※最後ちょっとけしからん感じ



「……ナマエ、何やってるの」

自分には知らず知らずのうちに他人を観察する癖がついていて、それによってか洞察力も人並みには養われてきた方だと思う。それが時に相手を欺くセッターというポジション故になのか、あるいは元々自分にそういう性質が備わっていたからなのかはよくわからないけど、多種多様な人間と関わる上でかなり役に立っていることは確かだ。信用できない相手とは一線引くことができるし、木兎さんのような底抜けにバカ明るい人は扱い方もすぐに覚えられる。まあ、あの人をうまくコントロールできない人間なんてそもそもそういないだろうけど。

要するに何が言いたいかというと、俺が初めて一つ上のナマエと会ったのは去年の今頃で、この人は第一印象でかなり得をするタイプだろうな、というのがナマエに対する第一印象だった。高校生にしては妙に落ち着いた話し方をするし、だけど会話の至るところに笑顔を欠かさない人。意識的になのか、それとも無意識なのか。そうやって笑ってくれるから、自分も自然と前向きでいられる気がして。その屈託ない笑顔や常にピシッと伸びた背筋、まとう柔らかいオーラから雰囲気美人という言葉がしっくりくると感じたのが二度目に会ったとき。
でもいざ蓋を開けてみると、実際のナマエは一言で言えばただのアホだった。雰囲気美人も笑顔が絶えないのもあながち間違いではないけど、することのアホさ加減は軒並みそこらの高校生と変わらないものなんだなと特に実感するようになったのは付き合い始めてから。そういう意味では、呆れることもあるけど退屈はしない。

「えっとね、あまりの暑さに死亡するところでごんす」
「(ごんす?)」

練習も何もない完全オフの日は久しぶりで、それを伝えた数日前からナマエはどこ行こう何しようと嬉々として表情を弾ませていた。はずなのに。当日になっていざ迎えに来てみたら、ピンポンを鳴らしてもなぜか一向に出てこない。でも家の中からは確かに声がするからおずおずと靴を脱いで上がり、気配をたどっていけば、冷凍庫に顔を突っ込んで棒立ちしているナマエのエッジの効いた姿が目に映った。

確かに今日は暑い。と言うより、ここ数日の暑さは半端じゃなかった。暑い暑い騒ぐ木兎さんの暑苦しさが、完全に気温の上昇に拍車をかけている。例年この時期は気温がぐんと上がるけど、この酷暑は例年以上じゃないかと思う。まるで梅雨をすっ飛ばして夏がフライングしてしまったような感じだ。去年はまだ、もう少し過ごしやすかったはず。だからナマエの気持ちはわからないでもないけど、さすがに冷凍庫に顔は突っ込まないでしょ。どこまでクレイジーを貫くつもりなのか。

「大丈夫だよ、人間そう簡単に死なないから。それより電気代もったいないと思うけど」
「うん。だからね、全開にするのはさすがに気が引けるからこうして空いてる範囲を最小限にしてるの」
「…空けてる時点で一緒でしょ」

うーん。そっか。ナマエは名残惜しそうに冷凍庫から顔を出すと、そっと扉を閉めた。冷気が張り付いて気持ちいいのか、大層うっとりした表情で両手を頬に押し当てるその姿。出かける準備は万端のように見えるけど、果たしてこの暑さの中を出て行く気はあるのだろうか、と疑問に思う。家の中で過ごすのも別に悪くはないけど、柄じゃないなりにも密かにプランを練っていた身としては、なんとか頑張ってほしくはある。

「そろそろ行くよ」
「まって!ねえ、髪変じゃない?」

眉を下げ、くるりと反対側を向いては指差しながら後頭部を見せてくるナマエ。暑いから頑張ってまとめてみたの、背を向けたまま紡がれたその言葉に俺は改めて後頭部を注視した。ナマエの髪は短くもないし長くもない。小綺麗にまとめるには長さが足りないような気もするし、でも下ろしたままだときっと暑苦しいんだろう。その髪を細身のゴムでひとつにしばり、しばった先を持ち上げて綺麗な髪留めでまとめている。最初見たとき、いつもと違うとはすぐにわかった。普段髪を下ろしている姿しか目にしたことがないから、いくらなんでも気づかないわけがない。けど、冷凍庫に顔突っ込んでるその絵面のインパクトが強すぎて、髪型の違いを口にする暇がなかった。

「変じゃないよ。すっきりしていいんじゃない」
「でしょ?うなじの辺りが涼しくていいのー」

さわさわと自分のうなじをナマエは撫でる。いつもと違う髪型、それによって無防備にさらけ出されたうなじに、胸がざわつくのを覚えた。 際立つ白さと細さが、女の部分をやたらと強調しているようで。そうやって見せられたら、無性に駆り立てられるというか、いたずらをしたくなってしまう。いたずらをして、困った表情をさせたくなる。「(って……何考えてんだろ)」唐突に脳内をチラつき始めただらしない欲求。これも暑さがそうさせてるんだろう。

「やだなぁ。絶対汗かいちゃう」
「この暑さだからね。しょうがないよ」
「うん……だけどね、わたし汗の量がほんと尋常じゃないの。女の人でそんなに汗かく人見たことないから恥ずかしくて泣きたくなる」

まあそれだけ代謝がいいってことなんでしょ。フォローのつもりでそう返しても、ナマエの表情は曇ったままだ。女の人で汗かく人は俺の周りにも普通にいるし、それに別に汗かくことは悪いことじゃないんだからそんなことで一々引いたりもしないよ。と、ピンポイントに憂慮しているだろう部分に触れれば、ナマエは安堵したように目を細めて笑った。そんなんで引いてたら、たぶんキリがない。大体、そういうの引っくるめて可愛く思えてしまっているのだから、俺の頭はよっぽど冒されている。結局、惚れたもん負けだ。

ナマエ越しに見える、窓で区切られた空。その澄み切った青は、絵が一枚そこにあるような、そんな額縁の中の風景を眺めているような気持ちにさせた。確かに暑いけど、雨でジメジメするよりはずっといい。もう一度"行くよ"と口にする代わりに目線で促せば、パステルカラーのショルダーバッグの中身を確認しながら、「でもさ、やっぱり暑いのより絶対寒い方がいいよね」さっきの会話に続きがあったのか、ナマエがそんなことを口にしては同意を求めてきた。

「だって寒さは厚着したりして凌げるけど、暑さは全裸になっても暑いでしょ?全裸だよ全裸」
「まあ、そうだけど。俺は練習で散々汗かきまくってるから、逆に寒い方が苦手かも」
「そっかーわたしもスポーツやればよかった」
「そういう問題じゃないでしょ」

すかさず突っ込めば、ナマエはそうだよね、と歯を見せ曇りなく笑った。からからとした彼女の笑い声を聞いていた俺の頭の中を、またしても不健全な欲求が早足で駆け巡り始める。行こ行こ、と前を通り過ぎようとするナマエの手首を掴んで引き寄せ、不意打ちになす術もなくバランスを崩したナマエは俺の胸元に顔を押し付ける形になった。そのまま動きを封じるように強く抱いて、腰の辺りをさらと撫でる。その手付きに小さく震える肩が、心をくすぐってしょうがない。

「なに、どうしたのいきなり」
「いや……暑いのが嫌なら、俺とこうするのも好きじゃないのかなって」

だってくっついていれば暑いでしょ。そんな意地悪を言えば期待通り、ナマエは困ったように唇を噛み、うっすらと眉間にしわを寄せる。捨て犬のように自分を見上げるその弱々しい顔に、急き立てるように感情が昂るのを覚えた。

「好きだよ。京治にぎゅっとされるの……だからやめないで」

控えめに伸ばされた手が、俺の背中より少し下の辺りで頼りなさげに抱き締め返してくる。思いがけない返答に、俺は言葉という言葉を奪われてしまったようだった。だっていつもなら、そんな意地悪なこと言わないでとか、そうやって羞恥心に声を絞り出して小さく抵抗するのがやっとなのに。それがまさか、こんな直球で返されるなんて頭になかったから。意地悪が完全に無効。なにコレ。どストレートすぎて、逆に俺が困ったことになってるんだけど。

「あのね、京治。わたし、京治のこと本当に好きなんだよ」

会えば恋人らしく手も繋ぐし、もちろんキスだってする。だけどここ最近は俺も俺で練習漬けの日々を送ってきたし、ナマエも生徒会だとか委員会で慌しくてゆっくりと落ち着いて会える日がなかった。常に時間に追われ、やるべきことにつきまとわれて。それだから俺もナマエも「今はそういう時期なんだからしょうがない」って物分りのいい振りをして、すればする程お互い心の片隅にどうしようもなく寂しさが積もっていたんだと思う。ナマエがこんなに素直に気持ちを明かすなんて、寂しさが限界値を振り切ってしまった証拠のようなものだ。

「…うん。俺も」
「ううん。俺も、じゃなくて、ちゃんと言って。お願い」

聞きたいの。そう言い、縋るような眼差しで俺を見上げるナマエ。吸い込まれてしまいそうな、潤んだ瞳。その中に映り込んだ俺は、どんな表情をしているのだろう。直球で返されるのも、直球を求められるのも、本当はまだ、そんなに得意じゃない。唇がただ一言、好きだよ、と言葉を生み出せば、ナマエは表情筋をこれでもかってくらい緩め、俺の胸に顔を埋めた。ナマエの吐息が胸元を熱くしていく。暑いし、熱いし、もうどうしようもない。腰に回した手はそのままに、少しだけ上体を屈めてキスをする。そうして何度も何度も重ねれば、ナマエが胸元を押し返してきた。

「そろそろ行こうよ、京治」
「ダメ。もう少しこのまま」

あれ、さっきと逆じゃん。なんて思ったり。そろそろと右手を腰からうなじに持ってきては、ゆっくり確かめるように触れていく。うなじ、耳たぶ、顔の輪郭。密着しているからか、ナマエの額にはうっすらと汗が滲んでいた。遊ぶように動かしていた右手を今度は衣服の中に忍ばせ指を這わせると、指の動きに合わせてピクピク反応するナマエの体。どこに触れても温かい。そのまま下着のホックを外せば、パチンという音と胸を締め付ける感覚がなくなったことに、堪えるように目を閉じていたナマエがハッと目を見張った。

「え、まって京治」
「またない。止められないよ」
「でも……ふぁ、んっ…やぁ…っ」
「悪いけど、そんな声で誘われて止められるような聖人君子じゃないから」

和室から立ち込める畳の蒸れた匂いが鼻を刺激する。俺たちを見下ろす時計の針は、ただ黙々と歩みを続けるばかりで。タイムスケジュールが大幅にズレてしまうことはわかっていた。わかっていたけど、止められないし、もう止めるつもりもない。暑さを言い訳になんかしたけど、ただ俺がバカみたいに触れたくて欲に呑まれただけの話。


20160606 魔女

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テーマ「人外ファンタジー」
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