いつからかこうして謙也と帰るのが日常になっていた。わたしがテニス部のマネージャーだからとか、方向が同じだからとか、最近学校の近辺で不審者がよく出没しているからとか、きっかけは多分様々。わたし自身は幸い不審者らしき人物とは遭遇していないけど、運悪く出くわしてしまった子の話によればその不審者はスーツを着た一見普通のサラリーマン。がしかし社会の窓からお宅の息子さんが全開なんだとか。夏という開放的な季節が変態的行動に走らせているのかは定かではない。ていうか年がら年中そんな気持ち悪いことされてたまるかっての!謙也は捕まるような事せんといてね息子はちゃんとインしとるんやでと冗談なのか本気なのか判断がつきにくいであろう表情で述べれば、額をべしっと叩かれた。痛い思いはしたくないからこの話はこれでおしまい。
いつもの踏切を越えようとしたらタイミング悪く遮断機が下りてきたのでわたしたちは立ち止まる。電車のライトが遠くに見え、稍あって緑色の車体は物凄いスピードで駆けて行った。電車とどっちが速いか競争したら?とは提案出来なかった。本気でやりそうだったからである。カンカンカンと鳴り続けていた警報機から音が止んで遮断機がすっと持ち上がれば、わたしたちは再び歩き出す。数百メートル先の駄菓子屋さんで買い食いしていることは白石には内緒ね。

「今日も寄ってく?」「せやな」

わたしの大好きなブラックサンダーは残っているだろうか。謙也はいつも牛すじキャンディなる得体の知れない飴ちゃんを買っているけどあいつの舌はどうなってるんだ。駄菓子屋さんのおばあちゃんはとても優しい。よくお菓子をおまけしてくれるから、おおきにとお礼を云って謙也とはんぶんこする。今日はうまい棒(たこ焼き味とコンポタ味)をくれた。わたしコンポタがええなーと主張すれば謙也はたこ焼き味が欲しかったようで、争うことなくうまい棒は道中美味しく食べられましたとさ。

「今日はあの猫ちゃんいてるかな」
「どやろな。寄ってみるか?」
「おん」

駄菓子屋さんを過ぎて更に数百メートル進んだ先の公園には、ちょっと前から一匹の猫が住み着くようになった。アメショっぽい毛並みの可愛い猫ちゃん。そんな彼女は最近子供を産んだので、わたしたちは勝手に名付け親になろうと候補を挙げることに必死だった。

「スピスタちゃんでええやろ」
「嫌やわーそんなの。眉毛のとこがまろっぽいからまろとかどや?」
「あかんな。ほなら浪速っちとか」

わたしたちはどちらもセンスに欠けていたと思う。ていうか浪速っちってなに。たまごっちのパクリか。そんなこんなで未だ名前のない子猫ちゃんは今日は公園の砂場で母猫ちゃんが見守る中遊んでいた。おしっことうんちもしていた。ええなーと唐突に呟く謙也。猫ってうんこしてもけつ拭かんでええやんか。わたしは何も云わなかった。公園にはもう誰もいない。人っ子一人、いない。すぐ傍の家から夕飯の美味しそうな匂いがして、お腹がぎゅるるると盛大に鳴ってしまった。「帰るか」「せやね」小さな親子に別れを告げて、わたしたちはまた歩き出す。ミョウジ家まで、忍足家まではあと少しだ。

秋がきた。夏には勿論のこと悪い意味で巷を騒がせたあの息子全開サラリーマン風不審者もすっかりなりを潜め、冬籠もりならぬ秋冬春籠もりでもしてまた来夏には姿を現すのかなそれともお巡りさんに捕まったかなと考えてみたけど、普段ニュースを見ないわたしには分からなかったので帰ったらお母さんに聞いてみよう。
謙也とは変わらず帰宅を共にしている。そのせいか一部ではわたしと謙也が付き合っているんじゃないかと囁かれるようになり、そんな声を耳にすればその度に誤解を解いて回った。わたし自身は謙也が好きだったから噂されることはなんとも思わない。だけど謙也からしたらきっと迷惑だろうから。本人がわたしの行動を知ったら、ナマエも人の迷惑とかちゃんと考えられるんやなーなんて笑い飛ばしそうな気がした。
最近の話題は専ら進路のことで、卒業を思うと寂しい気持ちになった。謙也はやっぱりテニスの強豪校へ進学するらしい。白石も確かそこだって。ナマエはと聞かれ、家から最も近い高校を選択したことを告げるとナマエらしいわなんて笑われてしまった。立腹するよりも謙也が一番わたしのことを理解してくれている感じがしたから、嬉しくなってこっそり口元を緩めた。

「せや、明日は部活に顔出して財前部長でもからかってみぃひん?」
「謙也が行ったら逆に虐められるってまだ分からんの?」
「ぐ……」

だるいっすわとかなんとか面倒臭そうにはしていても光は立派に部長を務めている。引退してからは顔を出せば、暇人どもが来よった受験大丈夫なんすかなんて冷たい視線を送られるけど、それでもどことなく嬉しそうなのは光なりのデレなんだろうと勝手に解釈。明日の予定を決め、わたしたちの足は駄菓子屋さんの前で歩みを止める。今日もやってないや。近頃はお店が閉まっていることが多く、それもまたわたしを寂しい気持ちにさせた。どうしたのかな。おばあちゃんに何かあったのかな。
ちょっとばかし重たい足取りで公園へ向かえばあの可愛い親子は誰が与えたかミルクを飲んでいた。おっきくなったなぁ、子猫ちゃん。結局名前は決まらないままで、一つに定める気を失くしたわたしたちは思い思いに彼を呼んでいた。謙也はやっぱりスピスタで、わたしはやっぱりまろ。そうやって名前を呼べば彼が嫌そうな顔をするのは気のせいだと思いたい。暫く親子と戯れてからばいばいをし、わたしたちもそれぞれの家へと消える。告白、してみようかなあ。謙也に。だけど振られることを恐れるあまり自分を奮い立たせることも出来ないまま、秋は過ぎていった。

冬になっても、わたしたちの仲は変わらない。良いんだか悪いんだか。駄菓子屋のおばあちゃんが亡くなったという一報を受けたのは、雪がちらつき始めた頃だった。たくさん泣いた。たくさん泣いて、おばあちゃんを偲んだ。柔らかな目元、皺くちゃな手、優しい笑顔。偲べば偲ぶ程、涙は溢れてくる。そんなわたしを慰めてくれたのはやっぱり謙也だった。慰めてくれたと云うより、無言でタオルを差し出してくれたのだ。しかしそのタオルが今日の体育で汗をめいっぱい吸収したものだと知っているわたしは、受け取っても涙を拭えずにいた。それでも謙也の優しさを無下にはしたくなくて、覚悟を決めて顔を近付ける。

「くさっ」

反射的に発してしまったその言葉に、謙也は声を上げて笑った。「せやろなあ」ってわざとかい!腹が立ったのでタオルを謙也の鼻に押し付けてやった。すると自分の汗の匂いにおええと吐きそうになるアホ謙也。気が付けば涙は止まり、笑っているわたしがそこにはいた。その後いつもの流れで公園へ立ち寄れば、あの親子はいなかった。まさか保健所に連れて行かれちゃったのかと表情を曇らせていると、あそこの家で飼われるようになったみたいよ。今は暖かいお部屋で幸せに暮らしとるんやないかねえ、とこの近所に住んでいるらしいおばちゃんが教えてくれた。拾われたんだ。良かった。もう一緒に遊ぶことは出来なくても、あの親子が幸せならそれで良い。元気でね、

「タオル、使うか?」
「……いらん。気持ちだけでええわ」

またも泣いてしまったわたしに、あの汗臭いタオルを取り出そうと手を鞄に突っ込んだ謙也。その動作を制すると、わたしは自分の手の甲で乱暴に涙を拭った。長生きするとええな。親子を思い笑う謙也に、わたしも不細工な顔で笑った。おん、せやね。

その日、布団の中でわたしは心に決めた。卒業までには、謙也に告白しようと。

もうじき春がやって来る。受験はどうなったのかというと、わたしも謙也も志望校にパスしましたよちゃんと。白石やユウジ、小春ちゃんたちもね。だから後は卒業までする事がなくて、日めくりカレンダーなんて古くさいモノでカウントダウンをしてみたり。となると、謙也とこうして並んで歩くことも無くなる訳だ。この冬の間に、町並みはすっかりとまではいかないが大分変わってしまった。あの駄菓子屋さんを筆頭に古い建物は取り壊されてしまい、代わりに今はビルやらマンションやらが建設途中にある。レトロな風景が好きだったのに。近代化する通学路に胸が苦しくなった。それとあの緑色の電車も変貌を遂げた。車体が緑からピンクに塗り替えられたのだ。いったいどんな心境の変化なんだろう。JRさんの考えは残念ながらわたしには分からない。

「あ、待った靴紐解けた」

踏切の前でしゃがみ込むわたしに気付かなかった謙也は、一人先を行ってしまう。カンカンカンカン。警報が鳴り、遮断機が下りてきたところで漸く隣にわたしがいないことに謙也は足を止め、振り向いた。わたしはこの三年間、ローファーではなくスニーカーを履いていた。理由といったら寝坊したときに走りやすそうだからとか、そんなもん。一応と買ったローファーは、おそらく高校から使うことになりそうだ。

「謙也!」
「なんー?」

靴紐をきつく結び直し、立ち上がる。向こうには電車の姿が見える。徐々に近付いてくる。決めたんだ、卒業までには告白するって。

「あのさあ!」
「おん!」
「わたしな、謙也のことが」

好き、丁度そのとき、電車がわたしたちをとてつもない速さで遮った。すまん、聞こえんかったからもっかい!聞き返してくる謙也。せやからな、わたしあんたが好きやねん!大声で叫んだつもりだったけど、駄目だった。ガタンガタン、ガタンガタン。長い車両が邪魔をする。謙也の声はわたしに届くのに、わたしの声は謙也に届かない。やがて電車が完全に走り去り、一帯が静かになると謙也は遮断機が上がりきる前にわたしのところまで戻ってきた。

「なあ、もっかい云うて」

本当はもう分かってるんじゃないのかって、そんな疑心を抱きながらもわたしは呟くように言葉を漏らした。好きやねん、謙也のこと。俺も。それが謙也の返事だった。俺も、ナマエが好きや。

「工事、いつまで続くんやろな」
「分からんね」
「なんや寂しいな。知っとる景色が変わってまうのって」
「ほんまや。なあ、謙也」

普段はアホでもへたれでも女心を理解していなくても、決めるときは決めるし、ぶきっちょなりに精一杯の優しさをくれるし、いざっていうときはすごく頼りになる。わたしは謙也のそういうところを好きになったんだろう。じゃあ謙也はわたしのどこを好きになったのかな。気になるけど恥ずかしくて聞けやしない。

あのさ、謙也

この町並みのように、いつかわたしたちも変わってしまう日は訪れる。だって何一つ今のまんまでいるなんてことは絶対にありえないでしょ?五年後、十年後には謙也が女心を理解出来てたり(いやまあそれは良いことなんだけどね)ちゃらついてしまっているかもしれないし、わたしもわたしで男遊びに走っていたり、謙也を好きじゃなくなっているかもしれない。どんなに必死に言葉を紡いだところで、嫌が応でも変わらずにはいられないことをわたしたちはちゃんと分かってるんだ。だけど今だけはせめて、ずっとそのままでいてねとか、ずっと一緒にいようねとか、ずっと大好きだからねなんて不変や永遠を信じる、そんな無垢な子供のままでいたって良いよね?

Peter Pan beyond the railroad crossing.

20110406

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