名前先輩が倒れた。

その報せを受けた瞬間俺は全身から血の気が立ち所に引いていくんを感じ、授業なんて気にせんと名前先輩の家まで自転車をすっ飛ばした。俺がその事実を知り得たんは、小春先輩が名前先輩と同じ高校へ進学したから。つまり逆を云えば、もし小春先輩がおらんかったら俺は確実に倒れたっちゅうことを把握できんかった筈や。まさか先輩が今日倒れちゃったんだーなんて自分から教えてくれはる訳ないやろし。苛ついてまうくらいの蒸し暑さに、先輩の下へと急ぐ俺の額には汗がじわりと浮かぶ。早く、早く。

洋風の洒落た住宅が軒を並べるその一角にある、名前先輩の家。自転車を停め、インターホンを押すが応答はあらへん。そらまあ今日は普通に平日やし、家の人は皆仕事でいてへんのやろな。制服のポケットから携帯を取り出し、先輩のそれを鳴らしてみる。メロディーコールに耳を傾けながら通話に切り替わるのを待っとったけど、出る様子もあらへん。そこで俺は、人目を気にしつつもドアノブに手を掛けた。もしかしたらっちゅう期待を裏切ることなく、施錠されてへんかった玄関の扉はガチャリと音を立て、俺の手によってゆっくりと開いていく。「……お邪魔します」来慣れた筈の名前先輩の家も今は閑散としとって、漂う静けさが初めてここに訪れたような、そんな気分にさせた。数歩先のリビングを恐る恐る覗いてみるが、誰もいてへん。ちゅうことは部屋で寝とるんかな、名前先輩。踵を返し、玄関近くの階段から階上の先輩の部屋を目指す。数秒と経たず目的地へ到着した俺は申し訳程度の音量でノックをすると、部屋へと足を踏み入れた。

「……名前先輩、」

先輩は制服のままベッドに横たわっとった。すうすうと聞こえてきよる寝息に、どこか安堵しとる俺がいて。ちゅうか家ん中に先輩一人しかおらんのに鍵掛けてへんとかどんだけ無用心やねん。まあそのおかげで俺は家内に上がれたんやけど。ベッド脇に腰を下ろし、先輩の寝顔を見つめる。その時になって漸く、うっすらと頬を伝う涙の存在に気が付いた。

なあ先輩。
今、何を考えとるん?
何を想い、何に悩んどるん?
たった一言でもええから、ちゃんと言葉にしてほしいねん。そしたら俺も、少しは素直に云いたいことが云える気がするから。なあ、先輩。

「ん……」微かに声を発し、先輩は目を覚ました。直後俺を、本来ならここにおるはずのない俺を見て、上体を勢い良く起こす。

「光がなんでここに、」
「小春先輩から聞いたんや。名前先輩が倒れたって」
「……あ、金色さん、から」

小春先輩の名前に、先輩の顔色が余計悪なったのを俺は見逃さへんかった。多分、いや絶対に先輩は分かっとるんや。俺が小春先輩から教えてもろたんは、倒れたことだけとちゃうって。

「俺、そない頼りなかったですか?」
「ち、ちが」
「じゃあどないして教えてくれへんかったんです?……嫌がらせされとること」

“名前ちゃんね、高校へ進学した途端に嫌がらせされるようになったみたいなの。財前きゅん、もしかして何も聞いてへんかった?”俺は何も知らんかった。先輩が姿を見せへんかったあの練習試合の日以降様子が変や思っとったけど、俺のことで嫌がらせを受けとる現状なんて、何も、

「光に、これ以上迷惑掛けたくなかったから、だから」
「……は?」

これ以上ってなんやねん。迷惑ってなんやねん。「俺がいつ迷惑や云うたん!?」カッとなってもうて傍らにあったテーブルを強く叩くと、先輩の華奢な肩が大きく跳ねる。なあ、先輩。情けないことに、俺の声は震えとった。
「まさかまだ、俺が先輩に付き合わされとるとか、振り回されとるなんて思うてるんとちゃいますよね?」
名前先輩は何も云わんかった。違うよ、とも、そんな訳ないじゃん、とも。俯き、唇を引き結んだままで。不安や恐怖から生まれた怒りは、俺の心臓を黒一色に染め上げる。怒鳴ったらあかんと頭ん中では理解しとっても、今は理性に従うことはできんかった。

「なんであんたはそうやっていつまでも加害者や思うねん!」

同情でも何でもなしに、ただ先輩が好きやから傍にいてるのに。どないして分かってくれへんの?「…もうええわ」そう云うて立ち上がり部屋を出る間際、先輩の双眸から再び滑り落ちる涙を俺は見た。せやけど泣きたいのんは俺やって同じやねん。俺やって、ただ先輩が好きなのに。
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -