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My World only Love

第N心層

御伽幻想



――――女の話をしよう。


女のセカイはひとつだけ。
他人のことなど知ったことではない。

己に幸せを!

それだけを求めて生きてきた。

だが、残ったものは何もない。


ただ、夢を見ていた、だけだったのに。



「はぁーい、いつでもアナタの絶望とともに! BBー、ちゃんねる、始まりまーす!」

虚数空間から旧校舎に何とか戻り、生徒会の皆で決意を固めていたときのことだった。いつもと同じように、それは前触れなく突如始まった。愛らしくも邪気を孕んだ声と同時に視界がジャックされる。精神的につらいが、理不尽なそれな番組もそれなりの数を数え、白野はほんの少しだけ慣れてきていた。

「あ、今、絶望しました? この番組のコンセプトですから、してもらわないと困るんですけどね。……センパイ、嫌な顔しないでください。絶望は絶望でも、キツイ、でもちょっとマンネリかな? みたいなの、いいですから」

番組のセットは何度も見たことのあるものだ。BBが教鞭を振りながら、カメラ目線で、つまり白野へ向ける。

「相も変わらず、這いつくばりながらも頑張っちゃう哀れな皆さんですね……そういうリソースを他のことに使えないんでしょうか? BBちゃん、一生の謎です」

わざとらしく眉を八の字に寄せて腕を組む。すぐにぱん、と手を打った。

「それもおしまいに近づいているんですけど。足掻くのはコストの無駄ですし。いい加減自分たちは殺虫スプレーをかけられてとどめにはたかれるだけの虫ケラなんだってこと、思い出してください」

BBは哀れみと侮蔑の目で言い放つ。

しかし。こうしてBBちゃんねるという地獄が始まったということは、衛士が新たに登場するということだ。

「さてさて、そんな虫ケラをプチっと潰してくれる方は誰なんでしょう? センパイ、分かります?」

凛、ラニ、パッションリップにジナコ。ときて、残っている少女は誰なのか。メルトリリスなのか、それとも――――。

白野は緑衣のアーチャーと組むマスターのことを思い出した。白と紺の衣装を身に纏う少女。肩にかかる程度の、ふんわりというよりはボリュームがある髪。怒りを、時折憂いを帯びた夜の瞳。けれど、自分を、岸波白野を見つめる目は憎悪と嫉妬と羨望が込められていて。何故だかは分からない。あの少女に自分は会ったことがないのだから。


「BB。そういう茶番はもういいから。なんか見たことあるし、この流れ。ネタ切れ?」


茶化しているようで無機質な声音でBBの言葉を遮って現れたのは、やはり思い描いていた少女だった。ただ、目は白野の記憶よりももっと鋭く、凍っていて、澱んでいた。

「茶番とか言わないでください。ネタ切れでもありません。まったく、本当にノリの悪い人ですね……ということで、今回サクラ迷宮で待ち構えるのは、何回か会ったことある黒瀬湊さんです。覚えてます? 湊さんって影が薄いですし、センパイの鳥よりもないメモリー容量のことですから、もしかして忘れちゃってます?」

「いろんな女の子とデートしてた奴のことだから、私なんて忘れてるでしょ」

湊が人を馬鹿にした薄笑いとともに自虐する。BBの影が薄いという悪口を受け止めているようだ。数度会っただけの白野の印象から言えば、ここで言い返しているような気がするのだが。アーチャーの言葉にもいちいち突っかかっていたのだから、BBにだってそんな態度を取ってもおかしくない。そんな白野の疑問をよそに二人が会話を繰り広げていく。

「アレをデートって言ってしまったら、湊さんとセンパイがデートしちゃうってことになるんですけど、いいんですか? いえ、センパイとデートとか、わたしが許しませんけど」

「は? デートなんて嫌に決まってるでしょ。むしろBBがあいつの相手してよ」

「センパイがわたしとデート……なかなかいい案ですね……ではなく! 湊さん、デートしたことないから不安なんですか? いえ、デートではありませんけど」

「……あんたって人をイラつかせる天才だよね」

「わたしは人間より高性能なチートAIですから、湊さんがそう思うのも仕方ないかもしれませんねー」

湊は頬をひくつかせ、上司へ怒気を隠さない。湊の怒りを気にも留めずBBはふふんと笑う。そして白野へ向き直った。

「……センパイ、一回二階層で押し負けちゃってますけど、今やけに刺々しい湊さんは聖杯戦争で四回戦まで残っているんです。サーヴァントの実力もありましたが、前回の引きこもってたジナコさんと違ってちゃあんと戦ってた人なんですよ?」

四回戦。あの聖杯戦争に。ジナコのようにサーヴァントが規格外の実力を持っていたということもありえるが、それでも彼女が強いことの裏付けにはなる。白野を含めた全員に衝撃が走る。殺意をその目に鈍く光らせて佇む少女は、強者なのだと。

固唾を呑む視聴者に満足したのか、BBが笑顔で頷く。逆に注目されている当人は口をまっすぐ結んだまま、興味がなさそうにしている。

「では湊さん、改めて一言どうぞ!」


「――――私の心に入ってきたら、殺すから」


殺す。普段は軽く使われるその言葉が意味通りの重い刃となって白野の心に突き刺さる。元から愛想があるとは言い難かったが、今は人形のごとく無表情な分、真実味が増す。そして、彼女はそのまま消えてしまった。

「うーん、今までの誰よりもやる気のない態度を見せつつも殺る気のあるコメントでしたねー。案外、ああいう地味な人が闇を抱えてたりしちゃうんですよ? では、ニッチな層にもお応えする、真夜中のBBちゃんねるでした〜」

くるくる回るBBを最後に、視界が生徒会室に戻った。直後に白野、セイバー、凛、ラニ、桜が視線を交わす。

「黒瀬湊、ねえ」

「知ってる?」

「いいえ、特別。姿は見かけたことあるんだけど。ラニは?」

「私もその程度です。サクラ、貴方はどうですか?」

「申し訳ありません、彼女、保健室には来たことなくて……」

「保健室に来ないとか、マジ? うーん、とりあえず調べてみたら出るかしら……」

「やるだけやりましょう。あまり大きな情報は出ないとは思いますが。……解析完了」

ラニがキーボードを叩いてすぐさま仕事を終わらせる。あまりに手際がよすぎて、白野は感嘆するしかない。

「あ、相変わらず仕事早いね、ラニ」

「この程度、造作もありません。ただ、本当に小さなものしかありませんね。幼い頃に家族を通りすがりの殺人鬼に殺されて、教会の神父と暮らしていたこと、なのに何故か陰陽術が得意という以外、特にありません」

「通りすがりの、殺人鬼……」

ラニの言葉を復唱する。通りすがりと殺人鬼が結びつかないが、殺人鬼に家族を殺されるなど、なかなかあったものではない。ジナコと同様に彼女も家族がいないのだ。白野自身も家族がいたという事実があるかすら曖昧だが、それでも喉が塞がってしまいそうになるほど切なくなる。

「家族がいない、か。SGの鍵になるか分からないけど、覚えておいて損はないかもね」

凛はそれを受け止めつつも同情することなく、冷静に白野へ言う。セイバーもきりりとした表情を崩さない。

「では、サクラ迷宮に行こうではないか。ここで話し込んでも仕方あるまい」

「……それもそうだね。よし、行こう」

二人は生徒会室を出て校庭の桜の木の中へと入る。毎度赴くたびに不思議な感覚に襲われるが、もうそれも慣れた。

現在入れる最下層へ続く階段を下りる。やはり今までのサクラ迷宮とは違った光景が広がっていた。遠くに城や教会のようなものが建っていたり、神社の鳥居がずらりと並んでいたり、寺の鐘などが異様な存在感を放っていたりした。教会があるのは彼女が住んでいたから、神社や寺は彼女が得意だという陰陽関連からだろうが、城だけが見当もつかない。

「ふむ。何だかちぐはぐな空間だな」

セイバーが白野と同じ感想を漏らす。宗教がごちゃまぜになった迷宮を、エネミーを倒しながら歩いていく。
エネミーと戦いながら先へ先へと進むと、あるものが二人の目に入った。

「……テレビ?」

何の変哲もないテレビが床にぽつんと放置されていた。電源はつけたままだ。明らかにこのダンジョンには相応しくない。SGに関することだろうと二人でアイコンタクトをとる。あのトラップを得意とするアーチャーの罠があるかもしれないため、白野とセイバーは慎重にテレビへと近づく。

テレビ画面にはニュースが流れていた。真剣そうな、けれど機械的にも感じられる声音で、アナウンサーが淡々とニュースを述べていく。


『今日未明、冬木市で交通事故により大暮優美さん二十五歳が亡くなりました。遺族は……』


『先日起こった夏目町殺人事件の被害者が三人目となりました。警察は警戒を強化し……』


「何だ、これは」

「ニュースが流れてるだけみたいだけど……」

二人でニュースに何の意味があるのかと頭を悩ませる。白野は屈んでテレビを覗き込んでみた。特に変わった箇所は見つからない。

そうしているうちに、二人と距離を置いて、サクラ迷宮の主が音もなく現れた。BBちゃんねるのときと変わらず、白野を射殺さんとばかりの視線を向けている。しかし、緑のアーチャーが見当たらない。顔のない王で隠れているのか、単に今は共にいないだけか。

「早速お出ましか」

セイバーが剣を構える。それにも動じず、主の分身は二人へ問いを投げかけた。

「ねえ、これ見てどう思う?」

「何?」

「どうって……」

「まあ、いいよ」

問いの意味がそもそも理解できない。疑問符を飛ばす白野とセイバーを見て、湊の瞼に落胆と哀愁がこもる。そうしてすぐに消えてしまった。白野が待ってほしいと声をかける暇もない。どうやら会話もしたくないほど嫌われているらしい。

『ニュース見てどう思うかって、それこそどういうことよ』

『……構いません。先に進んでみてください。そうすれば何か分かるかもしれません』

ラニの指示通り、ニュースを流すテレビを頭の片隅に置きながら先へ進むことにした。

しかし、そこからが大変だった。ラニのある階であったものより十倍はえげつないトラップがそこら中に設置されていたのである。あまりにもひどいので、回復アイテムを購入するために一旦旧校舎へ戻ったほどだ。つい先ほどなど、足を踏み込んだ瞬間全て溶かしそうな炎がそれなりの範囲で立ち昇った。何とか直撃は避けたものの、白野の学生服が少し焦げてしまった。

「むう、さすがあの緑の狩人よな。嫌がらせにかけてはBBと並ぶのではないか?」

「でもアーチャー、今まであんな大きな火なんて使ってきたっけ……? ラニのときもいくつかあったけど……」

「新しく仕入れたのだろう。もしくはBBから、かもしれぬ」

「なるほど」

苦労しながら探索しても、先ほどのテレビ以外に重要そうなものはない。目の前には次の階層へ進む階段。当然強固なシールドが立ち塞がっている。

「どーも、オレが張ったトラップにちまちま避けたりいちいち戻って回復したりと、ご苦労さん」

ここまで来て行き止まりだと疲れが溜まって来た折、アーチャーが普段通りの飄々とした佇まいで出現した。これまでの疲労をぶつけるごとく、セイバーが憤然とアーチャーへ言った。

「貴様、本当に性根が悪いな。以前よりもタチが悪かったぞ。しかもなんだあの炎は! 奏者を灰にする気か?」

「そりゃあ、お嬢のSG取らせるわけにはいかねえし? 何より、お嬢が前よりも危ないのいっぱい仕掛けて、ってお願いしてきたもんでね。それにあの炎はオレじゃねえよ。お嬢が自分で仕掛けたもんだ」

「あれ、彼女だったのか……」

言われてみれば、と白野が思い出す。ラニの階層で戦ったとき、術式が描かれた札でアーチャーを援護していた。鎮火した際辺りを舞った燃えカスは札だったのだろう。ラニの言う通り、そういった呪術は得意分野であるようだ。

「そうそ。いやー、まったく怖いですわ」

そうこぼしつつもアーチャーの口調は軽い。
白野はまっすぐアーチャーを見据え、答えてくれはしないと分かっていても、例のテレビについて質問した。

「……アーチャーは、あのテレビの意味、分かる?」

「は? そんなの言うわけないでしょ。オタク、バカ?」

「奏者を馬鹿にするでない! マスターもいないようなら、ここで斬ってもよいのだぞ!」

「へえへえ。少年も大変だねえ」

セイバーが剣の切っ先をアーチャーに向ける。殺気を物ともしないアーチャーは、むしろ白野に同情の視線を寄越した。

「ま、そのまんまだよ。ニュースはニュースでも、ああいうニュースを見てどう感じるかってこと。分かんねーうちはSGなんて暴けないぜ。タイムリミットまでぐるぐる考えてな」

ヒントを残し、アーチャーはまた顔のない王で姿をくらました。

『ますます分かりませんね……』

『事故や事件のニュースばかりでしたが。関係あるのでしょうか?』

『アレを見てどう思うかがSGに繋がるってワケ?』

アーチャーのセリフを聞いた凛とラニ、桜も理解できないらしい。セイバーが考え込む白野に言った。

「……奏者よ。これでこの階は全てのようだ。ひとまず戻るとしよう」

「…………うん」

疲弊が激しい。セイバーの言う通りである。白野はひとまず休息を取ることにした。



二人がマイルームへ戻ると、窓はもう夜――――そう見えるだけだが――――だった。ベッドに腰かけると、気分が落ち着いた。セイバーもそれが当然である、と言わんばかりに、無言で白野の隣に座る。今までは疲れながらも、彫刻のごとき美しい少女が近くにいることに緊張感の欠片も無くどきどきしていたものだが、今回はそうではなかった。

どうして彼女は、黒瀬湊はあそこまで自分を憎んでいるのか? その一点が気にかかって仕方ない。気のせいであってほしい。それに関してセイバーはどう感じているのか。白野は視線だけセイバーに向けた。

「セイバー。その、前も思ったんだけど」

「黒瀬湊が、奏者へ嫌悪と憎悪の目を向けていることであろう?」

白野のセリフを受け継ぐセイバー。奏者の言いたいことなど、余はすべて分かっている。そんなことを言いそうだ。

「やっぱり気のせいじゃないか。会ったこともないし、何もしてないんだけどな……」

「余もあのような少女、見覚えはないが……あの少女にも、願いがあったのだろう」

「……」

聖杯戦争に参加したということは、これまで戦ってきたマスターたちと同じで、彼女にも譲れぬ願いがあったのだ。BBの配下になって生きようとするほど、強い願いが。配下になったとして叶わぬと知りながら。それでも生きると、彼女は言っていた。

「だが、それでも前に進まねばならぬのだ。そうだな? 奏者よ」

それは白野たちも同じだ。相手がどれほど強い願いを抱いていようと、今までセイバーと共にそれを乗り越えてきた。悲しい過去があろうと、強い願いがあろうと、自分は成し遂げなければならないのだ。迷いそうになるとき、挫けそうになるとき、いつもセイバーの言葉が心強く白野の胸を打つ。

「……ありがとう、セイバー」

「奏者が沈んでいると、余も苦しい。余は当然のことをしたまでだ」

セイバーが薔薇の微笑みをあどけない顔いっぱいに浮かべた。それに白野も目元を緩める。

「おやすみ、セイバー」

「うむ。よく休むのだぞ、奏者よ」



六時間後。マイルームから廊下に出ると凛から通信があった。ブリーフィングはなく、サクラ迷宮に再び探索してほしいとのことだった。

その前に何となく、白野は図書室へ足を運んでいた。図書室はいつもと変わらず静かな空気が流れている。絵本や童話が並ぶ本棚で足が止まる。『人魚姫』、『裸の王様』とあって、他にもアンデルセンが書いた作品はないかと目を凝らす。その中でひとつ、見慣れぬタイトルを見つけた。
『絵のない絵本』。聞いたことがない。白野は気になって本を手に取りページをぱらぱらとめくる。『わたしは、貧しい絵描き。友達はいないし、窓から見えるのは、灰色の煙突ばかり。ところがある晩のこと、外をながめていたら、お月さまが声をかけてくれた……。ある時はヨーロッパの人々の喜びと悩みを語り、ある時は空想の翼にのって、インド、中国、アフリカといった異国の珍しい話にまで及ぶ。』どうやら短編集のようだ。

せっかくだ。白野は図書室の外にいるアンデルセンに尋ねてみることにした。彼のマスターである殺生院キアラは偽物の夕暮れを見つめている。もちろん、聞き耳を立てているのだろうが。

「何? 『絵のない絵本』? 俺の著作の中だとそんなに名が知れ渡っていないものだが……こんなお世辞にも広いとは言えない図書室にあるのか。ふむ。ここの本を選んだ奴はどんな奴か、少し気になってきたな」

白野が『絵のない絵本』について尋ねると、アンデルセンは珍しく図書室に興味を示した。白野は彼が図書室の前にはいるのは見るが、中に居たのを見たことがない。童話作家という肩書は理由にはならないが。そんな考えが顔に表れていたのか、アンデルセンが眉間に皺を寄せた。

「ふん、これだからお前ら読者は困る。以前も言ったろう。そういった勝手なイメージが今の俺の体を蝕むのだと」

「ご、ごめん……」

「まあいい。『絵のない絵本』のようなマイナーどころを選んだ、目のつけどころが何とも言えん司書を称える代わりとして、お前の相談に乗ってやろう。どうせ、またそこの色魔ほどではないが面倒な女の相手をすることになったんだろう?」

「アンデルセン!」

「本当のことだろうが」

「えっと……」

沈黙を保っていたキアラがついに話に割って入って来た。キアラの非難の視線に、アンデルセンは心底鬱陶しそうに吐き捨てる。毎度の流れだ。白野は苦笑し、相談したいことを話した。

「なるほど。そうだな……事故や事件のニュースなんぞ、基本的に名も知らん輩のものだろう? それを見て貴様はどう感じる? それがそのニュースの答えだろうよ」

話した途端、アンデルセンはふうっとため息をついて返答した。とはいえ、やはり質問に答えられていない。

「もう少し詳しく教えてあげたらどうです? それでは問いとあまり変わらないではありませんか」

「キアラ、貴様は推理小説を何も考えず最後まで読むタイプか? それとも、ネットでネタバレを検索しておいて犯人はコイツだ! などとドヤ顔するタイプか? 少しは考えろということだ、馬鹿め!」

「アンデルセン! ……白野さん、申し訳ありません。ですが、この捻くれた童話作家の言うことも一理ありますわ。少し考えてみれば、望む答えは得られるかと」

キアラの撫でるような美しい微笑みに、白野は一瞬見惚れてしまう。セイバーが目敏く気付いて鋭く睨んだため、すぐに我に返る。

「……なるほど。ありがとうございました。アンデルセンも」

「俺はついでか」

話は終わったとアンデルセンが顔を背ける。キアラも白野に背を向け、橙と朱の光景を目に焼き付けている。二人に軽く頭を下げ、白野とセイバーはサクラ迷宮へ向かった。

サクラ迷宮へ入り、階段を下り切っても、湊やアーチャーは現れない。変わらずエネミーが浮遊し、徘徊しているだけだ。それらを倒しながらニュースを流すテレビへ赴く。しかし、目的のものは以前と変わらず事故や事件のニュースをアナウンサーが冷静に話す映像を流すだけだった。

「名前も知らない人のニュース、か」

痛ましい。大丈夫だろうか。じっとニュースを見つめていると、そう感じてしまう。偽りのニュースかもしれなくても。とはいえ、まさかニュースに感化され、正義感をひけらかして事件に介入などする人物はいないだろう。散々凛たちにお人よしなどと言われてはいるものの、白野だってさすがにそこまではできない。
瞳にニュースを映す。湊のSGについてニュースから何か出ないかとも考えたが、何もない。

「どう? 分かった?」

白野を馬鹿にしているようで、だが精一杯耐えているような笑みを見せつけて、湊が姿を現した。

「……湊」

「気安く名前で呼ばないでくれる? コミュ力高い奴は名前で呼べば距離縮まったと思っちゃうクチなの?」

「ご、ごめん」

「……まあ、いいけど。その顔だとまだ分かんないみたいだね。じゃあ、こうしたら分かるかな?」

不満そうな顔のまま湊が指を鳴らす。刹那。左右が崩れ、先ほどまでなかったはずの二つの人影が右へ左へずるずると落ちていく。同時に見覚えのある人物が目に入った。

「レオ!?」

綺麗に整えられた金髪、少し小柄な体格、けれども上品で気品があり威厳のある風格。黒い学ランに身を包んだ少年は、まさしくレオ・B・ハーウェイにしか見えなかった。しかし、もう彼はいないはずなのだ。BBに敗れ、白野に後を託していった。だからあの少年はレオなわけがないのだ。レオではない、はずなのだ。

動揺する白野に湊はうっすら笑っている。

「黒瀬湊! 貴様、趣味が悪いぞ!」

「私だって最低だなーって思うけどさ。こんくらいさせてよね。四回戦の相手だったんだから」

『レオ元生徒会長が、四回戦の相手……』

『え、ってことは……』

あっさりと湊は言った。悲哀とも怨恨ともつかぬ声音。あまりにもあっけなく口にするものだから、白野は息をするのを一瞬忘れてしまった。レオが四回戦の相手だった。同時にそれは、彼女は本来ならすでにここにいないことを示唆していた。レオは四回戦は勝ち抜いたと発言していたから。

それでも少女は、無機質で、無感動で、空っぽな顔をしている。人形のように虚ろな顔。

「君は……もう、」

「あ、当然っちゃ当然だけど、そのレオ・B・ハーウェイは偽者。でも今喋れないだけで中身はNPC君。もちろんそっちのNPC生徒君も本物。でもこの距離だと、サーヴァントじゃなきゃ片方しか助けられないんじゃないかな?」

白野の言葉から逃れるように湊が遮った。くすくす笑って視線を崩れる床を必死に掴むNPCたちに向ける。

「……! ……、……!!」

「た、助けてくれ!! もう、腕が、」

声にならぬ声を発するレオの姿を模したNPCと、恐怖を必死に叫ぶNPC。その間にも彼らの腕力がなくなり少しずつ少しずつ後退していく。

「あんたはどっちを選ぶ? 偽者でも姿形は仲間だった彼を選ぶか。本物だけど名前の知らない彼を選ぶか。それとも……どっちも助けるとかほざいちゃう?」

怒りと同情で頭が混乱してくる。白野は痛いほど強く拳を握った。それでも冷静にならなければ。卑劣な行為をされようと、少女が敗者であったとしても。それでも前に進まねばならぬと、隣に居る美しいサーヴァントが言ったのだから。

「……セイバー」

「任せよ」

言葉と共に、セイバーは左へ、白野は右へ駆ける。

助けなければ。今はテレビのニュースのように遠い出来事の話ではない。助けられるのなら、どちらだって助ける。BBを追い詰めたと思っていたあのとき。もしかしたらレオを助けられたかもしれないのだ。もうあんな苦しい決断はしたくない。このレオが偽者でも、見知らぬNPCでも。それは変わらない。

白野が必死にNPCへ手を伸ばす。白野の脚力では間に合うか分からない。セイバーは間に合ったろうか。頭の端で考える余裕もない。間に合いそうだ。思った途端にNPCの手が、崩れた床から滑らせていく。全力で足を動かす。白野の視界が霞んでいく。顔を歪ませ、口を大きく開けて、今にも泣きそうなNPCの少年の顔。両手を広げた彼の手を、共に落ちる覚悟で掴んだ。

落ちる。恐怖を紛らわそうと目を瞑った。しかし、どこまでも落下する浮遊感は来ない。むしろ元から崖などなかったような――――。

「あ、あれ?」

「む? 崖が……」

ゆっくり瞼を開く。そこには崖ができる前の光景と何ら変わらなかった。手を握っているNPCも、もうレオではなくなっていた。旧校舎にいる彼らと変わりない姿をしている。

一人、距離をあけて佇む湊は、やはり凍った夜の瞳を白野に向けていた。しかし、それは今までと違って不安定に揺れている。やっぱり。ありえない。だよね。なんで。そんな風に白野へ問いかけている。

「私は、そんなことできないよ」

かすかに開いた唇から漏れた声は、迷子の子供のように弱々しい。

『ちょ、ちょっと、いつの間に幻術なんて発動したのよ!?』

『おそらくNPCたちが現れたのと同時でしょうが……白野さんが動揺したとはいえ、相当なものですね』

凛とラニが驚き感嘆している。そんな通信が聞こえているのか聞こえていないのか、湊はぽつぽつ思いをこぼしていく。

「弱い私は私だけでいつだって精一杯。名前の知らない人なんか正直どうだっていい。どこかで他人が死んだって関係ない」

少女は未だにニュースを流し続けるテレビに触れる。もう彼女の目は白野もセイバーもNPCも、誰もどこも見ていない。

「私は菜保子さんが、あの人たちが、そばにいればそれでよかった。綺麗で、優しい優しい人たちが、私は大好きだった」

誰に聞かせるでもない言葉が空に落ちていく。同時に湊の胸が、輝き始めた。白野の左手も痺れるような痛みを発している。
そうか。これが彼女の、黒瀬湊の、秘密――――。事件や事故のニュースも、見知った顔か見知らぬ顔かどちらか選べなどと言うのも。

『白野さん、SG反応ありです!』

桜の通信に頷く。


「たとえ世界が滅んでも――――私は、私が好きな人が……私のセカイが無事なら、それでいい」


私の好きな人がいればいい。断じた湊の声は先ほどの弱々しさも迷いも、微塵もない。
湊が言い切った瞬間、湊の胸が一層輝きだす。白野は手をかざす。そのまま輝きを目掛けて体が引き寄せられていく。一瞬白野の目に映った、少女のひどく怯えた目に胸が鈍く痛む。それもすぐにかき消える。幻術だったとはいえ、NPCたちを殺しかけた挙句、レオの偽者を形作ったのだ。許されない。

「っ!! ぁ、あ――――あ……」

そして、白野は秘密の輝きを奪った。


彼女の秘密。それを名付けるならば「セカイ主義」になるのだろう。無論、博愛などとは程遠い。彼女の言うセカイとは、自分の好きな人だけで構成された、狭い世界なのだから。それを守るためなら他人など知ったことではない。
アンデルセンの言葉を思い出す。テレビのニュースなんぞ、名も知らぬ輩だろうと。その通りだ。ニュースを見たって、好きな人がいればいいと言い切る彼女は何も入って来ない。どうでもいい存在などすぐに記憶から消してしまう。テレビは、ニュースは、彼女のSGのヒントだった。

秘密を知られた湊は脂汗を流し、真っ青な顔で自らを抱きしめていた。過呼吸かと疑うほど息を切らしている。すぐに湊の口元に自嘲が浮かんだ。

「なる、ほど。今まで隠してきたこと、気を付けててもべらべら勝手にしゃべっちゃうわけか。ハハハ――――最悪」

そう吐き捨て、少女の分身が散っていった。

白野はSGを抜き取った手をじっと見つめる。今まで四人もの少女の秘密を奪ってきたが、あそこまで悲壮な顔つきをした少女はいなかった。いや、ジナコもあんな表情だった。しかし、ジナコとはまた別の、たとえばそう、汚いものを見られた、そんな恥ずかしさと情けなさがこもっていて――――。

「奏者よ。今回の少女も……中々厄介だな」

「……うん」

白野は秘密を奪った手をぎゅっと握った。

 

「やっぱり、矛盾してるのかな……」

アーチャーが思った通り、マスターはSGを取られていた。呆けた瞳は光を吸い取るブラックホールのようだ。世界が滅んでも生きてやると言いそうなほど生に執着しているくせに、その姿はまさしく亡霊そのものだ。

「何がです?」

触れたら今にも消えそうな少女の声を青年が拾う。そうでもしてやらないと、この少女は自らの闇に飲み込まれてしまいそうだった。

「世界が滅ぶってことは、私のセカイも滅ぶようなもんなのに。本当ならあっち側についているべきなんだろうね」

「その選択を最初から捨てたのはお嬢だろ。まさか、今更後悔してんのか?」

初めて会ったとき、少女は言った。夢がもう叶わなくなったけど、もう少しだけ生きられるのなら、生き返らせた奴のことを手伝ってもいい。特別慌てず、BBの目をまっすぐ見つめてそう返したのをアーチャーは覚えている。あの決断に迷いはなかった。
BB側につくなら、彼女が愛すセカイも守れない。そんなことは初めから分かっていたはずだ。分かっていて選んだはずだ。

「ううん。だって私はあんな風に強くないから」

湊の返事に嘘はない。代わりに嫉妬が込められていた。
あんな風に。誰のことです、なんて言及するほど、アーチャーは他人の気持ちが分からない男ではない。

「強くないから、私のセカイをもう守れないから。もう絶対叶わなくても。せめて夢のために最後まで生きようって思ったから。だから、後悔はしない」

先ほどまで心の弱さを漏らしていたはずの喉から発した言葉は澄んでいた。はっきりと、堂々と。後悔しないと、言い切った。

「……ならいいだろ。生き汚い、大いに結構じゃないですか」

生き汚さならアーチャーだって負けていない。生きることに執着して何が悪い。年頃の少女らしからぬ生への執着も、夢への足掻きも、小さく狭いセカイへの愛も、アーチャーは馬鹿にはできなかった。まさしく人間らしいとすら思う。
丸まってベッドに寝転がる少女はそれに応じない。それから間を開けて、緑の狩人を血色の悪い唇で呼んだ。

「……アーチャー」

「何スか」

「ごめんね」

ごめんね。彼女は、少し前からずっと自分に謝ってばかりだ。気にしてないと言っているのに。

いじけた女は嫌いだ。面倒だから。どう言葉をかけたって否定してくるから。この藍色の少女だってそんな部類なのに。なのに何故、安堵させようとしてしまうのか。自分にすらその理由がちっとも分からない。

ただ、自分が思っているより、自分はこの少女を好いているらしい。妹がいたらこんな風なんだろうか、などと馬鹿馬鹿しい考えが頭をよぎる程度には。事実少女と居るのは存外悪くない。あのとき口にした、「お嬢がマスターでも楽しい」という言葉は嘘ではなかった。
だからその謝罪を上塗りしてやるように言った。

「……別にオレは気にしてないって言ったでしょうが。関係ねえ他人はどうでもよくて、自分の好きな人といられたらいいなんて、人間として当然だろ」

「……アーチャーも?」

「さあて。どうでしょうね」

アーチャーの返しに、少女は光なき目をうっすら細めた。


「アーチャーは、優しいね」


「はァ? 何急に、……」

変なこと言ってんすか。言葉は喉元で消えた。

少女が、木漏れ日の微笑みを浮かべていた。ずっと、今にも死んでしまいそうな、もしくは亡霊のごとき顔をしていたというのに。
普段のアーチャーなら、何をどうしたらこれが優しいになるんですかねえと呆れて笑っていたところだ。けれどそんなことはできなかった。小さくも胸に灯るあたたかな笑みは、名前が無い青年がいつか遠くから見ていた、愛しい日常に似ていた。

だから、否定する代わりに、どこにでもいる少女の頭を撫でてやる。彼女は目を丸くしたが、すぐに眠るように瞼を閉じた。 

――――なんだ。寝顔、なかなか可愛いじゃねえの。

青年は唇をほころばせ、目を細めた。
今自分がどんなに優しい顔をしているか、青年は知らない。ただ、眠る少女に、遠い日の春のひだまりをただ感じていた。