乳白色の夜明けが深い闇を溶かし、今日という一日の始まるときがきた。先日の禁酒のおかげによるものか、アラームの作動する数分前に目覚めたなまえはカーテンを開け、おおきく背伸びをする。しゃんとするとやはり気持ちがよいものだ。次いでしっかりとした足取りでキッチンへ向かうと、ガスコンロの火を点けた。なにがあろうとも、朝のコーヒーは欠かせない。そうしてお湯を沸かしている間に顔を洗う、というのが仕事がある日の彼女のルーティンワークだった。今日はいつもより、いくらか時間に余裕がある。

お気に入りのマグカップで飲むコーヒー。げ、今日は砂糖を入れすぎた。あっま。
適当に選んだチャンネルのニュース番組を見て、今日の運勢がよかったらテンションもちょっとだけ上がったりして。甘ったるいコーヒーを飲み干し、いそいそと着替えれば首から下はばっちりオフィスレディー。首から上も入念に整えて、歯磨きもして、忘れ物がないかも確かめて、よし!いってきまーす。だれもいない部屋にそう告げ、ドアを開けた。

「あっ……白石くん」
「なまえさん」

までは良かった。なんとまあタイミングよく白石とかち合ってしまったのだ。
ーーどうしよう。
なまえの中を緊張が走った。彼女さんかわええな!とか云うた方ええんやろか。それとも、知らんぷりした方がええんかな?あ、でも部屋間違うた云うて逃げてきたんやから、わたしが白石くんの彼女見たなんて知らんはずやし。それに余計なこと云うたらまたなんてどやされるか……。朝イチバンに脳ミソをフル稼働、その間四秒。

「きょ、今日も天気ええな!」
「雨ですけど」
「えっ、ああ〜せやった!目の錯覚!」

外、おもいっきり雨振ってんねんけど。大丈夫かコイツ。白石の目は、そう訴えている。訴えついでに、まさか昨日またビールでも飲んだんじゃないだろうな、と猜疑の色が向けられていた。の、飲んでへんから!昨日はお茶だけ!すぐさま疑惑を完全否定し、白石の瞳から逃れた。ひええ。このお隣さんは朝から抜け目なさすぎる。

「ほな仕事やからまた!白石くんも講義がんばってな」
「ありがとうございます。なまえさんも」

白石と別れ、背を向けた彼と反対方向に歩き出す。気まずいから、今日はこっちの階段から降りることにしよう。トントントン、自分の足音からワンテンポずれて聞こえる、白石の足音。先に階段を降りきったのは自分の方だった。けれどすぐに傘を忘れたことを思い出し、先程よりも早いテンポで階段を上がると、鞄のポケットから鍵を取り出した。今日は一日雨らしい。

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「あ〜…うまいっ」

大きなジョッキで飲むひえっひえのビールのなんと格別なこと。なまえは至福のひとときに酔いしれていた。美味しすぎて、おかわりの嵐だ。まだ飲みたい。浴びるほど飲みたい。酒豪っぷりを発揮する傍ら、なまえはぐるりと店内を見渡した。平日にもかかわらず、店内はほぼ満席。かわいいお姉さん店員は機敏な動きで仕事をこなしつつ、時折酔っ払いの相手をしてくれている。こういう居酒屋の喧騒にやけに気分が上昇してしまうのは、なにぶん家飲みが多いためだろう。
仕事を終え、今日も禁酒やな……、重たい足取りで帰宅しようとしていたなまえを救ったのは、会社でもそこそこ親しくさせてもらっている先輩の静香だった。合コン行かへん?もちろん向こうの奢りやで。救世主のありがたいお言葉。合コンイコール飲み。イコール酒が飲める。この誘いを断る理由などどこにもなかった。合コンなんてどうだっていい。とにかくビールが飲みたいのだ。

「なまえちゃん、さっきからよう飲むねー。ビール好き?」
「うん。ビール飲むために働いてるようなもん」
「マジかあ。俺飲めへんからその気持ちはちょっとわかれへんわ」

この人、何さんやったかな。いつの間にやら席替えが行われていたらしく、自分の隣には見知らぬ男の人が座していた。見知らぬというか合コン相手の一人なのだが、男探しに来たわけではないなまえにとっては太郎でもたけしでも大差はない。すこし色黒で、痩せ身だけど細マッチョな感じで、顔も悪くはない。三代目にいそうな人。白石とはまた違うジャンルのイケメンだ。こんな酔っ払いに話しかけてくれるなんて。優しい人やなあ。

「なまえちゃん、休みの日は何してるん?」
「えーひとりで買い物したりひとりラーメンしたりー」
「基本ひとり?」
「んーまあ周りと休み合わへんからなあ」
「ほんなら俺と遊びに行かへん?美味しいラーメンの店知っとるし」
「えっどこどこ」
「俺んちの近くにある店。めっちゃぼろいねんけど味は間違いあらへんで」

え、ほんま。行きたい行きたい。その誘いにも躊躇することなく乗っかると、彼の唇はうれしそうに動き、テーブルに置かれたスマホに手を伸ばす。その辺りから、なまえの視界と意識はぐにゃぐにゃし始めた。ぐにゃぐにゃ。それ以降のことは、ほとんど記憶にない。ただひたすらビールを飲んでいた、そのこと以外は。ぐにゃ。


ーー朝、降りたのと同じ階段を上がる。ゼミの課題に夢中になって取り組んでいたら、帰るのがすっかり遅くなってしまい気付けばこんな時間。コンビニで弁当でも買って帰ろうと思ったが、冷蔵庫に入っている食材を考えたら無駄遣いな気がしてならなかった。あるものでなにか簡単に作ろう。自分はそんじょそこらの主婦よりも主婦に向いているかもしれない。

二階の廊下に足を踏み入れた直後、目の前であやしげに揺らめく女性の姿に白石は思わず後ずさった。ゆ、幽霊!?がしかし、よく見ればただのなまえではないか。

「なにやってるんです……」
「ん〜ちみはだあれかな〜」

だめだ。白石は瞬時に悟った。泥酔してまともな会話なんて到底できそうにない。千鳥足のなまえは白石の部屋のドアノブを掴むと、ガチャガチャガチャガチャ、ホラー映画よろしく無心で回し続ける。人んちのドアを壊す気か、このオネーサンは。

「なまえさんの部屋はこっち。ほら入ってください」
「え〜なんで〜」

朝見た服装と違う、ということは仕事が終わってから一度部屋に戻ってきたのだろう。そうしてそれなりの格好で、大方合コンにでも繰り出したに違いない。ただし彼女の場合、ビール飲みたさに出向いたのが一番の理由、そんなところまで勘の鋭い白石は推測をしていた。そしてそれは、見事に当たっているのである。地面に置かれた鞄の中から見つけ出した鍵で解錠し、へべれけななまえをどうにかリビングまで運び込む。シフォンブラウスのボタンは開けられており、無防備な胸元が目に飛び込んだ。

「またビール飲みまくったんですか?」
「ん〜そない飲んでへんよぉ〜」

リビングまでたどり着くと、なまえは白石から離れひとりでにベッドの方へと歩き出した。あちこちにぶつかりながらでも、右足左足を交互に動かし歩いていることは確かだ。そのまま布団の上に倒れこみ、あおむけになるとおでこに両手を当てた。漏れる吐息の妙な色っぽさに、どぎまぎさせられる。

「そない無防備にしとって襲われても知りませんよ」
「ん〜ええのええの〜」

あいにく自分には酔っ払いを襲う趣味もなければ酔っ払いを襲うほど女に困ってもいない。が、いじめてやりたい衝動に駆られるのはなぜだろう。この人といると、たまにおかしな感情に走らされてしまう。白石はなまえの目元を手で覆い、ぐっと顔を近づけた。え、なになに真っ暗でなんも見えへん。なまえはまったく状況を理解していない。ただ白石の息遣いには、くすぐったそうに身を捩らせている。

「なまえさんのアホ」

自分がいまここにいることだって、明日の彼女は覚えていないだろう。顔を離し、あらわになったおでこにデコピンをひとつ。いだっ。ぐにゃぐにゃ意識の中、なまえはちいさく悲鳴を上げた。

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