「兄貴、もうちょいスピード出ぇへんの?」
「無茶云うなや。スピード違反で捕まるっちゅーねん」
「俺を降ろしてからなら別にええで」
「…薄情な弟やな、ほんま」

先輩がアメリカに旅立ち、また一年の歳月が流れた。名前先輩のおらん一年はほんまに長く、永久に続いてまうんやないかってくらい果てしなく感じて、触れ合うことができひん距離におるっちゅうのを実感する度に寂寥の感に苛まれてきた。せやけど、先輩はアメリカに発ってからすぐにエアメールをくれた。確か8月の終わり頃やったと思う。
『元気ですか?まずは全国大会、本当にお疲れ様でした』
その返事として激闘の末に優勝を勝ち取ったことを報告すれば、先輩から届いた二通目の手紙の文字は心做しか喜々として跳ねとるようやった。

大から小まで、名前先輩は向こうでの生活で感じたこと、起きたこと、様々なことを教えてくれたった。たとえばミネソタの9月は日本と比べればごっつ過ごしやすいとか、ミネアポリスは結構な都市やったとか、ほんでそのミネアポリスにある“mall of America”っちゅうショッピングモールがあまりにも広すぎて迷子になってもうたとか、日々のカロリー摂取量が半端ないとか。それからホストファミリーと撮った写真もぎょうさん送ってくれた。先輩が来てすぐに女の赤ちゃんが産まれたらしく、名前先輩がその赤ちゃんを抱っこしとる一枚には“Bigbaby Miranda”と書かれとって。それなりに愉しくやってるっちゅうのを知って安堵する反面、心配もあった。

「孤独に押し潰されそう」「さみしい」
いつかの手紙にそう綴られとったことがある。吐露されたのはその一度きりやったけど、先輩はええホストファミリーに恵まれた裏側でずっと孤独と闘ってたんちゃうかと思うねん。やってそこには先輩を知っとる人間も、先輩が知っとる人間もいてへんのやから。誰一人として。自らの意思で渡米することを決めた云うても、そら辛くなる日があったって不思議やない。所謂ホームシックっちゅうやつやな。
せやから名前先輩が帰国しはる今日、俺はぎょうさん話を聞いてあげたいっちゅうわけや。今日だけとちゃう、明日明後日、明々後日とずっと。愉しかったことも、辛かったことも、手紙に書かれとったことも、手紙には書かれてへんかったことも。ぎょうさん聞いて、安心させたいんや。もう、孤独に苦しむ必要なんかないねんって。

逸る心をそのままに空港へ到着した俺は、まず現在の時刻を確認。先輩の乗った便は予定やと後5分で着くみたいやな。車を降り、ロビーの椅子に腰掛ける。周囲を見渡せばビジネスマンや外国人、それから久々に再会したんか、まるで数分後の俺と名前先輩みたいに、笑顔で抱き合っとる人らがおって、改めてようやっと先輩が帰ってきはるんやっちゅうんを強く、深く実感したった。
「(5分ですら長感じるとかどないやねん……)」
表示器内のスクロールメッセージをぼんやり見上げとると、不意に流れたアナウンス。UA4426、その便名を耳にするや否や、俺は反射的に立ち上がった。これに先輩が乗ってはるんや。腰を上げ、10番ゲートへ向かう。そうして2、3分後には続々と人が出て来よって、俺はただ一人、名前先輩を捜した。先輩の姿はすぐに見つけられた。ピンク色のTシャツにショーパンっちゅうラフな格好の名前先輩。最後に写真で目にした時に比べ少し日焼けしとって、なんや新鮮な感じもする。せやけど、

「(あ……)」

気になって視線を送ったその手首には、リストバンドは付けられてへんかった。

「名前、先輩」

それが、この一年間孤独と闘いながらも先輩が出した答えなんや。せやから俺がああだこうだ云うたって今更覆る訳とちゃうし、もうガキみたいな真似して困らせとうない。分かっとる、ちゃんと分かっとるのに、心ん中で密かに抱いとった期待は一年越しの結果を目の前にしても未だに消えてくれへん。
「ひかる」変わらん優しい声が、俺を呼ぶ。先輩は、微笑んどった。

「本当は場所を変えた方が良いと思うんだけどね、どうしても今すぐ伝えたいことがあるの。聞いてくれる?」

俺は頼りない声色で承諾の意を告げる。先輩の視線は逸らされることもなく、ただただ真っすぐに俺へと向けられとって、俺だけを視界に映しとって、これから何を云われてまうんかと、情けないことに体が強張ってしもた。

「まずは、改めてありがとう。一年前、私を素直に送り出してくれて。それと、何も聞かないでくれて。オサムちゃんを超えられたのかとか……出発前の私には答えられなかった。だから光が何も云わないでいてくれて、本当に嬉しかった。

色々考えてみたんだけどね、やっぱり光が求めているような答えは出せなかった。納得、いかなかったの。超えたとか超えないとか、そんな風に結論付けることが。だってオサムちゃんにはオサムちゃんの良いところがあって私は好きになったんだし、光には光の良いところがあるから、私は光を好きになった。出逢う順番が逆だったとしても、きっと同じ。私にとって二人は、そんな言葉じゃ簡単に割り切れないくらい、大切な人だから。……光のことは、傷付けてばかりだったけどね。

知らない街、知らない家、知らない人、知らない景色。当たり前だけど何もかも見たことがなくて、何度もホームシックになっちゃった。自分で選択した道なのに、心細いからって沢山泣いたりもした。でもね、皆に逢いたくはなったけど、日本に戻りたいとは思わなかったよ。だってどう転んでも、今まで怖がって逃げてきた分、今度こそ光の想いに正面からぶつかっていきたかったから。光は光で受験やテニスを頑張ってる、だから私も私で、ちゃんとけじめをつけなきゃ、って。

スペリオール湖とか、ほら写真送ったでしょ?あの他にもね、色んな場所に連れて行ってもらったんだ。国立公園で鹿も見たし、グースベリーの滝っていうね、そんなにすごい所ではないんだけど、涼しくて静かな場所とか。

それでね、綺麗な景色を沢山目にした時に思ったの。『この景色を、光と見たい』って。この場所にまた来る時は、光と一緒に来たいって。ただ純粋に、素直な気持ちで思ったんだよ」

俺を見上げる名前先輩は、瞳を潤ませ、右手をそっと取る。その久しぶりの温もりに、つい俺まで泣きそうになってしもた。一方で堪えきれんかった先輩は一粒、二粒と頬に涙を滑らせながら、それでもせめてしゃくり上げんようにと、ゆっくり言葉を紡ぎ出す。

「今まで、逃げてきてごめん。弱虫でごめんね。でも、向き合って分かったの。私、やっぱり光が、光が大好き……っ。もし私のことをもう好きじゃなくても、今度は、今度は私が追い掛けるから!」

そこまで云うた名前先輩から言葉を奪い、俺は先輩を強く抱き締めた。腕の中に閉じ込めて、髪に顔を埋めて。ああ、あかんな。やっぱり泣きそうになってまうわ。“好きや”と伝えたかった唇は、震えるばかりで役に立たん。せやから俺は、先輩を抱き寄せたこの腕の力に最大限気持ちを込めたった。
好きや、ほんまに好きなんや。一年前よりも、二年前よりも。オサムちゃんのことはもうええねん。やって、確かに超えた超えてへんっちゅう言葉の範疇で見た時に、今の俺のポジションがどっちなんかは不明瞭のままやけど。それでも、先輩は先輩なりに納得のいく答えを出してくれた。オサムちゃんの代わりとちゃう、俺っちゅう存在を認めてくれたから。

ひかる、ひか、る。
途切れ途切れになりながらも、必死に俺を呼ぶ先輩。せやから俺も、名を呼んでそれに応えた。名前、名前。

「ひかる……ありがとう、ずっと、ずっと待っててくれて……っ」
「…俺、」
「え……?」
「まだ、ちゃんと云うてなかったですね」

周りがどんな目で見てこようが関係あらへん。一旦腕の中から先輩を解放すると、不意打ちでもなんでもちゃうけど、キスを一つ。頬を赤く染める先輩に、俺は四文字の言葉を送った。

「おかえり」

名前先輩と過ごす新たな夏の空気を、そこに感じながら。
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -