左利きからのラブレター

「……あ、藤川さんや」

治と肩を並べて校門をくぐれば、反対側から歩いてきたクラスメイトに自然と目がいった。彼女の隣には、まるでこいつは俺のもんやと誇示するように、足取りを同じくする彼氏の存在があった。この数ヵ月で何人目になるのかわからない、新しい彼氏の存在が。

「あれ、サッカー部の相沢やろ」
「ふーん。男は興味あらへんけど、有名なん?」
「まあ、そこそこモテとんのとちゃう」

特進、英語科、商業科、色々あるけども大体が一クラス三十人オーバーのマンモス校ともなれば、クラスの違うやつの名前なんてどうして覚えられるのか。去年のクラスメイトですら危ういのに、ましてや男なんて覚える気すら持てない。背はそこそこ高いな。顔はあれ、ジュノンボーイにいそうなやつ。そのうちan・anで脱いでそうなやつ。

「なんや侑と似とるな」
「は?俺?あの相沢と?」
「ちゃうわ、女の方」

昇降口までの数十メートルを、先行く二人の背中に視線を送りながら歩く。俺らの前から後ろから、昨日のドラマやばかったなとか、あの女優むっちゃかわええなとか、今度彼氏とデートだとか、ひっきりなしに色んな話題が飛び交っていた。ただ、藤川さんたちの声はその中にはなくて、あんまり会話してる様子も感じられない。

「それもそれでようわからんわ。俺と藤川さんのどこが似とん」
「なんちゅーか、バリアー張って自分のこと守っとる感じが」
「なんやねんそれ。俺バリアー張ってへんけど」
「主観と客観は違うっちゅーことや」

背を向けて、靴を履き替え、教室を目指す。たまにある朝練がない日、まっすぐ教室へ行くのが未だに不思議な感じがする。部室、体育館、そして教室のルーティンが体にすっかり染み付いているからだ。そうして教室の前で治と別れた俺は、開け放された引き戸から室内に入り、ちょうど真ん中ら辺の席に座している藤川さんを一瞥した。「(俺と似とる……そぉかぁ?)」この日、治が発した一言を境に彼女のことが気になりだしたのは言うまでもない。


「侑くん、うち、ずっと好きやってん。せやからうちと付き合うてください!」
「おん、ええで」

あっさりOKした俺に、随分拍子抜けしたようなマヌケ面を曝したのは、一年の頃から俺に片想いをしていた(らしい)名前も顔も知らない子。半分諦めの気持ちもあったんだろう、手放しに喜んでいいのか困惑している様子も見てとれた。「ほな、これから部活やしまた後で連絡するわ」そう告げて踵を返してから気付く。あ、番号聞いてなかった。

「ま、ええか」

付き合って、別れて、また付き合って、またすぐに別れる。その繰り返しに慣れたこの体は、はっきり言ってどんなことをすれば女が喜ぶのかも、そして傷つくのかも知っている。だからといって俺は、そこに媚びるつもりはない。彼女なんてものは、明日俺の目の前から消えてなくなったってどうとも思わないような、取るに足らない存在でしかないのだ。

「宮くん、ほんまモテるねんなぁ」

部室に向かう道すがら、誰かに話しかけられて足を止める。振り返れば、俺と同じ方向から歩いてきたのか、手ぶらの藤川さんが立っていた。

「ごみ捨ての途中で道塞がれてもうたから、立ち聞きしてもうてん。ごめんな」
「ええよ、気にせんといて」

藤川さんに初めて話しかけられて、ことのほか驚いてる俺がいた。藤川さんにも、自分から男に話しかけることがあるのか。笑われるかもしれないが、俺の中の彼女は常に男から言い寄られてるお姫さまのようなイメージしかない。実際同じクラスのやつ相手でさえ、必要に迫られた時しか自分からは喋りかけていないように思う。それがまさか、こんなタイミングで話す機会が訪れるとは。しかも、なんともなしに、そんなさらっと。

「けど、宮くんってあんましあわせそうに見えへんよな。なんでやろ」

藤川さんの瞳に映るのは、ひょっとすると丸裸の俺かもしれない。そう思えば、覗き込まれるのにも少しドキッとしてしまう。というかこの子、ろくに口も聞いたことがないクラスメイト相手にも随分遠慮ない物言いをするんだな。思慮深い人だと勝手に分析していたが、そうでもないらしい。「そんなことないで」と当たり障りなくやり過ごした俺は、部活へ急ぐフリをして彼女と別れた。治のあの一言から、一週間が過ぎた日のことだった。


あの日できた帰宅部のユリちゃんとは、二週間が限界だった。そくばっきーだし、いつでも連絡すぐ返さないと浮気を疑われるし、やたらとデートを強要されるし、そもそも俺部活で忙しいって言ったはずなんだけど。こういう、自分しか見えてないような恋に恋するスイーツ女は、心底不快でしかない。よく二週間もったと、むしろ俺は俺を誉めてあげたい気分だった。
そんでその三日後にはまた別の子に呼び出されて、さすがに断ろうとも考えたが、相手がこのマンモス校でもそれなりの知名度を誇るアイドルフェイスの西野さんだって分かったときは、相手が相手だし断るのも少々もったいないと下心を前面に押し出してしまったわけだ。まあ、別に断らなきゃいけないような理由もないし。
「けど、宮くんってあんましあわせそうに見えへんよな」二つ返事でOKした俺の頭の中で、ふと、藤川さんの言葉が再生される。俺に言わせれば、彼女だって同じだ。男は変われど変われど、心から楽しそうに笑ってる姿を見たことがない。藤川さんは、本当に幸せなんだろうか。そんなことを脳裏に馳せながらも俺は、自分から唇を押し付けてきた、意外にも大胆な西野さんの腰に手を回す。そしてこの翌日に行われた席替えで、奇しくも俺は、藤川さんと隣同士になったのだった。
すみれちゃんと付き合い始めてまだ幾ばくもない頃。俺と似ているという彼女の外側しか知らない俺には、彼女が一体どんな素顔を秘めているのか、まるで秘境の地に足を踏み入れるような好奇心で溢れていた。

「今日も自分で弁当作ってきたんやろ?ほんまえらいわぁ」
「そんなことあらへんよ」

さしずめ、忙しい母親の負担を増やさないためにってところだろうか。いつもすみれちゃんの手作りだというその弁当は、彩りもよく、野菜や肉のバランスも十分とれているように思う。男の俺にはややボリュームに欠けるものの、味は何を食べたって文句ナシのはずだ。今日の卵焼きは甘いのとしょっぱいの、どっちだろう。この前俺のために作ってきてってお願いしたし、甘いのだったらいいなと期待を抱きつつ、卵焼きを(勝手に)口に運ぶ。

「今日はちゃんと甘いのにしてきたで」
「いや安定のうまさやわ。やっぱすみれちゃんの作る甘い卵焼きは絶品やな」

よっ世界一!とノリノリでほめそやす俺は、おおきにとはにかむすみれちゃんのそのぎこちなさと愛くるしさに、不覚にも胸を打たれてしまった。なんだこの子、実は笑うのヘタクソなのか。不器用さんか。でも、なんというか、それは反則だろ。はにかんで、照れ隠しで髪を耳にかけるその仕草。ただそれだけのこと。ただそれだけなのに、その瞬間、もっと色んなすみれちゃんを見てみたいと、そう思うようになった。


関係はあまり変化しないまま一週間が過ぎた。予想通りというか、すみれちゃんは俺以上にライン無精すぎる。俺だって元々そんなにマメではないが、すみれちゃんの場合いつでも返信が遅い。いやもうむしろ返事する気ないんかとさえ疑ってしまうレベルだ。それでも本人は早めに返事するよう気を付けると誓ってはくれたが、相変わらず既読のまま放置されてしまうこともしばしばで。また部屋のもの捨ててるのか?それとも寝落ちってパターン?だったらせめて、未読のまま放置してくれた方がいい。既読ついてるのに返事がないと、嫌でも気になってしまうから。自分が待つ側になって初めて、返信を心待ちにするもどかしさが理解できた気がした。指を舐めたのは、仕返しの意味も込められてたりする。まあ、すみれちゃんの反応見たさにっていうのもあったが。

ある日の放課後、うっかりスマホを忘れて教室へ取りに戻った俺は、そこで揺らめくすみれちゃんの後ろ姿に首をかしげざるを得なかった。

「あれっ?帰ったんとちゃうの?」
「えっ?……なんや侑くんか。いや帰ろうと思ってんけど、今日の日直が黒板消しサボって帰ったからって高木に捕まってもうてん。他にも色々頼まれて最悪や」

なんて運の悪いすみれちゃん。でも担任の命令にしっかり従う辺りは素直でいい子だ。「はよ帰りたいんやけどなぁ」と愚痴をもらしつつ黒板消しを持って背伸びをするが、すみれちゃんの身長じゃどう頑張っても上まで届かない。伸びたり、ジャンプしたり、むなしく一人相撲を取り続けるすみれちゃんから黒板消しを奪うと、代わりに彼女の届かない部分を一瞬で綺麗にしてあげた。

「すみれちゃん、こういう時は素直に甘えてええんやで」
「うん。せやね。ごめん」
「なんで謝るん。おもろいわぁ」
「え?あ、ごめん」
「ほらまた!」

甘え方も知らない様子のすみれちゃん。俺にとっても彼女にとっても、お互い取るに足らない存在だったはずだった。というか実際そうだったし、少なくともすみれちゃんの中では今もそうに違いない。なのに色んなすみれちゃんを見たい知りたいという想いが日増しに強くなっていったのは、自分がいつの間にか、追われる側から追う側になってしまったからだろう。だって連絡は遅いし、結構なんでもめんどくさがるし、俺に全然興味ないし、良くも悪くも言葉通り「お付き合い」をしてるだけのすみれちゃんに、俺は火がついてしまったようだ。たった一週間とそこらで、俺って意外とチョロいやつなのかもしれない。

もっと俺のことで笑って、俺のことで怒って、俺のことで困らせたい。だから俺は、キス以上のことはしない。すみれちゃんのしたいようにはさせない。今までの男とは違うことを、証明するために。

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