スイカを堪能した俺らは、思い思いに一時を過ごしとった。謙也さんや部長、副部長はビーチフラッグをしてはるし、小春先輩とユウジ先輩はアホな恋人がやるような、あの「待てよ〜」「うふふ、掴まえごらんなさ〜い」とかいう台詞を口走りながら追いかけっこをしとって。俺となまえは何しとるかっちゅうと、浅瀬で地味に水遊び。真っ青なゼリーを溢し広げたような海の色と、象牙色に近い夏の暑さを孕んだ砂浜。寄せては返す優しい波が足首をすっぽりと包み、それが妙に心地好え。ちゅうかこの海水浴場ってこないに綺麗やったっけ?海に来るのなんかほんま久し振りやからな。全然覚えてへんわ。

「ひかる」
「どないした?」
「あのね、えほんでみたあかいちょきちょきがいないの」
「ああ、蟹さんな。蟹さんはここにはいてへんねん」
「なんでー?なまえ、ちょきちょきみたいっ」

なまえのなんで攻撃が始まってもうた。一度始まるとなんぼ説明しても聞かへんねん。俺はせやなぁ、と言葉を濁す。その間もなまえはなんでなんで、見たい見たいを繰り返してんけど、ふと何かを閃いたんか「あ!」と短く声を発してから突如として握り拳を作り、例えるならうんちを踏ん張っとる時のように唸り出した。んー、んー、んー。もしかしてほんまに出そうなんやろか、そう思て海の家の便所に連れて行こうと立ち上がれば。

「ぽんっ!」

なまえは空に向けて両の掌を広げ、俺は訳も分からずにその言動を見守るのみ。何がぽんっ!なんやろか。うんちの香ばしい臭いはしてこおへんから、漏らしてしもたんとちゃうみたいやし。辺りを訝しげに見回しとった俺は、直後その意味を理解することになる。


「なんや……?」ドドドドド、地響きにも似た音が耳を掠めた。ビーチフラッグをしとった謙也さんらも、アホモ(アホ+ホモ)ップル全開やった小春先輩らも、皆感じた異変に足を止める。やがて、遠方に確認したんは砂煙。俺は目を疑わずにはいられんかった。

「ねえ健坊、あれって……」
「蟹、やな」

せや、確かに副部長の云うようにあれは蟹や。ただ、問題はそこちゃう。問題は、あの夥しい量にあった。一帯を埋め尽くさんばかりの蟹が、猛スピードでこっちへ向かって来とってん。なるほどな。さっきの「ぽんっ!」はこういうことやったんか。……って、冷静に分析しとる場合か俺。

「部長どうします」
「どうするもなにも、」
「逃げるしかあらへんっちゅー話や!」

蟹の方に手を伸ばすなまえを脇に抱え、俺らは一斉に走り出した。

「ちょきちょきー」
「蟹は黙って食われてればええねん!食物連鎖や食物連鎖!」
「謙也さんこそ黙ってください。生贄にしますよ」
「シズマリタマエーシズマリタマエー」
「どないしましょ、蔵リンが壊れてもうたわ」

とりあえずこれ、どこまで走ればええん?誰かに訊ねたところで明確な答えが返ってくるはずも、そもそも返せるはずものうて。時折後方を振り返りつつ、無我夢中で走る、走る。横歩き基横走りの蟹vs人間の鬼ごっこは暫く続いてんけど。「も、もう無理や……」「ユウくん、しっかりしい!」砂上で足が埋まりそうになってまうのと、いつまで経っても蟹が追い掛けてくるのとで、気持ちが折れかけとったその時。なあなあ、皆何してるん?今の俺らにとっては救いとも呼べる、そないな聞き慣れた声が降ってきた。

「金ちゃん!」

予想通り走って来たんか、はたまたバスで来たんか、ともかくタイミング良く現れた遠山は蟹と俺らを交互に見やり、なんやおもろいことしとるやんと脳天気な一言を放つ。いやおもろくもなんともないっちゅーねん。走るスピードはそのままにゴンタクレが背負っとるラケットを目にした俺は、正確に云えば恐らく同じことを考えとった俺と部長は、同時に叫んだった。

「遠山!」
「金ちゃん!」

パーカーのポケットから取り出したテニスボールを、遠山に向かって勢い良く放り投げる部長。反射的にラケットに手を掛けた遠山に「超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐や!」と命じれば、当の遠山はよう分からんけどとりあえずやればええんやなっちゅう感じで回転をかけ始めた。

「スーパー……ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐!」

さっきとは比べもんにならんくらいの砂嵐が巻き起こり、なまえを抱えて伏せる直前、四方八方に吹っ飛んでいく蟹を視界に捉えた。蟹以外にもシートやらパラソルやら果ては人間まで飛んでったような気がしたけど、見いひんかったことにしとく。それから数分後、砂嵐もようやっと落ち着いて起き上がると蟹の大群は綺麗さっぱり消えとった。ほんま、金太郎様様やな。

「金太郎はんのおかげで命拾いしたわ〜。おおきに!」
「わっ、く、くすぐったいから止めてや!」

遠山に抱き着き頬を擦り寄せる小春先輩、その後ろにいてはる副部長はなんやえらい青白い顔しとって。ぽんと肩に手を掛け副部長の視線の先を辿った謙也さんも、一瞬にして顔色を変えてもうた。どないしたん?と訊ねながら部長は、そして俺とユウジ先輩もまた、同じ方向に目をやると。


海の家が全壊しとった。


「部長どうします」
「どうするもなにも、」
「な、直すしかあらへんっちゅー話や……」

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「ほな財前きゅんとなまえちゃん、気ぃつけて帰りや」
「寄り道せんとまっすぐ帰るんやで。遠足は家に帰るまでが遠足やからな」
「部長うざいっすわ〜。ほなまた明日」
「ばばい!」

海の家の復旧作業を終え、バスを降りればもうすっかり夕飯時やった。予定時刻を大幅に過ぎてもうて、せやけど外はまだ随分と明るい。蝉も相変わらずミンミンミンミン鳴いとるし、夏やな、と熟々思う。ほんで申し訳程度に頭を下げなまえの手を握ろうとすると、なまえはやにわにしゃがみ込んだった。今日は初体験だらけやったし、はしゃぎすぎて疲れたんやろな。察した俺は歩けそうにないなまえを背負い、ゆっくりと家路を進んで行く。

「なまえ、今日楽しかったか?」
「うん。おみずぱしゃぱしゃちたね」
「せやな。冷たくて気持ちよかったな」
「ちょきちょきもいっぱい!」
「ぎょうさんおったな。でも『ぽん』はもうしたらあかんで」
「なんでー?」
「人が沢山いてる所でぽんしたら、皆に迷惑かかるやろ?」

どこからか漂うええ匂いが鼻腔を擽って、歩くスピードも速さを増す。せや、どうせなら蟹の一匹でも捕まえて晩飯のおかずにすれば良かったわ。ズワイ蟹とか絶対おったやろあん中に。今日の飯はなんやろな、そう問い掛けるもなまえからの返事は無い。スースーと、代わりに聞こえてきたんは安らかな寝息。お疲れさん。背中で眠るなまえが、どうかこの日を忘れませんように。
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