文化祭。夏の前、あるいは秋に行われる生徒主体の祭りである。クラス、部活、個人が限られた予算で企画を考える。学校のアピールにも直結するため、文化祭に力を入れる学校も多くある。
例に漏れず型月学園も文化祭が開催されることになった。ちなみに湊のクラスはいわゆる脱出ゲームである。校舎一棟貸し切ったという大掛かりなものとは異なり、教室のみで行える謎解きということで許可が下りた。湊の当日の役割は受付なのでかなり楽だ。
良妻賢部の部長玉藻はおそらく白野と一緒にいたがるような気もするし、受付以外何もしなくていいんじゃないかと楽観視していた矢先である。
「やりますよ?」
マジかよ。脊髄反射でこぼしそうになるのをこらえる。
まあ、やるのはいい。受付だけやって他は回るだけ、というのも流石に味気ない。いいとして、内容だ。ものすごく嫌な予感がする。幸か不幸か湊の嫌な予感は当たる。
「メイド喫茶をよければ手伝ってほしいとの要望がありまして」
当たった。湊は、天を仰いだ。何の嫌がらせ、何の罰だ。前世で何をしたんだろう、私。いや普通に聖杯戦争で人殺してたわ。あはは。心の中で一人漫才をしてみるが全く笑えない。
「……なんで?」
無駄だろうが一応理由を尋ねてみる。
「ほら、以前カフェお手伝いしたじゃないですか。そこにマリーさんいたでしょう?いろいろ喫茶店やるところを探った結果、結局メイド喫茶のところと一緒にやることになったそうです」
湊はカフェを手伝ったときの記憶を掘り返す。そういえばキラキラ姫属性がいた。美しい白銀の髪、清らかな湖のような瞳、陶器のごとき白い肌、小さく細い体、優雅な仕草、気品あふれる佇まい。オタクで猫かぶりが得意な姫なら知っていたが、こんなTHE姫なんて実在するのかと驚いたものである。
そんなところでフラグか。そんなの読めるわけがない。しかし、彼女は女王だったしメイドとか柄じゃないんじゃ。そう思ったものの、素直にカフェの店員をしていたから本人的に何の問題もないのだろう。
「私も最初行列のできる恋愛相談所をしようと思ったんですけどねえ。こういったイベントは意中の殿方と一緒にいたいでしょうし、カフェのお手伝いくらいでやめておこうかと」
「それは主に玉藻の願望でしょ」
「私も当然やりますし、他の皆さんにも声を掛けますから、湊さんもよろしくお願いしますね」
湊の質問には答えず玉藻は言う。笑顔の圧がすごい。やらねば自分も知らぬ湊の弱みをバラされそうな気がする。というか、恋人がいるのに何故他の男を「ご主人様」なんて呼ばなければならないのか。そう反論しても徒労に終わるだろう。玉藻に口で勝てるわけがないのである。
「分かったよ」
大きなため息としかめっ面で湊は頷いた。
知り合いにバレなければいい。すでにバレたくない知り合い上位の玉藻にバレているが。ロビンは園芸部で展示すると言っていたから、当日のスケジュールを聞いてこちらのスケジュールを調整すればうまく隠し通せるはずだ。
そのはず、だったのだが。
「おや。湊君、か?」
ロビンフッドの元マスター、ダン・ブラックモアと出会ってしまった。
「こ、こんにち、は……ダンさん……」
湊は引きつった顔を隠そうとトレーを口元へ移動させる。
文化祭当日。開始1時間ほど脱出ゲームの受付を終え、湊はメイドカフェへと移っていた。問題のメイド衣装はフリルが多めだがクラシカルでロングスカート。二次元なら王道のミニスカもあったが、衣装を決める際に断固としてクラシックを貫き通した。もっと言わせてもらうならフリルの少ないヴィクトリアンの方が良かったのだが、衣装代はマリーたち任せなのでこれ以上の我儘は言えなかった。
ダンは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに目元を柔らげる。
「その恰好は……メイドかな?よく似合っているよ、お嬢さん」
「あ、ありがとう、ございます」
いつもなら否定するところだが、ダンの嫌味がない物言いに湊も素直に受け取るしかない。
「ここは何をしているのかね?メイド服を着たお嬢さんがいるようだが」
「えーと、メイド喫茶です。メイドの格好した女の子がお客さんをご主人様と呼ぶので、疑似主従っぽさを楽しめる、みたいな」
「なるほど。可愛らしいお嬢さん方がたくさんいて人気なようだ」
ダンが店内へ視線を動かす。中にはマリー、デオン、風紀委員長に良く似たオルタ、などなど、様々なタイプの女子がいる。デオンはどちらなのか不明だが、どちらにせよマリーに頼まれ必死に耐えている様子が可愛らしい。性別・デオン、ずるすぎである。
顔立ちの整った女子がご主人様などと呼んでくれるのなら不愉快な気分になる男は少ないだろう。現に今も結構な行列ができている。執事喫茶もあるようだし、見目麗しい異性に囲まれてちやほやされたいと願うのはいつどこであっても変わらない。
「美少女も美女もいますからね。繁盛してますよ」
「ふむ。君も客を主人と呼ぶのかな?」
「そう、ですね。恥ずかしすぎるので口にしないようにはしてるんですけど、さっきちゃんと呼べって注意されて……」
湊の仕事は主に紅茶を淹れスコーンやケーキを用意することだが、客の前に現れる以上「ご主人様」と呼ばねばならないわけで。ネットで見るだけなら可愛い衣装も自分が着るとなれば話が別だし、やるとなればもっと恥ずかしいに決まっている。可愛い女の子なら顔がにやけるところだろうが、湊が口にしたところで特に意味があるように思えない。メイド喫茶のメイドは大変なんだと改めて感じていた。
「おい、ちゃんと仕事をしろそこのメイド」
ダンと話し込んでいたらオルタに怒られてしまった。客もといご主人様が大量にお待ちの状態で何を貴様は休んでいるのだとでも言いたげな冷たい視線。あまりの迫力に湊はつい姿勢を正してしまう。
「は、はい!ごめんなさい」
「忙しい時に呼び止めてすまないね、お嬢さん。また会おう」
「はい、ダンさん、また!」
微笑むダンに軽く会釈をして店へと戻る。持ち場に戻って注文を確認し、茶葉を用意したところではたと気付いた。湊がメイド喫茶などしていることなどロビンに言わぬよう、ダンに釘を刺すのを忘れたことを。確実に悪意なくダンはロビンへ伝えるだろう。いつものからかいメンツにばかり気がいってしまい、全く注意が足りていなかった。だが今からダンを追いかけて行くにしてもメイドオルタに怒られる。
終わった。誰にも悟られぬよう、小さくついたため息は大きな絶望が乗っていた。
そこから2時間と少し。店の列は減ることなくむしろ増える一方になってきた。湊が入った頃よりメイドも増えているが、忙しさは変わらない。紅茶やコーヒーを淹れケーキスタンドにスコーンやケーキを飾りご主人様の前に出してを繰り返しては、さすがに湊も軽い疲れを感じていた。
落ち着くために深呼吸する。ちらりと時計を見たらもう担当の時間を過ぎていた。午後はロビンと文化祭を回る約束をしていたのだが、すでに遅れてしまっている。だが混雑している手前、抜けにくい。
そこでデオンがスタッフルームに入ってきた。休憩から戻ってきたようだ。
「湊、手伝ってくれてありがとう。もう上がってもらって構わないよ」
「え、でも……」
「大丈夫さ。元々君はその、良妻賢部?からの助っ人なんだし、後は僕たちで何とかするから。君は十分働いてくれたよ」
デオンは目を細めて言う。マリーも背景に光を背負っているようだったが、デオンも美形にしか出せぬキラキラを振りまいている。あまり親しくないデオンから優しく褒められ、湊の胸に喜びの花が咲く。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。お先に失礼するね」
「ああ」
ようやくこのメイド服ともお別れだ。着替える前にロビンへ謝罪の連絡を入れる。送った後すぐに制服へ袖を通し、待ち合わせに向かおうとメイド喫茶から出た。
「お疲れさん、お嬢」
瞬間、聞き慣れた低音に湊の体が固まった。労わりの言葉を出した青年の顔はひどく楽しそうに口角を上げている。すでにダンから伝わっているらしい。メイド喫茶の前で待ち伏せということは、メイド服を着ていたのも見られていたということで。湊の顔へ一気に熱がたまる。
「メイド喫茶やるとか大事なこと、なーんで教えてくんないんすか?」
「なんで来てるの!ロビンに見られたくないから言わなかったのに」
「そりゃ見たいからに決まってるでしょ。真面目に働いてんのにぎこちない感じ、可愛かったねえ」
中が見える位置で随分観察されていたようだ。ご主人様なんて慣れてたまるか。湊は無言でロビンを睨む。湊の鋭い目にも意に介さずロビンは続ける。
「カフェの時も思ったんだが、ああいうエプロン姿、お嬢似合うよな」
似合う。その単語に驚きながらも湊の頬が少し緩む。意中の男に似合うと言われて、嬉しくない女はいないのではないだろうか。誤魔化されているような気もするが、青年はここで嘘をつかない。湊はもう何も言えず、そっぽを向いた。
「疲れてんだろうし、どっか入って何か食います?」
「……ロビンは何か食べた?もう1時くらいだけど」
「お嬢と食おうと思って何もつまんでねー。腹減ったし、店探すついでに回りますか」
「うん」
湊の顔にようやく笑みが浮かぶ。切り替えが大事だ。だってこれから文化祭デートなのだから。文化祭デート。その響きだけで胸が弾む。
ロビンも笑う湊を見て優しさを口元に表す。そして二人は一緒に歩き出した。
「このジャスミンティー美味しい〜」
「意外とホットドッグも安っぽい感じしなくてうまいぜ」
「ほんと?一口ちょうだい」
「あいよ」
その後は飲み物や食べ物をテイクアウトして中庭で食べたり、
「お嬢、全然怖がらなかったな……驚いてはいたけど」
「お化け屋敷は本物知ってるから別に怖くないし……」
「こういうときは嘘でも怖がってくれません?」
「……ロビンはきゃー、こわ〜い、とかやってほしかったわけ?」
「いーや、お嬢らしいわ。突然出た幽霊っぽいのにビビって腕掴んできたのは可愛かったですけど」
「だってあんなぬらりひょんみたいなの出たらびっくりするでしょ!普通!」
「まー確かに」
展示やゲーム店を回った。
そのうち日も暮れ、屋台に明かりが灯る。いろいろ回って疲れたこともあり、湊とロビンは外の座椅子に座って休憩していた。
文化祭終了まであと1時間。準備は何だかんだ大変だったが、当日はあっという間でもう終わりか、と愁いがこみあげてくる。いつの間にかいる一般人や生徒、教師、カップル、友達、家族連れ。皆笑顔だ。その中に湊が混ざっていることに、自然と唇がほころぶ。
『ここからは私、マーリン主催のダンスパーティーを開催するよ。グラウンドの各エリア毎にいろんなダンスパーティーが行われているから、是非青春の熱々なひと時を過ごしておくれ!』
周りを観察しているとそんな校内放送が流れた。ダンスパーティー。文化祭の終盤によくあるやつだ。
「せっかくだし、行ってみます?」
「うん」
「お、珍しく乗り気だな」
「こういうの初めてだし」
湊は学生らしい生活を送った記憶がない。「運動会」だとか「文化祭」というイベントは遠いものだと思っていた。二次元で疑似体験して終わり。だから余計楽しいのだ。この型月学園にいる誰よりも喜んでいるかもしれない。口にすることはないけれど。
湊の返事を聞いて名前の無い青年が立ち上がる。そして恭しく手を差し出した。その所作はさながら騎士のようだ。
「んじゃ、お手をどうぞ、お嬢さん」
そう言ったロビンはやけに様になっている。
……こういうの、彼は恥ずかしくないんだろうか。心臓が跳ねるほどカッコいいが、急にやられると照れと戸惑いが生まれてしまう。それから湊はお嬢さんと呼ばれるのはあまり好きではないのに、ロビンは湊が本気で嫌がっていないからか呼ぶのを止めない。
「……それ、言ってて恥ずかしくないの?」
「乗ってこいっつの。お嬢が乗らねーと滑って余計恥ずかしくなるだろうが」
ロビンの頬が少し赤い。恥ずかしいらしい。いつも無理してるのかしてないのか。湊には分からないが、少なくとも今は無理しているようだ。嬉しくて、同時に彼が可愛くて、湊から笑みがこぼれた。
大きな手に自分の手を重ねる。秋の夜のせいか、青年の手は少し冷えていた。
「私ダンスとか全然分かんないから、エスコートお願いね、騎士様」
「……わざとやってるだろ」
「何のこと?」
湊はいたずらに笑ってみせる。ロビンは不満そうに眉根をひそめていたが、すぐに湊の手を握った。
「行きますか」
名前の無い青年の顔が逆光になっている。他の人に青年の表情は分からないだろう。だが、湊の目には優しい顔つきがしっかりと映っていた。
「うん」
だから、湊も同じように優しく笑った。
文化祭編です。本当は緑茶がメイド喫茶で待ち伏せしたところで終わりにしようと思ったんですが、せっかくの文化祭イベントなのでもうちょっとデートっぽくしてみました。バレたところで区切って文化祭編前後にした方が良かったでしょうか?玉藻との前置き削ろうか悩みましたがせっかく書いたのでやめました。
ようやくダン卿と少しだけ絡めて良かったです。元マスター同士なのでもう少しお話させたいですね。ダン卿が少年少女をどう呼ぶか分からず(ずっと白野のとは少年やお嬢さん呼びだった記憶があり。すみませんが今回詳しく調べ直しておりません……)、君付けにしております。
マリーがどんな喫茶店にするかは描かれていなかったので「メイド喫茶と合同」ということに。ほんの少しだけとはいえ、デオンやセイバーオルタと絡むことになるとは我ながら全く想像していませんでした。
メイド服はクラシック(クラシカル)=フリルがロングスカートのやつ、ヴィクトリアン(午後)=フリルが少ないロングスカートのやつ、というイメージで描いています。詳しい方申し訳ありません……。
次は裏です。どんな内容になるかは何となく分かるのではないでしょうか。
タイトルは学校生活を楽しんでいるヒロインのことです。