なんということだろう。それは正に前代未聞の出来事だった。事件、と云った方がこの状況には相応しいかもしれない。まあそんな細かいことはどうでもいいとして。とにもかくにも、わたしは驚愕せずにはいられなかった。何故ならブン太が、あのお菓子大好き丸井ブン太がすくなくとも丸二日はお菓子を口にしていないからだ。

たかが二日で何をそこまで驚く必要があるのかと、事情を知らない人間がこれを聞いたら恐らく十人中十人が呆れ返ることだろう。しかし、相手がブン太となると訳が違うのだ。ガムなり飴なりキャラメルなり、常に何かを口に含んでいないと中毒患者よろしく禁断症状を引き起こすあのブン太が、どういう理由でかは知らないが自らの意志で断食ならぬ断お菓子をしている。それは異常であり、同時に奇跡でもあった。いつもならきゃっきゃうふふとブン太を囲むチーム★丸井の女子たちも、昨日今日と彼を見つめる視線は皆一様に心配味を帯びている。ダブルスパートナーのジャッカルくんに何か知らないかと訊ねてみたら逆にミョウジなら理由を知ってると思ったなんて云われ、真田くんには健康的で良いではないか寧ろ丸井は今までが不健康過ぎたのだと尤もなことを述べられ、幸村くんに至っては聞いてもいないのに丸井がこうなったのは一体誰のせいなんだろうねフフフとまるで俺は総てを知ってるんだぜ的な物言いで吐き捨てていった。彼は心配するどころか非常に愉しそうで、ブン太の身を案じる様子は一ミクロンも感じられなかった。苦手意識はあるが立海三強として幸村くんや真田くんと肩を並べるデータマンの柳くんなら何か知っているかもしれないと彼のクラスを訪ねてみれば、生憎だが俺が話してしまっては事の解決にならないだろう、だからミョウジに教えることは出来ないと云い切られてしまった。
え、解決ってなに。事態はわたしが考えている以上に深刻だということなのだろうか。ていうか知ってるなら勿体振らないで教えてくれたっていいじゃんねえ細目柳くん!おっといけない、悪口を云ったらあの謎のノートに名前を書かれて挙げ句一週間くらい不幸が続きそうな気がするので胸の内に留めておく。結局何の収穫も得られないまま教室に戻ると、ぼんやり窓の向こうを眺めているブン太が視界に映った。目の前で棒つきキャンディーをちらつかせる仁王なぞすっかりアウトオブ眼中のようだ。ていうかその飴どこで買ったの。マジうける。

「シカトされてやんの」
「ええもん俺明日から不登校になってやるから」
「うん頑張れ」
「ナマエが冷たい俺もう生きてけん」
「うんじゃあ死ね」
「やだ生きる」
「なにそれ」

次の授業は現国だった。ひま。眠いし退屈。そこでわたしはブン太の隣の席であることをフルに利用し、頬杖を突いて相も変わらず呆けている奴にそっと紙切れを送り込んだ。どうしたの?丸っこい文字はルーズリーフの上で今にも躍り出しそうだ。メールを送るでもない、直接話すでもない、こういう古典的な手段が結構好きだったりする。後はこれに仁王も加わり三人で意味のないやり取りを延々と繰り広げ、最終的には先生にばれて説教部屋(ただの職員室)行きになる、というのがわたしたちの日常である。
退屈を窮めるあまりノートの片隅にありがとウサギを大量発生させていると、ころんと紙切れが戻って来た。別に。それがブン太からの返事だった。ちょ、別にっておま。どこの沢尻さんだよ。が、そこでおとなしく食い下がるわたしではない。
何かあったの?ダイエットしてるの?病んでるの?幸村くんに虐められたの?としつこいくらいにクエスチョンマークを連続させ、さよなライオンのイラストを添えて再び紙切れを送り込む。ぽぽぽぽーん。しかし数秒後に返ってきたのは、なんでもねえよという殴り書きの文字だけだった。嘘だ、なんでもないわけがない。どうして教えてくれないのブン太のばーかうんこ!気が付けば、その日は一日中ブン太のことを考えていた。お菓子を口にしない理由はなんだろうとか、どうしたらいつものブン太に戻ってくれるんだろうとか、とにかく色々と。でもでもやっぱり分からない。
だからわたしは、放課後になり部活に行こうとする仁王のラケバを思いきり引っ張ることで彼を引き止め、現状打破の為に何をすべきかを話し合うことにした。仁王が幸村くんに怒られるって?そんなの知らん。そわそわと落ち着きのない仁王を半強制的に椅子に座らせ、わたしも向き合うように腰を下ろす。教室にはわたしたちの他に、部活が休みの男女が何人かいるだけだった。

「つーか部活に行きたいんじゃけど、」
「今はそんなことどうでもいいでしょ」
「え、どうでもよくないし俺幸村に殺されるし」
「いつも殺されてるんだしいいでしょ」
「なにそれ人事だと思って」

うんだって人事だもんとは思っても素直に口にしたら可哀相だから黙っておく。そんなこと云って、仁王はブン太が心配じゃないの?部活とブン太のどっちが大事なの?間髪入れずに追求すれば、そりゃ勿論ブンちゃんのが大事じゃけどと微妙に口を尖らせながら仁王は返した。けどってなんだけどって。わたしが口を開くより早く何か言葉を発した仁王、だけどその声はどこからか響く吹奏楽部のメロディーや運動部のホイッスルなんかによって掻き消されてしまった。

ごめん、もっかい云って。
うんじゃから、ナマエは自分に原因があるとは思わんの?

は?なんで?机に置いた携帯に映るのは間抜け面を曝したわたし自身。ブン太がああなったのはわたしのせい、なの?え、なんかしたっけわたし。思い出せ、思い出せ。
先週の水曜日……は一緒にファミレスに行って愚痴大会を開催して、出来心からブン太のメロンソーダにカルピスとオレンジジュースを混ぜてみたりした、けどまさかそれが原因ではないよね。だってそんなのしょっちゅうやってるし。
木曜日、は確か授業中にくだらない画像を送り付けてブン太を爆笑させて例の如く説教部屋に連行させたくらいで、後は特に何もなく一日が終わったはず。

「ま、おまんの貧相な胸に手を当ててよーく考えてみんしゃい」
「ぐっ」

貧相は余計だこのプリピヨ詐欺師め。席を立ち勝手に部活へ行こうとする仁王の股間を力いっぱい蹴り上げてやると、痛恨の一撃を食らわされた仁王は前屈みになって悶絶した。女子がきゃー仁王くんどうしたのなんて声を上げて駆け寄ってくる。
ふんだ、ざまーみやがれこのうんこ野郎。わたしの胸はこれから大きくなるんだから!心の中でそう叫ぶと鞄を持って教室を出る。階段をとんとんと軽い足取りで下りながら、脳内で再生されるのは数日前の会話。ブン太がああなった理由に心当たりがあるとすれば、それしか考えられなかった。
先週の金曜日、ジブリ祭最終日のその日テレビで放送されたのは『千と千尋の神隠し』。ここでお気づきの方もいるだろう、その翌週わたしはブン太に向かって云ってしまったのだ。やばいブン太が豚にしか見えなーい。あ、でもどっちかって云ったら紅の豚だよねうわ超まんまじゃん!と。勿論冗談のつもりだったし、本人もそれを心得ているとばかりわたしは思っていた。馬鹿って云えば馬鹿って返すし、アホって云えばアホって返す。こだまですか?いいえ誰でもってそうじゃなくて、要するにわたしとブン太は軽口も悪口も気軽に云い合える仲だった。
だから、あの時もいつものノリでそう口走ってしまったのだけど。まさかブン太が断お菓子をする程凹むだなんて、ぶっちゃけ想定外過ぎた。悪いことしたな。ブン太って自尊心強そうだし、余計に傷付いただろうな。うん、明日会ったら素直に謝ろう。とびきり美味しい手作りバナナマフィンと一緒に。マフィンなんて作ったことないけど。頑張ってみようかな、こういう時くらいは。

そして翌日の三限目、わたしとブン太イン屋上。急遽自習になったのをいいことに無理矢理連れ出した、そこまでは良かったんだけど二人きりになったら思いの外空気が重すぎることに気が付いていつまで経っても本題に入れない。本題も何も、ごめんってただ一言口にすればそれで済む話なのかもしれないのに。目の前のブン太にただただ畏縮するばかりだ。

「あの、さ」
「なに」
「えと、その、この間のことなんだけど」
「この間?」
「うん。えっと、」

ごめんなさい。意を決して頭を下げる。深々と下げすぎて体がぐらついた。あの、本当にごめん。豚にしか見えないとかあれ嘘だから。ガチで豚にしか見えなかったらそれ単にわたしの目が腐ってるだけだから。だってブン太って実際かっこいいし。わたしの好みではないけどなんてこの期に及んでそんな空気の読めなすぎる発言は当然だが控えた。うん、ブン太はかっこいいと思うよ。時たま可愛かったりもするし。するとこの重苦しい空気に降ってきたのは、マジでそう思ってる?というわたしの言葉を確認するかのような一言だった。
お前さ、それ本気で云ってる?こくこくと頷くわたし。そうなんだ。すげー嬉しい。ブン太は笑ってみせた。そしてその次に、とんでもない爆弾を投下したのだった。

「俺、ナマエのこと好きだからさ。豚にしか見えねーって云われた時はさすがに凹んだぜぃ」

そうかそうか、ブン太はわたしが好きなのかってちょっと待て。好きってあれ、ライクじゃなくてラブの方?わたしの中で動揺と戸惑いは一瞬にして頂点に達した。そんな、好きって云われても分からないよ。だってわたし、ブン太のことを異性として見たことなんてないもん。ずっと仲の良い男友達くらいにしか思ってなかったのに。ていうかブン太はなんでそんなあっさりしてるの?さっきのってある意味告白みたいなもんじゃないの?わたしばっかどぎまぎして、なんかアホみたいじゃん。狼狽するわたしの気持ちなんて知ってか知らずか、ブン太は手に持っていたバナナマフィンをひょいと奪うと早速と云わんばかりに袋を開け、口の中に放り込む。

「うん、お前にしちゃ上出来」

口をもぐもぐさせて笑うブン太にどうしてかときめいてしまった。笑顔なんて飽きる程見てきた筈なのに、なんだかその表情を初めて見るような感覚に襲われて。たまらなくどきどきした。ごちそうさまって云って舌をぺろりと出したりだとか、頭の後ろで手を組んでみたりだとか、そんなちょっとした仕草に一々反応してしまうわたし。妙にこっ恥ずかしくて視線を合わせられない。会話だって、せっかく話し掛けてくれてもろくに続けられない。どうしよう。ブン太がこんなにかっこいい奴だったなんて気付きたくなかったのに。もう、ただの男友達だなんて思えないよ。

後ろめたいデイドリーム//少年チラリズム

20110331

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テーマ「人外ファンタジー」
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