あの後、お仕置き部屋と呼ばれた場所で湊とアーチャーは大変な目に遭った。何故か襲い掛かるエネミーをどうにか蹴散らしたり、トラップの達人であるはずのアーチャーでさえ気付かずに隠されたトラップが発動してしまい負傷したり、とにかく逃げたり、ひどい有様になった。
しばらくすると息も絶え絶えで、二人とも疲労困憊となどというレベルではないほど疲弊していた。モラトリアム期間内のアリーナでもここまで体が重くなったことはない。
もう動けないというときにBBがやってきて、「何してたんですか!」などと理不尽に叱った。湊とアーチャーをお仕置き部屋に放り込んだことをすっかり忘れていたらしい。反論する気力もない二人は、適当にBBの説教を受け流していた。
ひとしきり言いたいことを言って満足したBBは二人にまた待機を命じた。
そんなわけで、湊は与えられた部屋で過ごしていた。アーチャーはというとBBに許可をもらったのか、部屋にいることは少ない。いるとしても会話はほどほどだ。しかし、それでも以前より空気は柔らかくなり、刺々しかった会話はなくなっているように湊は感じられた。
それで分かったことがいくつかある。
アーチャーは湊よりずいぶん前に蘇生されたこと。遠坂凛がBBに利用されている頃にいろいろと説明されているという。
「エリちゃん」と呼ばれたサーヴァントのこと。エリザベート・バートリー。大量殺人で史実に残る女性。サーヴァントとしては少女の姿を取っている。アーチャーは「ありゃあヤバイ女ですわ」と軽い口調ながらも重く言っていた。
湊とアーチャー以外にアルターエゴと呼ばれる二人がいること。BBに似ているがちっとも似ていない。そんな評価をしていたが、それ以上詳しいことは話したくないのか、アーチャーはそれ以上言わなかった。「面倒な女ばかり」と言っていたのもその二人から来ているのだろうか、と湊は思った。
一体どんな二人なのだろう。しかし、それは後に分かることになった。
BBが再び湊の前に現れたのは、珍しくアーチャーが部屋にいるときだった。
「あなたたちにやってもらいたいことがあります」
BBの顔は不安でたまらないと言わんばかりだ。とはいえ、湊とアーチャーに感じているわけではなさそうだった。
お馴染みの教鞭を振るって、ホログラムを表示させる。それは大人しそうで可愛らしい、BBに似た少女だった。凶悪な金属の爪と、何故か先端しか隠していない巨大すぎるほどの胸以外は。
何この異次元級の胸……。少女の存在、いや少女の胸の大きさを飲み込めず戸惑う湊へ、BBの説明が入る。
「この子はパッションリップ。アルターエゴという、女神の系列から奪ったハイ・サーヴァントで、わたしの一部でもあります。あ、湊さんには紹介してませんけど、もう一人、メルトリリスという子がいるんです」
パッションリップの隣に別の少女のホログラムが映し出される。同じくBBに似た容姿。幼い顔に浮かばせる妖艶でサディスティックな表情は、どちらかというとメルトリリスという少女の方がBBに酷似している。ただ、こちらが励ましたくなるほど平らな胸と、大事な部分を小さく守っているだけの下半身は違った。
あまりにも極端すぎて、湊はどんな顔をしたらいいのか分からない。
「次のサクラ迷宮の衛士はリップなんですけど……」
「……なんか問題でもあるの?」
「そいつ、どん臭いから心配なんでしょ」
嫌そうにアーチャーが呟く。BBは頷いた。
「ええ、そうなんです。この子にセンパイ含めたNPCたちの記憶のデータ管理を任せたんですけど、心配で心配で……。ということで、湊さんとアーチャーさんは、彼女のアシストをしてください」
「分かった」
「へーへー」
「これはコピーなんですけど、このデータも渡したくないんです。代わりと言ってはなんですが、アーチャーさんの宝具返してあげますから。本当にお願いしますね」
BBは険しい表情をして釘を刺す。そして再び消えていった。
残ったのはコピーデータと緑のマント。アーチャーが身に包んでいるものと同じものだ。
「あー、ようやくか」
「これが宝具なの?」
「ああ。何にしろ助かる。アルターエゴどもに喰われてたんでね」
マントを脱ぎ捨て、新しいものに変える。特に違いがあるようには思えない。湊は不思議そうにアーチャーを見た。湊の視線に気付き、アーチャーが答える。
「オレのもうひとつの宝具は顔のない王つってね、着る者の気配を消すことができる」
「何それ、強すぎない?」
湊がきらきら期待と感動の目をアーチャーへ向ける。今まで突っかかっていく態度が多かったためか、素直な湊の反応にアーチャーは少し目を丸くしている。だが、すぐに暗い面持ちになって吐き捨てた。
「オレがただの臆病者ってだけですよ」
憂いをたたえた緑の瞳は痛々しい。そんなことないと否定しても、きっとアーチャーには何の慰めにもならない。そう判断した湊は、これ以上口を開くのをやめた。
何も知らないのに簡単に他人の事情に口出しするべきではないのだ。
どうせ、短い間の付き合いなのだから。
サクラ迷宮へ入ると、以前入ったラニの階層とはまた違った風景が広がっていた。
花がそこかしこに散りばめられた周囲を湊は見渡しながら、アーチャーと足並みを揃えて歩く。
「で、そのデータは何です?」
「……月海原学園の制服だ」
渡されたデータを解析すると、予選の際に着ていた月海原学園の制服だった。湊も着ていたため、少しだけ懐かしさがこみ上げる。
うっすら笑う湊にアーチャーが尋ねる。
「へえ。これ、お嬢も着てたんですよね?」
「ちょっとだけね。ずっと制服なのも窮屈だったし、どうにか着替えたけど。それにしても、何で渡したくないんだろ」
「ま、いいんじゃないっすか。言われた通り渡さなきゃ」
「それもそっか」
ゆっくり歩きながら奥へ進んでいく。隠すにも地形を把握しなきゃでしょ、というアーチャーの意見を尊重したためだ。
「……アーチャーは、パッションリップに会ったことあるんだったよね。どんな感じ?」
気になって尋ねてみると、アーチャーは不機嫌そうに言った。
「いっつもおどおどしててすぐいじけて、一番苦手な女っつー感じ」
先ほど返された宝具の件についてまだ引きずっているのか。しかし、そう言ったアーチャーの顔に悲哀と苦悩はなく、心底面倒そうな冷たい言い方だった。相手にしたくないタイプらしい。湊はふうんと相槌を打った。
どんな子だろう。ぐるぐる考えながら足を進めていると、ホログラムと同じ外見の少女がある場所で佇んでいた。パッションリップだ。頼りなさげな背中には不釣り合いな爪が視覚へ攻撃してくる。あんなもので突撃されたらひとたまりもない。敵じゃなくてよかった。湊は小さく安堵する。
「おい、オタク、何してんの?」
アーチャーがきつく呼びかけると、パッションリップがゆっくりと振り返った。色っぽく潤んだ瞳に、同性であるはずの湊ですらどきりとしてしまう。
「あ……アーチャー、さん。と……誰、ですか?」
「……どうも。私は黒瀬湊。BBの下にいるマスター、です」
怯える目にやりづらさを感じながら自己紹介をする。パッションリップは愛らしい顔に花を咲かせた。それから丁寧にお辞儀をした。
「あ、パッションリップ、です。よろしくお願い……します」
「よ、よろしく……」
恐ろしい爪を持っているくせに本人はちっともそんなことはない。マイペースで拍子抜けしてしまう。
だが、アーチャーが強い口調のまま言う。
「オタク、向こうの奴らの記憶データ持ってんだろ。どうしたんだよ」
「……あ、隠さな、きゃ」
「おい、もしかして忘れてたとか言うんじゃねえだろうな?」
「そんなこと、ない……です、よ?」
パッションリップのやたらとゆっくりした口調、定まらない視線。男なら守ってあげたくなるのだろう。けれど苛立ちもする。いつになくアーチャーがきつい態度になるのも何となく分かる。湊も必要以上に関わりたくないタイプだ。
湊はパッションリップを刺激しないよう、なるべく柔らかく尋ねた。
「まだ持ってるの?」
「あ……はい。こっちのが、いいと思って」
「……じゃあオタクに任せますわ。オレらは別のデータも隠さなきゃいけないんでね。行こうぜ、お嬢」
「あ、待ってよ」
アーチャーがパッションリップに背を向ける。湊は慌てて追いかける。去ろうとする二人に、パッションリップが震える声で制止した。
「あの、待って……ください。アーチャーさんの、それ、くれませんか?」
大きすぎる手でアーチャーを指さす。パッションリップの目は森色のマントをじっと見つめている。
「あ? 何に使うんだよ。フォルダの隠ぺいにか?」
パッションリップは頷いて肯定する。アーチャーはさらに険しい目になった。
「全部渡したら使えないんじゃないの?」
「いや、そういうわけじゃねえ」
アーチャー曰く、この宝具であるマントは一部でも機能する。光学ステルスと熱ステルスの能力をもって気配遮断スキル並の力を有する。外套の切れ端であるものを使い指定したものを複数同時に透明化させたり、他人に貸し与えても効果は発動するのだという。
聞けば聞くほどなんというチートマント。湊は心の中で呟く。
「だから……ちょっと、くれませんか?」
じっとパッションリップがアーチャーを見つめる。可愛らしく上目遣いで見られ、同じ女だというのに見入ってしまう。だがアーチャーには効かない。むっとしたまま黙っている。
アーチャーが何も言わないため、パッションリップの目が落胆でいっぱいになっていく。いたたまれない空気が流れる。湊は耐え切れずにアーチャーへ視線をやった。
「……アーチャー、ほんのちょっとだけ貸してあげたら?」
アーチャーは湊とパッションリップを交互に見る。それから大きなため息をついてマントを装備していたらしいナイフで切り取って放り投げた。
「……ホラよ」
「あ……ありがとう、ございます」
ふわりと浮くマントの切れ端を受け取り、パッションリップはアーチャーではなく湊へ笑みを浮かべる。
もし。もしここで、マントの切れ端を取り上げようとしたら。彼女は一体どんな顔をするのだろう。そんな邪な考えが頭をよぎる。いくら同性として好きなタイプではないとはいえ、なんて最低な考えだ。馬鹿らしい。すぐに我に返る。
「行こう、アーチャー」
頭を振ってアーチャーへ先を促す。
早く済ませなければまた岸波とセイバーがやってきてしまう。湊はパッションリップから距離を取るために歩き出した。アーチャーは険しい目をしながらも、無言でついていった。
「なんかあの女に優しくないっすか」
パッションリップと十分離れた後、アーチャーが湊に咎めるような視線を向ける。湊はその視線から逃げるように目を泳がす。
「別にそんなことないけど……アーチャーがイライラする気持ち分かったし。いじめたいっていうか、なんていうか、叱らなきゃっていう気分になるし」
「だろ? なのにどうしたんすか」
「まあ、ああいう子なんでしょ。……で、どうする? 一通りここのフロア見たよね」
話題をそらす。アーチャーは鋭く湊を見つめている。それ以上はパッションリップについて何も言わず、自分の意見を述べた。
本命である記憶のデータは不本意ながらもパッションリップに任せる。ゴミのデータを用意し、ダミーを作る。制服も同様だ。おそらく岸波一人ではデータ解析できないはずで、一度校舎内にいる遠坂凛やラニ=[に転送させるしかない。少なくとも時間稼ぎはできるはずだ。アーチャーが不機嫌な声音のまま湊へ伝えた。
ゴミのデータは湊が用意し、アーチャーに隠すのを任せることにした。湊はそういったことは得意ではない。それに、アーチャーには宝具がある。
「じゃあ私、待ってるから」
「りょーかい」
アーチャーに仕事を託すと、いくぶんか和らいだ声が返って安心した。
待っている間、湊は岸波白野について頭を巡らせる。
見たことも聞いたこともないマスターだった。アーチャーの話では少なくとも三回戦までコマを進めているはずだ。それでも、どれほど記憶を掘り起こそうがちっとも岸波白野という名も姿も一致するものがなかった。湊は有名どころや次の対戦相手にしか目を向けたことがないし、モラトリアム機関中は購買に出向くか、アリーナへ行くか、たまに散歩するかのどれかだった。記憶にないだけで出会っているのかもしれない。
どうしてBBがあそこまで白野に執着しているのか全く理解ができなかった。湊は白野のことを不愉快だとすら感じたのに。
負けたとはいえ、実力もそれほどではない。強者だけが持っている覇気もない。目を凝らさなければ忘れてしまうような存在。遠坂凛、ラニ=[、レオ・B・ハーウェイとは違う。湊と同じようにきっと特別でもない。そんな少年なのに。
ただ――――目は強い光を放っていた。何があっても諦めない。まっすぐでひたむきな目。それはまるで、湊がいつか憧れた――――。
「……ムカつく」
湊は怒りを込めて鼻を鳴らした。早くアーチャーが帰ってくればいいと思った。そうすれば、この名前の分からない不思議な感情も少しは和らぐだろうから。
しばらくすると、アーチャーが帰ってきた。
「奴さんがいらっしゃったぜ。ぐるぐる回ってくれてますわ」
「お疲れ様」
隠し終えたら岸波とセイバーがやって来たらしい。ステルス機能がついたマントで気配を消しながら様子見もしてくれたようだ。湊は素直にアーチャーを労わる。
「で、どうします、お嬢。あの女から頼まれたのはデータの管理と、爪女の補佐ですけど」
「うーん……データの方はもういいとして。あの子は見ておかないとダメだよね……」
パッションリップとはそこまで言葉を交わしていない。しかし、おそらく思い込みが激しく、かつ無自覚だ。何かとんでもないことをやらかすに違いない。ああいったタイプと生前交流したことはないが、湊は確信に近い思いを抱いていた。
アーチャーが苦々しい顔で言う。
「むしろ見ておかないと何するか分かんないっすよ」
「だよね。じゃあ、私が彼女のこと見とく」
ふぅっと息を吐く。アーチャーはあの冷たい態度からしてパッションリップが嫌いだろうし、あまり付き合いたくないだろう。パッションリップは可愛らしいが、湊も好ましいとは思わない。特にあの爪が恐ろしい。
だが、この頃アーチャーに任せてばかりだ。たまには湊も仕事をするべきなのだ。
アーチャーの目に驚きが浮かぶ。
「いいんですかい?」
「アーチャーに任せっきりだし。いいよ。ただ何かあったら来てもらうことになるけど。怖いし」
「それはもちろん構いませんけど。……意外とっつーか、律儀だな、お嬢は」
また余計な一言を。湊は眉をひそめたが、その点は言及せずに言った。
「普通じゃない? 任せっぱなしは申し訳ないし、嫌じゃん」
「楽できてラッキー、とか考えるもんじゃないですか、普通?」
「私は嫌なの。借り作りっぱなしとか、貸しそのままとか」
「……なるほど? じゃあ、お言葉に甘えてちっと離れますわ。ただ、あいつのばかでかい胸に触るのは気を付けた方がいいぜ」
「は? セクハラ?」
何言ってんだこいつ。湊はアーチャーへ軽蔑の眼差しを向ける。
「ちげえっつーの!」
パッションリップの巨大な胸は虚数空間を利用して作られた廃棄場で、どんな容量であろうと無限に収納可能。しかし、収納された生物は自力では絶対に這い上がることができない一種のブラックホールと化しており、中に入ってしまうと死ぬこともできず、かといって蘇生も不可能で、肉片のまま生き続けることになる。
アーチャーが怒りを交えて丁寧にそう説明してくれた。
あの胸に、谷間に触ると、文字通り今度こそゾンビで幽霊になってしまう。想像するだけで背筋が凍る。
「教えてくれてありがとう」
礼を言うと、ひらひら手を振ってアーチャーが消えていく。もうサーヴァントの気配は感じない。顔のない王で消えたのだろう。
それから湊はパッションリップを探し出す。特別広い迷宮というわけでもない。すぐ見つかるだろう、と思っていたとき。
岩を砕くような破壊音が聞こえた。剣と交わる音ではない。ただひたすらに破壊する音。耳障りだ。鼓膜が痛みを訴えるのを耐えて、音がする方へ走る。嫌な予感が湊の頭を支配する。
そして、それは不運にも的中した。
「……パッションリップ?」
パッションリップが大きな爪で閉ざされた扉を破壊していた。対サーヴァント処理を施された障壁は無理矢理引きちぎられ、跡形もない。
湊がおそるおそる声をかけると、パッションリップが振り向いた。
「あ……黒瀬さん。こんなところで、何、してるんですか?」
「それ私のセリフなんだけど……何してんの?」
湊の攻撃的な目つきに、パッションリップは小さな体を縮ませる。それからぽつりと言い訳をし出した。
「岸波さんが突然いなくなったから……。わたし、探したんです。でも……なかなか見つからなくて……道は狭いし、扉は邪魔だし……。だから、潰しちゃおうって。……普通、ですよね?」
なんてことないようにパッションリップが首を傾げる。潤んだ瞳に悪意はない。だからこそ余計に腹が立った。
「いや、普通じゃないから。普通代表の私が言うけど、普通はそんなことしないから」
「そ、そうですよね……ごめんなさい、気をつけます……。あの、ついでにお願いがあるんですけど……このデータ、隠してもらえませんか?」
「え……何、それ?」
「サーヴァントの残り物、です」
サーヴァントの残り物。どこかでマスターとはぐれたであろうサーヴァントがパッションリップの餌食に遭い、そして肉片になったもの。小さなキューブ状にこそなってはいるものの、ここが月でなければ肉片そのものになっているそれ。本来なら座に還るはずのサーヴァント。想像してしまい、嘔吐感が沸いてきた。
湊は思い切り顔をしかめて断る。
「嫌だよ。アーチャーに聞いたけど、その無駄にでかい胸、怖いゴミ捨て場なんでしょ。そこに捨てればいいんじゃないの?」
「え……だってこれ、好きじゃない、し。持っていたら、お母さまに怒られます……あ、あと、無駄にでかく、ないですから……。だからアナタたちに、隠してもらおうって……。お母さまにも、あの人にも見つからないように、透明にしてください」
あの人って誰だ。もしかして、岸波?
突然いなくなったから、とパッションリップは言っていた。もしかして白野に惚れたのかもしれない。こういうタイプは惚れっぽそうだ。独断と偏見まみれの理由だが、的外れではないだろう。
言及せずに素直な疑問を投げかける。
「じゃあ残さないで全部食べればいいじゃん」
「だって、これ以上食べると……体重が……お腹の、体脂肪的な何かが……その……。と、とにかく、アルターエゴとしての、命令権を、行使します……。このデータ、アナタたちで処理してください。……あと。あの人とあんまり仲良くしたら、アナタたちを尾行、しますから……」
ぎらり、薄暗い光を宿した目が湊を射抜く。胸がざわめいて、足が震えてきた。息を呑んで黙る湊を気にせず、パッションリップはそのまま姿を消えていく。
心臓を直接掴まれたような圧迫感から解放され、湊は大きく息を吐いた。
あの様子だと少しでも白野と会話してたら誰でも排除するのではないだろうか。なんて思考回路だ。恋する乙女は何にでもなるのだろうか。湊にはそんな風に強く誰かを思ったことがない。あそこまでするパッションリップの気持ちが全く分からないと同時に、少し、羨ましくなった。
首を振って羨望を捨てる。
「……想像してたよりタチ悪いんだけど、あの子。……私も相手にすんの、ますます嫌になってきた」
あまりにも恐ろしくて、つい、ぼやいてしまった。
ふと、湊は視線を感じ、そちらへ顔を向けた。白野とアーチャーが湊を見ている。目が合い、二人の顔に緊張が走った。
湊の仕事はデータ管理とパッションリップの補佐、というかお守りである。アーチャーもいないし、余計なことをするつもりはない。
湊は白野を刃物のような視線で一睨みする。そして背を向けて、アーチャーに連絡した。
アーチャーと合流すると、迷宮の惨状に目を見開いていた。訳を話すと、やっぱりなと忌々しそうに頭をかいた。
パッションリップの元に行かなければ。入り口から念入りに探していると、出口付近で目的の少女が見つかった。
「あのデータ、制服のじゃない? 記憶じゃないけど、まずいよね」
「何やってんだあいつ」
じっと隠れてその場を観察していると、パッションリップは消え、やってきた岸波とセイバーが制服のデータフォルダを手にしてしまった。白野とセイバー、厳密には白野だけを尾行していたパッションリップも状況に気付いて慌てている。
湊はアーチャーと目を合わせる。我慢できない。湊とアーチャーは、怒りを隠さずにパッションリップの前に姿を現した。
「……おい、これはどういう事だ? こっちのフォルダの隠ぺいはオタクに任せたハズなんだが?」
「あ、あわわ……わ、わたし、ちゃんとやりました……フォルダ、透明になってました、から……」
おろおろととアーチャーを見比べて言い訳する。以前はその態度に騙されたが、もう湊にも通用しない。
「私、あんたが仕事してんの見たことないんだけど。ストーカーしかしてなかったよね?」
「全くだぜ。透明にもなってねえよ。見えてたよオレ。なに、すぐバレる嘘でごまかすとか、オタク子供なワケ?」
「あ、あの……でも……ここ、遠くて……」
湊とアーチャーに語気を荒立てた強い口調で責めたてられ、パッションリップの大きな瞳に透明な雫がたまっていく。それでも二人はパッションリップに怒りをぶつけ続ける。もう白野とセイバーがいることすら忘れていた。
「遠くねえよ。出口のすぐ近くでしょ。つーか、こっちの方がいいって言ったのはテメエだよなぁ!? 顔の無い王もお嬢が言うから切り取って貸してやったのに、何してんの!?」
「あれ、キレイなグリーンだったから……わたしのリボンにできないかなって……。でも、脆くてすぐ破けちゃって……アーチャーさんの宝具って、見た目だけで役に立ちません、よね?」
私は何も悪くない。目の前の超乳女は、そんなことを口にしそうだった。頭痛が痛い、なんて馬鹿な間違いを口にしてしまいそうなほど、湊は頭が痛くなった。
「なんでその爪で裁縫なんかやろうと思ったの? よく胸が大きい女は馬鹿っていうけど、私の法則から言うと別にそんなことないはずなのに……あんたの場合本当に胸に栄養いってて頭はからっぽなんじゃないの!?」
「か、からっぽじゃ……ないもん……ちょっと面倒だなって思っただけで……わたし、さぼっただけ……だもん」
「ちょっと、本音出てるんだけど」
ドスがきいた低い声で言う。パッションリップはますます泣きそうな顔になって体を縮ませた。
「あー、なお悪いわ。この面倒くささ、もう手のほどこしようもないですわ。悪いのは頭じゃなくて性格だったわ。こりゃあBBがリップをくれぐれもよろしく、なんて念押してくるワケだぜ。どんなに強くても使えねえもん、オタク。なに、グズ? グズ系? そんなんじゃトモダチもいないだろ?」
アーチャーの馬鹿にしたような声音に、パッションリップの瞳が揺れる。涙で滲んだ声でどうにか反論し出す。
「……っ……と、トモダチ、なんて……わたし、いらない、し……いなくても……平気、だし……。それに、黒瀬さんも、なんでいじめるんですか? 優しかった、のに……」
「いや、さすがにこれはキレるわ! 自業自得なんだから泣かないで欲しいんだけど!?」
あのときはここまでだと思わなかっただけだ。それがパッションリップには優しくされたと勘違いされたらしい。そう捉えられても仕方ないが、今回そんな対応はできない。
苛立ちが最高潮に達したとき。パッションリップの胸が輝き、ふわりと体が宙に浮いた。そして、存在を忘れられていた白野が鮮やかに、パッションリップの胸の中にしまってあった秘密を抜き出していった。
「しまった、いつの間に―――!? おい、意識はあるかオタク? こんなところで暴走すんなよ!?」
「パッションリップ、大丈夫?」
あまりにも一瞬で、何が起こったか飲み込めなかった。すぐにSGを抜かれたのだと気付き、湊とアーチャーがパッションリップと距離を詰めた。
「……はぁ……はぁ……え……? わたし、だいじょうぶ、です……ちょっと、チクっとしただけで……」
「それならいい―――って、よくねぇよ! なんで抵抗しねぇんだよ!? 最後の一枚になっちまったじゃねぇか!?」
「……? 別に、いいですよ……? わたし、気にしません。アーチャーさんは器が小さいです……最後の一枚をきっちり守れば結果的には同じじゃないですか。ちまちま走り回るの、疲れるし……そういう細かいことは黒瀬さんとアーチャーさんにお任せします」
怒りのあまり、湊は声が出なかった。本当に、こんな女がいるなんて。怒りが殺意に変わっていく。殺されるだろうけど殺したい。殺せないならせめてその可愛らしい顔を殴りたい。湊はいらいらしてまともな判断ができなかった。
「―――――。もう無理。ほんと無理」
「―――――。まいった。まさかこんな理由で、ここまでの仕事を台無しにするとはねぇ」
アーチャーも低い声で唸っている。頬の筋肉をぴくぴく動かして、湊はアーチャーへ同意を求めた。
「アーチャー、もういいよね? 私、すっごい殴りたい」
「ああ、オレも忍耐の限界だ。BBに目を付けられようが、テメェにはきついお仕置きをしなくちゃ気が済まねぇ! おら、尻を出しな! 昔っから悪ガキにはこれと決まってんだ!」
「え……なんでいじめるんですか……? いや……いやです……きゃあ……!」
パッションリップを無理矢理四つん這いにさせ、アーチャーと湊で大きなお尻を叩こうとすると、
「待て!」
清涼感のある強い声が二人を制止した。目を釣り上げたままそちらを見ると、白野が湊の嫌いな瞳でじっと見つめている。
だが、冷静な瞳に見つめられているうちに、湊とアーチャーは我に返った。
「あ? オタクらは関係ないだろう、引っ込んで――――いやいや、待て。なに熱くなってんだオレ?」
「――――あれ。私、何しようとしてたんだっけ?」
アーチャーと合流しパッションリップを見つけてからの数分間、何をしていたか全く記憶がない。軽口を叩くがいつ冷静なアーチャーもあまりの腹立たしさに理性を失ってしまっていたようだ。
「……チッ、調子狂うぜ。やめやめ、オレらの仕事はここまでだ。後は自分で責任とりな」
役目は十分果たした。BBに説教されてもパッションリップが悪いのだ。湊はそう思うことにする。
湊とアーチャーは複雑な表情のまま、姿を消してサクラ迷宮から離れた。
マイルームのような場所に戻り、ベッドに寝転がって腰を落ち着かせた。喉から疲労の声が漏れる。
「なんか、どっと疲れた」
「オレも。お守りなんざ二度としねえ」
「BBも怒らない、よね。多分」
お仕置き部屋のことを思い出した。出口の見えない広い空間を走り回り、サクラ迷宮ならば敵だと認識されないはずのエネミーに追いかけ回され、散々だった。もう放り込まれたくはない。
アーチャーとの共闘を経て、彼の戦い方が分かったり、少しだけ心が縮まったことは結果論として良かったが。
アーチャーも同じことを考えたのか、端麗な顔に浮かんでいる疲れの色がさらに濃くなった。
「……ま、なんかあるまでは自由にしてましょうや」
「そうだね」
頷いた声は、湊自身驚くくらい穏やかだった。
そこで、出会ったばかりの頃ほどアーチャーのことを嫌ってはいないことに気付いた。それなりの時間を共に過ごしたからだろうか。常にいるわけではないが、近すぎず、遠すぎない。相手のことを探り合うわけでもない。それくらいの距離感が、湊には心地よかった。
傍にいるハンサムな青年には、決して口にはしないけれど。