初めて挑戦したタコライスがそこそこ上手にできた。そんな『タコライス記念日(勝手に命名)』からおよそ一週間が過ぎた平日休みの日。田舎の祖母から今度はおいしいおいしい白味噌が届き、一人小躍りしていたなまえは「せや!白石くんにもおすそ分けしたろ〜」そんな思いに駆られ、パタパタとせわしない足取りでリビングを飛び出した。元々若い頃味噌作りを生業にしていたなまえの祖母は年老いた今でこそ趣味の一環で作っているようなものだが、それでも変わらぬやさしい味にはただただ感動するばかりだ。そもそもが何かを作るということに強い生き甲斐やパッションを持った人で、味噌、野菜、陶芸品、さらにはテディベアまで作ってしまう、彼女にとっては本当に自慢のスーパーばあちゃんである。

お気に入りの歌を口ずさみながら部屋を出、インターフォンを鳴らしてからハッ、と唐突に気づく。休みとは云いつつも、あくまで今日はド平日。不定休の仕事故の宿命か、曜日感覚を失っていることに加えてタコライス記念日以降ちょいちょい残業が続いたため、そんなことすらすっかり忘れていたが。普通に考えたら通勤、通学の時間帯をとうに過ぎた今、彼が部屋にいるはずないではないか。まあそれならそれで夜持ってけばええか、なんて上機嫌のなまえの目の前で玄関の扉が開いたことには、押した張本人であるなまえもいささか驚きの色を示した。

「あれ、白石くんおったん?」
「今日は午後からなんで」
「そうなんや。ちょうどよかったわ〜はいコレ」

味噌の入った透明なタッパーを差し出せば、白石は「……味噌、ですか?」なぜおすそ分けが味噌なんだという意味合いも込めて、そう訊ねた。味噌ですか?味噌ですね。いや、中身が味噌なんて見たら分かるけども。わざわざ自分にくれるということは、そんじょそこらのものではないのだろうか。

「田舎のばあちゃんが作った白味噌なんやけど、めっっっっちゃおいしいねん!甘味が絶妙でなぁ」
「ええんですか?最近なまえさんから色々もろてますけど」
「いやいや、おいしいものとか幸せって自分だけで味わうよりおすそ分けした方ええやん?せやからノープロブレムよ」
「そうですね。俺も、同じ考えです」

ーー幸せのおすそ分け。そんな素敵な考え方も、きっと単純で裏表のないなまえが云うからなんの厭味も感じず、素直に素敵だと感じられるのかもしれない。タッパーを受け取り重みを確かめるように両手で持つと、白石は目を細めて謝辞を述べた。そうだ。せっかく味噌をもらったのだから、この味噌を使って何かお昼ご飯をこしらえよう。お昼は、なまえはその時間どうするのだろうか。

「なまえさん、お昼どうします?」
「え、ああ〜〜これからちょっと出かけるねん」
「イマイチさんとデートですか?」
「ぅえっ!?いや、まあ、うん、そうなんやけどね!せせせやけど、べっ別にデートとかちゃうよ!」

云わぬが仏だと、白石はすぐさま後悔した。冗談のつもりで云ったのが、まさか本当にイマイチさんとデートだなんてそこまで予想もしていなかったのだ。否定もせずあっさり認めたなまえを前に、心がずっしりと重たくなるような感覚に襲われる。そんな白石には気付いていないらしいなまえからは、今日の予定を一発で当てられ狼狽している様子が窺えた。まさか彼女も白石に知られて都合が悪い(そしてそれを素直に肯定してしまう自分のアホさを呪っている)などとは、この白石も想像できずにいるに違いない。





「わー!恐竜!ほらゲンジくん!恐竜きた!!」
「おおーほんまリアルに出来てんねんな」
「これは見た感じ肉食やろ?なんていうやつなんかな」
「ちょお待ってな……それはヴェロキラプトルっちゅー恐竜らしい」

平日でも賑わいの絶えないテーマパークの中をあっちに駆けたり、こっちに駆けたり。そんな無邪気な様子のなまえを時に見守るように、そして自分も一緒になってゲンジはこの時間を楽しんでいた。なまえはふと思う。自分が最後にここへ来たのはもう何年前の話になるのだろう。お金もない、彼氏もいない、友人とも休みが合わない、ここ数年の自分にはもはや全く無縁の場所になりつつあったが。こういう多くの人でごった返す場所も、案外嫌いではなかったりする。単独行動に慣れているせいか、むしろこういうテーマパークに来ると人一倍ハッスルしてしまうのだ。歳考えろよオバサン、なんて周囲に呆れられてしまうのではというほどに。

動きやすいように軽装備のなまえは、今し方自分の方へやってきたヴェロキラプトルに熱い視線を注いでいる。他にも沢山の草食、肉食恐竜が闊歩している姿がパーク内の至るところで見られ、遠くには空気を切り裂くような恐竜の咆哮も聞こえた。あれは絶対に肉食恐竜に違いない。

「恐竜がいた時代に生まれとったら完全アウトやなぁ。一瞬でご臨終やもんね」
「せやな。草食恐竜だけならまた話は変わるやろうけど」
「すごいなぁ。地球の歴史ってほんま壮大」

小首を傾げたように立ち止まるヴェロキラプトルにそっと手を伸ばす。琥珀色の瞳を覗き込めば、たとえこれが偽物だと知っていても今にもその鋭い爪で体を引き裂かれて食べられてしまうんじゃないかと、息を呑むくらいリアリティーを感じさせられた。

「よしっ、次どこ行こか」
「ゲンジくんの行きたい場所でええよ」
「ほな、俺ここ行ってみたい」

今こうして心から楽しいと思えるのは、ここがテーマパークだからであって相手は関係ないのだろうか。ゲンジだから、自分はいつも以上にはしゃいでいるのだろうか。じゃあこれがもし、白石だったなら。この間といい今日といい、ゲンジの朗らかな笑顔に微笑み返しながらも、なまえの胸の内にはいくつもの疑問がふつふつと起こっていた。



「はー!めっちゃおもろかったーー!」
「ほんま、なまえちゃんハッスルしすぎて声枯れとるやん」
「うわっほんま!やっこ姉さんみたいや」

パーク内を回りきるには時間がとても足りず、おおよそのコーナーを満喫して外へ出る頃には夕日も西の地平に傾き、宵闇がにわかに濃く迫りつつあった。落日に彩られた千切れ雲が、空一面に散らばっている。夕方の空はいつもいつも、心の中を不思議な気持ちで満たしていく。どうしてなのか、その理由はわからないけれど。
助手席に乗り込めば、ゆっくりと走り出す黒塗りのSUV。「(最近の男の人は綺麗好きさんが多いんやなぁ)」チリ一つ落ちてなさそうな綺麗な車内に、なまえの脳裏を隣人の存在が過ぎった。

「なぁ、このあとなんやけど……俺が働いとる店に飯食いに行かへん?」
「えっゲンジくんの?行きたい行きたい!何屋さん?」
「フレンチレストランやで。味は保証するし気取ってへんから気軽に入れる店やし……まぁ、なまえちゃんが苦手やなければ」
「ううん、大好きデス」

あ、ビールもあるさかい遠慮せんと飲んでや。ゲンジは笑ってそう云うものの、このなまえ、いくら酒豪とはいえTPOは弁えているつもりだ。行き帰りの全てを彼に運転させた挙句自分だけちゃっかりアルコールを口にするなんて、正直なところ相手からしたって気分良くはないだろう。いつだったか彼に「ビール飲んでるときのなまえちゃんの幸せそうな顔見てればこっちまで幸せな気分になんねん」そう告白されたことがあるが、それでも自分だけ遠慮なく飲むなんて……やっぱり気が引けるというもの。

しばらく車を走らせて見慣れた街の風景が戻ってくると、遊び疲れからか意識が飛んでいるうちに目的地に到着したらしい、ゲンジの口が呪文を唱えるようになまえの名を呼んだ。「ごめんな、疲れたやろ」自分を労わる彼のやさしさに「大丈夫」と短く返し、ドアを開ける。狭い駐車場を出、数歩歩けば輪郭のぼやけたオレンジ色の明かりに照らされた、一軒家のようなレストランが見えてきた。南仏を感じさせるその外観。暗くて鮮明には見えないが、この住宅地に何食わぬ顔で佇むそれは真新しいような、それでいて昔からそこにあるかのような、そんな温かみの詰まった雰囲気を漂わせている。気取ってない(ゲンジ曰く)とはいえ、いかんせんこの手の店には来慣れていないためか身構えてしまうのも無理はないだろう。

「(イタリアンならピザとかパスタとか思い浮かぶけどなぁ……フレンチってなんやろ)」

フレンチと言って思いつくものがフランスパンとエスカルゴしか出てこないなんて。エスコートされるがままに入店し、案内された席に腰を下ろし、何がオススメなのかもそれ以前になにを頼んでいいかもわからないなまえは全てをゲンジに任せることにした。ここに勤めている彼ならば、まず間違いないはずだ。店内を見渡せば女性同士で来ているグループももちろんいたが、やっぱりというのか、カップルの多いこと。確かにムードはあるからリア充にはもってこいかもしれない。装飾品も、なんというか洗練されているし。

「ゲンジくん、普段あの格好してんねやろ?そら女性客殺到するわ」
「まさか。うちの店長は男前やから店長目当てに来よる人はいるやろけどな」
「そうなんや。店長でしかも男前ってもー文句ナシ男やん」
「ははは、せやろ」

オーダーした料理が次々とテーブルに並べられていく。エスカルゴ、鴨のコンフィ、ブイヤベース、ビーフ?ブルギニョン?聞いたことのない料理名に若干???となっていたなまえだが、味はどれもこれも絶品で、ほっぺたが落っこちてしまうようなこの上ない幸せを咀嚼した。美味しすぎて昇天してしまいそうだ。最後にはきちんとデザートまで平らげて、談笑を交えた正味一時間半ほどの贅沢な一時に大満足のなまえは、子持ちししゃもさながらのお腹をさすりつつ、会計をすべくゲンジと共に席を立った。

「なまえちゃんはええよ。財布しまっといて」
「え。いやいやあかんって」

ところが横で諭吉を差し出した自分の手元などお構いなしに、ゲンジは一人会計を済ませてしまった。果たしてこのまま素直に財布をしまってよいものか、納得のいかないなまえは神妙な面持ちで彼に続いて店を出る。一時間半ともなれば、外はすっかり夜の帳が下りきっていた。ほんの少し、体を撫ぜる風も冷たく感じる。

「ゲンジくん、ほんまに悪いから受け取って。さっきやってほとんど出してくれたやろ」
「ええってほんま。今日は俺の行きたいとこばっか付き合うてもろたんやし。それに俺、死んだじいちゃんから女に金は出させるな云われてんねん。あとおまえは歌ヘタやからカラオケも歌うなって」
「あはは、なんそれ絶対ウソやん」
「バレた?」
「バレバレ。せやけど、なにもなしに全部出してもらうのはやっぱり気ぃ引けるし……」

観念して財布を引っ込めたなまえ。彼のことだから、見返りなんて特別求めちゃいないのだろうが。それでも、手放しにすべて奢ってもらう義理はない。自分はゲンジの彼女でもないのだから。

「ほんならさ」
「ウン?」

駐車場まで戻り、車に乗り込む。キーを回せばエンジンがかかり、誰だかわからないが洋楽の、いい感じの曲が流れ出す。今のこのしっとりとした空気に、一番ピッタリくるような。

「もし俺のことが嫌いやなかったら、付き合うてくれへん?」
「え」
「お試しみたいな感じでええねん。ダメならダメで構わんし。ただもし、少しでもコイツええ奴やな〜って思ってくれとるなら、付き合うてほしいんや」

照れてはいるものの、自分を真正面から見つめる彼の眼差しは本気だった。「なんや交換条件みたいな云い方やな。やらしくてほんまごめん」やさしさをにじませる反面、どこか強引で力強さすら感じるその瞳は、まるで離してやるもんかとでも云わんばかりになまえを捕え続ける。お望み通りなまえは目を逸らすこともできず、ただその視線に応えることに精一杯だった。
「なまえちゃんが好きやねん」
そう告白され、頭の中が一瞬にして落ち着きをなくしてしまう。それなのに、そんな時まで彼女の思考回路を白石の存在が往来し、なまえは眉根を寄せた。

「(もうなんやの白石くん……どないして頭から消えてくれへんの)」

ーーああ、ひょっとしたら自分は、白石のことが好きなのかもしれない。なんて、なまえは頭の中の白石の笑顔を必死で打ち消した。違う、そんなわけがない。自分はきっと、あのアクシデントが原因で一時的に彼のことを意識してしまっているだけなのだ。だから、自分にはゲンジの告白を断る理由なんてどこにもない。どこにもない、はずなのに。


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