トラップを配置するといっても、お互い好き勝手に設置して相手がかかってしまったら馬鹿らしい。なるべく共に行動し、相手が罠を張るのを少し離れて終わるのを待っていた。
――――手際いいな。
BBから与えられた資材を持っていったアーチャーは、「こんなもんしかねえのかよ」と舌打ちしていた。湊にそういった技術や知識はあまりないものの、その素材を最大限に生かしたトラップを作っていることは分かった。つまり、えげつないのだが。トラップなんてえげつなくて当然だという湊からすれば、素直にすごいとアーチャーを感心した目で見つめた。
「ここはこんなもんか。お嬢、次行くぞ」
アーチャーがまたひとつ設置し終わって立ち上がった。湊の方がマスターという立場なのに、何故先導されなければいけないのか。湊は目を尖らせたが、こんな短時間で信頼されるわけがない。それにいちいち怒っていてはまた嫌味を言われるだけだと、元の無愛想な顔に戻した。
「こんなにトラップ作って、トラップの意味ある?」
「上司がお望みなんだから仕方ねえでしょ」
「まあ、そうなんだけど」
湊も自分の血で術式を書いた札を貼り付けていく。口を閉ざしていたアーチャーだったが、札を指して言った。
「それ、どんくらいの効果なんです? さすがにボヤ程度の火力じゃないでしょ」
「……」
湊が黙って人の形をした札を出す。それに息を吹きかけ、札と札が貼ってある範囲へ飛ばす。と、突如炎が燃え盛り、全てを焼きつきそうなほど大きくなる。すぐにしぼんでいく。それを見たアーチャーは若干引き気味だった。
「……おー」
「私がトラップ? 仕掛けてた相手って幽霊とか妖怪だし。人間への加減分かんないけど、まあいっかなって」
「……お嬢、そっち方面の人?」
「そっちって……どういう意味か分かんないけど、悪魔とかよりは幽霊の相手の方が得意だよ。……巻き込まれて相手するしかなかった、の方が正解だけど」
湊が目を伏せて苦悩に満ちた声で呟く。そんな湊にアーチャーはそうっすかと答えただけで、それ以上余計な詮索をしなかった。
順調に罠を仕掛けていると、BBが現れた。いつも余裕綽々、悠然と他者をいたぶる表情をしているくせに、今はどこか焦っているように見える。出てきて早々、苛立ちを隠さず湊とアーチャーに当たり始めた。
「ちょっと、アーチャーさん、早く設置してください。なに手を抜いているんですか? アナタなら、もっとエグくてヒドい罠、たくさん仕掛けられると思うんですけど。湊さんくらいやってくれていいんですよ?」
「そりゃ場所と資金次第。オレは魔法使いじゃないんでね、しけた素材じゃこのあたりが精一杯でしょ。もっとこう、なに? 派手な爆薬とか、ドでかい怪物とか用意しないの? 表側(あっち)で色々仕入れたんだろ? 重機の一つや二つこっちに回してもいいんじゃねぇの?」
「わたしじゃ力加減が難しいんです。ショベルカーでビーズを並べる気持ちとか、分かります? この規模のアリーナには、対ムーンセル用のドライバーは差しこめないんです。テキザイハイリョよアーチャー。繊細な組み立てには繊細なピンセットが一番でしょう?」
アーチャーとBBが言い合う中、湊の耳に痛くなるほど炎が燃え上がる音が入る。湊が設置した罠が発動した音だ。それからがしゃがしゃ重い金属音と、軽く走る音。
――――誰かが、やってくる。アーチャーも音がした方向へ目を向けた。
「はいはい、適材適所そりゃどーも。しかしそれも時と場合だぜ? そら、ケチってる間に客さんのご到着だ」
学ランを来た茶髪の少年――――岸波白野と、赤と金が印象的な少女――――剣を手にしているところから、セイバーだろう――――が、やってきた。
白野は、実物もホログラムと何ら変わらぬ印象だった。どこかぼんやりとした顔。何だか存在すら曖昧で、クラスの空気に溶け込んでいるがどこにいるか認識できなさそうだった。湊と、同じように。
隣に居るセイバーらしき少女の方がよっぽど派手で印象的だ。童顔なのに自信に溢れた瞳を煌々と光らせ、尊大な空気を纏う姿は高貴とすら感じる。……たとえ胸元がばっくり開いていても、下半身が透けてざっくり生足が丸見えだったとしても。
――――なのに。どこか、私と違う。
ひどく不愉快で、同時に憧憬がこみ上げてくる謎の感覚。胸に嫌悪が広がっていく。それが何故なのかは、今の湊には分からなかった。
「!? そんな、話し合いもできない状態でもうここまでやってきたんですか!?」
「アーチャー……!?」
白野が驚きの声を上げる。知り合いなのかと湊はアーチャーを見るが、アーチャーは少し眉を動かしただけだった。
「ふ、ふふん、驚きましたか? 私の触手(シェイプシフター)はサーヴァントを分解、吸収するだけじゃないんです。戦いに敗れたサーヴァントを蘇生して、こうやってコキ使えるんですから。時代はリサイクルです!」
「でも、ダン卿は……?」
誰だ。そんな白野とセイバーの視線が刺さる。当然の疑問だが、誰かに注目されるのは苦手だ。湊は何も言わずにその視線を受け止める。代わりにアーチャーが返答してくれた。
「あー、お嬢とはBBに一緒に仕事しろって組んでるだけ」
「……君は、誰? マスター、なのか?」
さすがに名前を言わないわけにはいかない。湊は息を吐いて白野を冷淡な目で見た。
「そ。私は黒瀬湊。あんたたちと同じ、聖杯戦争の参加者」
過去形にするわけにはいかない。センパイたちの記憶は奪ったとBBは言っていた。どこまでかは教えられなかったが、敵である彼らに無駄な情報を教えても仕方がない。
「もしかして、君も凛やラニたちのようにBBに……」
「あー、私、洗脳だとかそういうのはされてないから。私は私の意志でここにいる」
白野の言葉を遮る。続くのは操られているとかそんなところだろう。だが、湊は違う。
そうだ。湊は自分の言葉を心の中で反芻する。言い聞かせるように。
私は、私の意志で、ここにいる。
白野が息を呑む。アーチャーが言っていた通り、他のマスターからすると頭がおかしい行動なのかもしれない。知らない誰かに、そう思われたって構わない。生きられるなら、何だってやってみせる。
「どうして? 君もマスターなら、月の裏側から脱出して元の聖杯戦争をやり直そうと思わないのか?」
「思わないよ、別に。そっちについたとして、生きれる保証なんてないし。それならまだ、少しでも長く生きれるBBの方にいるよ」
「そんな……」
「あのさ、志が誰でも一緒だと思わないでくれる? あんたらだってサーヴァントいても脱出する気ない奴いるんでしょ」
――――私だって。まだ負けていなかったら。もし記憶を奪われていたら。あんたらと同じように脱出しようとしたわよ。
心の中で吐き捨てながら、湊は歯を食いしばるように岸波を睨みつけた。
もう夢は叶わないと知っても。湊はこれでよかった。世界の滅亡より、他人の運命より湊は自分の夢を選ぶ。
困惑する白野と、憎しみすら感じる冷えた眼差しを向ける湊。そんな二人を交互に見比べてから、アーチャーは肩をすくめてBBへ言った。
「で、どうすんだよスポンサー。オレらの仕事はあくまでトラップの配置だ。オタクの護衛までは勘定に入ってない。そんなワケなんで、もう帰っていいかい?」
「あ、帰れるなら私も帰りたい」
「ば、バカ言わないで! アナタたちは私の上司なんですから、言われなくても戦いなさい!」
出会ったとき、BBちゃんねるなどというものをやっていたとき。そのどれとも違う、初めて聞いたBBの取り乱した声。どうしてか湊には分からない。対してアーチャーは深いため息をつく。
「―――あーあ。ま、そうなりますよねぇ。悪いな少年。知らない仲じゃないが、これも星周りだ。てっとり早く、ここで死んでくれや」
弓を構え、白野目掛けて矢を放つ。素早く、背筋が凍るほど正確なそれは、セイバーによって地へ落ちた。
「…!」
何かを叫んでいるようだが音にならない。苛立つほど自信に満ちた顔からしておしゃべりなものかとばかり思っていた。しかし、BBによって声を奪われているのだったと湊は思い出す。
「ハッ、さすがに二度目は通じねえか! 久しぶりだなお姫さま! どうだ、少しは成長したか?」
「……!」
「は? なに、我が奏者は強くなった、余の手腕を褒めるがよい? ……はあ。読唇術なんざ身につけた結果がこれだよ。あー、つまんね。誰があんたらの仲の話をしてんだよ。人の恋バナなんてうざいだけっしょ。オレはね、背丈とか胸の話をしたんですよ?」
湊はばっとアーチャーへ顔を向けた。何を言っているんだ、こいつは? 湊の非難するような視線に気付かずアーチャーは軽い口調で続けていく。
「でもまあ、フったオレも悪かった。そりゃとぼけるしかないよな、どこからどう見ても成長してねぇもん、あんた、いってえ!!」
アーチャーが言い終える前に湊の脚が勝手に動いていた。綺麗にアーチャーの太ももに決まり、アーチャーは悲鳴を上げて崩れ落ちる。そして恨めしそうに湊を睨んだ。
「何すんだよお嬢!」
「いや、セクハラ乙っていうか……死ねって思って」
「はぁ!?」
「背はともかく、胸は女に言っちゃいけないことだからね? ふざけてんの?」
湊の胸は貧しいというわけでもないが、決して大きいというわけでもなかった。普通である。しかし、胸が規格外に大きな女性ばかりと交流していたせいか、そういった話には過敏になってしまっていた。胸だけでは、ないのだが。
アーチャーはうずくまったまま、湊、BB、セイバー、再び湊へと目線を移動させる。そして慰めるように呟いた。
「……あー、お嬢、この中じゃ一番小さいもんな」
ぶちり。湊の中の何かが切れた気がした。ぐるりとBBへ引きつった笑みを見せる。
「BB、こいつ燃やしていい?」
口元は笑っているものの、目は殺意に満ちている。湊は魔術用の札を用意し、こめかみをひくつかせた。
「湊さん、ミドチャさんの大変デリカシーのない物言いに、地獄に叩き落とそうという気持ちはものすごく分かるんですけど。手品の鳩以下とはいえ、一応私のパシリなのでやめてくださいね」
チッ。BBにたしなめられ、湊は大きく舌打ちをしてしぶしぶ札をしまった。
アーチャーは痛みに慣れたのか立ち上がっていた。ついてもいない埃を払ってぼやく。
「ったく、どうしてこうめんどくせえ女ばかり当たるかね……」
「あんたが一言多いからだっつーの。……行くよ、アーチャー」
「あいあい」
「―――! ……!」
セイバーが口を動かす。音にならないそれを理解したのか、白野が頷いて湊とアーチャーをまっすぐ見据えた。
「頼む、セイバー!」
白野の強い光が宿るその瞳に、湊はどきりとすると同時に、またひどく胸に黒いものが落ちていくのを感じた。
戦いは最初こそ優勢だったものの、少しずつ圧されていった。アーチャーは湊の命令を意外にも素直に聞いてくれてはいたし、湊も一度戦ったことのある相手を知るアーチャーの指示を受け入れていた。しかし、湊とアーチャーのコンビは急造で、性格の相性もいいとは言えなかった。相手は二人と違い、組んでいる時間が長く、互いを信頼する白野とセイバーだ。徐々に追い込まれ、最終的に負けてしまった。だが、アーチャーは楽しそうに笑っている。
「ハ、やるもんだ少年! あのひよっ子がここまで成長するたぁ、旦那の目は確かだったってコトか!」
「っ……! なにが楽しいのアーチャー、無様に負けておいて!」
BBがきっと目を釣り上げて怒鳴る。厳しく鋭い非難の目を受けてもアーチャーは変わらずに言い返す。
「おいおい、宝具を取り上げやがったのはどこのどいつだよ。真剣(マジ)でやれってんなら、アイツらに食わせたオレの力を返してもらわないと」
宝具を取られた? どういうこと? アイツら? 誰? 知らぬことばかりが増えて疑念が募る。だが今それを聞いている場合ではない。
白野とアーチャーと戦い、久々にきちんと体を動かした疲労がどっと押し寄せてくる。疲れに暗いため息をこぼしていたら、BBの怒りの矛先が湊へと向いた。
「……湊さんも疲れたって顔して諦めないで!」
「あのさー、私天才魔術師でも根性論者の熱血野郎でもないんだから、期待しないでよ。それにアーチャーのことあんま知らないから戦術も何もないし」
そもそもできたての二人にコンビネーションなんて期待するな。湊はわざらしくBBに疲れた表情をしてみせた。湊の言葉に乗っかるように、アーチャーがからかった。
「だいたいボスな気ないぜBBさんよ。さっきまでの余裕はどこにいった? キャラ、変わってんじゃない?」
「え―――やだ、そんなコトありませんよ? わたし、いつもの邪悪なBBちゃんですっ!」
BBの頬に一筋の冷や汗が垂れる。しかし、すぐに取り繕って高い声で豊かすぎる胸を張った。アーチャーは何かに気付いて眉を上げた。
「ははあ……さてはオタク、負けに慣れてない? お叱りの理由はアレか。『悔しい』じゃなくて、『恥ずかしい』の方だった?」
「……!」
「マジ図星かよ。自分のプライドを優先させる指揮官の末路は悲惨だぜ? いやまあ、いじりやすい分、オレは楽でき―――」
目を見開いたBBを見て、アーチャーが呆れた。すると突然笑っていたアーチャーの足元に大きな穴が開き、
「―――なんとぉ!?」
アーチャーは重力に逆らわず真っ逆さまに落ちていく。落下していく音もすぐに聞こえなくなった。風の音すらなく、ひたすらに無音の深き穴。
どこに繋がっているのか。考えるだけでもぞっとする。湊はぽっかりと開いた穴をおそるおそると見下ろす。ずっと見ていると吐き気を催しそうだ。足を踏み外して落ちてしまうかもしれない。ゆっくり離れようとする湊に、
「というか、湊さんも負けたのでお仕置き部屋行きです!」
「え、っうわあああああああああ!!」
BBが怒りの一声で落下させた。
何が起こったか一瞬理解できなかった。ただ今は落下していくのが恐ろしい。浮遊感が気持ち悪い。ジェットコースター、フリーフォールを情報としてのみ知る湊は、どうしてそれらのアトラクションが人気なのか意味不明だった。こんなの、ひたすらに怖いだけじゃん。湊の瞳にはうっすらと雫が浮かび上がる。
どこまで続くか分からぬ恐怖。このまま永遠に続くのではないかとすら思う。
恐怖で意識が飛んでしまいそうになるとき、地面にぶつかった痛みによってなんとか現実に戻った。
「い、た……BBの奴、ほんと八つ当たり乙なんだけど……」
激突した痛みは続く。が、湊の体が強化されているのか何なのか、思ったほどではなかった。そもそもかなりの高さから落下したため、死んでぐちゃぐちゃになってもおかしくはない。BBも一応そのあたりの手加減はしたのだろう。
……いや、それだけはないわ。湊はすぐさま冷静に否定した。
湊はどうにか起き上がって周りを見渡す。アリーナ、サクラ迷宮に似た空間だ。少し遠くに、痛みで整った顔を歪ませたアーチャーがいた。
「アーチャー」
「あー、お嬢も落とされたのか。クソ、ここどこだよ。いてえし」
「BBはお仕置き部屋とか言ってたけど」
「何だそりゃ……付き合ってられねえな」
「ほんと」
げんなりして湊がアーチャーの言葉に同意する。BBは癇癪持ちなのか。自分も相当面倒な性格をしていると自覚しているつもりだが、BBもかなりのものだ。アーチャーが白野とセイバーと戦う前に言っていた、「面倒な女ばかり当たる」というのは、悔しいことにその通りのように思われた。二人だけで「ばかり」と言われるのは腑に落ちないが。
ふと。湊はあの場で聞けずにいたことを聞いてみようと、アーチャーを見た。まずはひとつ。
「ねえ、アーチャー」
「なんスか」
「岸波とセイバーとは、何回戦で戦ったの?」
すぐに聞いてはいけなかったと後悔する。
アーチャーを紹介したときBBが笑っていた。「二回戦で無様に負けた」と。白野と戦う前にもアーチャーが感心していた。「あのひよっ子がここまで成長するとは」と。
つまり、アーチャーは、
「二回戦で、負けた相手ですけど?」
岸波とセイバーに、負けたのだ。
今までの会話で察せずアーチャーの傷に塩を塗ってしまった。アーチャーは一言多い嫌な奴だが、軽い外見の割に仕事はきちんとしている。自業自得とはいえ湊に散々キレられ怒りもあるだろうに、戦いでは素直に受け入れていた。いいところもある青年なのだと少し見直していたのだ。だからなおさら申し訳なかった。湊は暗い顔で謝罪した。
「……ごめん」
まったくだぜ、デリカシーのねえお嬢さんだな、などと皮肉を言われるのかと身構えていた。しかし、湊の予想に反してアーチャーは何ともないような顔をしていた。
「気にしてないからそんな顔しないでくださいよ。ま、旦那を勝ち進められなかったのはちっと悔いがあるが。オレ自身、負けなんていくらでも経験してますし」
自嘲するようにアーチャーは笑った。けれど湊には、同時に澄んだ表情をしているとも思った。
湊は、本が好きだった。そのためそれなりの神話や史実は頭に入っている。だが、彼の真名が何なのかはすぐに辿りつけない。
この緑衣のアーチャーは。飄々とした青年は。一体、どんな英霊だったのだろう。
湊がしんみりとした表情でアーチャーを見ていると、アーチャーはようやく彼らしい笑みを浮かべた。
「それに、そんなしおらしい顔されてるお嬢、なんだかおかしくて笑いそうになりますわ」
「……ほんっと、あんたって一言多いよね!」
前言撤回とばかりに湊は声を荒立てた。
本当ムカつく奴だと苛立つ。しかし、湊は少しアーチャーの評価を改めることにした。