「やだやだやだー!」

その日はなまえの我が儘と共に幕を開けた。

きみ

土曜日。待ちに待った週末云うても今日は遠方で練習試合が行われるっちゅう訳で、どないしてもなまえを連れて行くことはできひんのやけど。まだ三歳かそこら(見た目的に)のなまえが素直に理解してくれるはずもなく、やだやだやだやだ、ひたすらそればっかり。ふと窓の向こうに目をやれば、案の定もくもくと広がっとったのは曇天。僅かな晴れ間さえ許さへんくらい、空は鼠色一色やった。

「せやからな、今日はどないしても連れて行かれへんねん」
「やーだー!」
「せやなまえ、家でお利口さんにしとったらええモン買うて来たるで」
「やーだー!」

集合時間にはまだ余裕があっても、俺の気持ちには微塵も無さそうや。あかん、苛々してきた。なまえをおかんに頼も思ても、ぴたっとしがみつかれて身動きが取れへんこの状況。だからっちゅうて同行させることはどないしても無理な話やし。ほんま、頼むから云うこと聞いてくれへんかな。「なまえちゃん、今日はお家で光貴と遊ぼ?」「光貴もなまえちゃんと遊びたいんやって」見兼ねたおかんや義姉さんがちょいちょい助け船を出してくれても、なまえはやだの一点張り。やだやだやだやだ……。

「ええ加減にせえや!」

遂に堪忍袋の緒とやらが切れてもうて沸き上がる怒りに任せ大声を発すると、なまえは口を富士山の形に歪め、べそをかきながらピューと走って行ってもうた。後は大丈夫やから、光は学校行き。「遅れるで」とおかんに促され、なまえが消えた先を気に掛けつつも、素直に玄関へと向かう俺。スニーカーを履いとると明け放された和室の方から啜り泣く声が聞こえ、罪悪感とも呼べへん妙なもやもやを胸に家を出たった。

雨はすぐに降ってきた。難しいわ、俺は溜息を吐く。お守りは慣れとるつもりやった。何せ我が儘放題の三歳児と一緒に住んどって、兄貴や義姉さんに代わって面倒を見ることやって多々あった訳やし。悪さをしたら怒る、我が儘云うた時は諭す、ほんでフォローも抜かりなく、そういうのだって人並み以上にできとると思っとった。せやけど、よう考えるまでもなく俺は母親ちゃうしな。なんぼ子守りが上手い云うたかて、結局はおかんや義姉さんみたいにほんまもんの母親には敵わんっちゅうことや。


「財前遅かったやんか!」
「すんません、謙也さんと違て暇とちゃうんで」
「いきなりそれか!ちゅうか急に雨降ったかと思えば晴れよるし、最近の天気はほんま気まぐれやな」
「なまえの機嫌がようなったっちゅうことっすわ」
「はあ?なまえちゃん?」

謙也さんの言葉通り、学校に着く頃には晴れ間もちらほらと顔を覗かせとって。おかんのフォローの賜物やろな。俺は改めて、母親の偉大さっちゅうもんを実感したった。

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練習試合は四天のストレート勝ち。俺は謙也さんとダブルス組んで出てんけど、ぶっちゃけ俺一人でも全然楽勝やったわ。対戦校自体はここらじゃ名の知れたスポーツの名門校やっちゅうんで、今日の結果にオサムちゃんはえらいご機嫌や。(またコケシやる云うとったけど……他に無いんか)ご機嫌と云えば、出発してから四天に戻って来るまでの間の空模様はぼちぼちやってん。なまえお嬢様もあれから機嫌良うしてくれたんやろし、なんか土産でも買うてこかな。

解散後、俺は帰路の途中にある雑貨屋に立ち寄った。入るなりウサギやらクマやらのぬいぐるみがずらー並んどって、これええやんなまえも気に入るやろ思てタグ見たらその値段に目ん玉飛び出そうになったわ。いやいやなんでこないに高いんアホちゃうほんま。財布と相談するまでもあらへん価格に諦めざるを得なかった俺は、店の奥へと足を進める。そこでふと目についたのは、髪を結わうゴム。なまえ髪長いし、こんなんでもええかも。幾つかある中で俺は向日葵の付いたゴムを二つ手に取り、これで後悔せえへんかと数秒躊躇ってからレジへ向かった。

「ただいま」いつもより気持ち大きめの声で帰宅をアピール。なまえが飛んで来るとばかりに予想しとった俺は、いつまで経っても来おへんことに少しだけ肩を落とした。まさか俺、嫌われてへんよな。出てきたおかんになまえはと問えば、リビングにいてるでと普通の返答。ギシギシと軋む床にさりげなく存在を主張しながらリビングまで行けば、塗り絵をしとったらしいなまえの姿はそこになく。不審に感じて近付いてみれば、なまえはソファの後ろに隠れとった。

「なまえ、ただいま」
「……おかいり!」

碌すっぽ俺の目を見ずにそう応えると、隅っこで体育座りをしよるなまえ。ちゅうか「おかいり」ちゃうくて「おかえり」やってこの前教えたんに。

「どないしたん?」
「……」
「なまえ、ちゃんと云うてみ?」
「……なまえ、ひかるにきやわれた」

きやわれた、嫌われたっちゅうことか。原因は百パーセント、朝のあれに間違いあらへんな。膝と膝の間に顔を埋めるなまえの頭を、「アホ」と俺は優しく撫でる。すると顔を、泣き面を上げたなまえは口をまたしても富士山の形に曲げ、二の句を待っとった。

「俺がなまえのこと嫌うようなアホに見えるか?」
「うん」
「うんて。なまえのこと嫌うはずないやろ。ほら、せっかくお土産も買うてきたんに」
「おみあげ?」

鞄の中からさっき買うてきたゴムの入った袋を取り出し、なまえの両の掌に乗せる。これなあに?と見上げてくるなまえに開けてみとだけ返せば、たどたどしい手付きでテープを剥がし始めるなまえ。袋が完全に開いたと同時に顔を現した向日葵の髪ゴム、それを確認したなまえはもう一度これなあに?と問うてきた。そういや、宇宙にはゴムなんかあらへんよな。こないな反応されるのんも当然やわ。洗面所から義姉さんの使てる鏡と櫛を持って来た俺は、座っとるなまえの前にその鏡を置いてレクチャーを開始する。女の髪の毛結ぶとかやったことあらへんけど、まあこんなもんやろ。櫛で梳かした髪の毛を二つに結わえば、鏡越しに笑っとるなまえと目が合うた。

「うわぁ、かわいいっ」
「せやろ?」
「ひかる、ありがと。だいすち!」

予想以上に喜んでくれとるなまえの恵比須顔を見、娘が嫁に行くのんを見送る父親の複雑な心境なんてもんが分かるような気がした。とりあえずこれ、ブログにupせな。
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