ついに、ついにこの日が来た。なまえは給与明細と銀行の預金通帳を握りしめ、最寄りの銀行の、ATMコーナーに並んでいた。今日のこの、給料日という素敵な一日を、どれだけ心待ちにしていたことか。外で彼氏とラブラブ電話をしているひなたには、到底わかるまい。なまえは明細を開く。いつもと代わり映えはしないが、やはりまずまずの給料だ。先日まで連日頭を悩ませていた案件もひとまずは収束を迎えた。お客さんとも和解することができたし、取引先にも何度も頭を下げ、なんとかお許しをいただいた次第だ。そうして今日、給料日が休みだなんて。これが最高の一日でなくしてなんだと云うのか。

「(まずはビール買うて、新しいパンプスも欲しいし、あとは下地クリームも……)」

そこまで考えて、なまえはハッとあることに気づく。それではいつもの自転車生活と変わらないではないか。そうやって欲しいものを欲しいままに買って、月末には自転車も壊れて大炎上。白石の忠告を、もっと真摯に受け止めなければ。でなければ自分の廃れた生活も変わるはずがない。欲しいものはいずれ買うとしても、少しずつ計画性を持って買わなければ。自分に足りないもの、第一位の計画性。お金では買えない、計画性。それに今月は、お金を使うとても大事な用があるのだ。とてもとても、大事な用。それを果たすためにも、今日こうして妹のひなたに付き合ってもらっているわけで。

さしあたり必要な分のお金を下ろし、外で待つひなたの下へ踵を返す。ちょうど電話を切り終わったらしい彼女は、表情こそ笑っているが、その口からえげつない毒を吐く。マザコンとかほんまキショイわ。もうおしまいやな、あの男。笑顔なのに、鬼の形相にしか見えない。先ほどまでラブコールに勤しんでいた彼女はどこへ行ってしまったのか、なまえにはなんとも末恐ろしい妹であった。

「ほんで今日は何買うん?」
「んー男の人にプレゼントしたいな思ててん」
「男?!彼氏?!おめでとう!」
「ちゃうちゃう、お隣さん」

どことは決まっていないが、とりあえず繁華街を目指して歩く。なんや、お隣さんて。つまらん。あからさまに面白くなさそうな顔を向けるひなたに、なまえはこれまでの経緯を説明した。まあ経緯も何も、自分がアホなあまり隣人さまにただただ迷惑をかけているので、ささやかでもそのお返しがしたいと。要はそういうことなのだが。ふーん、とひなたのくりっとした瞳はなまえを映す。カラコン越しの姉は特別色気づいてるようでもなく、いつもと変わらない。ということは本当にただのお隣さんか。タイミング悪く切り替わった信号に、足止めをくらう二人。

「その人の趣味とかわかるん?」
「えー趣味?なんやろ、節約?」
「はあ?節約ってなんなん。人生なにが楽しくて生きてるんかわからへんわ」

白石の趣味や好きなものを、実際のところなまえはよく知らなかった。テニスをやっていることは以前ちらっと聞いた気もするが、それにしても何を贈ればいいのか困りものだ。着るもの、身につけるものは人それぞれこだわりがあるだろうから、下手にプレゼントしない方がいいだろうし。テニスに関係するものなんて、自分にはよくわからないし。無難にハンカチ、とか。いや、無難すぎるか。考えてみれば、男の人に贈り物なんてほとんどしたことがない気がする。経験値の低さにはどこまでも落胆するばかりだ。
歩行者用信号が青になり、切れ目のない雑踏の中を同時に歩き出す。しばらく歩くと、背の高い百貨店やファッションビルの群れが顔を出し始めた。あそこ入ろか、なまえは百貨店を指差し、心なしか歩みを速める。

「香水は?その人香水付ける?」
「たぶん付けてへんよ。いつもシャンプーのええ匂いしよる」
「女子か。ほんならアクセサリーとか」
「うん……付けとるの見たことあらへん」
「どんだけシンプル極めとん」
「そやけどえらいイケメンやで」
「それ先に云うてや」

ひなたの目の色が突然明るくなる。なんて現金な妹だ。店内に入り、品のあるいらっしゃいませの言葉を受けながら、さてどのコーナーへ向かおうか。なまえは深く長い唸り声を上げた。

△▼△

その日、白石の帰宅はいつもより早かった。というのも、病理学の担当が親族の不幸で休みになったため、それから妹の友香里がまた押しかけてくることを事前に知らされていたから。もちろんいつでもどこでも抜かりない彼は、思いがけず空いてしまった時間を利用して、今日のうちに済ませておかなければならない課題も、着々と書き進めていたレポートも粗方やり終え、そうして部屋へと戻ってきたのだが。なんだかなまえの部屋が妙に騒がしい。だれか、ひょっとしてあのイマイチさんとやらが訪ねてきているのだろうか。鍵をまわす白石の表情に陰りが差し、またしてもモヤモヤが邪魔をし始めた。くそ、忌々しい。

ーチク、タク、チク、タク。時計の音を頭に刻みながら、愛すべき友香里のために何を作ってやろうか思考を巡らせる。この間学食で食べたタコライスが美味しかったから、真似て作ってみようか。玉ねぎ、トマト、合挽き肉。必要な材料はまずまず揃っているし、足りないものは味でカバーすればいい。よし、そうしよう。流しで手を洗い、冷蔵庫を開けたまさにその時。くーちゃん!玄関から聞こえた友香里の声に、白石の肩は思いの外跳ね上がった。

「なんやもう来たんか。ビビりすぎて寿命縮んでもうたやろ」
「縮んでちょうどええくらいなんとちゃう?それより聞いてやー」
「はいはい。今度はどないしたん?」
「もー子供扱いせんといて」

これからご飯を作ろうと思ったのに。これではすこしペースを速めなければ、そのうちにお腹すいたーご飯まだかーと文句を垂れ始めるに違いない。そうやって急ごうとすれば、今度はチャイムが白石を妨害しにかかる。あ、うちが出るー!自分に代わって対応してくれる友香里にすまんと一言、冷蔵庫から取り出したレタスに包丁を入れ始めた。すると間髪入れずに、自分を呼ぶ妹の声が飛んでくる。んもーなんやねん……。やむなく料理の手を止め玄関へ向かうと、そこにはなまえともう一人、見知らぬ美少女の姿が。

「邪魔してごめんな。あの、これ渡したくて」
「えっと、よかったら部屋入ります?」
「ま、間に合ってます!これ渡しにきただけなんで!」

また二人の邪魔をしてしまったと、すっかり勘違いしきっているなまえは、気まずそうに紙袋を差し出した。

「へ、変な意味はないから!ほんま、いつも迷惑かけてるし思って」

変にうろたえるなまえと差し出された紙袋にクエスチョンマークを浮かべる白石。ほら、くーちゃん。友香里の声に促され、とりあえず受け取ってみる。なんだろう、これ。包みが二つ。そう思っていると、開けてみてもらえます、となまえの隣の美少女から声がかかった。云われるがままにしゅるしゅるとリボンをほどき、慎重な手つきで包みを剥がしていく。やがて姿を現した高級感ある箱をそっと開け、プレゼントの正体が見えたところで、白石は驚きに目を小さく見開いた。

「今はまだそないに使わんかもやけど、いつかは必要になるだろうしと思って」

彼の手の上で光沢を放つ細身のボールペン。詳しくはないが、一見してブランドのものだということが分かった。そしてもう一つの包みも開けると、出てきたのは革製のペンケース。こちらも質感からして、いいものを選んでくれたのだろうことは考えずとも分かった。あれこれ悩んで、なまえが贈り物として買ったのはこの二つ。将来的にも長く使え、飽きのこないシンプルさ。それが決め手だった。

「え、もらってええんですか?こないなもの、」
「あったりまえやないですか。うちのお姉ちゃん、これ買うのにそらもーどんだけ悩んだと思ってるんです」
「くーちゃんええものもらったなぁ。大事に使わなあかんで」

友香里にバシッと背中を叩かれる。お姉ちゃん?そうか、メイクこそ違うがどうりで口元のあたりが似ていると思ったらなまえの妹だったのか。白石は、再びプレゼントに視線を落とした。社交辞令抜きに、贈り物をされてこんなに嬉しいと思ったのは初めてかもしれない。どうしよう。嬉しすぎて、もったいなくて、きっと使えない。

「あの、もしよかったらみんなでご飯食べません?まだ作ってへんですけど……」
「くーちゃんの云う通りです。プレゼントもろてただで帰すなんて恥ずかしい真似でけへんし」
「実はうちらもう夕飯作っててん。それもおすそ分けしよ思っとったさかい、ちょうどええわ。なあ、お姉ちゃん」
「う、うん。そやけどほんまにええの?」
「なに珍しく遠慮しとるんですなまえさん」

やって遠慮せん方がおかしいやろ。心の内側でそう思いながら、なまえは俯き加減に友香里をチラと見やる。その視線に何かを察知したらしい彼女は、ほらもーくーちゃん!と白石の脇腹を容赦なく肘で突いた。痛みに顔をしかめ脇腹をさする白石は、うちの紹介まだしてへんやろ?その言葉に姿勢を正す。そうだ。忘れていた。

「こっちは妹の友香里です。友香里、この人は隣のなまえさん。と、妹さん、でええんですよね?」
「白石友香里です。なまえさんとは二度目ですね」
「え、妹さん?え?」
「はじめまして、妹のみょうじひなたです」

にっこり微笑み、礼儀正しく一礼する友香里。その向かいで、同じように頭をさげるひなた。え、彼女ちゃうの?玄関先特有のひんやりした空気が、ポカンとだらしなく開いたなまえの口の中へ入り込んでいった。



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