この世で一番やさしい手を知っている

「あの……侑くん」
「うん?」
「一応確認するけど、ここ、侑くんちやないの?」
「おん。せやで」

いやいや、本当に待って。「せやで」なんて、そんなのんきに答えてる場合じゃないでしょ。行き先を告げないまま歩き出した侑くんに手を引かれる形でリズムを同じくして歩みを進め、たどり着いた先はまさかの侑くんの家で。これはいよいよ、わたしの当惑も収まりきらないところまできていた。待って待ってと制止をかけるものの、わたしの言葉に耳も貸さない様子の侑くんは玄関へわたしを押し込めると、あれよあれよと言う間にローファーを脱がされ、煌々と明るい部屋へ連行された。レバーハンドルを押して開けた先からは、女の人の怒気のこもったような声が聞こえてくる。

「ただいまー」
「ただいまやないやろこの不良息子!急に出かける言うてどこ行っとったん!?」
「不良娘を補導しとってん、そんな怒らんといてや」
「はぁ?不良娘?」

侑くんの背中を隠れ蓑にしていたわたしは、その血も涙もない広い背中が横にずれて初めて、侑くんのお母さんと思われる女の人と対峙した。「(うわ……めっちゃ綺麗な人)」背が高くて、美容系の仕事でもしてるのか、すごく洗練された美人って感じ。この人から侑くんや治くんが産まれるのも、正直納得しかしない。てゆうかこんな時間に制服で出歩いてるようなやつ、第一印象でどう思われるかなんて考えなくても分かるじゃん。緊張で顔を強張らせていると、さっきまで厳しい表情を向けていた侑くんのお母さんは、一転して柔和な目付きで口を開いた。

「もしかしてこの子が侑の彼女?あら〜かいらしい子やないの」
「は、はじめまして。藤川すみれです。こんな遅くにお邪魔してもうてホントにすいません」

別に、お邪魔するつもりはなかったんです。でも、だって、侑くんが連れて行くから。まさか辿り着いた先が彼の家なんて、わたしが一番戸惑ってる。

「おかん、悪いんやけど今日一晩泊めたってええ?この子、いっつもひとりぼっちやねん」
「えっ!?ちょ、侑くんほんまいらんこと言わんといて!」
「いらんことやない。帰ったかてどうせ独りなんやろ?」
「それはそうやけど、そんな迷惑に決まっとるやんか」
「ええのよ、うちは迷惑やないから遠慮せんと泊まっていき」

突然上がり込んで、あまつさえ泊まっていくなんて厚顔無恥にも程がある。大体もし万が一そういう方向になったとしても、着替えから化粧道具から、なんの準備もなくてどうして一泊していけるっていうのか。帰る帰らないの押し問答に侑くんのお母さんまで加わって、味方を増やした侑くんは勢いを強め、結局ここでもわたしが折れるしかなかった。必要なものなら大体準備はできるから、なんの心配もいらないって。すみれちゃんさえよければねって。お母さんにまで言われたら、言葉も尻すぼみになってしまうもの。

「ほな上にいこか」

くるりと向きを変えた侑くんに背中をぐいぐい押され、ろくすっぽお礼も言えないままリビングを出たわたしは、そのまま二階へと移動を余儀なくされた。階段を上がってすぐの部屋はドアこそ閉めきっているものの、漏れて見える明かりで人の気配を感じられる。

「治ー、マリカーやろうや!」
「宿題終わってへんやつが何抜かしとんねん……って卵焼きさんやん。どないしたん?」
「拉致ってきた!すみれちゃん、ジュース持ってくるから適当に座っとってな。治!マリカーの準備頼むで!」
「あとで泣きついてきても助けへんからな」

治の助けなんかいらんわ、そう見得を切る侑くんの姿は、喋りながらも見えなくなっていた。ドタバタと嵐のように階段を下りていくその足音に、わたしは立ち尽くすしかない。適当にって言われても……。こういうときの適当って、一番困る。

「あの、ごめんな。こんな時間に」
「別に卵焼きさんが気にすることやないやろ。それにうち、ホウレンソウさえしっかりしとったら基本は自由やから」

ゲーム機の線を繋ぎながら、治くんが「そこ座り」ってさりげなく促してくれた。この際だから、もうずっと卵焼きさんでいい。腰を下ろしてスカートを直し、ちらりと室内を見回す。同じ机とカバーの違うベッドが二つ、部屋と部屋は壁で仕切れるようになってるみたい。あっち側は、侑くんの部屋かな。こっちより散らかってるし。

「男の部屋、入るん初めてやないやろ?」
「え?ああ、うん、まあね。そやけど双子ってどないな感じなんかなぁって」
「普通の兄弟となんも変わらんけどな」

ややしてまたドタバタと階段をかけ上がる音が聞こえ、乱暴にドアを開けた侑くんの手に持たれていたのは、飲食物を大量に乗せたトレーだった。ポテチのビッグサイズに一リットルのコカ・コーラ、ポッキー、ポップコーン、エトセトラ。

「そんなに持ってこぉへんでも」
「なに言うてんねん!食べるもんないとパーティーできんやろ」
「パーティー?」
「おん。今日はすみれちゃんのためのパーティーやねん。題して、すみれちゃんにぎょうさん笑てもらおうの会や!」
「長いしダサいで」
「やかましいわ」
「…おおきにな、侑くん」
「なんもやで。よっしゃ乾杯しよか」

トレーを置いてコーラの蓋を開けると、シュワッと炭酸の抜ける音がした。侑くんは用意された三つのグラスに注いでくれて、なみなみと注がれたところで「カンパーイ」とグラスを小さくぶつけ合う。喉を通っていく炭酸のピリピリとした感覚が久しぶりで、すごく美味しく感じられた。

「すみれちゃん、ゲームできる?」
「マリカーならやったことあるで。今はないけどWii U持っててん」
「ほんまか。すみれちゃんのことやし、それも捨てたんやろ」
「さすがに捨てへんよ!けど、たぶん誰かにあげた気がする」
「ちゅーか今はswitchやしな。侑、金貯めて買う話忘れてへんやろな」
「お、おん……あったり前やろ」
「その間は怪しいなぁ」
「まあ期待はしてへんかったけど」

コントローラーを受け取り、三人それぞれキャラクターを選ぶ。侑くんはヨッシーで、わたしはキノピオ、治くんはマリオ。コースはお任せで、レースを開始した。ゲームするのもしばらくぶりだけど、意外と操作にも手こずらないでできるものなんだなぁと思った。懐かしいな、この感じ。

「あっちょ、キラーなんなや!俺にぶつかったらしばくで治!」
「ヨッシーどこにおるん。あ、おった」
「うーわ、なんやねんおまえほんま最悪や。絶対おんなじことしてやり返したるからな!」
「おー、やってみぃ。俺もうゴールするけどな」
「わたしも侑くん越したで〜やった〜」

こんなに夢中になってまたゲームをする日がくるなんて夢にも思わなかったし、こうして誰かと騒がしい夜を過ごせるなんて、想像もしてなかった。わたし、初めてだよ。こんな楽しい夜。いままで、一度もなかったよ。

「すみれちゃん、楽しそうにわろてるやん」

侑くんにそう言われて、なんて返したらいいのか分からないわたしは、はにかみながら頷いた。


飽きもせず散々遊び倒して、気付けば日付もとっくに変わってしまっていた。こんな時間まで騒いで絶対近所迷惑だったよななんて憂慮しつつ、侑くんからは使用してないスエットを、予想通りBAをやってるというお母さんからはメイク落としやら諸々を借りて、侑くんの部屋の方へ移動した。普段はめんどうだからか壁で仕切らないらしいけど、今日はわたしがいるからか、部屋と部屋を区切って寝ることにしたみたい。

「俺はこっちで寝るからすみれちゃんベッド使てな」
「でも」
「デモもストもないで。ほら、布団入り」

わたしには少し大きな侑くんのベッド。言われるがままかけ布団をめくり、おずおずと中に入っては足を伸ばす。侑くんは、下に敷いた布団の上にどかりとあぐらをかいて座っている。

「侑くんの匂いがするね」
「へ?」
「ベッド。いつも寝てんねやから、当たり前かぁ」

わたしがそう溢せば、突然照れ臭そうに口元を押さえた侑くん。そんな照れるようなことを言ったつもりはないんだけど、そういう反応されればこっちまで恥ずかしい気持ちになってくる。「ハァ〜〜あかんて。そういうかいらしいこと言わんといてや」含羞をごまかしていたその手は口元から額へ移動し、困ったように表情を歪める侑くんは、すると頓に立ち上がり、わたしの隣にゆっくりと腰を下ろした。さっきまでの表情はなく、見つめる甘く柔らかい眼差しにドキリとしてしまう。

「キスしてええ?」
「ええ……あかんよ。恥ずかしいし、治くんまだ起きとるかもしれんやん」
「嫌や。キスしたい」

半ば強引に奪われてしまった唇。じゃあなんで聞くんだよって内心つっこみながらも、今のわたしはただ素直に侑くんのキスを受け入れる他なかった。息を弾ませて彼の口づけに応えていれば、半開きのわたしの口の中に、暖かくてやさしい生き物のような侑くんの舌が入り込んでくる。ぺちゃぺちゃという音に、背中がぞくりとするのを覚えた。
名残惜しそうに唇を離して、間近でわたしを見つめる侑くん。そんな熱のこもった顔で見つめないで。わたしの心をかき乱さないで。もう侑くんのこと以外、何も考えられなくなってしまうから。

「……すき」
「すみれちゃん?」
「わたし、侑くんがすき。すき。すき。なんかようわからんけど、めっちゃすきやねん」

どうして泣きそうになってるんだろう、わたし。意味分かんない。涙もろくなんてないのに、悲しくもないのに、わたしの声はか細く震えていて。目頭がじんわりと熱くなっていくのを感じながら、必死で「すき」という言葉を繰り返し紡いだ。

どこが好きかなんてうまく答えられない。だって意地悪をするときの顔も、連絡がなくてむくれるときの顔も、バレーをしてる真剣な顔も、今の自分なら、全部が好きだって思えるから。かっこよくなくても、真剣じゃなくても、眠っていても。どんなシーンでもわたしは、侑くんとこの先も一緒にいたいって、思っているから。

どうしてなんだろう。わかんない。わかんないけど、わたし、侑くんのことがすごく好きになっちゃった。どうしよう。どうしたらいいの。すき。好き。大好き。いま、どうしようもなくそんな気持ちが溢れ出して、伝えたくてしょうがなかった。これが好きってことなんだって、少し、分かった気がする。もしこれが今までと同じ、絆されて芽生えた偽物の気持ちなら、こんな風に想いを口走ったりしない。もしこの気持ちが本気じゃないって言うのなら、ホントの恋なんて、わたしは知らなくていい。

「ようわからんのかい。でも、ようやく言うてくれた」
「え?」
「すみれちゃんがほんまに好きだって思て言うてくれるの、ずっと待っててん」

すき。好き。大好き。
だから侑くんも、言ってよ。

「俺も、好きやで」

絡めた指先の甘さと幸福に、もっともっと、愛しい気持ちが込み上げてくるのを感じた。
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