ!そう云い捨てて。今し方着いたばかりで状況が呑み込めず呆気に取られている白石くんと、恐らく頬を赤く染めているであろう私。店内をゆったりと流れるクラシックに乗せて、オーナーの愉しげな声が聞こえた。あら、青春ねぇ。

ジンジャー・エクスプレス//藍日

謙也くんお誕生日おめでとう!

20110317


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