それにしても、一日一日が過ぎていくのはなんとあっという間なんだろう。ハタチを超えてから、とりわけそう感じるようになった。歳を重ねれば重ねるほど、一日、一ヶ月、一年の経過は光のように一瞬だとよく耳にするが。人生は選択の日々。なるべくは後悔なく生きたいと、なまえはラインの返信に勤しみながらしみじみ思う。最近過去を振り返ってみたり物思いに耽ることが少しずつ増えてきているが、それもこれも立派に歳をとった証拠だ。三十代の自分は、女の色香を漂わせていればいいのになぁ。なんて。返信を終えたなまえは、クロックスを履いてドアを開けた。

「白石くん、さっそく味噌使うてくれておおきに」
「いやこちらこそ、ほんま絶品でご飯が進みますよ」
「ぎょうさん食べてぎょうさん大きくならな」
「どこの親戚のおばちゃんですか」
「おばちゃん云わんといて〜〜!」

白石の部屋にお邪魔すれば、廊下を漂う味噌の香ばしい匂いがなまえの食欲を増進させる。この匂いだけでもご飯三杯はイケそうな気がした。本日のお品書きは、ゆず味噌のふろふき大根、茄子田楽、ワカメとお麩の味噌汁、白味噌の麻婆豆腐、極めつけに味噌焼きおにぎり。見事なまでの味噌づくし。味噌祭りの開幕である。テーブルの上を見る限り、すでに夕食の支度はほぼほぼ完了しているところだった。麦茶を淹れてくれる白石からコップを二つ受け取り、それぞれ向かい合うように腰を下ろして手を合わせる。

「いただきます」

茄子田楽なんてもう居酒屋メニューやないですか。ビールはないがテンション上昇中のなまえはいの一番に茄子田楽に箸をつけた。

「うっわ、めっちゃ美味しい!!」
「喜んでもらえてよかったです」

茄子の柔らかさと味噌の甘じょっぱさが絶妙で、なんとも云えない。なんとも云えないが、その美味しさはこれまで食べた田楽の遥か上をいっていた。美味しいものを食べた時、「美味しい」という言葉以外に最大限この感動を表現できる言葉には一体どんなものがあるだろう。なまえの箸はエンドレスで動き続ける。麻婆豆腐も、ふろふき大根も、何を食べてもハズレなしに美味しかった。本当に、白石には教わることが多い。もっともっと早くに、教わっていたらよかったのに。

「仕事終わってこない絶品料理食べられるなんてほんま生きててよかったわ」
「食べる楽しみがあらへんとおもろないですしね」

実習が始まり、帰りの遅い白石がわざわざ自分のため(かどうかはわからないが)にここまで準備をしてくれる。そのやさしさは、果たしてただの隣人だからなのか。彼のそのやさしさに、なまえの胸は締め付けられたように痛んだ。嬉しいはずなのに、どこか苦しい。

「あのな、白石くん。わたし、彼氏できてん」





麻婆豆腐が二つ、テーブルに落下してベチャリと崩壊してしもた。こないなみっともない真似をするなんて、俺らしくもあらへん。この人の前で、そないな姿を見せたなかったのに。ティッシュで麻婆豆腐を取り除いてから、台拭きで汚してしまった部分を綺麗にする。なまえさんには、「麦茶で酔ってもうたん?」なんて云われる始末だ。

「彼氏って、あの人ですか?」

俺の問いかけに、なまえさんは「せやで」と頷く。分かってはいた。いつかはそうなってまうかもしれへんと、分かってはいたはずなのに。いざ現実を突きつけられると、覚悟して、用意しとった言葉なんか出てきやしない。なんで。なんでその人やねん。なまえさん、ほんまにその人が好きなんですか?その人は、ほんまになまえさんが好きなんですか?突如として腹の底にドス黒いものが渦巻いて、食欲なんてどこかへ消え失せてもうた。せやからな、なまえさんは慌てたように続ける。

「あの、もう白石くんには迷惑かけへんから!」

ーー今まで、助けてくれてほんまおおきに。その言葉の意味するところが分からへんほど俺は幼くはないし、程々には大人やと自覚しとるつもりだ。要するに、もうこうして一緒に食事をすることはないっちゅー意味で。まぁ、彼氏できてんねやから当たり前やな。せやけど、迷惑ってなんやの。「(俺は、迷惑なんて思ってへんっちゅーの)」迷惑やったら、こうして一緒に飯なんか食うてへんし。俺の考えてることなんて、ちっとも理解してへんなまえさん。ほんま、ムカつくわ。アホすぎ。段々、腹が立ってきた。

「これで、俺もようやくお役御免ですね」

やめろ、何を云うてんねん。「肩の荷が下りてせいせいしますわ」ちがう。そんなん、俺の本心とちゃうやろ。俺は、俺はそないなことを云いたいわけやないねん。俺は、ほんまはただこの人に。

「せやろ。ごめんなぁ」

眉を下げて微笑むなまえさん。頼むから、そない悲しそうに笑わんといてください。そうして二人最後の食事は味気ないままに終わり、「ほな、またね」部屋を去っていくなまえさんの姿を、扉の閉まる瞬間を、その音を、俺は未練がましく見つめとった。





「はあ?くーちゃん、ほんまあほちゃうの?」

次の日、部屋に遊びに来た友香里に昨日の出来事を報告したら。まぁなんちゅーか、案の定罵詈雑言の嵐やった。挙句にはクッションまで顔面に投げつけられて、こうなってしまうともう止められそうにはあらへん。云わなよかったと、若干後悔。

「なまえさんのこと好きなんちゃうの?せやから云うたやろ、他の男に取られてまうって」
「それはわかっとったけどな、友香里」
「いやいやわかってへんし!くーちゃんあんたほんまにタマついとるん?」
「こら!女の子がタマ云うたらあかんやろ」

キレた友香里の口の悪さに関しては毎度毎度窘めてんねんけどな。今日ばかりは聞いてもらえそうにはあらへんかった。その原因作ってもうたの俺やし……って俺別に悪いことしてへんよなぁ。「くーちゃんは!」麦茶を一気に飲み干した友香里は、グラスを叩きつけるようにテーブルに置いた。

「ほんまに、これでええの?」
「…しゃーないやろ」

それがなまえさんの選択なんや。それでなまえさんが幸せなんやったら、その幸せを邪魔してぶち壊したらあかん。それに何を云うても俺は学生で、なまえさんは社会人。もしデートに行ったって、稼ぎのあらへん俺が全部スマートに金を出すなんて実際厳しい話で。好きな女の前で、ダサい姿なんて晒したないのが男の心理っちゅーもんやろ。男なんて、いつの時代も好きな女の前ではカッコつけたがりのええかっこしい。割り勘とか、彼女に出させるとか、男として恥ずかしいって俺は思うねん。

「これでええねん。学生の俺と社会人のなまえさんとじゃ、釣り合わへんやろ」

それに、好きな相手の幸せを祝福できないような、心の狭い自分をなまえさんが選ぶはずもない。昨日、俺はただ一言「おめでとう」って云いたかってん。そやけど笑顔で祝福なんかできひんくて、むしろ思ってもいない言葉できっとなまえさんを傷つけた。男としてええとこナシの、最悪な奴やん。

「なまえさんは、そないな小さいこと気にせん人やと思うけど」
「なまえさんが気にせんでも俺が気になるねん」
「みみっちい男やなぁ。それでも男か!」
「はは、せやなぁ」

邪魔したらいけないんや。俺はただ、なまえさんの幸せを祝福するだけ。祝福できるよう、この気持ちを忘れるだけ。俺にできるのは、ただそれだけ。
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