「きょおもあっちっちだねー」
「せやな、あっちっちやな」

後ろになまえを乗せ、キーコキーコと自転車を漕ぐ。茹だるような暑さとアスファルトの照り返しからくるこの灼熱宛がらの温度に、もはや今日一日を乗り切れる気がせえへんかった。お天道さんも仕事ばっかしてんとたまにはゆっくり休んだらええねん。なんてことを思いながら、俺の足は目的地をテニスコートに機械の如く稼動し続ける。今日は家に誰もいてへんからなまえを連れて行かなあかんっちゅう訳なんやけど。本日の最高気温、38.5度。とまあこの通り酷暑やから、水筒もぎょうさん持って万が一に備えんとな。なまえの首にぶら下がっとる花柄の小さめなそれがまず一つ。あとは俺の鞄に二つ、三つ。それから、麦藁帽子もちゃんと忘れてへんで。白いワンピースに水色リボンの付いた麦藁帽子を被っとるなまえは、どこのお嬢さんですか?っちゅう感じ。

「くもさんもくもくだね」
「ほんまやな、雲さんもくも」

頭上を指差すなまえに合わせて俺も天つ空を見やり、その時になって気が付いたんや。空の色も雲の色も、当たり前の青と白に戻っとることに。

きみ

最初に異変を感じたんは三日前、なまえとお医者さんごっこをしとったとき。額を触ろうとした俺の手が、なまえの体をすっと通り抜けたんや。まるで、透明人間になってもうたみたいに。何が起きたんかと俺は自分自身の手となまえを交互に凝視し、もう一度と恐る恐る手を伸ばしてみれば、普通に触れることができた。せやから一瞬、ほんの一瞬の出来事やったんや。その時はな。

なまえは、気付いてへんのやろか。
―おん、多分気付いてへんねん。

やって、様子もいつもと変わらんし。ただ、体が透明になってまうふとした瞬間は日を追う毎に増え、おちおち目を離すこともできひんくなった。そのままなまえが消えてまうんやないか、そないな恐れが俺の中に芽生えたから。異変は俺らを取り巻く環境そのものにも現れるようになり、たとえば今みたいに空の色が元に戻っとるとか、奇天烈なニュースを耳にせんようになったとか。

“異質の排除”

世界は間違いなく、本来あるべき姿に戻りつつある。即ちそれは、なまえがここからいなくなる。消える。星に還る。多分、そういうこと。


「おはようさん、財前……となまえちゃん」
「すんません部長、今日はどないしても連れて来んとあかんかったんで」
「くららおたよう!」
「ええで、気にせんとき。それよりなまえちゃんが熱中症にならんよう財前もしっかり見とってな」

既にコートに出てはった部長に事情を説明し、着替えの為に部室へと足を運ぶ。ドアを開けるや否や、謙也さんの喧しい声が飛び込んできたった。ほんまこの人は朝から元気やな。むしろ元気通り越してうっといわ。オサムちゃんの趣味(?)で飾られとるコケシたちをなまえの遊び相手に、俺は横で着替えを始める。扇風機すらあらへんこの部室でいま、頼りにしとるのは開け放された窓から入り込んできよる微風だけ。なまえ、喉渇いたら遠慮せんと麦茶飲むんやで。そう声をかければ、うんと笑顔で返事をするなまえ。その顔が一瞬、ぐにゃりと歪んだ。


練習開始から30分以上が経過した。外は暑いから部室におるように云い聞かせたんやけど、なまえは頑としてきかんかった。どないしても俺が練習しとるところを見たいから、せやからベンチに座って見ててもええかって。俺としてはその頼みを聞き入れる訳にはいかへんかってん。理由は前述の通りや。お互い一歩も引かん状態にピリオドを打ったんは、副部長の一声。俺が傍についとるさかい、財前は練習に集中しいや。休んだ分は自主練で取り返すし、白石もそれなら文句あらへんやろ?そこまで云われると、俺も部長も反論することは敵わなかった。ま、しゃーないっすわ。ほな副部長、お願いします。なまえを任せ、俺はメニューを淡々とこなしていく。ちらちらと、ベンチの方に注意を払うことも忘れへん。なまえは俺と目が合えば、がんばれと精一杯エールを送ってくれて。人から応援されるのがこないに嬉しいとか、多分いままで感じたことなかったんちゃうか。なんちゅうか、ええとこ見せたらななんてやけに張り切っとる俺がいて、ものごっつキモいわーとか思う。せやけど、やっぱ嬉しいもんは嬉しいから。

「なまえ、今から試合してくるから応援頼むで」
「しあいってなあに?」
「試合っちゅーのはな、向こうにいてる人をぼっこぼこにすることやで」

会話が聞こえたんか対戦相手の謙也さんが「おい!」とつっこんできはるけど、とりあえず無視しとこ。

「じゃあねーなまえねー、ひかるがんばあれってたっくさんさけぶからー、そしたらひかるだいじょぶ?」
「おん、大丈夫やで。なまえが応援してくれたら負けたりせえへんからな」
「わかった!」

すうと深く息を吸い込み、両の掌を口元に当て、大声を出す準備万端のなまえ。そない愛くるしい姿に、思わず笑みが零れてきよる。俺は水分補給を忘れんようにと再度念を押し、ベンチを離れた。

けど、


「なまえちゃん!」

一歩、二歩、三歩、と数歩進んだところで、振り返ればなまえの体が地面へと傾倒していく。俺にはその一瞬の出来事がまるでスローモーションのようにゆっくりと、そして鮮明に映し出された。

7月某日。太陽は、それでも容赦なく照り付ける。
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