翌日、なまえはガチャン、とドアを閉める音で目が覚めた。掛け布団から這い出て時計を見ると、時刻は9時をちょっと過ぎた頃で。次いでブルーストライプのカーテンを開ければ、痛いほどに眩しい日差しが飛び込んで来る。この時間、白石は講義のために部屋を出るところだろう。モテ男の一日の始まりだ。一方のなまえはというとお休みで、天気も良さそうだしハッピーホリデーとなりそうなところだが。

「なんしよ……出掛けたいけど見るだけショッピングなんておもんないし…」

本人的にはお金が無さすぎてハッピーもクソもない。ちょっとドライブ、なんて云ったって免許はあるが肝心の車もなし。彼女は電車通勤で、付近にはスーパーもコンビニもカラオケボックスもなんでも揃っている。いざ遠出するとなれば、友人の車に乗せてもらうことも可能だ。要するに、なまえにはあまり必要のない代物だった。
カバよろしく大口開けて欠伸をし、ひとまず腹ごしらえのためキッチンへと向かう。冷蔵庫を開け、かろうじてふたつ卵が残っていることを確認したなまえは、目玉焼きでも作るか〜、とフライパンを熱し始めた。隣のコンロは、コーヒーのための湯沸かし作業に勤しんでいる。手の込んだものは作らないし作れない。いつでも簡単楽々、それが彼女のポリシーだったりする。そうして早々に朝食の支度を済ませ腰を下ろしたところで、玄関のチャイムが来客を知らせた。

「んも〜誰やねんこない朝っぱらから」

忍法居留守の術、なんて唇を尖らせ、寝癖を手ぐしで整えてから玄関を開ければ、そこに立っていたのはつい先程起床したばかりの彼女とは正反対に髪を綺麗にセットし、クラシカルなワンピースに身を包んだ美少女、なまえとは似ても似つかぬ実の妹だった。

「おはよーお姉ちゃん。まだパジャマ着とるん?」
「まだ、ってさっき起きたばっかやっちゅーの……なにしにきたんこっちは暇とちゃうねんで」
「残念なことに忙しさのかけらなんて微塵も感じられへんよ。田舎のばあちゃんから野菜ぎょうさんもろたから、お姉ちゃんにも持ってけ云われて届けにきてん」

野菜?妹の言葉に、つつ、と目線を下げてみる。すると重さ故にだろう、彼女の足元に置かれた一箱の段ボール。沢山詰め込まれている野菜の一部が、フラップを押しのけ上から見え隠れしている状態だった。それを見たなまえからは白い歯がこぼれ、しゃがみこんで野菜を手に取った。大きなキャベツに色鮮やかな人参、じゃがいも、玉ねぎ。たまに送られてくる野菜たちもまた、白石同様なまえの大きな救いとなってくれている。

「おおきに〜ほんま嬉しいわぁ」
「せやろ?まあ持ってきたうちにも感謝してな」
「うんうん。ひなたもおおきに〜!」
「(そういうとこは昔から素直でかわええねんな……)」

ずっしり重みのある箱を抱えたなまえは「上がってく?」と声をかけるも、ひなたの返事はイエスでもノーでもなく、“デート”の三文字。デート?なまえは首を傾げた。なぜなら彼女はひなたがつい数週間前に別れたという情報を小耳に挟んでいたからだ。

「あ、もう新しい彼氏できてん。これから彼の車でデートなんて」
「ついこの前別れて落ち込んどったひなたはどこいったん」
「何事も切り替えの早さが大事っちゅーもんやろ?お姉ちゃんもいい加減男のひとつふたつ見つけた方ええで」

じゃあね〜、ひらひら手を振り羽根が生えたような軽い足取りで去って行くひなた。人間の単位はひとつやのうて一人やろ……呆気に取られつつも、すかさず心の中でつっこむなまえだった。

************

貴重な休みはさしずめ流星のごとく過ぎていく。結局お金のない彼女は今日一日どこへも行かず、部屋の清掃に徹した。至るところを綺麗にし、お金でも出てこないだろうかと浅ましい期待を抱いてみるも、そんな都合のいいサプライズがあるわけもなし。そうこうしているうちに夕刻を迎え、なまえは再びキッチンに立っていた。

「今日もろた野菜で豚ぺい焼きでも作ろかな……あ!せや、白石くんにもおすそわけしたろっと」

もやしも豚肉もあるし、卵はひとつ……しかないがなんとかなるだろう。豚ぺい焼きは彼女にとっての定番メニューのひとつ。時間をかけずに手際よく調理ができ、なおかつビールも進む。
「いやいやビールは我慢せな……今日は飲んだらあかん。がまんがまん」

必死で自分に云い聞かせる。風俗に行かずに済むよう気を付ける、そう昨日白石と約束したのだ。わずか一日で裏切ってしまっては申し訳が立たないにも程がある。キャベツに包丁を入れながら、なまえは冷蔵庫の中で眠っているビールの存在を頭から掻き消した。今日は飲まない。今日は我慢。飲まない、飲まない……。

***********

「白石くん、帰っとるやろか」

晩ごはんをテーブルに並べる。と云っても、豚ぺい焼きに春雨スープだけなのだが。まあ、これでも晩ごはんは晩ごはんだ。なまえはラップをかけたお皿と時計を交互に見る。日も暮れ、すっかり夜のこの時間。普通なら帰ってきていてもいい頃だろう。しかし白石蔵ノ介はエリート&モテ男。まだ大学で勉学に勤しんでいるかもしれないし、はたまた可愛らしい女子たちと飲み会にでも行っているかもしれない。どないしよっかな。そんな言葉が口から漏れ出た。こんなことでラインをするのは、いささか気が引けてならなかった。

「まあ、とりあえず突撃してみよか」

お皿を手に、玄関を出る。おかもちいらずやし、お隣さんってほんま便利。そんなことを思いながら白石の部屋のベルを鳴らし、待つこと数秒。部屋の向こうに駆けてくる足音が聞こえ、なまえは背筋をピンと伸ばした。

ガチャリ、ドアが開く。

「はい……えと、くーちゃんのお友だち……ですか?」

出てきたのは白石ではなく見知らぬ美少女。これはまずいときに来てしまった。白石の彼女だと直感で悟ったなまえは、「間違いました!」と咄嗟に部屋を間違えた振りをし、すぐ隣の自室へと逃げていった。嘘がバレバレである。

「誰〜?」
「え?うーん……お隣さん?間違いました云うてすぐいなくなっちゃったけど」
「はあ?」

ドアを乱暴に閉めてクロックスを脱ぎ散らかし、騒々しくリビングへと戻ってきたなまえは深く深く息を吐いた。うっかり彼女との時間を邪魔するところだった。危ない危ない。それにしても、モテ男の彼女だけあってやっぱり可愛い。どこもかしこも美少女だらけで困ったものだ。

「(彼女おらん方がおかしいもんなあ。あと何人くらいいてるんやろ)」
冷蔵庫にお皿をしまい腰を下ろすと、なまえは手を合わせ、自分用の豚ぺい焼きを突っついた。

「うまいっ!ビール……がまんがまん!」

ビールひとつさえ我慢するのはこの上なく苦難なことだと、なまえは痛感していた。
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -