「…分かりました。せやけど、一つだけお願いがあります」
「お願い?」
「祭り、一緒に行ったってもらえません?ほんまは人混みとか、嫌やねんけど」


予報では雨マークだったその日の午前9時35分。起床しカーテンを開けてみれば空はからっと晴れ上がっていて、お祭り日和だなあなんて眩し過ぎる陽射しに目を細めながらふと思う。階下のダイニングで朝食を済ませ、私は母親に引っ張り出してもらった浴衣を体に合わせてみた。家には黒地に黄花柄のものと赤地に芍薬柄のものがあって、以前私は赤が似合うと光が云ってくれたことから、無難な黒を選ばず思い切って赤色の浴衣に挑戦することを決めた。ああ、どうか変じゃありませんように。光はどんな格好で来るのかな。甚平ないし浴衣を着てきてほしいという私のリクエストに、果たして彼は応えてくれるだろうか。

何度も考えてきた。もしも違う形で光と知り合い彼を好きになっていたら、私たちはもっと幸せでいられたのかもしれないって。或いは私の片想いだったとして、純粋に彼を想い続けることは時に辛くもあれど日々を明るく鮮やかに彩ってくれるのだろうなって。何度も何度も考えてきたけれど、私は、少なくとも今の私は後悔していない。紆余曲折してきたことにも、確かに意味はあるからだ。無駄なものなんて何一つない。それに、ちゃんと結論を出せたじゃない。私は、自分の意思で形成された結論を。
どんなに大人ぶったって、私たちはまだまだ子供だ。不器用で、未成熟で、脆弱な。でもそれは決して悪いことじゃないと思うし、今はそれで良いとも思う。今はそうやって失敗を繰り返し、傷付き傷付けられながら、ゆっくりと成長していけば。

約束の時間が近付き、手慣れた様子の母親に着付けをしてもらった私は家を出、待ち合わせ場所の公園へと歩みを進める。髪には小菊と藤の花の飾り彫りが入った簪を挿し、巾着袋を結わう紐に付けられた鈴は、歩く度にチリンチリンと綺麗な音を響かせる。祭日だから珍しくはないだろうに、周囲から浴びせられる視線に羞恥を覚えた。やがて公園が見えて来ると、同時に捉えたのは光と思しき人の姿。遠くから名を叫べば、彼は、光は振り返った。浴衣姿ではまともに走ることも敵わず、小走りに彼の下へと向かう。
「……光、かっこいい」
濃紺に縞柄の浴衣を身に纏った光は、お世辞抜きにそこらの芸能人よりも格好良いと思った。これじゃあ会場に着いたら女の子たちに終始持て囃されっぱなしで大変だろうな。きゃーきゃー騒がれて不機嫌オーラ全開の光を思い浮かべ、私は笑みを漏らす。

「何笑ってはるんすか」
「ううん、なんでもない」
「ちゅうか名前先輩、」
「うん?」
「…めっちゃ似合ってますわ、その浴衣」

どこか照れ臭そうに賛辞を送る光の方が、私なんかよりも遥かに似合ってるんだけどね。内心ではそう思いながらも表向き「ありがとう」と素直に受け取れば、どちらからともなく手を繋ぎ合わせ、祭り会場へと歩き出した。喫茶店を通り過ぎ、T字路を左に曲がる。目的地へと徐々に近付くにつれ、過剰な人口密度故に増していく熱気。やがて河川敷へ到着すると、想定の範囲を超える混雑具合に光は手を繋ぎ直した。逸れてしまわないように、しっかりと。

案の定大勢の女の子の視線を一瞬にして奪う中、それでも私たちは祭りを堪能した。りんご飴に齧り付いたり、たこ焼きを半分こしたり、金魚すくいでどちらが多く掬えるかを競ってみたり(残念なことに私はものの一匹すら捕まえられなかった)。思えばこんな清々しい気持ちでデートができたのは、きっと今日が初めてかもしれない。そして最初で最後に、なってしまうかもしれないけれど。

「そういえばこのお祭りって花火上がるんだっけ」
「おん。あ、名前先輩」
「うん?」

人混みを掻き分け、どこかへ私をナビゲートする光。どこに行くんだろう。進む先には見物客もそれ程おらず、立ち並ぶ住宅からはとりわけ子供たちの賑やかな声が届く。光はまだ、足を止めない。住宅街を超えた更にその先の畦道の辺りまで来ると、ここ、とだけ云って漸く立ち止まった。

「結構穴場なんですわ。座れへんのがアレですけど」
「そうなんだ。よく知ってるね」
「……まあ、先輩と二人で花火見たかったんで」

一匹、二匹。蛙が鳴いている。どちらかと云えば、夏は好きな方だった。お線香の香りとか、生い茂る夏草の匂いとか。なんとなく、心の中が満たされるような感じがして。

空はいつしか青から紺へと色を変えていた。河川敷の方からは、間もなく花火を打ち上げる旨のアナウンスが聞こえてくる。その数秒後、ドン、と鼓膜を突き破るような轟音と共に、一発目の花火が打ち上げられた。「綺麗だね」「…っすね」赤、青、黄色、紺碧の空に描かれた無数の八重芯菊は、枯れては咲き、枯れては咲きを繰り返す。その度に響き渡る轟音が心臓を揺らし、色鮮やかな大輪の花は視界に焼き付いて離れない。空が曇れば晴れるのを待ち、再び蕾は昇っていく。

どうしてだろう。
涙が、溢れてきた。

「名前先輩、」
「え……っ!?」

繋がれていた手が離れ、名を呼ばれたかと思えばその次には光に抱き締められていた。強く、強く。夏の匂いも、それどころか呼吸さえも奪われてしまいそうで、すごく苦しい。苦しくて、なのに私は身を捩らせることもなく、光の腕の中、漂う彼の香りの中にいた。

「好きや好きや好きや。先輩、ほんまに好きや」
「ひか……」
「お願いやから、どこにも行かんといて……なあ、先輩……っ」

光は震えていた。微かにだけど、鼻を啜る音も聞こえた気がした。
「ひか、る……」
私は何も云えない。ただ、名前を口にすることしか。泣いちゃだめ。泣いちゃ、だめ。零れ落ちそうになる涙をぐっと堪えていると、そっと腕の中から解放された。花火に照らされた光はすごく綺麗で、今までよりも強い気持ちで愛おしいと思った。それでも、私は行くんだ。向き合う為に、答えを出す為に。

ふと、光は何かを差し出してきた。暗がりの中でも分かるそれは、普段光が手首に付けていたリストバンドで。
「これ、持って行ってください。それでもし一年後まだ俺を好きでおってくれてたら、これを手首に付けて来てほしいんです」
こくんと小さく頷き、私はそのリストバンドを受け取る。気付けば花火は、散っていた。

「…手紙、書くからね」
「おん」
「写真も、いっぱい送るよ」
「待ってます」
「光、」
「なんですか」
「今まで好きでいてくれて、ありがとう…っ」
「これからも、っすわ。なあ、名前先輩」
「うん?」

“傍におってくれて、ありがとう”
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