画面の向こうでせわしなく喋るタレントの声が、やけに耳に残る。さっきまでは完璧だったのに、今のこの空気にはおかしなくらい不釣り合いで。ごめん、ゲンジくん。なまえの呟くようなその言葉に、ゲンジもひどく慌てた面持ちで口を開いた。

「あ、いや俺の方こそゴメン!なまえちゃんの気持ち、全然考えてへんかった…」

そんなことない。ゲンジはいつだって、自分の気持ちを大事に、優先してきてくれたはずだ。悪いのはうだうだして白黒ハッキリさせなかった、自分。

「ごめんな、ゲンジくん。わたし、やっぱりもう付き合えへん」

やっぱわたし、ダメみたい。もうこれ以上、好意が向けられているのを知りながら付き合うなんてできなかった。思えば初めから、全部自分がいけなかったのだ。ゲンジに告白されたあの時、彼がそれをどんなに望まなかったとしても、きっぱり断らなければいけなかったのに。それを彼の言葉ややさしさに流されズルズル続けて、その状態がきっと、彼を傷つけてきた。傷つけたくないと思いながら、結局自分がしてきた行為はただ相手を傷つけるだけに過ぎなかったのだ。

「わたし、やっぱり他に好きな人いるみたい」

白石のことは、むしろ知らない部分の方が多いかもしれない。でも、なまえの中の白石蔵ノ介は頭が良くて、イケメンで、基本的にはやさしくて、なんでもさらりとこなしてしまう人。それに雰囲気からして、きっとあんな庶民的なアパートに住むような人でもない。たとえばオートロック式のマンションだとか、そんなイイ感じの部屋に住んでいる方がしっくりくる気がする。大学を卒業したら、彼は何になるのだろう。きっと素晴らしいお医者さまか。あるいはワールドワイドに活動する人か。いずれにしても、何万人といるうちの、一社畜の自分とはそもそも縁遠い人。だからそうやって、「ああ、この人は住む世界が違うんだ」って壁を作ってきたんだ。そうやってただの隣人だと思い込もうとして、自分自身をどこまでも欺いて。

「正直、たぶんせやろなって薄々気づいとったよ」

なまえちゃん自分では気付いてへんかったかもしれんけど、時々、ほんまふとした瞬間に上の空っちゅーか、なんか違うこと考えとるんやろなーって、そないな顔しとったから。誰か、違うやつのこと考えとんのかなって。

「それでも一緒におったら、いつか俺の気持ちに応えてくれるかなーなんて思っとったけど」

やっぱ無理か〜。小さく笑いながら、ゲンジはそう溢した。何も云えずに、なまえはただ見つめ返す。

ゲンジのことが好きな気持ちは決してウソじゃない。けれど今、彼が自分に向けてくれている「好き」と自分の「好き」は
全くの別物なのだ。いつかは……とか、そのうち……とか、未来のことを考えるよりも、今のこの率直な気持ちを優先したい。そう、思ってしまったんだ。それは、静香に気づかされてしまったこと。

「洗い物終わったら帰るね。ほんま、自分勝手でごめん」
「謝らんでええよ。謝ること、なまえちゃんは何もしてへんから。あのさ、最後…駅まで送っていかせてもらえへん?」
「えっいや大丈夫やで!一人で走って行くから」
「俺がそうしたいんて。別に怪しいことするつもりはあらへんし、夜道を女の子一人で歩くのは危ないやろ?」

もしなまえちゃんの迷惑ちゃうなら、そうさせてほしいんや。食い下がるゲンジのそのお願いを、なまえは受け入れることにした。これが最後になるから……二人の心の中には、そんな同様の気持ちがあったからだろう。それから残りの洗い物を済ませ、今日が最初で最後の、きっともう来ることはないゲンジの部屋を後にする。駅までの道は、そう遠くないはずなのに。会話もなくひた歩く道のりは、ただただ長く感じられた。

「好きなやつって、どないな男なん?」

駅まであと少しというところで、ゲンジは若干聞き辛そうに、そう訊ねてきた。どんな男、どんな男か。それは正直に答えてよいものなのだろうかと、なまえは言葉に詰まってしまう。

「俺に変な気遣わんで、思った通りに云うてええから」
「うん。せやね……わたしの好きな人は……ダメ出しばっかして、わたしを凹ませる人、かな」
「え?」
「けど、いつも心の中を満たしてくれててん。わたしは、それに気付きもせえへんかった」

叱られて、凹んで、助けてくれて。そんな日常が当たり前のようで、だから気づかなかった。自分の心の中は、白石がいてくれたからいつも満たされていたことに。


「なぁ、なまえちゃん」
駅に到着し、改札の前まで来るとゲンジは語気を強めて云った。

「俺ってどっちかっちゅうたら諦め悪い方やねん。せやからさっき俺ら別れてんけど、なまえちゃんのことは当分諦めへんつもりやから」
「う、うん……?」
「別れたからってすぐにリセットできるような程度の気持ちちゃうねん」
「うん。それは、なんかわかる」
「付け入る隙があればなんぼでもアタックするから、よろしく」
「うん……よろしく」

ゲンジがやさしく笑うから、なまえも自然と笑顔になれた。今、間違いなく傷ついてるはずの人のやさしさと笑顔に救われるなんて、本当に情けない。最低な女だ。背を向け歩き出したその胸の中で、何度もごめんを繰り返す。どうしようもなくて、ほんまにごめん。

それから乗客も大していない電車に乗り込み、程なくしてゆっくりと夜道を走り始める。アパートのあるほんの二駅先へ向かう間ずっと、なまえは白石のことを考えていた。会いたいなぁ。会ってくれるかなぁ。電車を降りて、アパートへ帰ったら、真っ先に白石くんの部屋に行こう。もしも起きていたら、思い切ってこの気持ちを伝えたい。




階段を上って、すぐの部屋。おそるおそる、呼び鈴を押す。どんな顔をして、出てきてくれるだろう。こんな時間に何の用だ、なんて嫌そうな顔をされてしまったら。ややして廊下を、こちらへ歩いて来る音が聞こえた気がした。ということは、起きているのか。その"気がした音"は、いよいよ玄関までやってきて。ガチャリ、扉が開く。

「……なまえさん?どないしたんですか?」
「あ、あの〜…ちょっとな、お話したかってん。ごめんな、こんな遅くに」

視線をあっちこっち泳がせれば、白石はふっと表情を緩めた。「大丈夫ですよ」本当に仕方ない人ですね、そんな顔をして彼は笑う。

「具合、ようなった?」
「おかげさまで。迷惑かけてすいませんでした」
「なんも、わたしなんていつも助けてもろてるんやから……迷惑のうちに入らんし」

部屋へ通され、いつもの場所に座る。定位置というほどでもないけれど、なんとなくそこが自分の座る場所のようになっていて。白石もそれを分かっているからか、そのスペースにはいつも柔らかいクッションが用意されていた。「お茶でええですか?」グラスを取り出す白石に、気遣わんでええよ、そう返す言葉が心なしか上ずってしまう。

「どうぞ」
「あ、どうも……」

目の前に置かれたコースターと麦茶の入ったグラス。その中を、じいっと見つめる。黙ってちゃダメだ。黙ってちゃ、何も変わらない。

「あんな、わたしゲンジくんと別れてん」
「……なんでですか?」
「今日な、ゲンジくんの部屋にお邪魔してきてん。部屋に行ったのは今日が初めてなんやけど、一緒にご飯食べたりして。それで洗い物しとったら、あの、後ろから抱きしめられて……」

緊張して、声が震える。云いたいことがまとまらなくて、頭の中はごちゃごちゃだ。もう少し飲んで酔っていれば、もっとちゃんと伝えられたのかな、なんて。

「キスされそうになって、わたし、思わず突き飛ばしてもうてん……」

そないな流れになるかもってちゃんと頭では分かっとったはずなのに、その瞬間"嫌だ"って思ってしもたんや。仮にもゲンジくんは彼氏やったのに、わたしほんまアホやし最低やんな。彼氏突き飛ばす女なんていてへんよな。ほんま、アホやわ。うわ言のようになまえが吐き出すと、白石からはため息が漏れ聞こえた。

「なまえさんはアホっちゅーよりも、警戒心が足りないんですよ」

警戒心?聞き返すよりも早く、なまえの体は白石によって押し倒されていた。その状況を彼女が理解したのは、柔らかいカーペットが背中に触れ、自分の顔のすぐ真上で視線と視線がぶつかった時。痛くはない。痛くはないけど、これはどういうことだ。

「男は狼なんですよ。なまえさんはそれをもう少し理解せなあかんと思います」

怒ったような、呆れたような、そんな面持ちの白石。そろそろと唇が降りてきて、そのまま二人の唇は重なってしまう。離して、また重なって、何度も繰り返されるキス。わずかに許された、息継ぎの時間。

「すいません。あんなこと云うて、やっぱりなまえさんのこと忘れられないです」

ゆっくりと顔を離しそう苦しげに告げた白石の目に映ったのは、瞳にじんわりと涙を浮かべたなまえの姿だった。もう一度謝ろうとするより先に、なまえが口を開く。

「ちゃうの、あんな……わたし、ほんま最低な女やね」
「なまえさんはなにも最低ちゃいますよ」
「やってさっきはあんなに嫌や思ったのに……白石くんにキスされた時、全然そないな気持ちにならへんかってん……逆に嬉しいって思ってんもん」
「それ、ほんまですか?」
「わたし、やっぱり白石くんが好きやねん。ずっと、ずっと、好きやってん」

一粒、二粒、涙が頬を伝っていく。本当は、どこかで分かっていたのだ。友香里を見た時、胸が苦しくなったのも。白石の隣に立つ女の子のことを考えるたび、胸がズキズキしていたことも。それにあのモヤモヤの正体だって、本当は気付いていて知らないふりをしていた。気付きたくなかったから。認めたくなかったから。だって彼は、まるで別世界のスーパーマン。誰が成就するなんて思うのか。

「わたし年上のくせに超ダメ女やし、白石くんには釣り合わへんから……せやから気持ちに気づかんようにしとったのに」
「そんなん云うたら俺やって年下やし働いてへんから稼ぎもあらへんし、なまえさんにお金出させるなんてみっともあらへんやないですか」
「……はぁ?なに云うてるん白石くん……そんなしょーもないこと気にしとったん?」
「しょーもないってなんですか。俺ら男には結構デカイことなんですよ」

デコピンをくらい、アダッ、悲鳴をあげるなまえ。話してるうちに、涙は慌ただしくどこかへいってしまった。怒ったような、それでいて楽しそうな、少しずつやさしい笑みに変わる白石の顔。つられてなまえも、目を細めて笑う。そうしてそのままの体勢で、白石はもう一度唇を近づけた。なんの迷いもなく重なって、深いキスに溺れていく。

「結局は、なに云うたって好きなもんは好きやからしゃーないってやつですね」
「うん、せやね。なぁ白石くん」
「なんですか」
「…好きやで、えへへ」
「えへへってなんですか可愛くないですよ」
「容赦ない通常運転やなぁ。なぁ、白石くん」
「なんですか」
「ビール飲んでもええ?」

だめです、そうきっぱりと云おうとしたのに。「…しょうがないですね」この可愛くてアホななまえを甘やかしてしまう自分の方が、ひょっとしたらダメ男なのかもしれない。「ほな、明日からまた節約生活ですよ」ため息まじりにそう告げれば、なまえは満面の笑みを浮かべて、はーい、と間延びした返事をするのだった。


end
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