幸せにしてあげてね



「ナマエちゃん、イブの日に授業なんかしとってええの?彼氏ほったらかしやん」

ピク、と眉間にシワが寄ったのが分かった。俺の隣でノートを覗き込んでいたナマエちゃんはゆっくり顔を上げ、にこにこ笑いながら「侑くん」と名前を呼ぶ。笑ってるけど、目は笑ってない。むしろ怖い。

「ページ二つ増やそっか」
「あかんて!ほんまごめん!もう言わへんから!」

職権乱用だ!パワーハラスメント!なんて思ったけど、そんなことまで口走ったら本気で範囲を増やされかねない。俺とナマエちゃんの立場を考えたら、どうしたって彼女の方が上だから。お口ミッフィーだ。

俺が生徒で、ナマエちゃんが家庭教師の先生。友人の友人のそのまた友人のいとこがナマエちゃんで、つまりまったくの赤の他人ってことなんだけど。俺は俺で受験生だし、形だけでも予備校とか通わなあかんかなーと思っていたし、ナマエちゃんはナマエちゃんで県外から進学してきてバイトをしないと絶望的にお金がない、できれば将来の夢のためにも家庭教師をやりたいと思っていた。そんな俺たち二人が縁あって出会ったわけだ。わざわざ予備校通う手間省けた上に、ナマエちゃん教えるの上手いから、まさに一石二鳥ってやつ。

「そんな言うなら侑くんだって、イヴの日にまで真面目に勉強してるじゃない」
「そら受験生やし、せっかくええ先生に教えてもろてるんやからビシッと合格決めたいやん」

ええ先生、その一言にナマエちゃんの口元は少しだけ緩んだ。将来教師になるんだって、前に話してくれたもんな。夢叶えるために、こんなクソ生意気な高校生の指導を務めてくれてんだもんな。俺だってナマエちゃんのこと失望させたくないから、頑張らなあかんよなって、ちゃんと思ってる。

県外から来て、標準語を話すナマエちゃんがとても新鮮だった。なんていうか、新しいおもちゃを買ってもらった時のワクワク感?みたいな。ちゃんと授業受けつついっぱい喋りかけて、人見知り&緊張全開だったナマエちゃんもだいぶ心を開いてくれるようになった。地元のこと、通ってる大学のこと、彼氏のこと。いろんなことを教えてくれた。週四日のこの時間は、ただ勉強を教えてもらうためだけの時間じゃない。俺にとっては、一日二十四時間ある中で、今もっとも大切な時間だったりする。

「よし、ここもバッチリ!この間の教え方どう?分かりづらくない?」
「めっちゃ分かりやすいで。…あ、けどいっこ」
「え?な、なに?」
「問題あってたら頑張りましたのご褒美ほしいねんけどなぁ」

チューとか、おっぱい触らせてくれるとか。だってあるじゃん、そーゆーの。家庭教師と教え子っていったら、やっぱそんな展開期待しちゃうでしょ。真面目なナマエちゃんがおっぱい触らせてくれるとか絶対ありえないけども。ワンチャンあるかなと思ったりして。いやないか。彼氏いるもんな。

「も、もうっ!冗談でもそんなこと言わないで!」

おっぱいというワードに反応したのか、ナマエちゃんの顔は茹でダコのように赤くなっていく。「(やっぱ見たまんまのうぶなんやなぁ、)」それからコツン、とやさしいげんこつをお見舞いされ、困ってるのかはたまた怒ってるのか、いろんな感情を顔いっぱいに浮かべるナマエちゃんに、俺は笑いながら謝った。あんまり下ネタでからかえばそのうち泣いてしまうかもしれないから、ほどほどにしておこう。


「よし!終わった〜」
「はい、今日も一日お疲れ様でした」

テキストとノートを閉じ、腕を上げてバンザイのポーズ。うんと大きく伸びたら、座りっぱなしで固まった体がポキッと鳴った。あー体動かしたい。バレーしたいわバレー。

「ナマエちゃん、このあと暇やろ?ちょっと付き合うてや」
「暇やろって……そこは彼氏とデートの予定があるとか思わないの?」
「ほな、彼氏とデートするん?」
「しませんけど!」

あ、ちょっとムキになってる。かわいい。俺はナマエちゃんが荷物をまとめるのを待って、イヴの街中に無理やり連れ出した。

「よかったの?お家でパーティーとかするんじゃないの?」
「パーティーって……俺小学生ちゃうで?治やって出かけとるし」

商店街までやってくると、たくさんの声や響きが遠く近くで交差して、普段の週末以上に賑やかだった。イルミネーションだったり、赤と緑のクリスマスカラーだったり、どこを歩いてもクリスマス一色。サンタのコスプレをしてティッシュ配りをしてる、カワイイお姉さんもいた。高校生にもなって恥ずかしいが、こういう雰囲気の中にいると、黙っていても弾むような気持ちになってくるのはなんでなんだろう。ぶらぶら目的もなく歩いていた俺たちは、ゲームセンターの前で自然と足を止めた。

「ゲームセンターかぁ……何年も入ってないな〜」
「ほな、久しぶりに遊んでこ!」

ナマエちゃんの手を引っ張って、騒がしさの中に飛び込んでいく。UFOキャッチャー、レーシングゲーム、プリクラ。どの機械にも人が群がっていて、ぶつかってしまわないよう、ナマエちゃんの肩を引き寄せた。つい、なんとも思わずに。

「侑くん?」
「……っ!ごめん」

目をまん丸くして見上げてくるナマエちゃんは、俺の真意をなんとなく理解したのか、「ありがとう」と眉を少し下げてやさしく笑った。ダメだ、その顔、かわいすぎる。

「あ、あれかわいい!」

人の間を縫うようにゆっくり歩いていると、ナマエちゃんが遠くを指差した。その指の先にあったのは、大きなカピバラのぬいぐるみ?抱き枕?の入ったUFOキャッチャー。ちょうどそこは誰もいなかったから、機械の前までやってきてショーケースの中を覗き込んだ。これは結構難易度高いな……。取れる気しないけど…。いやでも、取ってあげたい。ナマエちゃん、欲しそうだし。

「よっしゃ、俺が取ったるで」
「え、いいよ〜自分で頑張るから」
「十回やっても無理やろ」

まあ、俺も人のことは言えない。

財布を開ければちょうどよく小銭がジャラジャラ入っていたから、百円玉を一枚取り出して、コイン投入口に投入。レバーを引いて、取りやすそうなカピバラめがけてクレーンを慎重に操作する。けど。


「侑くん、もういいよ」

二回、三回、四回、五回。何度やってもダメ、持ち上がってもすぐに落っこちる。なんだこれ。取らせる気ないだろどう考えても。見かねたナマエちゃんが声をかけてくれたけど、こんなかっこ悪いまま終われるか。それから六回、七回としつこく続けて、ようやく十二回?十三回?目でカピバラをゲットできた。執念の末手にいれたカピバラを渡せば、ナマエちゃんの顔は花が咲いたように明るくなっていく。

「ありがとう!うわぁ柔らかい〜気持ちいい〜」

大事にするね、その無邪気にはしゃぐ顔が見れただけで俺も満足だ。UFOキャッチャーのあとはマリオカートでレースに興じたり、ゾンビ倒すサバゲーやったり(俺めっちゃ嫌いなのに!無理やりやらされた!)、そのお返しに無理やりプリクラ撮ったりした。写真の中のナマエちゃんは緊張で顔ガッチガチだったけど、俺には一生の宝物だ。大事にとっとこ。

暇人二人、一時間くらい遊び倒してゲームセンターを出た。ぴゅう、と刃のような風が吹けば、寒さで肩がぶるりと震える。

「ナマエちゃん、お腹すいてへん?」
「え?……そういや少し減ってるかも。あ、でも平気だよ!今日いっぱいお金使わせちゃったし、むしろわたしの方こそなにかご馳走するよ!」
「ええってほんま。俺がしたくてやってんねやから」

夢中で遊んでいたからか、今さらぎゅるぎゅるぎゅる、と思い出したように腹の虫が空腹を告げた。スマホで時間を確認すればもう六時をとっくに回っていて、そりゃあ腹も空いてくるはずだ。去年の誕生日に買ってもらった長財布の中身は、散々使ってしまったためにもうほとんど残ってない。でも、ガキなりにもナマエちゃんに財布を出させたくないっていう男のプライドというのか、意地というのか、とにかくその一心で、俺は数十メートル先のコンビニに駆け込んだ。

「はい、ナマエちゃん」

熱々の肉まんをひとつ手に持って、置いてきぼりにしてしまったナマエちゃんのところへ舞い戻る。この一連の動作に、きっと一分もかかってない。

「ありがとう、侑くん」

あったかいね、小さな袋を大事そうに、包み込むようにして両手で持つと、ナマエちゃんからまたふわりとした笑みが溢れた。「あ、ほら見て!」それから歩き出してすぐのところで、ナマエちゃんが再び遠くを指差して言う。そこには俺たちよりも遥かに背の高いツリーが飾られていて、無数のLEDと色とりどりのオーナメントで商店街を明るく照らしていた。

急ぐ理由なんてないのに、ツリーの前まで早足で歩いて行くナマエちゃん。そうして立ち止まると今度は、さっき俺が買ってきた肉まんをきれいに二つに割って、「どうぞ」と差し出してきた。

「はんぶんこ。ね」

ね、の破壊力がやばい。そんなことを思いながら、俺はありがたく受け取った。男の俺なら二口でも食べられそうなサイズの肉まんを、ナマエちゃんみたいに少しずつ味わう。なんか、もったいないと思う俺がいる。

「ナマエちゃんさ」
「うん?」
「ほんまは別れたんちゃうの」
「え?なに、急に変なこと言って」
「やって、ずぅっと泣きそうな顔しとるんやもん」

ナマエちゃんの顔から、みるみるうちに柔らかい仮面が剥がれていく。ぽとん、と視線は地面に落ちて、俯いた状態でもう、と声を上げた。

「侑くん鋭すぎ。もーなんでバレちゃうかな」
「理由は?なんで別れたん?」
「傷心の女にそれ聞いちゃう?……うん。まあ、悪いのはわたしなんだけどね」

別れた理由は彼氏の浮気だと、ナマエちゃんは淡々と告げる。それがまるでニュースの原稿を読み上げるアナウンサーみたいで、妙にあっさりしてて、俺まで苦しくなった。

「わたしが真面目に勉強ばっかして、全然時間作ったりできなかったからさ。つまらないって、そんなの言われて当然だよね」
「そんなんちゃうやろ。ナマエちゃんは夢のために必死で頑張っとっただけやん」
「いいの!もう終わったことだし」

それにわたし、いま楽しいよ。ナマエちゃんは俺を見上げて、へらりと曖昧に笑った。

「こんなきれいなツリーの前でさ、こーんなかっこいい男の子と肉まん食べてるんだよ?なんか、ロマンチックだなぁって」

こんな素敵な日になると思わなかったもんね、そう言って、くすくす笑うナマエちゃんの顔がまた、だんだん下を向いていく。そうして笑っていたはずの肩は、やがてしずかに震え始めて、口元がふるふると歪むのが見えた。

「ナマエちゃん…」なんでそうやって、笑おうとするんだよ。なんでそうやって、苦しいのに苦しいって言わないんだよ。唇を噛みしめて涙を堪えるその姿に、無意識のうちに手を伸ばしていた俺は、そのまま何も厭わずにナマエちゃんを抱きしめた。

「俺なら、そんな悲しい顔させへんのに」

ドラマとか、漫画でよく聞く陳腐な台詞。こういうとき、もっと気の利いた一言が言えないのかよっていっつも思ってた。けど実際、こんなありきたりな言葉しか出てこないんだな。ただ、ありふれた言葉でもいいから、ナマエちゃんの悲しみを癒してあげたい。俺がナマエちゃんを、幸せにしたい。

「なぁ、なんで俺イブの日も授業いれたと思う?」
「……受験生、だからでしょ…?」
「ナマエちゃんに、会いたかったから」

一瞬俺を見つめたその瞳から、観念したようにぶわぁっと涙が溢れて、それでもナマエちゃんは必死で声を押し殺して泣いた。そうして、ひとしきり泣いて上を向いたその顔から鼻水がひょっこり顔を覗かせていたから、思わず笑ってしまった。

「もー笑わないでよ!」
「ごめんごめん、ティッシュある?」

腕の中から一度解放して、俺が言い終わるよりも先に、バッグから取り出したティッシュでチン、と鼻を噛み始めたナマエちゃん。何度か噛んでるうちに、ぼろぼろ溢れ落ちた涙も完全に引っ込んでいた。少し、目は腫れてしまったけど。

「ナマエちゃん、すきやで」
「……侑くん、わたし」
「ええよ、わかっとるから」

今はそれでいい、今はそれでもいい。だって来年のクリスマスには、ちゃーんと恋人になってるから。だからなんにも、心配することなんてない。俺が幸せにしたいじゃなくて、俺が絶対に、幸せにするよ。

「とりあえず受験合格したらご褒美におっぱい触らせて」
「帰って勉強の続きやろうか?」
「待って待って、冗談やってば!ほんまに!」


Merry Christmas to you!
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